第百二十一話 領主補佐
前話翌々日
ユーキが執務室でベアトリクスに渡された領の経理の書類を睨んでいると、トン、トン、トン、トンと扉が慎ましやかに叩かれ、アンジェラが顔を出した。
「殿下、フェリックス・ヴァイツ卿が到着されました。こちらへお連れしましょうか?」
「いや、こちらから行く」
「承知しました」
席から立ち上がったユーキはアンジェラの手助けを受けて上着を着て手早く身形を整え、クルティスと共に玄関広間に急いだ。
そこには薄茶色の髪をした背のかなり低い若い男が、クーツと話をしていた。クーツがユーキに気付いて畏まると、その男も振り返った。
「殿下、こちらがフェリックス・ヴァイツ伯爵令息です。ヴァイツ殿、こちらが国王陛下の大甥にして当領の領主、ユークリウス・ウィルヘルム・ヴィンティア王子殿下であらせられます」
クーツの紹介を受けて、ユーキはフェリックスという名の眉根に皺を寄せた気難しそうな顔の男に向かって右手を差し出した。
「ヴァイツ卿、初めまして。ピオニル領へようこそ」
「殿下、お初にお目に掛かります。フェリックス・ヴァイツであります。どうかフェリックスとお呼び捨てください。家族からはフェルと呼ばれておりますので、そちらでも構いません。国王陛下から殿下を補佐するように命じられ、ただいま到着致しました。よろしくお願い致します」
フェリックスも名乗ると手を出してユーキが差し出した手を握った。ユーキはそれを握り返し、貴族らしい柔らかな手だな、と思いながら歓迎の言葉を述べた。
「わかりました。フェリックス、早々に来ていただけたこと、とても嬉しく思います。こちらこそよろしくお願いします。いずれ互いに気心が知れたらフェルと呼ばせていただきましょう。私もユークリウス、あるいはユーキと呼んでいただいて構いません。領民の幸福のため、どうかお力を貸してください」
「望むところです。殿下の治を全力でお支えさせていただきます」
力強く、自信に満ちたフェリックスの返事に、ユーキは嬉しそうに言葉を返した。
「では、早速、領政の方針について相談させていただいてよろしいでしょうか?」
「今、ここでですか?」
急き込んだユーキに眉を顰めて問い返すフェリックスを見て、横からクーツが「オホン」と咳払いをして口を挟んだ。
「殿下、ヴァイツ殿は到着されたばかりでお疲れかと思います。少し休憩していただいてからにされては如何でしょうか」
「……そうだった。クーツ、有難う。フェリックス、まずはお部屋で旅の埃を落としてください。その後、落ち着かれたらお茶でも飲みながらお話ししましょう。クーツ、案内をお願いします」
「はい、殿下」
「フェリックス、ではまた後ほど」
「はい、殿下」
応えを聞くや否や、ユーキは踵を返しクルティスを引き連れて早足で執務室へ戻る。その姿を、フェリックスは呆れ顔で見送った。
「クーツ殿」
「何か?」
「殿下は、随分とせっかち……オホン、お気の急かれる方なのですか?」
「いえ、そのようなことはありません。初めて任じられたのが臨時領主という大役で、気負い込んでおられるというのはあるでしょうが」
「私も気は短いと言われる方ではあるのですが、敵いませんね。まあ、お若いのですからこれからは何事も私にお任せいただき、力を抜いて気楽に過ごしていただいて構わないのですが」
「恐らく、そうはなりますまい。自らの責を他の肩に移して良しとされるお方ではありませんので」
「まだお若いのに、大変ですね」
「失礼ながら、ヴァイツ殿も私から見れば十分にお若い。殿下同様、いえ、それ以上に大変な思いをされるかも知れませんぞ」
「そうならないことを祈るとしましょう」
「では、お部屋に案内させていただきます」
一時間後、ユーキとフェリックスはベアトリクスとクーツ、それにクルティスも交えて応接室にいた。
クーツがベアトリクスとクルティスをフェリックスに紹介し、一同が椅子に座るとアンジェラが紅茶を給仕する。それを一口飲んでから、ユーキが切り出した。
「フェリックス、この領での今回の事件についてはどの程度御存じですか?」
「概略は国王陛下と宰相閣下から伺ってまいりました。悪辣な代官が跳梁し、横領・暴虐三昧だったそうですね」
「ええ、各種の税の殆どが増税され、逆らう者は暴力を揮われました」
「愚かなことです。シェルケン侯から遣わされた者だったそうですが、ただ権力を振り回したい、それだけの男だったのでしょうね」
「そうかも知れませんし、それ以外に何か意図があったかも知れません。ですが、その代官が亡くなった今となっては知る由もありません。いずれにせよ、荒らされたこの領を立て直し、栄えさせなければなりません。それが国王陛下から私に与えられた任務だと考えています」
身を乗り出し声に力を込めるユーキの勢いに、フェリックスは思わず知らずに体を仰け反らせた。
