第百二十六話 ノーラの村再訪
前話翌日
ノルベルトとノーラはネルント開拓村に向かって荷馬車を進めた。
ノーラが急かしたのでできるだけ早く着くために、前回同様に前夜は主街道の途中で野営になった。ノーラは夕食の準備のために熾した焚火を見詰めて、村の人々の無事を願ってまた祈りを長く捧げていた。
今日の村への途上、戦場となったはずのフォンドー峠では、ノーラは心配げな目で周囲を盛んに見回していた。
もっとも、戦いの痕跡らしきものはもう全て消されたのか、何も見付けられなかった。以前との唯一の違いは、峠の頂上の広場に建てられていた小さな小屋だけだった。ケンたちが戦の準備をするために造ったものだろう。それを見て、ノーラはまた両手を胸に強く当てて目を瞑り、祈りの言葉を呟いた。
フォンドー峠を通り過ぎて緩やかな下りになると、道に新しい足跡や轍がいくつもあることに気が付いた。騒ぎが収まって、麓との人の行き来も増えているのかもしれない。村にとっては良いことだろう。中には、付いてからまだ間もないくっきりとした蹄の後もあるようだ。
二人の荷馬車が山道を下りきって村里に入ると、目敏く見付けた村人がこちらをじっと見ていたが、ノーラたちの顔に気が付くと、「ノーラさん! ノーラさんだ! みんな、ノーラさんが来たぞ!」と叫びながら走り寄ってきた。
その声を聞き付けて、あちらの家からもこちらの家からも人が出てきて、みんなが荷馬車の方に走り寄ってくる。あっという間に荷馬車の周りに大きな人集りが出来上がってしまった。
「ノーラさん、良くいらっしゃいました!」「ノーラさん、俺たち、勝ちましたよ!」「あんたのお蔭だ!」「ノーラさんの言った通りだったぞ!」
村人たちが口々に叫ぶ。
「おめでとうございます。それでこちらの怪我人は? 何人が?」
ノーラが聞き返すが、誰も彼も自分が感謝の言葉を叫ぶのに一所懸命で、ノーラの問いは耳に入らないのか、答えようとしない。
ノーラとノルベルトが困っているところに、松葉杖を突いたマーシーが赤ん坊をおぶったマリアに支えられて足を引き摺り引き摺りやってきた。
「みんな、落ち着け!」
思い切り怒鳴る。足は思うようにならなくても、その声の力は衰えていない。村人たちは吃驚して振り向いた。
「カウフマンさんたちが困ってらっしゃるだろうが。慌てなくてもお二人は逃げ出しゃあしないんだ。いや、俺たちみんながそんな調子じゃ、呆れられて逃げられちまうかもな」
そう言って「がはははっ」と大声で笑うと、皆も笑い出した。その笑い声の中、マーシーは村の恩人である二人が聞きたかったことを報告した。
「カウフマンさん、ノーラさん、安心してください。村からは、死人も大怪我も出ずに済みました。手前で転んで膝小僧擦り剥いたおっちょこちょいはいましたが」
「そうですか、それは良かった」
「……」
マーシーの明るい声にノルベルトはほっとして答え、ノーラは何も言えなかった。俯いて両手で顔を押さえると、声を殺して啜り泣き始めた。
マーシーや村人たちが何も言えずに黙って見守る中、ノルベルトが娘の震える背中を優しく撫でる。ノーラは暫くの間しゃくり上げていたが、やがて少し落ち着くと、涙を拭きながらぼそっと呟いた。
「……良かった。本当に良かった」
マーシーが村人を代表して答える。
「ああ。ノーラさん、本当に良かった。それも、税が元通りになったのも、あんたたちのお蔭だ」
「ううん。皆さんが頑張ったから。私たちは何もしてない。良かった。本当に良かった」
「ああ、そうかもな。ノーラさん、わかったから。有難うな」
「……うん」
「じゃあ、村長の所に行こうか。だが、今、どえらい先客が来てるんだ」
