第百八話 テレーゼの詰問
承前
「菫さん、これは王妃殿下の、それはもうとても厳しい御命で、実に大事なことなのです。決して包み隠さず、きちんとお答えくださいね?」
「あい」
掛けられた声の緊張が染り、菫も肩肘を張り詰めさせて答えると、テレーゼの問いが上擦った。
「殿下とはどこまでのお付き合いを?」
「どこまで、とおっしゃいますと」
「例えば、手を繋がれたことは?」
「あい、何度か」
「詳しく、最初から」
菫が頷いて答えると、テレーゼの身が前に傾いた。間髪を入れずに短く応じて先を促す。
「最初は、私は良く憶えていないのですが、三歳の時に柏に連れられて行ったある方の御葬儀の席で」
「三歳。殿下は八歳ですわね」
テレーゼは菫の言葉に、真剣に聞き入っている。瞬きも少なく、一言も聞き逃すまい、できることなら記録を書いて取りたいという風情だ。その様子に菫も、これは誤りがあってはならぬのだと、ゆっくりと一つ一つ記憶を確かめながら答える。
「あい。私が人にぶつかられ、花束を落として泣き出した時に、居合わせられた殿下が拾ってくださり、手を引いて祭壇まで導いてくださったと、聞きました」
「幼き日の出会い……。二人で手を繋いで歩まれた……その時のお気持ちは?」
「あいにくと憶えておらず、心残りです。ですが、その頃からお優しい方だったのだなと、慕わしく思います」
「そうですね。そのお気持ち、理解できます。二度目は?」
またテレーゼが頷いて次を問う。菫も頷き返して答えを返す。
「数か月前に再会した日に、です」
「何と、再会は約十年振りにですか。それは劇的ですね」
「あい、その日、ならず者からお救いいただいた後に、でした」
菫はユーキに助けられた時のことを思い出して頬をうっすらと染めたが、その不穏な言葉にテレーゼは驚きを見せた。
「ならず者から救われた? で、殿下、お見掛けによらずお勇ましいですわね。いえ、実は武の鍛錬もゆめゆめ怠らぬ方と、近衛師範が陛下に報告されていたようですが……それで、いったいどのように? 何があったのですか?」
「あい、私がある店でならず者に絡まれ、荒々しい言葉を投げ付けられて気落ちして腕を掴まれたその時に、お微行でおられた殿下が間に入って言い返してくださり相手を怯ませられました。そして襲い掛かった相手をものの見事に投げ飛ばし、私の身も心もお救いくださりました」
愛しい人の英雄のような姿を思い出し、紅さの増した頬に両手を添えながら菫が答えると、その場面を想像したテレーゼが「何とまあ」と慨嘆した。
「それは、まるでお伽話の王子様……いえ、実際に王子様でしたわね。では、その後に?」
「あい。お礼のために楼においでいただいたのですが、折しもの雨で殿下のお召しが濡れましたので、お召し換えをお手伝いさせていただきました。その際にならず者の件をお慰め下さり、そのお優しさに、つい、端なくもお背中に縋って涙を零してしまいました。そうしたら殿下が私の手に御手をお重ね下さって……」
「……優しく撫でてくださった?」
「あい」
菫が掠れそうになる声で答えると、テレーゼがこくこくこくと何度も頷く。
「そうですか。わかります。ええ、ええ、端なくなどありません。そういうものです。お縋りしたくなる気持ち、わかりますとも。今の下り、お妃様には特段丁寧にお伝えしましょう。で、三度目は?」
「あい、その後にお席で踊りをお見せしたのですが、その後に殿下が舞踏がご不得手とのお話になり、姐様が戯れで、殿下にその場でお稽古をされるようにと申されまして。真に受けられた殿下のお手を取らせていただいてお相手をいたしました」
『真に受けて』。
その言葉にテレーゼは困惑し、よもや王子が嗤い者になったのではと心配げな様子になった。
