第百二十五話 歓迎の印
王国歴223年7月末
商人ノルベルト・カウフマンと娘のノーラは再びピオニル領ネルント開拓村を目指す行商の旅に出ていた。
前回の訪問からは約半年が経っている。今回も前回と同様に、主に塩や作物の種や鉄くずを携えての旅である。それ以外に農具・工具など開拓の役に立ちそうなものも商品として見繕っている。
ピオニル領への入り口の関所に着くと、その雰囲気は前回と大きく異なっていた。どの役人も帽子の下の顔に汗をかきながらもきびきびと立ち働いている。荷馬車からその様子を見ていると、そのうちのひとりが駆け寄って来た。前回に対応してくれたのと同じ女役人だ。だがその様子は前回とは違って、笑顔で荷馬車に近付くと明るい大きな声で挨拶をした。
「こんにちは、御機嫌よう! お暑い中、ピオニル領へようこそいらっしゃいました! あらっ、以前にもいらした方でしょうか?」
「お役目ご苦労様です、はい、暫く前にもお世話になりました。また参りましたのでよろしくお願い致します」
「こちらこそよろしくお願いいたします。今回も娘さんとお二人ですか?」
「はい」
ノルベルトが返事をすると、女役人は額を汗が流れても笑顔を崩さずに手の甲で拭って応じる。
「相変わらず仲良さそうで、羨ましいです。うちの息子は、最近になってやっと私の仕事に興味を持ち始めてくれたようで。もっとも、偉そうなことを言うばかりで煩いんですけどね。それで、今回はお荷物は、何でしょうか?」
「塩、種と鉄くず、それから少しですが農工具の類です。どうぞお改めください」
「ありがとうございます。では、失礼します」
女役人は荷台に素早く上がると、今回は時間をたっぷり掛けて荷物を丁寧に確認して降りてきた。手巾を取り出して流れる汗を拭きながら検査結果を伝える。
「はい、間違いございませんでした。お手間を取らせて申し訳ありませんでした」
「何か、こちらに不備がございましたでしょうか?」
時間の掛け方を不思議に思ってノルベルトが尋ねると、女役人は顔の前で手を左右に振って見せた。
「いえいえ、実は暫く前まで、荷を誤魔化そうとする商人が結構いたもので。当時は関税が高かったので気持ちはわかるのですが、困ったもので。念のため、十分に確認することになっておりまして」
「『当時は』、とおっしゃいましたか?」
「はい、実はつい最近、新しく御領主になられたユークリウス殿下が関税の引き下げ令を出されまして。以前と同じ百分の二に戻されたのです」
女役人はまるで自分が決めた事かのように、胸を張って得意顔で減税を伝えてきた。関税率が下がるのは行商人にとってはこの上ない朗報である。ノルベルトも笑顔で返した。
「それはそれは。有難いことです。良い御領主様ですね」
「ええ、領民たちも喜んでおります。それで、塩以外のお荷物の卸値はおいくらでしたか?」
「種が二ヴィンド、鉄くずが二ヴィンド五十リーグ、農工具が二ヴィンドです」
「あら、鉄くずはこの量にしては、少しお高くありませんか?」
「ええ、王都では少し不足気味で、相場が上がっておりまして。原因は良くわからないのですが」
「そうでしたか。それはお教えありがとうございます。そうしますと締めて五ヴィンド五十リーグですから、百分の二で十一リーグのお支払いをお願いいたします」
「承知しました。やはり関税が妥当な率だと、我々商人としても安心できますね。これをお納めください」
ノルベルトが銀貨を数えて差し出すと、女役人はそれを両手で受け取り、枚数を確認すると大切そうに収納袋に仕舞い込んだ。
「はい、十一リーグ、確かにいただきました。有難うございました。それでは、この入領証をお持ちください。要領は前回お話しましたよね?」
「はい」
「それと、こちらをどうぞ」
女役人は小さな包みをノルベルトに差し出した。
「これは? 何でしょうか?」
ノルベルトが受け取りながら尋ねると女役人はまた胸を張って嬉しそうにした。
「当領の名物菓子のレープクーヘンです。ささやかながら、歓迎の印としてお受け取り下さい。他領のものとは少し味わいが異なると思います。どうそ、お試しください。この気候ですのでお早めに。お気に入られましたら、お土産にお求めください」
「ほう。これを、入領する者全てに渡しておられるのですか?」
「はい。御領主ユークリウス殿下の御方針です」
「それはそれは、有難うございます。随分物入りでしょうに。……変わった御領主様ですね」
