第五十二話 領破り
王国歴223年4月下旬(ケン19歳)
ネルント開拓村の村民が一丸となって代官ニードと戦うと決意してから約二か月が経った。戦いの準備は、進んでいるものもあれば遅れているものもある。それでも時間は容赦なく過ぎていく。躊躇している余裕はない。できること、やらなければならないことをしていくしかない。
この日、昼下がりの陽光の中、ケンは緊張しながらクリーゲブルグ辺境伯領への道を歩いていた。
今日は兄のアルフに頼んで辺境伯に引き合わせてもらい、村の窮状を伝えて訴えを国王に届けてくれるよう懇願するのが目的だ。他の者も同行すると言ったが、色々と相談した結果、ケンが一人で行くのが良いということになった。
面識があるのは村長と自分だけだし、人数が多いほど途中で人目に付きやすくなってしまう。兄にしても、他領の村からの大仰な依頼よりも自分の弟の私的な頼みごとの方が受けやすいだろう。ケンは「自分一人で行く」と言い出すのに躊躇いはしなかったが、それでも話が決まった時には、自分の肩に村の運命がずっしりと乗っているのを感じずにはいられなかた。
義父母である村長夫妻と何人かの主だった村民の激励と見送りを受けて暁に開拓村を出発してから既に九時間ほど経つが、まだ疲れは感じない。気が張り詰めているからかもしれないし、ノーラに諭されてからずっと行っている足腰の鍛錬が効いているのかもしれない。
麓のフーシュ村を通り過ぎる際はさらに緊張したが、幸い、村人たちが朝の農作業で疲れた体を癒すための昼寝の時間に当たったためか、誰にも見咎められずに済んだ。勿論そうなるように道中で軽食を取り給水するために何度か取った休憩時間を調整したのだが、ついているからだと思うことにして口に出してみた。
「大丈夫、今日の俺はついている。神様と四精様の御恵だ」
言葉にすると、本当にそうであるように思えて自信が湧き出る。肩から掛けた鞄も、入れてきた食糧は既に食べてしまってもう重さを感じない。この先も上手くいきそうな気がしてきて、ケンはまた足に力を込めた。
主街道とは異なり、フーシュ村から辺境伯領のトリニール町に抜けるこの脇道には人通りは少ない。誰かと擦れ違うことも殆どなく一人で歩き続けるとやがて領境の関所が見えてきた。
関所と言っても近隣の住民が行き来するだけのこの細道には、小規模な、衛兵が数人泊まり込むための小さな平屋があるだけだ。関所を避けて領破りをすることも考えてみたが、万一発見されて捕まった時に大変なことになると思い返してすぐに打ち消した。単に兄に会いに行くだけだと言えば問題は無いはずだから、堂々と通ればよい。
深呼吸を一つして、関所に向かって歩を進めた。
その平屋の軒先の日陰に粗末な椅子を置いて、二人の衛兵が座り込んでいる。ケンが近付いて行っても、彫像のように身動きもしない。良く見ると、この前に父の見舞いに行った時にもいた、あのノッポと太っちょの二人組だ。組んだ腕が緩み、ノッポの頭は前に、太っちょのは後ろに垂れている。何のことは無い、長閑な春風の中で二人とも居眠りをしているらしい。
更に近くに行くと、二人とも、グーとかスーとか寝息を立てているのが聞こえた。暢気なものだ。ケンは緊張が緩み、思わず笑ってしまった。すぐ前に立っても、全く気付かずに眠りこけている。どうしたものか。折角気持ちよく眠っているのを起こすのは申し訳ないが、こちらに気が付くまでこうしてずっと立って待っているわけにもいかない。
「あのー」
止むを得ず声を掛けても目を覚ます気配はない。
「すみません」
そう言って手を伸ばし肩に触れると、ノッポがもぞもぞと動き出した。ゆっくりと目を開いてこっちを見る。ぱちくりと何度か瞬きをして焦点が合ったかと思うと、発条仕掛けの人形のようにいきなり立ち上がった。
「な、なんだ、お前は! ……って、ケンかよ……吃驚させるなよ」
「すみません」
「おい、起きろ!」
ノッポが太っちょの椅子を蹴る。こちらも驚いて立ち上がる。
「な、なんだ、お前は!」
太っちょもノッポと同じことを言っている。ケンは笑い出しそうになるのを堪えて、頭を下げた。
「休んでる所、すみません」
「いや、休んでないし。考え事してただけだし」「そうそう。瞑想してたんだぞ」
「さっき、『起きろ』って言ってたけど」
「いや、そりゃ、えーと、あれだ。そう、こいつの名前。こいつの名前が、『オークロー』って言うんだ。だから、『おい、オークロー』って」「そうそう、そうそう。俺、『オークロー』だぞ」
「そうなんですか? 珍しい名前ですね」
「あ、ああ。こいつ太ってんだろ? 代々同じで、先祖はオークだったとか言われてて、それでオークが訛ってオークロー」「そうそう、オークロー」
あまりに言い訳が下手すぎる。ケンは堪え切れず、「くっくっ」と笑いを洩らした。たぶん、当直中に居眠りをしていたことがばれたら、上官に手酷く叱られるのだろう。
「居眠りしてたって、俺、誰にも言ったりしません」
「……済まん、頼む。今度の代官がひどいやつだろ? それで衛兵長もずっと苛々してて、居眠りしてたって知られたら、きつくどやされちまう」「頼む、この通りだぞ」
そう言うと、二人は揃って手を合わせてケンを拝み始めた。
「大丈夫です。それより、通りたいんだけど、出領証を頼みます」