「真に受けてとは……そ、それは殿下は冗句を投げ掛けられるのには、慣れておられませんから……で、その時には菫さんはどのようにお思いに?」
「あい。間違えぬようにと懸命な御様子で。何事にも真剣に取り組まれるお方なのだなと心動かされ、敬う気持ちで胸熱くなりましてございます」
「そう、そうです! 殿下の御真面目振りは、王族、貴族の中でも御評判なのです。それがお判りとは、さすが菫さん、素晴らしいことです」
「私も殿方の舞踏のお相手をするのは初めてで、嬉しく、羞かしく」
「『初めて』。お稽古とはいえ、初めての舞踏のお相手が殿下。それはもう、運命定まれりと言うべきでしょうね、ええ。これもお妃様に確とお伝えいたします」
テレーゼは最初は不安げに聞いていたが、菫の答えに顔を綻ばせ、最後は燥いでいるかのように弾んだ声になった。
そして安堵の息を「ふぅ」と一つ吐いて、問いを続ける。
「では、その次は?」
菫にとって、四度目に手を取り合った昨日の記憶はまだ新しく、まざまざと眼の前を過る。忽ち染まる頬をまた両手で隠し、躊躇いがちに小声で答える。
「あい……昨日となります……」
「昨日? またそこまで間が空くのですか? 殿下にも御事情があったのでしょうが……」
「あい。その間は、お文のやり取りだけでしたので」
「文。会わずに、文通ですか。それはまた浪漫と言うか、純情と言うか……その内容を伺っても?」
「それは、御勘弁ください……」
「そ、そ、そうですわね。勿論です。私信ですものね。私としたことが、立ち入ったことを、失礼しました」
任務を余すとこなく果たさんとしてつい犯した己の無礼にテレーゼは狼狽したが、菫は取り成そうと慌てて返事をした。
「あ、でも! お稽古を頑張りなさいとか、御自身も学びや武術に努められるとかそのようなことばかりで! 互いに励みましょうと、励まし合うのがもっぱらで、礼や品を失うようなことは何もありませんので!」
「なるほど、礼儀正しく、真面目な手紙を交わし、励ましあっておられたと。良いことですね」
「あと、次に会えたら何を話そうか、でも本当に会ったら何も話せなくなりそうだ、とか……。私も同じ気持ちで……」
「そう! そうそう、そういう気持ちを互いに通じ合わせようとすること、とても大切です。わかります。わかりますよ」
テレーゼは一度落ち着こうと努めて間を空け、菫にもそう促すかのように深い呼吸を繰り返した。そしてそうっと尋ねを続ける。
「それで昨日は?」
「あの、殿下が突然会いに来られまして……」
「何をおっしゃったのですか?」
「その、羞かしいのですが……御領主となられ、何年か王都をお離れになると。その間はお役目に全力を尽くされるので、会うことどころかお文もままならぬだろうと。それでもお気持ちは変わらない、それをお伝えに来られたと。それで……」
「それで、それで?」
「いずれ妃として迎えに来たいとお望みいただきました。驚きましたが、嬉しくて、でも不安で。楼の皆とお別れするのもつらくて。そのことをお打ち明けしましたら、私の両手を殿下の御手でお包みくださいました」
「はい、はい、そっと優しく、ですね。そして?」
「そして、殿下が護ってくださると。信じて欲しいと。幸せになれば、楼の皆もわかってくれると。王族の務めは大変だけれど、私ならできるとお力付けくださいました。受けると一言言ってくれれば、周りは説得してくださると」
「ええ、ええ、あの殿下ならば、必ずや。で、で、何とお答えしたの?」
「あの、護られてばかりは嫌ですと。その……一緒に……」
「一緒に?」
「あい。一緒に励んで、殿下の御業を、精一杯の力でお支えさせていただきたいと、……申し上げました……」
「はあ……♡ 良くぞ、お答えされました……殿下はさぞやお喜びだったでしょう」
