あいだのはなし2 二人の令嬢
ユーキがピオニル領に旅立って間もないある日、外相キールス侯爵の派閥のある貴族家で開かれた宴席での話である。
一人の子爵令嬢が、浮かない顔で壁の花となっていた。気に入りの桃色の衣装に包んだ体は、心なしか以前よりもさらに豊かに、服がきつく体に喰い込むように見える。
手に持つ皿には甘いものが積み上げられ、誰かに話し掛けられても上の空で、溜息を吐きながら次々に口に運んでいる。そうかと思うと、周囲に誰もいないかのように、大きな声で愚痴を呟く。
「ああ、殿下。お会い出来ない所に行かれてしまうなんて。お姿を思い浮かべるたびに切なくなってしまいます。離れ離れの悲しみを紛らわそうと、ついついこんな甘いものに手を出してしまいます。どんなに遠くに行かれても、こんなに慕わしう思っております。許されるものなら、私もお供をして、一緒に下向致しとうございました」
「あら、それはまた御苦労様なこと。どちらへ?」
揶揄するようなきつく冷たい声に令嬢が顔を上げると、もう一人の子爵令嬢が皮肉めいた笑みを浮かべてこちらを見ていた。
こちらは元から細身だった体がさらに痩せて、水色の衣装がゆとりを見せている。桃色の令嬢が皿を持ったままキッと睨み付けても、水色の令嬢は気にした様子はない。相変わらず冷たい言葉を投げ付けた。
「甘ったるいものをよくそんなに山盛り召し上がれますわね。私など、悲しみに食事も喉を通らない有り様ですのに。ねえ、どちらへ行かれたいの?」
「貴女様もきっと行きたいと思っておられる場所ですわ」
問われた桃色令嬢も負けじと冷えた声で言い返したが、水色令嬢は怯まない。
「まあ。南部は王都より暑いと申しますわ。暑さにお弱い貴女様には厳しいのでは?」
「失礼ですこと。南部でも山地は王都より冬の冷え込みは厳しいそうですわよ? 寒さにお耐えになられない貴女様にも無理でしょうね。それとも領都に籠っておられるおつもり? それで真面目な御領主様の眼にはどう映るでしょうかしらね」
「失礼なのは貴女様の方でしょう。外套をきちんと着込めば何とでもなりますわ。貴女様の方は毛皮を着たら、山地に行かれては危のうございますわよ。猟師に十分にお気を付けにならないと」
「まあ。何がおっしゃりたいのかしら」
二人は眼と眼で火花を飛ばして睨み合ったが、突然に火花は消え、二人同時に肩を落として「はぁ」「ふぅ」と溜息を吐いた。
「もう止めましょ」
そう言うと、痩せた水色令嬢は桃色令嬢の隣に移って同じように壁に背を付けた。太った桃色令嬢も皿を卓の上に置くと、壁に凭れながら同意した。
「確かに、ここで言い争っていても無意味ですわよね」
「せめて、二人で殿下の思い出をお話しし合って慰め合いましょ」
「そうね。貴女様とは幼い頃から仲良くしていただいたもの。せめて思い出は分かち合いましょう」
「思い出と言えば……」
水色令嬢が視線を宙に泳がせて記憶を辿ると、桃色令嬢がすぐに応じる。
「殿下に初めてお目に掛かった舞踏会ですわよね」
「そうですわよね。殿下、あの時には私のお話を沢山聞いて下さったの」
「殿下、お優しく聞いて下さいますものね」
「ええ。私、緊張して自分のことばかり話してしまったの。家族のこととか趣味の刺繍のこととか。きっとお退屈でしたでしょうに、ずっと笑顔で頷きながら、さも面白そうに聞いて下さったの」
「わかりますわ。私もあの時、殿下が優しくお尋ね下さるのが嬉しくて、ぺらぺらぺらぺら自分のことばかり。好きなお菓子とか領の名物料理とか食べ物のことばかりで、今思い出すと恥ずかしくなってしまいます。でも殿下はお笑いにもならずにお話を合わせて下さって。つい調子に乗って、王都の名店にお誘いいただけませんかってお願いしてしまったの」
「まあ、何てことを。貴女、それは少し図々しくありませんこと?」
それは初めて聞いたとばかりに水色令嬢が咎めると、桃色令嬢はつんと顎を小さく上げた。
「殿下は、『機会があれば』とおっしゃって下さいましたわよ」
「貴女、それは断りの言葉でしょう」
「ふん、そのぐらい承知しておりますわ」
