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風の国のお伽話(改稿版)  作者: 花時雨
第六章 ピオニル領新政

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第百十八話 先代子爵夫人の出立

王国歴223年7月初頭


 ピオニル領に赴任後の数日間、ユーキは領の主要な役人、町や村の長たちなどからの挨拶、また邸の主だった従僕の面接と、さまざまな用事に忙殺された。

 ケンはハウトマン衛兵長に紹介されて衛兵見習としての務めを開始し、また、時間の空きを見てクルティスと武術の訓練を共にするようになった。村長はそのケンの様子を見て、安心してネルント開拓村へと帰って行った。



 ユーキが先代子爵夫人に『夫の私室の片付けが終わったのでお越しいただきたい』と呼び出されたのは三日後だった。


 先代の部屋はこぢんまりとした居心地の良さそうな部屋だった。

 夏の始めの強い日差しは外の楡の木に遮られ、濃淡入り混じる緑の木漏れ日となって、開け放たれた窓から差し込んでいる。風もまた楡の枝葉を揺らして柔らかな音を立てた後には、窓に掛けられた白い窓帳(カーテン)を残された最後の力で静かに揺らめかせているだけだ。


 その窓を通して、新領主を迎えて心機一転した従僕たちが忙しく立ち働く音が邸のあちこちの部屋から聞こえてくる。


 ユーキが先代の部屋に一歩入ったところで見回すと、中は綺麗に片付けられていた。残されている物は窓際の大きな机と椅子、書棚といった調度類と、書棚に並んだ若干の書物だけである。その中で隣の寝室への扉の握りと、暖炉の上の壁に作り付けの蝋燭受けが五本並んだ大型燭台と、これも壁に付いた上下二段の剣架とが、真鍮の少し燻んだ金色に光っている。



「殿下、お呼び立ていたし、申し訳ございません」

「いえ、お気になさいませんように」


 ユーキを部屋に迎え入れた夫人が、頭を下げた後に書棚や机を指し示した。


「殿下、書棚にあるのはこの地方の産物と種々の鉱物についての書物と資料のようです。もしお役に立てば幸いです。調度についてはもう私共は使いませんし、運ぶにも大きすぎますので、申し訳ありませんがお捨てくださいませんでしょうか」

「いえ、お気になさらないようであれば、先代が愛用されたお品、そのまま大切に使わせていただきます」

「そうですか。実は机の()き出しが、鍵が見当たらないために開きません。壊させて開けることも考えたのですが、忍びなく……」

「お気持ち、お察し致します。物入れは他に準備すれば済みますので、どうぞお気になさらないでください」

「お気遣いありがとうございます。ですが、右下の抽き出しを触った時、どうも嫌な感じがいたしました。年寄りの世迷言かも知れませんが、虫の知らせがするように思います。どうかお気を付けください。もし開くことがありましたら、中の物はどのようなものであろうと御遠慮なく御処分ください。もし使えるようであれば、お使いいただいても構いませんが」


 それを聞いてユーキがその抽き出しの引手を持ってみると、確かに何とも言えない嫌な感じがする。腰の紅竜の剣も急に重みを増して感じられる。『迂闊に開けるな』と言われているような気がしてならない。


「確かに。お教え有難うございます。注意するように致します」

「そのようにお願いいたします。それでは、これで全て片付きましたので、明朝にお(いとま)させていただきたいと思います」


 夫人がまた頭を下げながら言う言葉を、ユーキは押し留めた。


「夫人、お言葉ですが、天気が下り坂です。明日は雨になるかも知れません。御自重いただき、明後日になさってください。当日は私も、領境までお見送りさせていただきます」

「殿下、それは勿体のうございます」

「御夫君は長くこの領を大切に治められ、国王陛下もその治を繰り返し褒めておられました。その奥方をお一人で去らせるようなことをしては、私が陛下に叱られるでしょう。どうぞ私を助けるとお考えになって、私の馬車に共にお乗りください」

「王家のお馬車に……身に余る光栄です。何とお礼を申し上げて良いか……」

「どうか御遠慮なく」

「ありがとうございます。殿下は、ペルシュウィンの処遇についても、陛下に繰り返し良しなにお口添えくださったと伺っております。重ねてお礼申し上げます。領民たちは殿下を新しい領主にお迎えすることができて幸せです。私は心置きなく出発することにいたします」


