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風の国のお伽話(改稿版)  作者: 花時雨
第三章 開拓村の災厄

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第五十六話 辺境伯の問い

承前


 辺境伯はケンの願いを聞き終わると立ち上がり、振り返って窓の外を見た。窓際に立つと、その背の高さが一層際立つ。

 背中越しに、青空に白い雲がひとつ浮かんでいるのが見える。上空は風が強いのか、その浮雲は形を少しずつ変えながら静かに流れて窓を横切って行く。

 だが辺境伯は何を見るともなく思念を巡らしているようだ。察するに、ケンが話した事を存分に吟味しているのだろう。

 雲と共に時間も流れていく。従者やアルフ兄も身動(みじろ)ぎせずただ沈黙を守っている。

 ケンがじりじりしながらも息を殺して待っていると、やがて辺境伯はケンに向き直った。


「ケン、事情はお前の話で(しか)とわかった。明らかに無理難題だと私も思う。だが、願いを叶えるかどうかはそれとは別の話だ」


 辺境伯は硬い声でそう言うと一度言葉を切り、ケンをじっと見据えた。


「……」


 断られてしまうのか。だが、辺境伯はまだこちらを見ている。これで終わりという訳ではなさそうだ。

 ケンが辛抱強く無言のままでいると、辺境伯はまた話し始めた。その声は硬質なままだ。


「以前なら、国王陛下に訴えずとも、寄親として意見することが容易にできた。しかし、当代の子爵とは手切れして、既に別の派閥だ。そうすると全くの他領、その内輪の事に直接手出しすることはできない。それは、兄にも聞いたのではないか?」

「はい」

「では尋ねる。この訴えを陛下に取り次ぐことは、私には、あるいはこの領には何かの得があるか? 貴族は、自分の得にならない事には手を出さないものだ。ましてや他領内のいざこざに自ら飛び込むような事はしない。私がその気になるような、我が事と思えるような何かはあるか?」

「田舎者の考えではありますが、いくつかあると思います」


 ケンの返事を聞いて辺境伯は口元を緩めた。声からも硬さが取れ、調子が軽くなる。


「田舎者ではなかろう。いろいろ考えた末にこうやって私の所に辿り着けているのだ。ケン、お前は既に只者ではないぞ。それにお前の住む領が田舎であるなら、王都からさらに離れる私の所は蛮地かな?」

「失礼致しました」

「混ぜ返してしまったな。聞かせてくれるか」


 辺境伯は手を上げて詫び、椅子に座り直して机の上で両手を組み合わせると口を固く結び、ケンを目顔で促した。


 多分、ここからの何分間かが本当の勝負所だ。

 ケンはノーラに教わったこと、村で打ち合わせたことを懸命に頭の中で反芻した。

 自分の答え次第で村の運命が変わってしまうのだ。村の将来を案じる村長の、体の方々を包帯で巻かれて寝台に横たわるマーシーの、そして村の皆の不安な顔が脳裏をよぎる。


 ケンは慎重に言葉を選んで訴え始めた。


「今回、閣下にお縋りすることを提案した際、村の中で反対する者、疑う者は誰もおりませんでした。閣下が先代の子爵様に優るとも劣らず御領民を大切にされていることは、私共のような隣領の辺鄙な山村にすら聞こえ渡っております。もし今回のお願いをお取り上げいただければ、その御評判を裏打ちすることになると思います」

退(しりぞ)ければ、逆に庶民人気が落ちる、か」

「そうは申しませんが、」

「いや、構わん」


 ケンが急いで取り繕おうとすると、辺境伯は口元を少し綻ばせて遮った。


「それも一つの要素ではある。他にはどうだ? 実利を伴うようなことはないか?」

「はい、ございます。増税に苦しんでいるのは我々だけではありません。領内の他の町や村、各ギルドや教会、皆が増税に苦しんでいると聞き及んでいます」

「それが我が領にどう繋がるのか?」

「関税や領に出入りする際の通行料は如何でしょうか。それらの増税により、領全体にわたって物や人の流れも悪くなっていると伺っております。また領内の景気も悪くなっています。これらが合わさって、閣下の御領からこちらの領への輸入が著しく減っているのではないでしょうか。さらに、御領から王都あるいは他の国内各領へ東回りで輸送される物資への関税をも考えると、御領への悪影響は甚大だと考えます。もしそうであれば、現状を打ち破りたいと閣下がお考えなのであれば、この訴えを梃子に御利用いただけるのではないかと」