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マーシーが言った『先客』とは領主であるユーキのことだった。
ユーキはクルティスだけを連れてネルント開拓村に来ていた。
目的は村政の相談と、先代子爵が残したミスリル鉱石が掘り出された場所を探し当てるためである。領政はフェリックス補佐やベアトリクスたちに任せてきた。ユーキとしてはケンも連れてくるつもりでいたのだが、本人が「村から出てきてまだ間もないし、自分が何もできていないうちに村の皆と顔を合わせるのはあまりに恥ずかしい」と固辞したので置いてきた。今頃はまた衛兵長の指導を受けて衛兵の仕事を学んでいるだろう。
ユーキたちは今回は予め知らせずにいきなり来たために村長や村人たちには驚かれたが、熱い歓迎を受けた。
ユーキたちの顔を見知っている村人に恭しく案内されて村長の屋敷に着いた後には挨拶を受け、まずは少し御休憩をということで客間に通されて一休みした後に、村長やレオンと村政についての相談を始めようとした時だった。
扉が叩かれ、村長の妻が顔を出し、村長を手招きした。
「殿下様、失礼をいたして申し訳ございません。あなた、ちょっと」
「何だ、殿下に失礼だろう」
村長が妻を窘めようとしたが、ユーキは気にせずに村長を促した。。
「村長、構いませんよ。今日は時間はたっぷりありますから」
「申し訳ございません」
村長があたふたと席を外し、場にはユーキたちと共にレオンがぽつんと残された。ユーキがそちらの方を向くと、レオンはそれだけで顔を髪の毛と同じ赤色にして俯いてしまった。
「君は行く行くは村長の跡を継ぐことになるんだよね」
ユーキに優しく声を掛けられて、レオンは慌てて顔を上げた。
「は、はい! 殿下様! そうなれればいいなと思っています!」
「そう。以前にケンが言っていたよ。『俺の弟は父の仕事を良く学んで頑張っているんです』って。きっと良い村長になるって信じているそうだよ」
「兄さんがそんなことを」
「いい兄さんだね」
「はい! 殿下様! 兄さんは俺たちみんなのことをいつも考えてくれていて。それなのに俺は……兄さんに……」
そこまで言うとレオンはまた俯いて、言葉を飲み込んでしまった。ユーキはその様子を見て、ケンがこの弟と血の繋がりが無いことを思い出した。多分、二人の間には様々な思いがあるのだろう。
「いろいろあったのかもしれないけど、いい兄弟なんだろうと思うよ。私は一人っ子だから、ちょっと羨ましいかな」
「は、はい、殿下様!」
「まあ、その分、このクルティスがいてくれるんだから、文句は無いんだけどね」
「そ、そうなんですね。殿下様! 俺も、あ、私も、あの、村は家族なんで、齢の近い連中はみんなきょうだいみたいなものなんです」
「そうなんだ。この村の人たちはみんな本当に仲が良いみたいだね」
「はい、殿下様! それもこれも、父さん、いえ村長や兄さんたちのお蔭なんです」
「そう。でも、これからは君も頑張らないとね」
「はい、殿下様!」
レオンがユーキとの会話に困って顔を真っ赤にしながらも一所懸命にお相手をしているうちに、部屋の外で妻と何事かを話していた村長が戻ってきた。
「殿下、大変失礼を致しました。実は、来客がございまして。そちらにちょっとお待ちをお願いして参りたいのですが、お許しいただけますでしょうか」
「来客?」
「はい、行商人の方です」
「以前におっしゃっておられた、出入りを求めておられる方でしょうか?」
「然様です。例の騒動の顛末を聞かれて、見舞いをかねてきてくださいました」
「そうですか。それでしたら、私からも挨拶をさせていただきたいと思います。こちらへお招きいただけますか?」
「承知致しました」