相手が断られたと知って水色令嬢が安堵の声を出すと、桃色令嬢がまた顎を上げる。それを無視して今度は水色令嬢が言い出した。
「私は、あの時に殿下がお相手をして下さった舞踏が忘れられなくて」
「私もですわ」
「私たち、それまでキールス侯爵閣下のお身内の方以外と踊ったことがありませんでしたわよね。そのことを勇気を出して殿下にお打ち明けしたら、殿下が『では、その初めての光栄を是非私に』とおっしゃって下さって。勇気を出して本当に良かった」
「私、殿下が私の手を取って下さった時、嬉しさと羞しさで胸が震えましたわ。手もぶるぶると震えて、どうしたらいいか困っていましたの。そうしたら、ねえ、聞いて下さる? 殿下が、『私は大勢の前で踊るのに慣れていないので、緊張してしまいます。もし間違えても、どうかお許し下さい』っておっしゃって下さって。お気遣いが嬉しくて、感激してしまいましたの」
「私も、緊張して殿下のおみ足を踏んでしまいましたの。私、『あっ』て声を出してしまい、周囲の方々がこちらを見られて。そうしたら、ねえ、聞いて下さる? 殿下、『ごめんなさい、間違えました』とわざと大きな声を出されて、御自分のせいにして庇って下さったの。私、曲が聞こえなくなるぐらいに感激してしまって、また踏んでしまいそうになって。でも、殿下は『構いません。それより楽しく踊りましょう』と。そのお優しさに、胸が一杯になってしまいましたの」
「本当に、殿下……」
「素敵……」
互いに相手の言葉を聞いているのかいないのか、二人はそれぞれに胸の前で手を組み、夢見心地で視線を宙に泳がせる。だがその後には、憂い顔に戻って揃って「「はぁ」」と溜息を吐いた。
水色令嬢が悲しそうに言った。
「あれから後は、何故か貴女様と私をお避けになられている気がしますのよね」
「貴女様もそうお思いになられるの? 実は私もですの」
「私達、殿下に何か失礼なことでも致したのかしら」
「私は思い当たりませんわ」
「私もです。折角、キールス侯爵閣下が、殿下がお見えになりそうな宴席に参加できるように御配慮下さっていたのに……」
「これでは、閣下にも申し訳がありませんわね」
「何とか、お近付きになって、お傍に上がりたかったのに残念ですわ」
互いに無念の言葉を吐くと、声を揃えて「「ふぅ」」と溜息を吐く。妙に息が合っている。
桃色令嬢が不安そうな声で問い掛けた。
「私、気になる噂を聞きましたの。御存じ? 最近、殿下に決まったお方がおできになったって」
「伺いました。はっきりしたことはわからないのですけれど、市井の庶民の出で、どこかのお家の御養女に入られたとか」
「でも、社交界にはまだお出でになっていらっしゃらないのでしょう?」
「ええ、謎の存在ですわよね」
「もし本当なら、貴女様も私も、はぁ……」
「もう望みは絶えたも同然ですわよね、ふぅ……」
「でも、殿下の御心を射止められるなんて、どんな方なのでしょうかしら……はぁ……」
「きっと気高く美しい女性なのでしょうね……ふぅ……」
二人は今度は交互に「はぁ」「ふぅ」と何度も深い溜息を吐く。頸木に繋がれた二頭の輓き馬が、厳しい坂道を登った後で息を吐いているようだ。人目も気にせず、今いるのが宴の会場であることなど忘れているらしい。
桃色令嬢が胸を押さえて切なげに言った。
「はぁ。ユークリウス殿下、こんなにお慕い申し上げているのに……」
水色令嬢も両手を組んで哀し気に告白する。
「ふぅ。私だって、殿下への思いは誰よりも深いと自負しておりますのに……」
互いに想いを打ち明け合うと、急に調子がきつくなった。
「あら、貴女様、以前は知的でどこか翳を感じさせるクレベール殿下の深みに魅かれるっておっしゃっていませんでしたこと? ユークリウス殿下は若々しい明るさで人を惹き付けられる方でしょう?」
「それはまだお若くていらっしゃるのですから。今は御経験を増やしておられるのです。御将来が楽しみですわ」
「ユークリウス殿下にクレベール殿下のような翳や深みはお感じにならないとお認めになるのね」
「そんなこと、申しておりません」
「でも、そうなりますわよね」
「いいえ」
