第百三十話 洞穴
承前
翌朝、ユーキが目を覚ました時には、辺りはすっかり明るくなっていた。
まだ日は昇っていないようだが、クルティスはもう炉の残り火に枝を足し、湯を沸かして朝食の準備を始めている。
「クルティス、おはよう」「おはようございます、ユーキ様」
ユーキは寝袋から抜け出すと川辺に行き、手が切れそうに冷たい水で顔を洗った。夏とはいえ朝の川沿いは空気も冷えており、身震いしながらクルティスの所に戻る。
堅パンと炙った乾酪とお茶で朝食を簡単に済まし、火の始末を十分に確認してから二日目の探索を始めた。
二人は騎乗すると再び先代子爵の残した地図を確認しながら川の遡行を続けた。
流れ込む小川をいくつか過ぎると、本流は段々と細くなってくる。二時間ほど遡った頃に、右手に小さな支流が分かれる岸辺に石が小さな塔のように高く積み上がっているのが見付かった。簡単には崩れ落ちないように大小の石が巧みに組み合わされている。自然物ではない。人為的に、つまり先代子爵によって作られたケルンだ。地図にある通りだ。
「これですか」
クルティスの声に、ユーキはもう一度慎重に地図の印を確認する。
間違いない。ユーキは頷くと、クルティスと共に支流の方を見た。
見える範囲は急流になっており、突き当りはちょっとした崖から小さな滝が流れ落ちている。これも地図の通りだ。
馬ではこの先は行けそうにはない。ユーキもクルティスも馬から降り、近くの立ち木に手綱を繋いだ。もし狼や熊が襲ってきたらとも考えたが、取りあえず滝の上からは見通せるだろうから、そこまでは行っても大丈夫だ。シュトルツは勘も良い馬だから、何かを感じたら鳴いて知らせてくれるだろう。
支流の両岸は背の高い叢となっており、その中を徒歩で進むのは厳しい。岸辺の浅い流れの中から顔を出している石の上をゆっくりと歩く。
クルティスが縄の束を肩に掛け背嚢を背負い、安定している石を足先で慎重に探り出しながら進み、ユーキは同じ石だけを踏んで後に続く。濡れている上に中には苔が生えている石もあり、油断すると滑ってしまいそうになる。転ばないように一歩ずつ慎重に足を進めてやがて滝の下に辿り着いた。
崖の高さは五ヤードぐらいだろうか。
クルティスの背丈二人分を少し超える程度なのでそれほど高さがあるわけではないが、切り立っていて手掛かり足掛かりにできそうな突起が少なく、滝の飛沫で一面に濡れていて見るからに滑り易そうだ。無理やりよじ登るのはかなり危ないだろうが、どうするか。
二人で辺りを見回していると、クルティスが「ユーキ様、あれを」と滝の横を指差した。
見ると、崖の上に生えている大木から一本の縄がぶら下がっている。
おそらく先代子爵が探索した時に登り降りするために結び付けたのだろう。近寄って持ってみると、残念ながら既に朽ち掛けていて強く引っ張るまでもなく簡単に切れ落ちてしまった。
だけど登り方はわかった。
クルティスが荷物を入れた背嚢を乾いた岩の上に下ろす間に、ユーキは持ってきた新しい縄の先に握り拳ぐらいの大きさの石を括り付けた。
クルティスはそれを受け取ると縄をぐるぐると振り回して勢いを付け、木の太い枝に向かって投げ上げた。二度ほどは外れたが、三度目には巧く枝に絡み付いた。力一杯引っ張って解けないことを確認して、「じゃあ、俺が先に行きますから」と縄を手繰って登り始めた。
高さはともかく、崖に迂闊に足を掛けると滑ってしまって反って危ない。クルティスは縄に足を絡めて固定しておいて手を伸ばして縄の上の方を掴んで手繰ることを繰り返し、するすると器用に登っていく。顔が崖の上に出たところで「おお」と驚きの声を上げたが、手は止めずにそのまま登り切った。
垂れ下がった縄でユーキが背嚢を縛ると、それをクルティスが引き上げる。再び投げ下ろされた縄を手に取ってユーキも登り始めた。
ユーキはクルティスほどの力は無いが、体重は彼よりずっと軽い。クルティスが登った時のやり方を真似て、少しずつ縄を手繰り寄せて体を引き上げては足に絡めて体重を支える。