「ふむ。なるほどな」

「もう一つ、これは村長からのお伝え事で、私には意味がよくわからなかったのですが……」

「言ってみなさい」

「はい、今年、子爵領全体で小麦の作付けを大幅に増やしているようだ、それを調べる足掛かりにしていただけるのではないかと」

「そうか。それについては、村長に『わかっている』とだけ伝えてくれ。それだけで良い」

「? はい」


 訝しげにするケンをそのままにして辺境伯は言葉を続けた。


「なるほど、私にも利が無いわけではないことはわかった」

「有難うございます」

「もう一つ尋ねたいことがある。もし、私が断ったらどうする? あくまで代官に逆らうか? それとも諦めるか?」

「とことん戦います。敵わなければ、離民となることも厭いません。これは村の総意です」

「そうなると、治安が悪化してこの領にも及びかねないな。わかった」


 辺境伯が首を傾げて考えだし、ケンはそっと息を()いた。

 閣下がどう判断されるかはわからない。それでも、山場は越えたようだ。やるべきことはやった。あとはもう静かに閣下の言葉を待つだけだ。

 だが暫くの後に辺境伯が口を開いて言い出したことは、ケンの予想とはかなり違っていた。


「……少し、こちらで考えたい。その間、どうするか……。そうだ、先程、娘と会ったそうだな?」

「お嬢様と呼ばれていた方でしょうか? はい、お荷物をお部屋に運ばせていただきました」

「それは人足のような事をさせて悪かったな。許せよ」

「いえ。駄賃を頂きましたので」


 ケンがモリアという侍女からもらった十ダラン銅貨を出して見せると辺境伯は苦笑いをしたが、従者に向かって「アンヌを呼べ」と命じ、従者が頷いて部屋を出るとケンに言った。


「済まんが、私が考えている間、娘の相手をしてやってくれんか?」


 意外な話の成り行きにケンは戸惑った。意味が分からない。

 これまで貴族の令嬢と話などしたことが無い。それどころか、亡くなった子爵の娘に、一言二言声を掛けられたことがあるだけなのだ。まるで違う世界の住人だ。

 雲の上に住みやんごとない暮らしをしている女性、何を好み何を嫌うか、何を考えているかもわからない御令嬢の話し相手など、どのようにすればいいのかわからない。うっかりすると、粗相をして御機嫌を損ね、今回の訴えを台無しにしてしまいかねない。

 何とか御免被りたい。


「お嬢様とお話しをさせていただくのですか? 私のような者では御興味に合わず失礼なだけで、到底無理だと思います。御勘弁を頂けませんでしょうか……」


 ケンは断ろうとしたが、辺境伯は受け付けようとしなかった。


「いや、話し相手をしろなどと言うのではない。アンヌは、普通の娘とはちょっと変わったところがあってな」

「変わったところ、ですか?」

「うむ。まあ、本人が来ればわかる。退屈しているだろうからすぐに来るだろう」



 どうにも訳が分からない話をケンが考えあぐねているうちに扉が叩かれ、従者が戻ってきて告げた。


「アンヌ様が来られました」

「入れよ」


 辺境伯が答えると、従者に促されてアンヌが静々と雅やかな足取りで部屋に入ってきた。後ろには侍女のモリアも付き従っている。

 アンヌは辺境伯に向かって静かに頭を下げた。


「お父様、お呼びでしょうか?」

「うむ。アンヌ、紹介したい者がおってな。と言っても、既に会ったようだが」


 アンヌは顔を上げると、ケンを見て小首を傾げて微笑んだ。


「はい、先程、私の荷物を運んでいただきました。こちらは……」

「アルフの弟のケンと言う。今は、ピオニル子爵領のネルント開拓村の村長の養子となっている者だ」

「まあ、あの、エデュー殿から、剣を授かったという?」


 アンヌの顔が綻び、声が一段高くなった。


「うむ。ケン、これがさっき言った私の娘のアンヌだ」

「お嬢様、先程は失礼致しました。ケンと申します。よろしくお願い致します」


 ケンが頭を下げて挨拶すると、弾んだ声の返事が返ってきた。


「ケン、やはり只者ではなかったのですね。剣術を良くされると、アルフ殿から噂を聞いておりますわ」

「は、はい」


 戸惑いながらケンが応じると、横から辺境伯が声を掛けた。


「アンヌ、ケンは大事な用件で参っておる。ケンが我が家に来たことは秘密にするように。モリアもな?」

「はい」「承りました」

「それでだな、少しの間、ケンの相手をしてくれんか? 相手と言ってもだな、」

「それでは、ぜひ、お手合わせを!」


 アンヌは辺境伯の言葉を最後まで聞かず鋭く言葉を重ねると、得たりとばかりに両手を胸の前で握り締めてケンに詰め寄った。


「はい? は、はあ」


 ケンはただ戸惑うばかりだ。その様子を見て、辺境伯が口を添えた。


「ケン、済まぬが、私が考えている間の時間潰しだと思って、相手をしてやってはくれんか?」

「は、はあ」

「是非に! さあ、ケン、早く行きましょう! モリア、私の稽古着の準備を。ケンのも、誰かに言って急いで準備させて。ケン、得物は稽古用の模造剣でいいかしら?」

「は、はい」

「では、すぐに!」

「アンヌ、決して、くれぐれも怪我が無いようにな」

「もちろんですわ、お父様!」


 アンヌは高らかに返事をすると、躊躇うケンの背中を押さんばかりにして部屋から出す。ケンが後ろを振り返ると、辺境伯も従者も、アルフ兄すらも苦笑を顔に浮かべて見送っていた。

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