第百十話 国王と菫
前話翌朝
菫は王城に来た最初の夜はテレーゼ・コルネリア王城侍女取締の部屋に泊めてもらい、翌日、国王陛下と王妃殿下のお召しを受けた。
庶民でしかも未成人とあっては謁見室や国王の執務室には立ち入ることができない。謁見はテレーゼの部屋に近く、壁に窓が並んだ明るい小部屋で行われた。
菫はテレーゼに連れられ、部屋に一歩入ったところで両膝を突き、手を胸の前で組んで深々と頭を下げた。
両の顳顬で菫色の髪紐を結ばれた銀糸のような禿髪が、一面に開け放たれた窓から入る午前中の柔らかい光に煌めきながら流れ落ちる。王妃の侍女の手を借りて念入りに梳かされたその髪は、窓からの微風に揺れ動き、しゃらしゃらという音が聞こえそうなほど繊細だ。
「テレーゼ、この者がそうか?」
齢を取った男の重々しい声に続いて、テレーゼが菫を紹介する静かな声が流れる。
「はい、陛下。これなるは妓楼『花園楼』の禿にて、妓女葵の忘れ形見、菫にございます。齢十三、一昨日ユークリウス殿下より将来の妃にとのお望みを受けておられます。お召しにより本日参上いたしてございます」
「菫とやら、立って良い。面を上げよ」
間を置かず、国王らしき男の命じる声がした。
しかしながら、庶民が命じられてすぐに国王の前に立つのは非礼に当たる。それを知る菫がじっと動かずそのままの姿勢でいると、テレーゼが促した。
「菫さん、これは公式の謁見ではありません。気を楽にして、陛下のお言葉通り、立ってお顔を上げて構いません」
「あい」
菫は返事をすると組んだ手を解いてゆっくりと立ち上がり、目を開いて頭を上げた。
前にはそれぞれ大きな椅子に掛け、ゆったりとした上品な服を着て背を伸ばして座っている年配の男女の姿が見えた。王冠を被ってはいないが、この方々が国王陛下、王妃殿下なのだろう。
その姿は以前に姿絵屋で見た絵姿よりも、さらに気高く美しい。国王陛下は、どことなくユークリウス殿下に似ている。陛下も妃殿下も、微笑んでいるようにも、奇妙なものを見て驚いているようにも見える。
国王が再び命じた。
「近う寄れ」
菫は静かに一歩だけ、前に出る。
「もっとだ。遠慮せずとも良い、こちらへ来て、顔を見せてくれ」
菫は少し躊躇ったが、余りに遜るのも反って失礼かもしれない。さっきコルネリア様に促された通り、お言葉のままにしよう。そう心を決めて静々と歩を進め、二人の間近に立ち顔を上げた。
国王は菫の紫色の瞳を覗き込むようにまじまじと見ると、口を開いた。
「うーむ、驚いた。可憐だな。ユークリウスの気持ちがわかる。まだ蕾とは言え、いや、盛りの花も及ばぬかもしれん。これほどとは思わんかった。ユークリウスめ、これは良くぞでかしおったな。隅に置けぬどころではない、盛大に褒めてやらんとならんな」
「陛下、まだお声も掛けられぬうちに、何をおっしゃいますか」
「おお、すまん、すまん」
王妃に嗜められて国王は緩めていた顔を取り繕い、菫に向かって話し掛けた。
「菫とやら、昨夜はよく眠れたか?」
菫がテレーゼの方に向こうとすると、続けて国王の声がした。
「ああ、構わん。直答を許す」
それでも菫がテレーゼを見ると、彼女も優しく「構いません。直接お答えしなさい」と促した。
それを聞いて、菫は国王の方に俯きがちに向いて答えた。
「あい。お蔭様を持ちまして」
そうは言っても、目の下の薄い隈が、実際には眠れぬ夜を過ごしたことを告げている。
「菫、固くなるでない。儂たちは其方を取って食おうと言うのではない。本当のことを話してくれんかな?」
国王が声と顔を和らげる。隣で王妃も優しく微笑む。それを見て菫の気持ちも落ち着き、構えず素直に答えることにした。
