第百三十三話 エルフのアイヒェ
前話翌日
商人ギルド長の不正の件を片付けた翌日、ユーキは懸案であるミスリル鉱石問題を解決する糸口を掴むために、ローゼン大森林に出掛けた。
ネルント開拓村からの調査行で発見したミスリル鉱石と思しい石は、麻袋で何重にも包んで背嚢の中に入れてある。
さらに行き掛けに馴染みになった菓子屋に寄り、今日はプレッツェルをローゼンたちへのお土産にと沢山仕入れた。相変わらず女主人には女性関係や身の回りのことについて根掘り葉掘り尋ねられたが、『意中のお方』は年下であることだけを強調しておいて、あとはできるだけ軽く躱した。レープクーヘン用の香草の栽培についても前向きに進んでいることを簡単に伝えておいた。
今日もローゼン大森林の側でクルティスを待たせ、ユーキは単独で森に分け入った。
シュトルツが木立の間を歩き出すと、すぐにローゼンの声がユーキの頭の中に響いた。
「ユーキ、こんにちは」
「ローゼン、御機嫌良う。早速で悪いんだけど、ミスリル鉱石のことで……」
「あー、ちょっと待って。道を開けるわね」
言われた通りに立ち止まって少し待つと、今回も前回と同じように、ローゼンの声に応じてすぐに湖への道が開いた。
湖の畔では、ローゼンがこちらを見て手を振っている。ユーキはシュトルツから降りて手綱を立木に繋ぐと小走りに近付いて行って話し掛けた。
「ローゼン、やっぱり山奥にミスリル鉱石らしい石が沢山あったよ。念のため、一つ拾ってきた」
「見せてくれる?」
ローゼンの言葉に従って背嚢から麻袋を慎重に取り出して渡す。ローゼンは袋の口を開いて中を見ると、目を紅く光らせて軽く一瞥しただけで断じた。
「これもミスリル鉱石。間違い無さそうね」
「山奥の洞窟の中に大量に落ちていた。少しずつだけど欠片が川に流され始めていて、放っておいたら、人里にまで流れ落ちてきそうなんだ」
「そうなる前に何とかしたいわけね」
「そうだけど、何とかなるだろうか」
「なるかも」
ローゼンがあっさりと言った言葉に、ユーキは食い付くように問い質した。
「本当?」
「ええ。土の性の瘴気は風の性の妖魔が消せるらしいの」
「『風の性の妖魔』? 風の精のシルフ様のこと?」
ユーキが聞き返すと、ローゼンは頷いて答える。
「ええ、シルフは勿論風の精の長だけど、その眷属も。フェアリーとか、それ以外にもね。ここにもいるけど、特に今の時期はエルフがいるから。この前の石を預けておいたから、どうにかしてくれたんじゃないかしら。良ければ今から会いに行きましょうか?」
「何とかできるのなら、喜んで行くよ」
「この森に渡ってきているエルフの中では一番の古株だから、いろいろ知っているのよ。ちょっと変わった男だけど、まあ私がいれば危なくはないから」
「えっと、皆さんにプレッツェルを持ってきたんだけど」
「あら、ありがと。嬉しいわ。そうね、私たちの分を別にして、その男にも渡してあげれば喜ぶでしょ。じゃあ、行きましょうか」
ローゼンは湖の畔を離れてユーキを森の奥深くへと導いた。
森の中は大小の種々の樹木が多く立ち並び枝葉が密集して見えるが、この地の主たるローゼンと一緒に歩いていると、枝の方からそっと避けているかのように道が開いていく。不思議ではあるが、そういうものなのだろう。詰まらない詮索はせずにローゼンの後に付いて暫く行くと、樹々が疎らになった広場のような場所に出た。
その広場の中央には楢の大樹が他を圧して鬱蒼と聳り立っていた。枝振りも葉の繁りも勢い良く、見上げても視界が遮られて上の方はまるで見通せない。見える範囲で推測しただけでも三十ヤードを軽々と超える高さがありそうだ。幹回りも、もしユーキが抱き着いたとしても全く手が届きそうに思えない。恐らく四、五人が手を繋いで、やっと一周できそうな太さだ。
ローゼンはその大樹にすたすたと近付くと、拳で無造作に幹を数度叩いて声を掛けた。
「アイヒェ、いるんでしょ?」
鈍い音と高い声が広場に響くと楢の樹は風も無いのにざわざわと枝を揺らし、上から年経た男の嗄れ声が降ってきた。
「ローゼン、何用かな」
ユーキは顔を上げて声がした方を見たが、男は枝葉の向こうの高い所にいるらしく姿も居場所も何も見えない。
