第百十四話 ローゼン大森林再び
王国歴223年6月下旬
かなりの規模の騎馬と馬車の車列が主街道を南へ、ピオニル領を目指して進んでいる。護衛の近衛兵に先導された騎列に続くのは、王家の紋章が描かれた馬車だ。母のマレーネ王女から独立して新たな家の主となったユーキに、王家から与えられた馬車である。
しかしその馬車には主は乗っていなかった。ユーキは馬車の前で月毛の愛馬シュトルツ号の背に乗って、吹き付けてくる乾いた南風を楽しんでいた。
監察団の任務、そしてピオニル領の臨時領主への任官と赴任の準備、菫改めヴィオラ・リュークス伯爵令嬢との婚約と息継ぐ間もないほど忙殺されているうちに季節は進み、空に漂う雲は春の薄くふわふわした絹雲から夏の大きくどっしりとした綿雲にすっかり入れ替わっている。
気温も毎日のように上がり、もう暑いと言っていい気候の中、鞍上で頬に感じる風が心地よい。
一行はローゼン大森林から流れ出ている小川に掛かる木橋を渡った。ひと月ほど前に監察団が大森林に立ち入る切っ掛けになった場所である。
ユーキは一行に停止を命じ、シュトルツから降りた。
「クルティス、ちょっと森へ行ってくる」
「はい、殿下」
それを聞いてクーツや、特にベアトリクスは引き留めたそうにしたが、ユーキとクルティスが平然としているので何も言えないでいる。
ユーキは後ろの馬車の荷台から何かの荷物を大切そうに取り出すと、背嚢に入れて背負った。
「すぐに戻るので、休憩していてくれ」
ユーキはそう命じると再び騎乗し、黒く深き魔の森と人々が恐れる木立にシュトルツの頭を向けた。全く躊躇わずに小川沿いに少し進んで振り返り、背後の一行が見えなくなったのを確認して、心の中で呼び掛けた。
「ローゼン、来たよ。久し振り」
すると声を掛けられるのを待ち兼ねていたように、楽し気な少女の声が心の中に響いた。
「ユーキ、妖魔にとって一か月は久し振りのうちには入らないわ。でもよく来てくれたわね」
「ローゼン、元気だった?」
「ええ、元気よ。妖魔は病気にはならないけどね。話は会ってからにしましょ。今、近道を作るからちょっと待っててね……いいわよ、どうぞ」
促しに応じて再び小川に添ってシュトルツを進めると見る見るうちに前方の森が開け、湖が見えた。そちらに向けて進んで行くと、赤髪の少女が岸辺に突き出した太い木の枝に腰掛けて足で湖水を跳ね上げて遊んでいるのが見えた。
シュトルツから降りて手綱を立木に縛り、静かに歩いて近付いて行くと、少女は紅の瞳を燃えるかのように輝かせて笑顔で振り返り、枝から跳び降りてユーキに歩み寄った。
「ようこそ我が森へいらっしゃいました、ピオニル領新領主、王大甥ユークリウス・ウィルヘルム・ヴィンティア王子殿下」
少女は膝丈の白い裳裾を両手で摘まみ、膝を曲げて恭しそうに頭を下げて見せた。今日は竜尾は隠せているようだ。
ユーキも右手を胸の前に左手を腰の後ろに回し、同じように膝を曲げて片足を後ろに下げて重々しく頭を下げて見せた。
「御歓迎いただき感謝に堪えません、国に並びなき大森林の主、紅竜ローゼン様」
二人は顔を見合わせると、同時に『ブッ』と笑いを噴き出した。
「あははは。友達に他人行儀な挨拶はやめてくれるかな。照れ臭いから」
「あなたならそう言うと思ったわ。偉い役に就いても中身は変わらないようね」
「領主と言っても臨時だからね。頑張って栄えさせて国王陛下にお返ししないといけないから。『偉い』というより『大変な』役だよ」
「そうかしら。あなたなら大丈夫よ。私は心配してないわ。でも頑張ってね」
「有難う。そうだ、まずはこれ」
ユーキは背嚢を下ろして荷物を取り出した。ガサガサと包みを開き中から木箱を取り出すとローゼンに向かって差し出した。
「王都のお土産。甘いもの好きの紅竜様への捧げ物だよ」
「ありがとう! 大きな箱。何かしら?」