「そこまで気負い込まれずとも、陛下におかれましては、実際の政を殿下に経験していただければそれで良いというお心積もりのようでしたが」
「実際の政とは領民を実際に幸福にすることと私は心得ています」
「それは、御立派な御志だと思います。ですが、あまり肩に力を入れ過ぎられませんように」
「お気遣い有難うございます。いずれにせよ、私としては、できるだけ早く領民を安心させ、経済を立て直し、その上で現状以上の繁栄が望める策を打って行きたいと思っています。どうか、御協力をお願いします」
「承知しました」
フェリックスが頷くと、ユーキは嬉しそうに頷き返した。
「では、策が立ち次第、報告していただけたらと思います。私の方でも考えますので、それを擦り合わせたうえで実施する、ということでよろしいでしょうか?」
「はい」
フェリックスは重々しく返事をした。
どうもこの殿下は聞いていた以上に真面目な方らしい。ここは一つ、早めに良策を立てて安心させて差し上げる必要がありそうだ。顔合わせもこれで終わりだろうから、この後は早めに休んで旅の疲れを取り、明日からは速やかに領政の構想を練った方が良いだろう。
そうフェリックスが考えていたところに思いも掛けないユーキの言葉が降ってきた。
「そうと決まれば、早速ですが、税について相談させてください」
「いきなりですね」
今日は顔合わせと仕事の大まかな段取りだけと思い込んでいたフェリックスは驚かざるを得なかった。だが、ここで遮ってお若い殿下の折角の意気込みを萎えさせては拙かろう。
フェリックスは顰めそうになった顔に笑みを取り繕った。
「ですが、お伺いしましょう」
「私としては、今回の件で問題になった開拓村の地租と辺境伯領との間の関税だけでなく、代官が上げた他の税も全て元通りに戻したいと考えています。これについて、どう思われますか?」
ユーキは笑顔で提案した。着任したばかりの領主補佐の戸惑いにはまるで気付いていないようだ。
だがその方針を聞いて、フェリックスは笑みを作っていた顔をつい歪めてしまった。
「殿下、それは如何なものかと思われます」
「どういうことでしょうか?」
ユーキは不思議そうに尋ね、フェリックスが答えるのを待っている。
「最初の二件はともかく、他の税については領民たちが受け入れたものでしょう。それをわざわざ元通りに下げる必要は無いのでは?」
「代官の暴力のために止むを得ず受け入れたものでもですか?」
「経緯はどうあれ、受け入れる余地があったということでしょう。ならばそのままにして、問題が生じたらその時点で引き下げれば良いと思います」
フェリックスは説明しながら内心で溜息を吐いた。
当たり前だろう、どこの領でも領主である貴族たちは、どうやって税収を上げるかで苦心している。税率を上げるのは簡単だが、領民の反発を招く。やり過ぎれば怠業されたり、場合によっては闇討ちを受けたりするかもしれないのだ。
前の代官がその悪業の報いを受けてあの世へ行ってくれたのなら、果実である税率はそのまま頂いておけば良い。そして不満が高まりそうになったら少しだけ下げてやれば、恩も着せて税も得られて二重の効果を得られるだろうに、この単純な若者はそんな簡単なことにも気が回らないのか。
真面目と言ってもやはり世間知らずの王族か。初めての役に気が逸っているのだろうが、これはなかなか苦労の多い任務になりそうだ。
そう思うフェリックスをユーキは不思議そうな目で見ながら反論した。
「そうでしょうか? 余地は無くても、暴力を避けるために止むを得ず受け入れたのかも知れません。そうであれば、そのままにしておくと人心に大きな影響を与えかねません」
「領民を安心させるため、ですか。ですが、税収が下がります。領民を心配される殿下のお気持ちはわかりますが、領の財政の観点からは、実際に得られる税収が増加することが肝要です。税収が落ちては、領民のために施せる策も減り、領内の経済の悪化に輪を掛けてしまいます。景気が落ちれば領民も不安になるでしょう。それを考慮せずに闇雲に元通りにするのには反対です」
「なるほど。減税が税収に悪影響を及ぼす可能性を考えなければならないと言うことですね?」
「はい。是非とも慎重にお考え願わしゅう」
自分の答えを聞いてユーキが考えに沈むのを見て、フェリックスは漸く顔を緩めた。
若者らしい純真な良心からか、それともスタイリス王子のように庶民人気が欲しいのかは知らないが、領民の安心など、一ダランの収入にもならないのだ。どうなることかと思ったが、有り難いことにこの若者は自分の考えに意固地に拘泥する性向ではないようだ。少々面倒だが、丁寧に説明しさえすればこちらの考えを受け入れてくれそうだ。そうして信頼を得て行けば、やがてはこちらに手綱を預けてくれるだろう。それまでの辛抱だ。