「この子が、例の件でちょっと尋ねたいことがあるの。聞いてあげてくれる?」
「ほう」
ローゼンの頼みに応じる声が聞こえると共に、楢の樹はもう一度、目覚めたばかりの猫が身震いするように大きく枝を揺らした。それに次いでトッ、トッ、トッと栗鼠が枝から枝を跳び移るような音がして、いきなりユーキたちの目の前に背の高い男が跳び降りてきた。
薄緑の服を着た透明感のある肌に、整った鋭い目と口、高い鼻。耳は尖り、後ろに流した長い髪と目の奥で光る瞳は深緑。頭には服と同じ布でできた頭巾を被り、腰には小振りな弓と矢筒を付けている。
エルフ。
ユーキが絵物語で見たものとそっくりそのままの姿だ。
この森の中で樹々の間を跳び交う姿をちらっと見掛けたことはあるが、面と向き合うのは初めてだ。
ユーキがまじまじと見ていると、男は楢の樹に寄り掛かって立ち、ユーキの目を見返してきた。
「眼力が強いな。いくら私が良い男とはいえ、そんなに見るな、羞しかろうが。ローゼン、此奴か。貴女の気に入りの男とは」
「ええ、そうよ。私の友達。例の石のことで貴方に尋ねたいそうなの」
「ふーむ」
興味深げな眼で睨め付け返してくる男に、ユーキは頭を下げた。
「失礼致しました。エルフ様、お初にお目に掛かります。ユークリウス・ウィルヘルム・ヴィンティアと申します。お見知りおきのほどを」
「何? どうやって私をエルフと看破した? ほほう、さては私と雌雄を決して、眷属としようと言うのだな? 人の身でこの私に勝てるつもりか? 面白い、面白いではないか、やってもらおうではないか」
エルフの男はぐっと身を乗り出し、目を緑色に輝かせて挑発してくる。だがユーキにそんなつもりは無い。微笑みながら静かに言葉を返す。
「いえ、ローゼンからエルフ様だと予め聞いていましたので」
「何だ、詰まらん。ローゼン、余計なことを」
「はぁ?」
エルフに詰られて、ローゼンが素っ頓狂な呆れ声を出した。
「自分で真姿曝け出しておいて、何言ってんのよ。どこからどう見たってエルフじゃないの。看破も何もないわよ」
「それでも、エルフとこちらを呼んだことには変わりはない。いざ、尋常に勝負だ!」
エルフは叫びざまに、楢の樹の太い枝に跳び乗った。
その手には弓が握られている。エルフはニヤニヤと笑いながら、腰の矢筒から気高い白銀色に輝く鏃を持つ矢を丁寧に抜き出した。
「これを見よ。我が自慢のミスリルの矢が避けられるかな? 生まれてこの方見たことが無かろう、折角の機会だ、ほおれ、良く良く見るがいい。見えるか? これでどうだ? この角度の方が良いか? もう少しこっちへ来た方が見易いのではないか?」
そう言いながら横ざまに持った矢を見せびらかすようにユーキに向かって二度三度と突き出した後に、弓に番えてユーキに向ける素振りをした。
「どうした、掛かって来ぬのか? 腰の剣は古びているとは思ったが、ただの虚仮威しか? 来ぬならこちらから行くとしよう。世にも貴重な純ミスリルの矢、人間如きに使うのは勿体ないが、あの世への土産話に篤と味わわせてやろう。覚悟は良いか?」
エルフの男がユーキを煽る言葉を聞いて、それまで苛立ちながらも我慢して聞いていたローゼンがいきなり爆発した。
「そんな手の届かないところに逃げておいて、何が『掛かって来ぬのか』よ。手前勝手を言ってんじゃないわよ、この卑怯者! 私の友達と事を構えようってんなら、いいわよ、私が相手したげるわ! そんな矢、勿体ないなら自分であの世に持って行きなさい!」
そう叫んで両手を上げると眩い真紅の光がローゼンを包んだ。
光の内で少女の変化が忽ち解けて、光が消えると紅竜が姿を現した。ユーキが前に見た時よりも体躯は大きく、鬣も鱗も紅さが増して見える。
「アイヒェ、覚悟をおし! そこの依木ごと、真っ白い灰にして吹き飛ばしてあげる!」
紅竜は後足で立ち上がると畳まれていた翼を拡げてばさりばさりと重々しく羽搏かせて中空に浮いた。
口を開けば妖しい赫光が漏れ出してそれだけで辺りを熱気が覆い、翼の風に煽られ激しく揺れる枝葉が耐えられずに空を舞い地に落ちていく。