ローゼンはワクワクと擬音がしそうな様子で蓋を開けると、「きゃあ」と嬉しそうな声を上げた。竜尾は現れていないが、激しく上下左右に打ち振られているのが見えそうな勢いだ。
「これは……飴の詰め合わせね?」
「そう。葡萄味が好きって言ってたから、それは多い目にしてもらった。あと、メローネ味とか、檸檬味とか、その他いろいろな種類を詰め合わせてもらったから。皆さんの好みに合わせて分けてもらえるかな」
「あなた、本当に気が利くわね。気を遣いすぎると疲れるからほどほどにした方が良いわよ。でも、ありがとう。みんな喜ぶわ」
気のせいか風が強まり、樹々のざわめきや湖の波立ちが強くなったように思える。
「それから、花なんだけど、切り花だとすぐに枯れちゃうよね。それもなんだかなーと思って種を持って来たんだ。まずかったかな?」
「ううん、良いわよ。でも、この森に花壇でも作る気?」
「駄目かな? 君なら、いろんな花と一緒に座っているのが似合うかな、と思って」
ユーキが淡々と告げると、ローゼンが「うっ」と言葉に詰まった。
「……だから、そーいうことを、大事な人以外に言っちゃ、ダメだってば」
「そうか。ごめん」
「……いや、まあ、謝らなくても、私には良いのよ、私には。貴方の大切な、『菫さん』、だっけ? その子と私以外には、言っちゃ駄目って事よ? 誤解されるかドン引きされるか、どっちにしても、碌なことにならないわよ?」
褐色の肌でもそれとわかるほどに顔を赤くしてローゼンが諭すが、それに気付いてか気付かないのか、ユーキは能天気に返事をする。
「わかった、気を付けるよ。有難う」
「……ほんとにわかってんのかしら。えーと、何の種を持って来てくれたの?」
「鶏頭と撫子。うちの庭師に聞いたら、今の季節だとそこらへんがいいって」
「ふーん。秋になって咲くのが楽しみね」
「そうだね。じゃあ、早速。……この辺に蒔いてもいいかな? 土を少し起こした方が良いよね。それから持って来た堆肥を底に……」
「ユーキ、あなた、王子? 庭師?」
「王子だよ。でも、うちの庭師に蒔き方を習って来たから。結構楽しかったよ」
「忙しい中を? 物好きね。じゃあ、ここでは私専属の庭師になる?」
「それもいいかもね」
「……冗談なんだけど」
「そう? 庭師も、大変だけど素敵な仕事だと思うんだけど。綺麗な花壇や庭を見ていると、とても和んで安らかな気持ちにならない? 僕も、庭師が植えてくれた菫の花を見て、凄く心が癒されたし」
「あー、はいはい。……そうかも知れないけど、森には今まで庭も花壇も無かったからわからないわ」
「でも花は好きなんだよね?」
「ええ」
「君のために沢山花を育てて咲かせるんだから、素敵な仕事だと思う」
「だーかーら。……もういいわ。ありがと」
諦め口調のローゼンを、ユーキは気にも留めずにせっせと作業を続けている。
「うん。はい、終わったよ。できれば時々雑草を抜いて水をやってくれるかな。僕も来た時には気を付けるけど」
「……雑草は焼いちゃうし」
「雑草だけを?」
「お安い御用よ。私を誰だと思ってるの?」
「紅竜ローゼン」
「……竜の火焔は普通の火とは違うの。狙った物だけを焼けるのよ。そうでなければ、焔を吐くたびにこの森が丸焼けの大惨事になるでしょ?」
「そりゃそうか」
「水はウンディーネが適当にやってくれるでしょ」
「ウンディーネ様をそんな使い方して良いのだろうか」
「良いのよ。あの娘も花は好きだし。メローネ味を多い目にあげとくから」
「……よろしくお伝え下さい」
二人は「あはは」と笑い合う。もし今ユーキが湖の方を振り向いたら、ウンディーネのアリエッタが岸辺で頬杖を突いて、脹れっ面で湖から覗いているのが見えただろう。
「雑談はさておき、お仕事は目算は立ってるの?」
「いや、まだ全然。領のことは、監察団で調査したことしか知らない。資料を調べる暇は無かったから、過去の出来事や今の状況もわからない。まずはきちんと把握しなくちゃと思ってる」