 夫人はそう言い、部屋の鍵をユーキに渡すと一礼し、侍女に伴われて部屋を出て行った。



 翌日の朝から降り出した淑やかな雨は翌々日の夜明け前に上がり、空は晴れ上がった。

 夫人は午前中に領主邸を出発した。


 雨で清められたか、青空の下の空気は清々しい。塵一つ無く清められた玄関の脇に、仕えていた従僕の全員が立ち並ぶ。

 夫人はその中をユーキに手を取られて外に出た。長く住んだ邸を一度だけ振り返って感慨深げに深く息を()く。そして王家の紋章が輝くユーキの馬車に静かに乗り込んだ。


 御者が手綱で僅かに合図を送ると、輓き馬も乗客の気持ちを(おもんばか)ってか、蹄の音を立てるのも避けるかのように静かに歩き出す。


 馬車が邸の門を出て街に入ると、通り沿いの両側に大勢の領民が立ち並んでいた。皆黙って立っていたが、馬車の中に夫人の姿を見ると口々に「奥方様、お元気で」「長い間ありがとうございました」「お別れ、(つろ)うございます」などと叫び出した。

 思いも寄らぬ光景に、夫人がユーキを見て尋ねた。


「これは……」

「差し出がましいとは思いましたが、夫人が出立されることを、早馬で辺境伯閣下のお館にお知らせ致しました。その際にこの領都や街道沿いの町村にも、希望する者は夫人のお見送りを許すと触れました。お慕いする者がこのように多いのは、先代子爵の御遺徳と夫人の御人徳でしょう」

「……殿下……お取り計らい、ありがとうございます」


 夫人はしばし手巾(ハンカチ)で目元を押さえていたが、やがて気を取り直して窓から領民たちに小さく手を振り始めた。


「あの町、この村……亡き夫は頻繁に領内の方々を訪れておりました。これはその遺徳なのでしょう。訪問の後には、私たち家族、特に姉娘に嬉しげに様子を話すのが毎度のことでした。その時、ペルシュウィンは退屈そうに欠伸(あくび)をするばかりでした。私は哀れに思って、自室に下がって良いと許していたのですが、今にして思えばそれもあれのためには良くなかったのですね。継嗣でなくとも、自領にもっと興味を持つように厳しく躾けるべきでした」

「そうなのですか。お教え有難うございます。私も先代のように領内に目を配ることを怠らぬように致します」

「殿下は、年寄りの繰り言にも学びを見出される。やはり、御母君マレーネ殿下や御父君ユリアン卿の御教育の賜物なのでしょうね。私もそうあるべきでした。ペルシュウィンを殿下のように立派に育てることができていれば……」

「夫人、御子息のことをあまりお嘆きになられませぬよう。まだお若く、これから励まれれば明日の日もあります。どうか、お望みを絶やされぬようになさってください」

「はい、殿下。ありがとうございます」


 それきり夫人は何も語らず、ユーキも黙って見守る中、静かに車窓から手を振っていた。



 一行は粛々と街道を進む。


 ある村で、一人の年配の男が道の側の人の列から前に進み出てきた。御者に声を掛けられると夫人もそれを見付けてユーキに願い出た。


「殿下、お馬車をお停め願わしゅう」


 ユーキが頷き、クルティスがそれと伝えると御者は馬に「どう!」と声を掛け手綱を徐々に引き絞る。それに応えて馬車はゆっくりと止まった。


 男は小走りに馬車に近寄ってくると片膝を突いた。

 田舎の村人にしてはやけに身形(みなり)が良い。だが特に怪しい気配も無ければ殺気も漂わせてはいない。護衛の騎兵が近寄ると、顔見知りなのか互いに目礼を交わしている。して見ると、以前に子爵家に仕えていた者なのだろう。


 クルティスに続いてユーキが馬車から降り、夫人の手を取って下車を助ける。

 夫人は静かに男に近付き、その前に立って声を掛けた。


「クネヒト、久方振りですね。元気そうで何よりです」

「奥方様、御無沙汰致し申し訳ありません。若様とお家のこの度の御難儀に、何のお役にも立てなかったこと、申し訳ございません。今日、領を去られる由、私も無念です」

「無念とは何事ですか。私は子爵夫人としての役目を果たし終え、胸を張って出て行くのです。貴方も笑顔で見送ってください」


 夫人は男にそう応じると、ユーキの方に向いた。


「殿下、この者は先代の従者として長く勤めていた者。葬儀の後もペルシュウィンに仕え続けることを望んでいたのですが、ニードに嫌われ、邸を去らざるを得なかったのです。辺境伯領の出ではありますが、この領を去るのが忍び難く、目立たぬこの村に留まっていたのでしょう」