「あい。実を申しますと、この二日間の驚きと喜び、今日への不安で、少しく眠りが浅うございました」
「この二日間の驚きと喜びというと、ユークリウスに、妃にと望まれたことだな?」
「あい。以前からお文でお気持ちを伺ってはおりましたが、いきなりお妃様にとは思いませんでしたので」
「彼奴は至って真面目で一途だからな。暫く離れて過ごすとなると、居ても立ってもおれなかったのであろう」
「……」
静かに黙して待つ菫に、国王は声を少し重くして問い掛けた。
「菫、其方の気持ちは昨日既にテレーゼから聞いておる。その真は最早疑わん」
「あい」
「だが、一つ聞かせてくれ。王族の妃になるのは、聞こえは良くても内実は大難事だ。その若さの其方にそれを決断させたユークリウスの、何がそれほど好きなのだ? なぜ、どのように好きなのか、教えてはくれまいか?」
「それは……」
菫が視線を少し下げ言い淀む。室内の音が消え、居心地の悪い雰囲気が漂いそうになる。顔を上げて国王を見るが、菫は黙ったままでいる。
「言えぬのか? ひょっとしてその程度の気持ちなのではあるまいな?」
国王の声が疑念を含み、少しばかり硬くなる。重ねての問いに、菫はまた顔を臥せ、漸く口を開いた。
「いえ、気持ちは心一杯に溢れてございます」
「ではなぜ言えぬ?」
「上手く申し上げられませぬが、心一杯溢れた気持ちも言葉にして汲み出すと、涸れて戻らぬ気がいたします」
「どういうことだ?」
畳み掛けるように問い続ける国王に、菫は少し震える声ながら、ひとつひとつ、自分の口から出る言葉が自分の心と違いは無いか、確かめながら答える。
「殿下は、心優しいお方。ですが、『お優しいから好き』と言えば、心中に棲む何かが『好きなのは優しさか、優しいのは殿下一人ではあるまいに』と呆れます。『正義に篤きところが好き』と言えば、心が『正しきは人の務め、王子ともあれば当然よ』と嗤います。何かを言えば言うほどに、『好き』という、大切なものが萎む思いがいたします。殿下の優しく正しく強いお人柄をお慕い申しているは真であれど、それだけではございません。この胸の殿下への何とも知れぬ思いは私にとってただ一つ、掛け替え無きものでありますれば、言葉にして言い切ることを躊躇いましてございます。お答えが遅れる粗相をいたし、申し訳ございません。お許しくださいませ」
「然様か。わかるような、わからぬような」
「妾はわかりますよ、菫」
王妃は菫に強く頷いて見せたが、国王の方はまだ納得いかなげにしている。
菫は再び顔を上げ、思い切って国王を正面から見詰めた。今度の声には力が籠り、しかし依然として震えてもいる。
「畏れながら、陛下にお尋ねしてもよろしうございましょうか」
「何だ。言ってみよ」
「陛下と妃殿下は国の父母であられると共に、長く連れ添われた夫婦の鑑と存じます」
「うむ、如何にも然様だが?」
「陛下が久しく愛される妃殿下の、どこがなぜどのようにお好きなのかを、お教えいただきとう存じます。然すれば私も、殿下へのこの思いが何なのか、答えを知ることができるかも知れぬと思いますれば、何卒、何卒」
「ほほう?」
菫は畏れながらも、自分に投げられた問いをそのまま国王に返し、頭を下げた。
「こ、これ! お問いを返すのは失礼です、今すぐ取り消してお謝りなさい!」
「テレーゼ、待て」
予期せぬ菫の無礼に慌てたテレーゼが顔を蒼くして窘めたが、国王はそれを制した。
「菫、儂に問い返すからには、それなりの覚悟があってだな? 見当違いの問いとなれば、罰を下すやもしれんぞ?」
「あい。承知いたしております」
「然様か。ならば答えよう。ふむ、儂がこいつのどこがなぜどのように好きか、か」
国王は、おやおやと微笑む妃にちらと目を流すと腕を組んで考え始めた。