途中で一度手が滑って一フィートほどずり下がったが、幸い乗馬用の手袋をしていたお蔭で掌を擦り剥かずに済んだ。少し冷汗を流したが、その後は慎重に登り続け、最後はクルティスが差し出してくれた手を掴んで一気に引き上げてもらった。
後ろを見ると少し離れた本流沿いに、残してきたシュトルツもクルティスの馬ものんびりと周囲の草を食んでいるのが見える。どうやら獣に襲われる心配はしなくても良さそうだ。
「ユーキ様、洞穴があります」
クルティスの声にユーキは振り返った。
崖の上は地面の勾配が小さい。小川は流れが緩く幅が少し広がり、細長い小さな湖沼のようになっている。その先では幅が細くなり、また崖に突き当たっている。
ただここと違うのは、その高い崖には黒々とした洞穴が開いており、小川はそこから流れ出しているようだ。地図にある通りだ。間違いない。あそこが目的地だ。
ユーキはクルティスと頷き合うと、洞穴を目指して湖沼の畔を歩き出した。岸辺は低い灌木や背の高い草が無造作に生い茂り、歩き難いことこの上ない。
ユーキは立ち止まって周囲を見回し耳を澄ませて様子を窺った。……どうやら今のところ、この付近には妖魔様の気配は無い。クルティスにも命じ、草木を薙ぎ払いながら進むことにした。
クルティスは背嚢から携帯用の小型の鉈を取り出した。小振りながらも力強く揮って道を拓く。暫く進んでは携帯用の砥石で刃を軽く研ぎ、また揮って前進する。
ユーキは少し後ろから自分の剣を抜いて同じように辺りを薙ぎながら進んだが、紅竜の剣は切れ味抜群で、揮えば目の前の草や木の枝がいとも簡単に切り払われ、何度繰り返しても鈍ってこない。
昨夜にこの剣で鍛錬をしていた時には今日早速揮うことになるとは思わなかったが、まさか鎌や鉈代わりに使われるとは、ローゼンも思っていなかっただろう。ユーキが心中でくすくすと笑いながら進んでいると、前を行くクルティスの足が止まった。
「クルティス、どうした」
「……ユーキ様、川が」
それ以上続かないクルティスに追い付くと、ユーキも言葉を失った。その先の岸辺から川の様子が大きく変わっているのだ。
音も無く緩やかに流れる水は透明に澄み渡っており、水中には水草や苔、そして藻すらも一切見当たらない。川底は黒々としており、更に良く見ると、黒光りする小石やさらに小さい砂が積もっているのがわかった。
「クルティス、ここから先は落ちている石や砂に決して触らないように。念のため、川の水にもだ。手袋は絶対に外すな。いいな?」
「はい、ユーキ様」
異様な光景に、クルティスも緊張している。
二人は慎重に歩を進めた。
洞穴に近付くにつれて川岸にも黒い石の欠片が増え、草木が生えていない荒れ地になっている。不気味ではあるが、今までの茂みよりはずっと歩き易い。得物を鞘に納めて進むと、ほどなく小川が流れ出している洞穴に辿り着いた。
洞窟は幅は広いが高さが低い。
ユーキの背丈であれば頭の上に何とか余裕があるが、クルティスにとっては相当身を屈めなければならず、窮屈だ。もしうっかり頭をぶつけた先にミスリル鉱石があったら、大変なことになる。
中を覗き込むと、外光が届く範囲では水の流れの両側にも人一人が歩けるぐらいの幅があるのが見えた。
「クルティス、松明を出してくれ」
「はい。ユーキ様、持っていてくれますか」
クルティスは背嚢から取り出した松明をユーキに持たせて火打石で火を着けようとした。
「僕が着けるよ」
ユーキが言ったが、クルティスは返事をせずに火打石に火打金を打ち付けた。手袋をしたままでは難しいだろうに、カチッと硬い音がすると一発で大きな火花が飛び、見事に松明に火が着いた。
「クルティス」
「何でしょうか、ユーキ様」
クルティスは何事も無さそうに返事をしたが、その口角が上がっているのをユーキは見逃さなかった。
火打石の音にはっきりと聞き覚えがある。昨夜の夢はそういうことか。
「お前、夜中に練習をしていただろ」
「さあ、何のことでしょうか?」
惚けても、目が笑っている。
まあいいさ。昨日は確実に僕の方が上手かったんだからな。
ユーキは燃え上がった松明を洞窟の入り口に差し出して中を照らしてみた。すると煙が外へと棚引いた。どうやら中から外に向かって絶えず風が流れている様だ。饐えた匂いがするとかそういうこともない。