エルフは甲高い声で悲鳴を上げて楢の太い幹を庇うように抱え込んだ。
「や、止めてくれー! ローゼン、冗談、冗談だ。勘弁してくれ! 他の樹ならいくら燃やしても構わん、私のこの樹だけは、許してやってくれ!」
「許されないのはあんたよ!」
紅竜が威すように咆えると、慌てたエルフは今度は幹の裏側に回って隠れようとした。
「許せ! 許してくれ! そこの若いの、私が悪かった、何でも答えるからローゼンに許すように言ってくれ! 頼む、早く!」
真っ蒼になった顔だけを覗かせてユーキに向かって叫んでいる。
ユーキは二人のやり取りに呆気に取られていたが、エルフの男が依木にしがみ付く手足をがくがくと震わせながら、涙を流さんばかりに哀願するのを放ってもおけない。宙に浮かんでいる紅竜を見上げて声を掛けた。
「ローゼン、許してやってくれないか。話が聞けなくなったら、僕も困るし」
「アイヒェ、本当でしょうね!」
「ほ、本当だ! 誓う、誓って嘘は言わん! この矢に掛けて誓うから!」
エルフが震えながら誓うのを聞いて、ローゼンは地面に降りて少女の姿に戻った。だが、腰に手を当ててまだプリプリと怒っている。項垂れながらすごすごと枝から地面に降りてきたアイヒェに緊い声を投げ付けた。
「全く、最初からそう言いなさいよ! 余計な手間を掛けさせて!」
「す、済まない。本気ではない、軽い冗談のつもりだったのだよ。ははは。それで、あの、私はアイヒェという呼び名の者だが、良い顔をした気の優しい若々しいの、済まんかったな。ユークリウスと言ったか、何用かな?」
アイヒェと名乗ったエルフは誤魔化し笑いをしながらユーキに尋ねる。ユーキは呆れて笑い出したくなったが、何とか押し隠した。隣ではローゼンが、こちらは呆れ顔を全く隠さずに溜息を吐いている。
ユーキは背嚢から菓子の包みを取り出し、アイヒェに近付くと差し出した。
「アイヒェ様、先ずはよろしければこれを。私の領で作られたものです。お口に合えば幸いです」
「ふーむ。礼儀は心得ている様だな。さすがは国に並び無きこの大森林の偉大なる主ローゼンが心許した良き友、感心、感心」
アイヒェは見え透いたおべっかを使いながら包みを受け取ると、口を開いて中をしげしげと見た。中身がプレッツェルだとわかると、途端に満面の笑顔になって機嫌の良い声を出した。
「プレッツェルか。良いぞ良いぞ、良いではないか。最初から出してくれれば、あんな悪ふざけはせんものを」
「申し訳ありません」
「まあ良い。何でも尋ねてくれ。遠慮はいらんぞ」
「お伺いしたいのはミスリル鉱石のことです。どのようにすれば瘴気が抜けるのか、御存じでしょうか?」
ユーキの問いを聞いて、アイヒェは詰まらなそうな顔になった。プレッツェルの包みに手を突っ込んで一片を摘まみ出し、口に放り込んで齧ってから返事をした。
「なんだ、あの汚らしい石のことか。変なことに興味を持つものだな」
「私の領の山奥で沢山見付かりまして。このまま放置してはいずれ領民を危険に曝すことになります。その前に何とかしたいのです」
「ああ、そうか。あれはお前ら人間には毒だったな。私たちにとっては、汚らしいだけだが。あれだろう、ドワーフのずんぐりむっくり共が掘るだけ掘って放ったらかしにしたんだろう。本当にいつまで経ってもどこへ行っても迷惑な連中だな。うむ、同情するぞ。大して役にも立たん石だしな」
「ミスリル鋼の元だと聞いたのですが」
「それはそうだが、ずんぐりむっくりのドワーフ共にしか、使えん石だからな」
「そうなのですか」
「ああ。彼奴が汚らしい鼻の穴をおっ拡げて嬉しそうに自慢しておった。ミスリルを指して『真の銀』とか言うのを知っているか?」
「いいえ、知りませんでした」
「そうだろう、そうだろう。いや、まだ若いのだから知らずとも仕方が無い。教えてやるから気にすることは無いぞ」
アイヒェの表情がまた良くなった。ユーキが知らない事を知っているのが嬉しいのだろう。永命の妖魔が定命の人間相手に知識量で勝ち誇っても仕方が無さそうだが、そういうものでもないらしい。
アイヒェはまた袋からプレッツェルを取り出し、嬉しそうに食べながら、得々と語り始めた。