「うーん。どこが、か。こいつは今も昔も変わらず誰にも負けず美しいからな」
答えるともなく洩らした言葉を聞いて、菫が震える声で問いを重ねる。
「お美しいから愛されるのですか?」
「それはこの美貌だからな」
そう言い放った後に、国王は片眉を上げた。
「いや、待て。……美しいから愛する。何か違うな。違うぞ。それ故でもないし、それだけでもない……仮にこいつが美貌を失おうとも、儂はこいつを愛し続ける。それは間違いない……」
小声で言うと、矢庭に思いに沈み込み、ぶつぶつと言葉を並べ始めた。
「こいつは民に優しいが媚びるわけではなく、阿る貴族には厳しい。慈愛と威厳の両方に満ちている。少女の可憐さ、乙女の羞らい、大人のつややかさを併せ持つ。百合のように淑やかで、牡丹のようにあでやかで、芍薬のように華やかだ。だが、それ故に愛するのか、と問われると……違うな。仮にそれらが全て無かったとしても、儂はこいつを愛している。それは間違いない」
最初は小声だった独り言は、途中からは自分に、周りに言い聞かせるように大きな声になっている。
そして顔を上げて菫を見ると、優しい声で言った。
「菫、其方の言うことがわかったぞ。妃はただ妃、それ故、いや妃の身分も名前すらも要らぬ、儂はただこいつ故に愛するのだ。其方もユークリウスを、ただあいつ故、あいつの全てを慕っておる、そう言いたいのだな?」
「あい、然様にございます。陛下の御問いをお返しするなどと無作法をいたし、申し訳ございません。御罰は如何様にでもお受けいたします」
「いや、構わん。若い頃にこいつを望んだ時の事を思い起こせば、恋心とは確かにそういうもの、何もかもが愛しいものだった。今でもそうだ。うむ。なるほど、其方の気持ちだけでなく、ユークリウスがなぜ其方をこれほどまでに望んだかもわかったように思う。……おい、如何した?」
気が付くと、国王の隣で王妃が真っ赤に染まった顔を一杯に拡げた扇子で隠し、目だけを覗かせてもじもじしている。
「陛下ったら、羞かしうございますわ。今でも妾のことをそのように想ってくださっているとは……。菫、其方のお蔭です。久方振りに陛下のお優しいお言葉を聞かせていただけました。礼を言いますよ」
「久方振りとは何だ。儂は常にお前のことを想っておるぞ。……そりゃ、なかなか言葉にできんで済まんがな。……いや、これからは折に触れ、きちんと伝えねばな」
「陛下、嬉しうございます。妾もあなたをいつでもお慕い申しております……これまでも、これからも……テレーゼ、今、『ケッ』とか言いませんでしたか?」
王妃は国王と睦言を交わし始めたが、それを聞いていたテレーゼが横を向くのを目の端で見咎めると厳しい声を投げ付けた。
「いいえ、喉の障りを払っただけでございます。この部屋、なにか熱くはございませんか? 窓、開いてますよね?」
テレーゼが窓に顔を向けつつ半ば投げ遣りに答える言葉も刺々しい。国王はそれを聞き流し、若干顔を赤らめながら菫への言葉を続けた。
「オホン、あー、先程の儂の問いは意味薄く、心無いものであった。これからは臣下に問い掛ける前に、同じ問いを自分に投げてみるとしよう。菫、気付かせてくれて礼を言うぞ。よくぞ罰を恐れず問い返してくれた」
「陛下、もったいのう存じます」
菫は慎み深く頭を下げた後に、相変わらず震える声で付け加えた。
「加えて申し上げてよろしいでしょうか」
「何かな? 何なりと申して見よ」
「はい。ユークリウス殿下は、いただいたお文の中でいつも、『国民の幸せのために』『人々の暮らしをよく知って』と、庶民を御心に掛けていらっしゃいました。今回ご領主を受けられたのも、『領民が安心して暮らせるように』とのことでした。殿下は常に国を支え、民人のために尽くそうとしておられます」