桃色令嬢が決め付けても水色令嬢は認めない。負けじと反撃を開始する。
「貴女様の方こそ、美麗で華やかなスタイリス殿下のように、人生は楽しむべきとおっしゃってませんでした? ユークリウス殿下が美麗さを求めておられるとは到底思えませんけれど?」
「当然でしょ? ユークリウス殿下は地道に努力を重ねられる御方。華やかな席をお避けになられるのも、地に足を着けて生きることをお望みだからでしょう」
「あら? 貴女様、人生は一度きりだから十分に楽しみたいっておっしゃっていらしたじゃない。スタイリス殿下は舞踏だけでなく、札遊びも無敗の強さでいらっしゃるそうよ」
「ええ、存じていますわ」
「それに観劇にも度々訪れていらして、劇場にお見えになると観客が総立ちになって、舞台そっちのけで殿下に拍手を送られるとか。貴女様もユークリウス殿下ではなくスタイリス殿下のお傍を目指されれば、面白おかしく日々を送れますわよ」
「私はそういう意味で申し上げたのではございません。貴女様は面白味で伴侶をお選びになるの? 堅く御誠実に過ごしておられるユークリウス殿下のお傍で過ごせれば、例え面白味に欠けて詰まらないように思えても、振り返れば充実感のある人生に幸せを感じられると思いますわ」
「貴女様にそのような人生が耐えられて? お退屈ではなくて?」
「貴女様こそ? お飽きになられませんこと?」
二人は徐々に壁から背を離し、次第次第に向き合って言葉の調子を強めて最後は激しく言い合っていたが、眼と眼で睨み合うと不意に同時に肩を落として壁に戻って俯いた。
「……あの時も、こんなお話を致しませんでしたっけ」
「そんな気も致しますわね」
「今はいらっしゃらないから良いけれど、こんなお話がもし殿下のお耳に入っていたら……」
「きっと嫌われてしまいますわ」
「止めることに致しましょうか」
「ええ、そう致しましょう」
二人はまた同時に「はぁ」「ふぅ」と深い溜息を吐く。
水色令嬢が胸に両手を当てて神に祈るように呟いた。
「あぁ、私の憧れのユークリウス殿下、早く戻っていらっしゃらないかしら」
「本当ですわよね。戻っていらしたら、私、側室でもいいからお傍に侍りたい」
桃色令嬢の身勝手な呟きを聞いて、水色令嬢がむっとした。壁に凭れていた背を離しながら言い返す。
「あら、私なら、侍女でも構いませんわ。精一杯、御身の回りのお世話をさせていただくの」
桃色令嬢も体を起こした。
「何よ、私なら、お掃除係でもお洗濯係でもよろしくてよ。貴族の身分を捨てても構いません。殿下がお召しになる物を真っ白にして差し上げるの。殿下の白の御礼装姿、本当に素敵なんですもの」
「そうですわよね。背を伸ばした姿がとても凛々しくて。ああ見えて、お胸とかお逞しくていらっしゃるし」
「それでいて笑顔がお可愛くていらっしゃるから、白いお召し物にとても映えますもの」
「ああ、あのお胸の中に飛び込みたい」
「まあ、何てことを」
今度は水色令嬢が一方的な願望を口にすると、この娘ならやりかねないと、桃色令嬢が口を尖らせて咎める。徐々に二人は向かい合い、口角泡を飛ばし始める。
「とんでもない、そんな勝手なこと殿下がお許しになりません。万々一にあったとしても、あなたの強いお色の紅で、殿下のお召しを汚さないようにお気を付けあそばせ」
「そうしたら、貴女様が洗って差し上げるのでしょう? ついでに私のものも一緒に洗わせて差し上げますわ。殿下に合わせて白のお衣装がいいかしら」
「何よ、貴女、白は太って見えるからって、青い服しかお召しになられないくせに」
「貴女こそ、細く見られたくないって、赤のものしか召されませんわよね」
「殿下はきっと、貧相で頼りない女より、女性らしい豊かな体付きがお好みなのよ」
「いいえ、贅肉を付けて平気な怠惰な女より、慎ましくすっきりした女性がお似合いよ」
「そんなことございません」
「いいえ、ございます」
「何よ」
「何ですの」
二人の令嬢の無駄に熱く詮無い会話は、宴が散会になるまで続くのだろう。そしてその徒な望みは、二人が良い縁談に恵まれるまで消えないのかも知れない。