「隣に行くのか?」
「ああ、兄の所へ久し振りに顔を出しに行くんだ」
ノッポと太っちょは顔を見合わせ、気まずそうにケンを見た。そしてノッポがポツリと告げた。
「十リーグ」
「え?」
「十リーグ。領境を超えるのに、行きも帰りも十リーグ払ってもらわないといけないんだ」
「え……そんな話、知らない……ここと辺境伯様の領の行き来は無税だっただろ……」
ケンは呆然となった。その様子を見て、ノッポと太っちょは申し訳なさそうに続けた。
「すまんな。一か月ほど前に、代官が決めたんだ。『辺境伯領から先、どこへ行ってるかわからないんだから、無税にはできん』とか言ってたらしいんだが、何のことだか、全く以って意味が分からん。だけど俺たちじゃ、どうしようもなくてな。人の出入りも台帳に記録を付けることになっちまったんだ。馬鹿馬鹿しいったらありゃしない」
「ああ、ここはただでさえ人通りが少ないのに、金が要るとなったらもう殆ど誰も通らなくなっちまったぞ。俺たちは暇で暇で、午前中に鍛錬して時間を潰すと、もう午後はすることが無くて昼寝……瞑想したくもなるぞ」
そう言って二人はまた顔を見合わせると、ノッポがケンに告げた。
「というわけだ。十リーグ、払ってもらえないか」
「そんな大金、持ってない」
「じゃあ、申し訳ないけど通せない。今日の所は村に戻って、金を持って出直してきたらどうだ?」
ケンは困った。戻ったら予定が狂う。一日遅れたら、その分間に合わなくなる可能性が大きくなる。それに次来た時も、今日のようにうまく他人に見咎められないとは限らない。何とか、何としても今通してもらわないと。
「急いでるんだ。何とかなりませんか。そうだ、帰りに、往きの分も払う。兄に借りてくる」
「それがなあ、間の悪いことに今日は夕方に代官の手下が集金にくるんだよ。細かい奴で、行き来の台帳と突き合わせて確認するから、ばれちまう。殆ど誰も通らないのに、無駄なことだ」
「帰りに今日の分も台帳に記入するとか」
ケンが提案すると、ノッポは驚いて目を瞠り、体を反らした。だが、その後には首を横に振った。
「ケン、お前結構、悪知恵が働くな。だが、駄目だ。少なくたって通る奴はいるんだ。日付が不自然になっちまう。とにかく、台帳に嘘を書くのは絶対に拙い。駄目だ」
「そこを何とか……貸してもらえませんか?」
「済まんな、俺も持ち合わせがないよ」「俺もだぞ」
「ここを通れないと、領破りしないといけなくなる……」
「おいおい、そりゃ俺たちの前で言うことじゃない」
「お願いだ!」
ケンは必死で頭を下げる。
「何かよっぽど急ぎの事情があるみたいだな……何があったんだ?」
「ごめん、言えない」
ノッポが気の毒そうな顔をして尋ねてきたが、ケンはきっぱりと断った。何があっても、村の秘密を打ち明けることはできない。嘘を吐くのも拙い。それはノーラにも言われた。一度嘘を吐くと、突っ込まれた時に嘘を重ねる羽目になりかねない。そうするとやがては破綻して厳しい追及を受けることになる。
「よせよ、きっと家族の事情とかだぞ、尋ねてやるなよ」「ああ、そうか。でも弱ったな。どうしようもないな、こりゃ」
幸い太っちょがが取り成してくれて、それ以上は尋ねられずに済んだ。ケンは頭を下げたまま動こうとしない。ノッポが困っていると、太っちょが言いだした。
「ケン、余っ程の事情と見たぞ?」
「ああ」
「そうか。もしここを通れれば、あっちの関所は今でも無料だぞ。こっちの出領証が無くてもお前なら顔で通れるよな? あっちの代官の弟なんだから」
「たぶん」
「駄目だったら、このノッポが証を渡し忘れた、って言うんだぞ」
「おい! 俺かよ! そこはお前だろ!」
「そんなの、どっちだっていいぞ。後はここをどうやって通すかだよな? 俺、ちょっとそれについて瞑想してみるぞ」
そう言うと、太っちょは椅子にドカッと座り込んだ。腕を組むと目を瞑りながらノッポに言った。
「お前も座って一緒に瞑想してみるんだぞ」
そして頭を後ろに垂らして「すうすう」とわざとらしく音を立てて寝息を装う。その様子を見て、ノッポも「はあっ」と大きく息を吐いた。
「……やれやれ。ケン、今週は俺たちがずっと当番だ。手下が集金に来るのは二日おきの夕方だ。その時以外は、人通りがなかったら俺たちはこうやって考え事をしてるからな? こう見えて、頭を使う難しい仕事をしてるんだ」
ノッポはそう言って苦笑すると、やはり椅子に座って頭を前に垂れて寝息を立てだした。
ケンは胸が一杯になったが、黙ってもう一度二人に頭を深く下げると、道に置かれた柵の脇を抜けて辺境伯領の方に早足で去っていった。
太っちょが頭を上げてそれを見送りながら言った。
「多分、増税の事を兄貴に相談しに行くんだろうなあ」
「ああ、多分な。この領全体が、あの馬鹿代官のせいで滅茶苦茶だ。あっちもこっちも増税で、あんな若いのまでが右往左往するなんて、酷い話だ」
「そうだな。だけどあいつ、青二才の顔をしてなかったぞ。もう、何かを背負ってるんだろうなあ」
「まあ、俺たちには関係ないことだけどな。大事をしでかさないといいんだが」
「何か、すっかり目が覚めちまったぞ。また鍛錬でもするか」
「ああ、そうしよう。何かあった時のために」