「うむ。あいつは本当に真面目だ」
「あい。その殿下が、私に、ご自身の支えになって欲しいとおっしゃってくださいました。私はただの禿にすぎません。それでも殿下がこの身を必要としてくださったことがただただ嬉しうございました。殿下が国に御身を捧げられるならば、私は精一杯お支えして、共にこの身も捧げたい。どこまでも殿下と共にありたいとそう思った次第です」
そう言ってまた頭を下げる菫に、国王と王妃は顔を見合わせた。
国王は苦笑を浮かべた。
「菫、お前もまた、ユーキと同じく真面目よのう。いやしかし、テレーゼ、やっぱりこの部屋、熱いやも知れん。窓、本当に全部開いているか?」
「陛下、お静かに」
隣の王妃は満足そうに微笑み目を細めて菫を眺めながら国王を嗜め、そしてテレーゼに叱言を下した。
「テレーゼ、昨日の貴女の報告には洩れがありましたわね」
「何か落ち度がございましたか?」
「ええ。貴女の言った、聡明、勇敢、上品、優美」
「紛れなくその通りと存じますが」
「いいえ、それでは足りません。それに加えて、我が身を惜しまず陛下を諫める忠義と国への献身のこの覚悟。王子の妃となるに正に相応しいと妾は思います。陛下、いかがですか?」
「うむ。申し分ない。菫、昨日ユークリウスが、其方とのことを認めよと談判に参った。その答えを我が使者としてユークリウスに伝えよ」
国王が立ち上がる。始まる下命に菫が畏まる。国王は威儀を正して言った。
「許す。直ちに菫と婚約すること。但し菫は未成人ゆえ内々のものとし、菫が成人の儀を済ませてから公に披露して、その後に正妃として娶ることを命じる。以上だ」
そして、思い切り破顔した。
「菫、ユーキは真面目で良い男だが、やや堅すぎる。其方は柔らかく寄り添って、彼奴が折れることの無いように支えてやってくれ」
「あい。承りましてございます」
「菫、良かったわね。おめでとう」
王妃が横から祝いを添えると、国王も顔を綻ばせて続ける。
「うむ。ユーキにはこちらに来るよう、使いを出してある。暫くしたら来るだろう。其方の口から伝えてやると良い」
「あい。ありがとうございます」
喜びに漸く堅さが解れて顔が綻ぶ菫を見て、国王は満足そうに頷くと、座り直しながらテレーゼに向かって命じた。
「さて、これからのことだが、テレーゼ、説明してやってくれ」
「承知しました、陛下」
テレーゼは得たりとばかりに頭を下げると、菫に笑顔を向けた。
「菫さん、貴女はこれまで禿としての教育を受けてきました。そのため基本の礼儀作法はきちんとしています。ですが、王族貴族のそれはまた独特のもの。それを身に着けなければなりません」
「あい」
「幸い、あるやんごとなきお方が、貴女を侍女見習としてお傍に置いてくださるとお引き受けくださいました。そこで厳しい修行を積むことになります。よろしいですね」
「あい。覚悟はできております」
「そうね。貴女なら大丈夫でしょう。ですが、やんごとなきお方の侍女となるには、庶民ではならず貴族籍が必要です」
この先は重大事となる。このまま進めて良いかの念を押すため、テレーゼは国王に向いた。窺い見たその顔は、悪戯を企んでいる子供のように期待で瞳が輝いている。
「陛下?」
「うむ。進めよ」
「はい」
力強い頷きを受けて、テレーゼは菫に告げた。
「菫さん、そこで貴女にはまず、ある貴族家、リュークス伯爵家という尊い家の養女となっていただきます。御存じですか?」
「リュークス伯爵閣下……いえ、お名前を伺ったことはございません」
「そうですか。リュークス伯爵とは、陛下が国王の御身分をお隠しになって他出される時に使われるお名前です」
「陛下の?」