ユーキが顔を上げてまた頷いたので、フェリックスは話を纏めることにした。
「では、この件については私にお任せくださいますね?」
「その前に、確認したいのですが」
「何でしょうか?」
訝しげにするフェリックスに、ユーキはにっこりと笑って尋ねた。
「逆に言えば、つまり、民心という観点を別にしても、増税が税収に悪影響を及ぼしているならば、元に戻すべきだ、ということですね」
フェリックスは言葉を失った。
そういう意味で言ったのではないのだ。だが、ユーキの言葉を否定もできない。
フェリックスの返事を待たず、ユーキはベアトリクスの方を向いた。
「ベアトリクス嬢、税収と増税の関係について、何か気付いたことはありますか?」
「はい、殿下。現時点で影響が明白になっているのは、関税と通行料です。関連の書類を検討したところ、関税と通行料は税収の無視できない部分を占めております。それで昨年度と今年度を比較したところ税率と通行料を上げることによる増加は、商人の来領数の減少を埋め切れておらず、全体として少し減収となっております。それにこのままでは来領する商人は今後さらに減ると予想されます」
経理担当のベアトリクスがすらすらと答える。ユーキは真剣な面持ちで聞いていたが、「有難う、ベアトリクス嬢」と応じるとその表情のままで領主補佐に向いた。
「そうすると、関税については増税は明らかに悪手だったということですね」
「……そのようですね」
フェリックスはユーキの眼差しに押されながら何とか答えた。
他の言い様が思い付かない。
この殿下は思っていたような単純な若者ではない。さっきの考察は取り消しだ。どうやら、少々ではなく相当に面倒なことになりそうだ。心を引き締めて掛からねばなるまい。
そのような補佐の考えを知ってか知らずか、領主殿下は淡々と確認を求める。
「ではまず、関税と通行料についてはクリーゲブルグ領からのものだけでなく全て元通りにする。これについては賛成していただけるでしょうか」
「……何か、巧く乗せられた気がしますが、はい、それについては賛成です」
「では早速そのように手配をお願いします」
「承知しました」
フェリックスは渋々ながら肯じた。
これはもうそうとしか答え様が無い。だが、言っておかなければならないことがある。
「ただ、関税を旧に復して待っているだけでは、商人はすぐには戻ってこないと思います。そうなると、関税を下げた分、収入が大きく減じてしまいます。積極的に商人の往来を増やす手を何か早急に考える必要があります。無策のままでは財政が破綻しかねません」
「そうですね。私もそう思います。それについては考えていることがあるので、いずれ聞いていただけますか」
「はい。聞かせていただきましょう。ですが、策を提案するのは本来は私の役割のはず。何か立場が逆転している気がするのですが」
「フェリックス、こう考えてください。『領に尽くすのに立場は関係ない。皆で考え、皆で働く』」
フェリックスは一瞬言葉を失った。
何を言っているのだ、この人は。自分が何であるかわかっているのか。上に立つ者がそんなことを言っては、折角の天与の権威が傷付くだけじゃないか。
「……殿下、御自身の王族、領主というお立場は……」
「ああ、そうでした。それは領政が上手くいかない時の責任の所在と考えてください」
「いえ、私はそうならないために、陛下から遣わされているのです」
「はい、存分にお働きください。期待しております」
「……全く腑に落ちませんが、承知しました」
「地租の増税についても、農民の意欲や不安が作付けや作柄に及ぼす影響や、農民の手取りが減ることによる経済への影響を考慮していただけますね? その他の税についても同様です。フェリックス、貴方の言う通り単純に考えず、長い目で見て領を富ませるような案を提案していただけますね?」
「……わかりました」
「では、案ができ次第、知らせてください。私も考えますので一緒に検討しましょう」
「……承知しました」
ユーキは「では、執務室で仕事に戻りますので」と言って出て行った。フェリックスは立ち上がってその姿を見送った後、座り込んで頭を抱えた。
何てことだ。こんな面倒が、この先もずっと続くのか。この型破りで奔放な青年領主を御して行かねばならないのか。頭が痛い。
一頻り髪の毛を掻きむしって頭を上げると、ベアトリクスがにこにことこちらを見ている。フェリックスはその笑顔に誘われるように尋ねた。
「ディートリッヒ嬢、ユークリウス殿下とはあのような方なのですか?」
「はい。あれでこそ、私たちが心から敬愛して止まないユークリウス殿下ですわ。ヴァイツ様も御同感でいらっしゃいますでしょう?」
待ってましたと言わんばかりに即答するベアトリクスの笑顔は一層華やぎ、それを見たフェリックスの苦悩は一層深くなった。