「はい、ですが、菓子は領内産ですので。作るために費やした資金は全て領内に落ちて領民を肥やし、領内を巡ってやがては実りとなって返ってくるからとおっしゃいまして」
「なるほど」
ノルベルトが頷いて見せると、女役人はここぞとばかりに勢い込んで話しを続けた。
「実は、前領主の時に関税や通行料を上げ過ぎたために、他領との人の行き来が激減して景気が落ちてしまいまして。関税を戻しても、そのことを国内に知らしめて商人の方々に戻ってきていただくためには、何か話題になることをする必要があると。皆様を歓迎していることを示すのを兼ねてと、殿下がこれを発案されました。貴方方も、よろしければ行かれる先々でこの事を御宣伝いただければありがたいです」
「そういうことですか。承知しました。心掛けましょう」
「よろしくお願いいたします。それでは、道中の御安全と良い御商売をお祈りいたします」
「有難うございます。お役目ご苦労様です。それでは」
ノルベルトが挨拶を返して荷馬車を動かすと、女役人は手を振って見送るのもそこそこに、順番を待つ次の荷馬車の方へ走って行った。
ノーラは振り返ってその様子を見守っていたが、感心した様子で父親に話し掛けた。
「随分、活き活きと働いていたね。あの人も、他の役人も」
「そうだな。前回と大違いだ。今は働き甲斐がある、そういうことかな」
「うん、とても楽しそうだった。受け取ったお金も、とても丁寧に扱っていたし」
「ああ。金も人と同じで、粗末に扱うとすぐに出て行っちまうって言うからな。もしかすると、役人自身も以前より大切に扱われるようになったのかもな。ほら、これ。食べていいぞ」
ノルベルトは話しながら女役人から受け取った菓子の小袋をノーラに渡した。
「うん。それにしても、ユークリウス殿下、ずいぶんと変わった王子様のようね。普通の領主なら、街道を通る者からは金を取ることしか考えないでしょうに。逆に物を渡すとはね。肥をやり水を撒いて実りを増やそうっていうつもりかしら」
ノーラも喋りながら袋を開けてレープクーヘンを摘まんで出した。目の前に持ってきて「ふーん」と言いながらしげしげと見てから口に入れた。暫くかみ砕いていたが飲み下すとすぐにまた次を口に放り込んだ。
「……これ、ちょっと変わってる。父さんも食べる?」
「ああ、一つくれ」
手綱を持つ父のためにノーラがレープクーヘンの一片を顔の前に差し出すと、それを口で咥え取った。
「……変わった味わいだな。レープクーヘンはあちこちで食べたが、この風味は独特だな。もう一つくれ。……帰りに、ちょっと仕入れていくか。……癖になるな。もう一つ」
ノルベルトはノーラが差し出す菓子を食べてはすぐに次を求める。ノーラも黙って次から次へと摘まみ、二人であっという間に食べ切ってしまった。
ノーラは革袋の水を一口飲んで少し乾いた口を湿らせた。
「……美味しかった。うん、結構売れそう。これを無料でくれるなんて、勿体ないぐらい」
「物貰うのは嬉しいものだしな。これは話題になるな。話を聞いて物珍しさで来訪する者も増えるかも知れん」
「『雀に餌撒きゃ鳩も寄る』だね。これ、王族よりは私たち商人の発想よね。噂話ではただの堅物と思ってたけど、油断ならない王子様ね」
「おいおい、口を慎めよ。この分ならこの領では殿下の人気は上々だろうから、悪口と取られたら地元の人の反感を買ってしまう」
「うん、次から気を付ける。この分なら、ケンたちも安心して暮らせるようになってるかも」
「そうだな。ただ、あの村は領主に逆らったんだ。何らかの処分を受けている可能性はある」
「噂通りだと、新領主様は、くそ……じゃない、えっと、すごく、えっと、生真面目らしいしね。それに戦で怪我人や、ひょっとしたら死人も出てるかもしれないし。みんな無事だといいんだけど」
「そうだな」
「また心配になってきちゃった。父さん、急ぎましょ」
ノーラは自分で言った言葉で不安を募らせてしまったようで、急に顔色を蒼くして父親の腕を掴んで揺り動かしたが、ノルベルトはそれを慣れた様子で宥めた。
「ノーラ、もう何度目だい? 心配するのは良いが、焦っても仕方がないだろ? もう、今更できることは何も無いし、急いだところで仕方が無いんだ」
「それはそうなんだけど」
「こんな時、ほら、ファルコならどう言うんだ?」
「『どんな強弓でも、昨日の敵には届かない』」
「そりゃそうだ」