「あい。私は涙で殿下の御姿が良く見えませんでしたが、殿下は御手絹で拭ってくださいました」
「そう……殿下、お優しくてうらや……い、いえ、その時の、お答えした時の気持ちを忘れないでくださいね」
「あい。ありがとうございます」
「そのように手と手を繋がれたと」
テレーゼはそこで一呼吸置くとごくりと喉を鳴らし、新たな問いを繰り出した。
「では、接吻は?」
思い切り踏み込んだ質問に菫は正座したまま膝で跳び上がらんばかりに狼狽した。顔を真っ赤にして言下に否定する。
「いえ! ございません!」
「そう、そうなの。残ね……ではない、清い交わりで良かった、と言えば良かったわね。でも、包み隠さずね?」
隠し事は無いかと探るテレーゼの視線が頬を染めた少女の顔に張り付く。見られる菫にとっては相手はまだ雲上人の王城侍女取締である。何一つ疑念を持たれてはならない。そう思っておずおずと打ち明け始めた。
「あの……それでは……」
「! 何かあったの?」
「昨日、お答えをした後に、その、あの、そのような雰囲気になったのですが……」
「それで? それで?」
菫は不意に横を向き薄たちの方をじぃっと見た。
「控えの間から婆様たちが障子と共に雪崩れ落ちてこられて……」
そこで言葉は切れたが、テレーゼは菫の視線の行先を辿って察した。
「……つまり、そこの皆さんが台無しにした、と?」
「あい」
「なんと不憫な!」
テレーゼはそう叫ぶなり、矢庭に薄たちに向き直った。
その両の目尻は吊り上がり、蟀谷には皺が寄り、口は大きく上下に裂けた。言わば虎児を奪われた虎母の形相、龍をも睨み殺さん眼力、俄かに立ち昇る黒雲を背負えば巻き起こる旋風は驟雨を呼ばんばかりである。
「貴女方! そこに直りなさい! 真っ直ぐに!」
「は、はい……」
激しい叱声に思わず平伏す薄を見ても、テレーゼの詰問は容赦ない。
「どういう了見ですか! うら若き乙女の、一世一代の一大事をぶち壊すとは!」
「いえ、あの、あれは事故と言うか、降り掛かった災難と言うか落ちてきた菖蒲と言うか、その、でも、菫はやはり未成人で幼いですから大丈夫かと心配で……止むを得ず……」
「そういうものではないでしょう! 将来を誓い合ったその後なのですよ? 話の流れとか! 場の勢いとか! 読むべき空気とか! あるでしょう! 今時、接吻ぐらい、良いのでは!」
「も、申し訳ございません……」
「その位で御勘弁を!」
あまりのテレーゼの剣幕と消え入りそうな薄の声に、見かねた柏が割って入って頭を下げた。
「そこをおどきなさい!」
邪魔だとばかりにテレーゼが命じるが、柏は厳つい体を動かそうとせずぴしりと言葉を返す。
「コルネリア様、あいすいやせん。この通りでございやす。ですが、コルネリア様も今までの問い、王妃様への御報告に本当に必要でやすかい? 手を何回どう繋いだか、接吻したのかしないのか、それが菫をお妃とするや否やに一体全体どう関係するのか、お聞かせ願いとうございやす!」
「え! そ、それは」
柏に強く問い返されて、テレーゼの勢いが一時に消えた。虎への変化は解け背が丸まって猫となり、視線を床に落としてきょどきょどきょどと見回し、声もどんどん小さくなる。
「それは、えっと、いえ、ほら、その、菫さんはやはり未成人で幼いですから、殿下がいろいろ行き過ぎをしていないかと御妃様が御心配されて……それに御交際の様子でお二人のお気持ちもわかるだろうと……強い御命で止むを得ず……それに……」
「「「それに?」」」
「妃殿下も私も、恋話聞きたいし……」
「わかる」「わかる」「いや、職権濫用だろ」
呆れる柏の後を菖蒲が引き取った。
「あ、顔、真っ赤。菫が鬱金香になってる。可愛い。えへへ」