「ええ、そうです。陛下は貴女を養女にしてくださるのです。そして、貴女を侍女見習として側に置いてくださるのは、他ならぬ王妃殿下なのです」
菫の口が開いた。驚きのあまり、すぐには何も言えない。
「いかがですか? 国王陛下、妃殿下はこれほどまでに貴女に良くしてくださるのです。御志を無にするようなことがあってはなりませんよ」
「あい! 決して!」
「それでは、陛下、妃殿下にお礼を申し上げなさい」
「あい」
菫は二人に向き直った。戸惑いで混乱しそうになる胸の内を懸命に抑え、礼の言葉を紡ぎ出し、心を込めて音にする。
「国王陛下、王妃殿下、私のような卑しき者に、そのようにお目を掛けてくださいますこと、偏にお礼申し上げます。この上は一所懸命、この身の全てを掛けて励み続け、養女として、侍女として、そしてユークリウス殿下に相応しい者として、誰もがお認めくださる者となってみせます。誠にありがとうございます」
そう言うと、深々と頭を下げた。
「うむ。リュークス家の娘なので王女ではない。だがこれで、たった今から其方は伯爵令嬢だ。もう面と向かって其方を侮る者は出ぬだろう。但し、粗を探して陰口を叩く者は儂たちにもどうしようもない。そうさせぬよう、菫、精一杯に励むのだぞ」
「そうですよ。妾も手加減はいたしません。十分に覚悟をしておくように」
「あい。国王陛下、王妃殿下のご恩に報いるべく」
頭を下げたまま誓う菫に国王は満足そうに二度、三度と頷く。そして右の眉毛を二度上げ下げしながらもう一度菫を見ると、口調を優しく変えて再び声を掛けた。
「あー、それはそれとして、養女とした以上は、其方はもう我々の娘だ。公式の場はともかく、このような場所では、陛下だの妃殿下だのと、畏まった呼び方をせんでも良いぞ」
「では、どのようにお呼びすれば?」
「あるだろう、娘が、その、父親に、ほれ、ごく普通に」
言いながら身を乗り出す。言葉から国王の威厳は消え、最早娘に甘い父親のそれだ。
「……それは、よろしいのでしょうか?」
「菫、この人は、今日はそれを楽しみにして、わくわくそわそわしていたのですよ。構いません」
王妃に促されても菫は躊躇った。どうすべきか、本当に良いのかと助けを求めて横をちらっと見たが、テレーゼも和んだ様子で微笑んでいる。ならば、きっと良いのだろう。であれば、陛下のご期待に応えることで、ご恩返しの手始めとしたい。
菫はそう決め、「こほん」と声を出して咳と照れ臭さを払った。
「……では、少し羞かしうございますが……お父さま、お母さま、不束な娘でございますが、お可愛がりくださいますよう、何卒、よろしくお願いいたします」
「! うむ! 我が可愛い娘よ、よろしくな」
頬を染めた新しい我が子の口から出た『お父さま』という呼び名に、国王は顔全体を緩ませてにやけている。王妃も同様に笑顔で一杯だ。
「あらあら。あなた、娘とは良いものですわね」
「全くそうだな。菫、我が娘としての名を与える。今日からは、ヴィオラ・リュークスと名乗るが良い。お前は父の名を知らぬことを気にしていたらしいが、儂がお前の父だ。お前はもう、父知らずではないぞ」
国王の優しい言葉を聞いて菫、改めヴィオラの顔にまた朱が差した。それでもこの喜びの日に涙が差してはならぬと、ぐっと堪えて感謝の言葉を返す。
「ありがとうございます、お父さま」
「ヴィオラ、遠慮せず、妾にも甘えてくださいね」
「あい。ありがとうございます、お母さま。私は実の父を知らぬだけでなく、母も幼い頃に亡くし、もう記憶もあまりありません。初めて『お父さま、お母さま』とお呼びすることができて、嬉しく、羞かしく思います」
それを聞いて国王は満足げを通り越し、鼻の穴を広げて得意げになっている。その顔を大きく縦に振りながらヴィオラに応えた。