「そうね。でも、十分に調べてからとか、全てを知ってからとか思っていると、あっという間に時間が経っちゃうわよ。私たちと違って貴方たち人間の刻は短いわ。愚図愚図せずに、思い切ってやることも大切よ。まあ、ユーキなら大丈夫だと思うけど」
「うん。良く考える、でも必要だと思ったら躊躇なく行動する、だね」
「ええ、言うのは簡単だけど実際は難しいわよ。頑張ってね。もし、わからないこととかあったら、私たちに聞きに来ても良いのよ。遠慮しないでね」
「わからないこと? 領の政で?」
「それは私たちに尋ねられてもねえ。まあ、尋ねられたら答えるけど。それより、不思議なこと、変なこと、人の手に負えないこと、かしら。世の中はいろいろ起こるものだから」
「……あまり起きて欲しくなさそうなことかな?」
「んー、考えようだと思うわよ。ユーキ次第ね」
「わかった。何かあったら、尋ねに来ることにするよ。甘いものを持ってね。ピオニル領もこの森に面しているからね」
「そうして」
「じゃあ、今日はそろそろ行くことにするよ」
「ええ、またね、御領主様」
「じゃあ、また。紅竜様」
ユーキはシュトルツに乗ると手を振って森の外へと去って行った。ローゼンが手を振り返しながら見送っていると、背後に妖の気配がした。振り向けば、案の定、水の精アリエッタだ。
「散水係への御任命、真に光栄でございます。謹んで盛大にやらせていただきます」
碧髪の美女がそう言って上げた手が青く光ると、ユーキが種を蒔いた土の上だけに、霧のように細かい水が一面に降りかかった。何をどのようにしているのか、周囲は全く濡れていない。
「種が流れない程度にしてよ」
「あたしがそんなヘマをするわけないでしょ。それとも洪水を起こして森ごと流し去りましょうか?」
「その前に湖ごと蒸発させちゃうわよ」
「……こんなもんでしょ。報酬としてメローネ味を三個余分に要求する」
「相変わらず、やっすいわね。……はい」
「ありがと。……んー、甘い。最高。至福。幸せ。もう、男要らないぐらい」
「そこまで?」
呆れるローゼンの声を流して、ウンディーネは飴を舐め舐め応じた。
「あの子、前より随分と堂々として、逞しくなったわね。見違えたわ」
「経験と環境と地位が人を育てるのよ。あれだけ厳しい場所で活躍して領主の地位を得れば、成長するのは当然よ。『六頭立ての馬車で往来すれば、誰でも王様らしくなる』って、聞いたことない?」
「ふーん。このままでいいの? やっぱり、人間と結婚させるの、勿体なくない?」
「は? だからどうしろって?」
「婚約者を連れて来させて、あの子に相応しいかどうか品定めしましょうよ。あんたがやらないなら、あたしが相手してもいい?」
「『勝負しよう』って言うの?」
「いや、取りあえず様子見てから。勝てそうなら挑む」
「やっすい上に卑怯な妖魔ですこと。どうやって勝負するの?」
「んー、この湖で水泳選手権?」
「あんたの得意分野。笑える。くっそ卑怯ね」
「距離差を付けてあげれば文句ないでしょ。相手は五分の一の距離にしてあげれば丁度いいぐらいでしょ」
「で、もしも負けそうになったらナヤーデたちに相手の足を引っ張らせるつもりでしょ」
「ばれたか」
「ばればれ。男を争うのなら、女らしく勝負しなさいよ」
「美貌で勝負?」
「相手は絶世の美女になる予定の美少女よ?」
「じゃあ、こっちも本気出すか。真姿見せて、あの子にどっちが綺麗か選ばせる?」
「はい、負けたー。あんた、僕決定。あの子が他の女に魅かれるわけないじゃん」
「やっぱ、そうよねー」
「二人の足元に傅いて、いちゃいちゃしてるところを指咥えて見学させてもらえば? 愛を司る水の精さま」
「煩いわよ。あーあ、他に良い男、来ないかしら。不幸だわ」
「ほら、もう一個、飴。これでも舐めてろ」
「……幸せ」