「そうなのですか。御子息もそのような忠義な方を代官から守って、お側に多く置いておかれればよろしかったのでしょうね」


 ユーキの言葉にクネヒトと呼ばれた男は肩をぴくりと動かし、声を硬くした。


「……誠に失礼ながら、ユークリウス殿下とお見受け致します」

「そうですが」

「殿下に若様の何がおわかりになられましょうか。若様は御自身なりに努力しておられました。ニードに付け込まれたのは、仕えていた我々が、強くお止めしなかったことに非があります。それに監察団の中でも、若様の罪を決定付ける働きをされたのは殿下とのお噂です。御自身の功を上げるべく、」


 悔しそうに腹の底から切々と絞り出されるクネヒトの言葉を聞いて夫人が急いで「止めなさい!」と叱り付けて遮った。


「クネヒト、口をお慎みなさい! 殿下はお役目を果たされただけのこと。非はニードと、ニードの無法を止められなかったペルシュウィン自身にあるのです。殿下はペルシュウィンへの罰を軽くし、私が子爵夫人としての立場を全うできるようにと、国王陛下に強くお口添えをくださったのです。もし殿下のお力が無くば、ペルシュウィンも私も今日の日を見られなかったかも知れぬのです。いわば我が家の恩人、その殿下への無礼は、私が許しません!」


 夫人に有無を言わさぬ鋭い口調で厳しく叱責され、クネヒトは慌てて頭を下げた。


然様(さよう)でございましたか」

「その上、このように王家のお馬車を用いて私をお送りくださり、先代の遺功を讃えてくださっておられます。(かたじけな)くて涙が出そうなほどです。いくら此度(こたび)の我が家の恥が悔しくとも、殿下のお優しいお人柄に甘えて恨み言を連ねるとは、失礼にもほどがあります。私に恥をかかせたいのですか? 今すぐにお詫びをなさい」

「そうとは知らず、殿下、無礼を仕り申し訳ございません」


 クネヒトがユーキに向かってさらに深く頭を下げるのを見て、夫人は声の調子を少し緩めて諭した。


「貴方にもし、我が家への忠誠心が残っているのであれば、今後は領民として殿下に忠義を果たすのです。それが私から、いえ、我が家から貴方への最後の願いです。良いですね?」

「はい、承知しました。……それでは、殿下に申し上げたき儀がございます」


 クネヒトはユーキに向くと声の調子を改めた。


「何でしょうか?」

「領に関する秘事でございます。先代が私のみに遺されたお申し付けで、文字にはせず、若様が領主として十分に領を把握された後に、内密にお伝えするようにと。残念ながら果たせませんでしたので殿下にお伝えしたく思います。お耳を拝借致したく」


 今さら何があるというのか。

 ユーキが先代夫人と顔を見合わせていると、クネヒトが立ち上がってユーキに近寄ろうとする。そこに後ろに控えていたクルティスがつっと前に進み出て割って入った。


「お許しの前に殿下に近寄られるのはお控えください」

「いや、失礼致しました。気が()いての不調法、お許しください」

「武器をお持ちでないかお身体を確かめさせていただくのも無粋、よろしければ、従者同士ということで、私が承ります」

「……では」


 クネヒトはクルティスと共に少し離れた場所に移り何事かを話していたが、待つほどもなく戻ってくるとまた片膝突いた。


「話は済んだのですね?」


 夫人が問うとクネヒトは肩の荷を下ろした清々しい顔で「はい」と答えてまた頭を下げた。


「殿下、重ね重ね、大変に失礼を致しました。どうぞお許しください。奥方様、これにてお別れを申し上げます。何卒道中(つつが)なく、いつまでもお元気でお過ごしください」

「貴方も体を(いと)いなさい。下がって構いません」

「有難うございます。それでは」


 クネヒトは立ち上がると後退りして静かに道脇に引き下がり、ユーキたちも再び馬車に乗った。



 引き続き領民の見送りを受けながら馬車は進み、やがて領境に到着した。

 夫人はユーキに支えられながら馬車から降り、最後の別れの挨拶をした。そして侍女に支えられて、関所の役人たちが揃って頭を下げる中をゆっくりと歩いて行く。やがて領境を越え、辺境伯側が差し遣わした馬車の横でこちらを振り返り、もう一度優雅に礼をした。

 ユーキが目礼を返すと夫人は柔らかく微笑み、静かに馬車に乗って去って行った。

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