「そうかそうか、初めてか。うむうむ。これからは何度呼んでも構わんからな。思う存分に呼んでくれ。ああ、但し、公式の場とかでは気を付けてくれよ」
「あい、お父さま」
「うむうむ、うむうむ」
にやけた顔を振り続ける国王の横から、王妃が声を添えた。
「これからは、その『あい』も直させねばなりませんね、あなた」
「うむ、人前ではな。だが、ユーキと二人切りの時は、その言葉で甘えてやれ。きっと顔を真っ赤にして喜ぶからな。名前も菫で構わん」
ヴィオラは顔を赤くして羞かしがる。
「ですが、あの、そのような、手練手管のようなことは、殿下に失礼ではと思います」
「いいや、ヴィオラ、それは手練手管ではない。二人だけの愛の言葉と思えば良いのだ」
ヴィオラはさらに赤くなり、両手がもじもじと着物を掴んでは放すを繰り返す。
「あい……はい、お父さま」
「何か、儂にもそのままで良いような気がしてきた」
「ヴィオラ、母にもその言い方を教えてたもれ」
「……」
もう首まで赤くなって何も言えずにいる菫を見兼ねたか、全顔笑顔の国王夫妻を、横からテレーゼが声を掛けて遮った。
「オホン! 陛下、妃殿下もお戯れはほどほどに。ヴィオラ嬢が困っております。間もなくユークリウス殿下が参られます。悪い揶揄いと見られると、直ちに謀反を起こされますよ。お忘れですか? 殿下は『誰に何と言われようと菫さんを護る』と陛下に宣せられたのでしょうに」
「済まん、済まん。揶揄っているつもりは無かったのだ、あまりに可愛くてな」
「それは私にもわかりますが、お気を付けください」
「わかった、わかった」
国王はテレーゼに軽く応じた後にようやく顔を引き締めた。「それはさておき」と声から軽い調子を消して、できたばかりの義娘に向いた。
「ヴィオラ、一つ聞いておきたいことがある」
「はい、なんでございましょうか」
「尋ね難いことだが……実の父をどう思っておる? お前とお前の実の母を捨てた男だが」
「それは……」
「ああ、言いたくなければ、言わんでも良いぞ。恨む気持ちもあろうからな」
ヴィオラが視線を下げ口籠る。無理もなかろうと国王は優しく取り成そうとしたが、ヴィオラは「いえ」と顔を上げるときっぱりと答えた。
「私には当時の事情が分かりませんので。それに運命の女神のお蔭で、今、お父さま、お母さまの御前にある幸せを思えば、過去の全てに感謝こそすれ、恨む気持ちはございません。とと様がかか様を愛してくれたればこそ、今の私がございますれば」
「そうか。それを聞いて安心した。だが、もしもどうしても実の父の事を知りたくなったら、ユーキと一緒に儂の所へ来い」
「はい、お父さま。ありがとうございます」
国王はヴィオラの力強い答えに満足げに頷いた。これで尋ねるべきは済んだとほっと体を背凭れに預けようとしたが、そこに王妃が微笑みながら促した。
「あなた、ヴィオラへの御用はもう一つあるのでしょう?」
それを聞いて国王はがばりと体を起こした。勢い良く、今までよりもさらに前のめりになる。顔も瞳も再び輝く。
「おお、そうだ、大事を忘れていた。ヴィオラ、ユーキが来たら、ユーキの母のマレーネの所へ二人で一緒に婚約の挨拶に行くのだ。頑張れよ。ユーキが来るまで、口上の練習をすると良い。儂らが教えてやろう」
「はい、ありがとうございます」
「それで、マレーネに宛てて、儂からの言付けがある。これは非常に大切なこと故、必ずマレーネに直接伝えるのだ。いいか、これは王命だ。決して忘れるでないぞ」
「はい、陛下。承ります」
何事かと緊張するヴィオラに、国王は鼻息荒く、満面に精気を露にして右の眉毛を二度動かして言った。
「良いか、こう言うのだ……」