たぶんこの洞窟は奥の方でどこか外部に繋がっていて、そちらから空気が吹き込んで流れているのだろう。これなら松明を持って中に入っても、うっかり窒息することは無さそうだ。
「クルティス、お前はここで待っていてくれ」
「大丈夫ですか、ユーキ様」
「ああ。そんなに奥には行かないつもりだ」
ユーキはそう短く返事をすると、心配そうにしているクルティスをその場に残し、背を屈めて洞窟の中に歩を進めた。
冷えて湿っぽい空気の中を、足を滑らさないように、頭を天井にぶつけないように、気を付けて一歩一歩慎重に前進する。洞窟の中は思ったよりも平らでむしろ外より歩き易い。十ヤード、二十ヤードと進み外の光が届き難くなると、松明の明かりで周囲の岩壁の様子がはっきりと見えてきた。表面は一面に凸凹で浅い穴が穿たれた跡が沢山ある。恐らく洞穴を拡げるために鶴嘴や鏨で削り、地面も均したのだろう。明らかに、この洞窟は人為的に掘られたものだ。
そして足元を見ると黒光りする石の塊や破片が落ちている。
「これは……」
ミスリル鉱石だ。子爵の机の中にあったものとそっくりだ。多分先代子爵とその娘はこれを知らずに素手で拾ってしまい、その時に瘴気に侵されたのに違いない。
鉱石はあちらこちらに無造作に転がっており、小川の中にもいくつも落ちている。そればかりか、細かい欠片となった鉱石も川底に沈んで積もっている。外の湖沼の底の黒砂は、これがさらに砕けたものが流されて溜まったのだろう。
恐らく今でも少しずつこの洞窟から外の湖沼へと流れ出し続けていると考えた方が良さそうだ。
中を流れる小川のさらに先の方を見てみたが、松明の明かりが届く範囲は徐々に天井が低くなり、高さが五フィートぐらいになったその先は同じような状態が続いてその先の奥は闇になっている。
少しだけ進んでみたが、周囲の様子は変わらない。ずっと同じ調子で続いているのだろう。どのぐらいの鉱石があるのか、想像が付かない。
ユーキは怖ろしくなって立ち止まった。身震いがする。
鉱石の砂は今はまだ湖沼の上流側の一割ほどを埋めているに過ぎない。だがこの洞窟をこのまま放っておけば、やがては湖沼を埋め尽くし滝から溢れ落ちて本流にまで流れ出るかも知れない。そうするといずれはネルント開拓村に流れ着く恐れもある。
ここは『死の川』の源流になってしまう。危ない。早く、今のうちに何とかしなければ。
ユーキは手袋を確かめると拳大の鉱石を拾い、持ってきた麻袋に慎重に納めた。
これ以上、先を探るのは止めておこう。妖しい気配は特にしないが、何があるかはわからない。一人で行動してうっかり怪我でもして歩けなくなったら、大変だ。
ユーキは慎重に踵を返し、クルティスが待つ入り口に引き返した。
外からの光の中にユーキが姿を見せると、クルティスは安堵の大きな溜息を零した。
「待たせたね、クルティス」
「御無事で何よりです、ユーキ様。如何でしたか?」
「中に大量の鉱石が落ちている。今はどうにもできないけど、このままにはしておけない。クルティス、領都に帰ったら、できるだけ早くローゼン大森林に行く」
ユーキたちは翌日にネルント開拓村に帰り着いた。
待ち構えていた村長とノルベルトからは、探査行に出る前にした提案を受け入れると返事を受けた。その日は様々な相談を行い、ユーキとクルティスは翌朝早くに領都に向けて出発した。
ノルベルトとノーラはもう少し村長と協議して取引の細かな条件を詰めるとのことだったので、それが終わり次第領都の邸に来てもらい、今後のノーラの暮らしについて相談することになった。
ユーキは鞍の上で、この数日のことを反芻した。
帰ったらやらなければならないことが山積みだ。ローゼンに会いに行くだけじゃない。フェリックスやベア姉さんに相談して、馬産の手筈や資金繰りの算段を付けないと。それから商人ギルドへの手配に、国王陛下を始めあちらこちらへの手紙。他にまだ方が付いていないこともある。焦ってはならないが、のんびりもしていられない。
ユーキを乗せたシュトルツは主の気持ちを感じ取ったのか、白い汗を流しながらも忙しなく蹄を進めて山道を下って行った。




