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風の国のお伽話(改稿版)  作者: 花時雨
第五章 旅立ち

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第百七話 菫の覚悟

承前


 テレーゼは菫と二人切りになると、座り直して菫に真っ直ぐに向いた。

 一対一でその姿を改めて見ると、なるほど、可憐な面立ちだ。媚び笑いをするでも緊張に引き攣るでもなく口を一文字に引き締めて凛とした表情は、まだ子供ながら、王侯貴族にも負けぬ気品を(たた)えている。これは客への態度を楼で丁寧に仕込まれてのものだろうか。

 舞踊の修行も厳しく怠りないのだろう、身に無駄な肉は付いておらず、それでいて少女らしいまろやかさも失っていない優しい体付きだ。

 視線を顔に戻してその紫色の大きな瞳を見ていると、輝きに引き込まれてそのまま虜になってしまいそうになる。

 今はまだ妓楼の禿の身分とあざとい化粧に隠れているが、長じて妓女となり華麗に(めか)して表に出れば、是非我が物にと名乗りを上げる男たちが馬車を連ねて山ほど押し寄せ、門前に列を為すことだろう。この娘と恋心を交わしていたのであれば、成程、ユークリウス王子が未成人ながら是非早くに婚約をと国王に掛け合いに来たのも良く分かる。


 テレーゼはそんな存念を平板な表情の下に隠して淡々と菫に尋ねた。


「菫さん、ユークリウス殿下をどうお思いなのですか? 真の所をお聞かせください」


 その問いを聞き、思いも掛けず菫の表情が曇り視線が落ちた。


「それは……立派な方であらせられます。尊敬申し上げています」

「そうですね。お若いながら大層立派な方と私も思います。ですが今お尋ねしているのはそういうことではありません。昨日、殿下は貴女を将来の妃として望まれたとか」

「あい……」

「お受けされた気持ちに誠はあるか、手練手管でないか、真実を確認せよと王妃殿下から命じられて参りました。どうなのですか?」

「それは……」


 菫が答えを躊躇うのを見て、テレーゼは『おや』と小首を傾げそうになるのを堪えた。ただ肯定の返事を確認すればそれで済む、そういう単純な任務と思ってここへ来たのだが、どうやらそうではなさそうだ。


「いかがされました? (じつ)の無い、手練だったのですか? まさかこのような大事になるとは思っていなかったとか?」

「いいえ、手練手管などでは決してありません。殿下をお慕い申しております。心から、お慕い申しております。昨日殿下がお望みくださった時、どんなに嬉しかったか……もし叶うのであれば、いつも、いつまでもお傍にありたく思い、お受けいたしました……ですが、一人に戻って思い返すと、我が身の(つたな)さ情無さが心に沁みて……、私のような者で務まるか、国の恥となりはしないか、殿下に御迷惑をお掛けしないかと、心が千々に乱れます。お受けしなかった方が良かったのかも、と」


 力無く首を横に振って答える菫の言葉が切れてもテレーゼはすぐには応えず、目の前の少女の眼をじっと見詰めている。紫色の瞳の奥深くにある、心の揺らぎを見透かすように。


 無理もない、この娘はまだ十三歳、成人の儀も済まぬ子供なのだ。

 いや、ただの子供であれば何も考えず疑わず、このお伽話のような幸運を喜び勇んで受けただろう。自分が面しているものの尊さと畏ろしさ、それを知り、深く考えることができるからこそ心が揺らぐ。

 妓楼勤めであれば、男女の事やその心の機微も少なからず知ってはいよう。だが、この聡い娘は、それだけでは済まない決断を迫られていると理解していて揺らいでいるのだ。


 テレーゼはこれまで長く王城の侍女、そして侍女取締として過ごしてきた。それ故、下級貴族の子女から侍女となりそして高位貴族に望まれて嫁いだ娘たちを多く知っている。良家の当主や奥方に頼まれて、令息との仲を取り持ったことも少なくない。その娘たちは皆それぞれに我が身の幸運を喜ぶと共に、多かれ少なかれ将来の不安に駆られて心の安定を失うものだった。

 そして心の底に封印していた自分自身の苦い記憶も蘇る。まだ若い頃、高位貴族の一族の男からの求婚を、若い王妃の側近だった自分を取り込む政略のためと疑い、相手の誠を信じ切ることができなかった苦い記憶を。


 ましてや、目の前のこの少女は庶民の禿で相手は王子なのだ。その妃となれば、事は二人の間だけでは収まらない。


 一度受ければ、もう(ここ)には戻れない。王族に加わり、貴族を従え、庶民の前に立ち、始終衆目に曝されて生きて行くことになる。

 ユークリウス王子を深く愛していて、求婚を受けると一度は返事をしたかもしれない。それでも、聡明であればあるほど心が揺らぎに揺らいで何の不思議もありはしない。

 テレーゼは菫に深く同情した。


 けれど、だからといって、揺れる心を見過ごすわけにはいかない。この娘は王子の妃となるだけではない。テレーゼの見るところ、やがては王妃、王母となる可能性も小さくはないと思われる。

 諾否いずれにせよ覚悟を決めてもらわなければ、国のため、ユークリウス殿下のため、そしてこの娘のためにもならない。

 王妃殿下はそれをも見越して、ただの使いではない、自身の最側近たる侍女取締の私をここに送り込んだのか。ならば、それに応えて見せねばならぬ。


 テレーゼは心を決め、元から色の無かった声をさらに透明に、冷ややかにした。


「御自分は殿下には相応しくない、そうお考えなのですか?」

「わかりません。相応しくありたいとは思います。ですが……」

「心が定まらぬと?」

「あい。本当にそう成れるのかと。それに、ここまで育てていただいた、楼にも申し訳ありません」

「そうですね。貴女をここまで育てるには、皆さん大変な御苦労をされたことでしょう。殿下の下に参られれば、それが無になるかも知れませんわね」

「あい、それを想うと、あまりにも申し訳なく思います」

「恩知らずと罵られるかもしれませんね」

「あい。これまで長く育てていただいたご恩を思えば、何を言われても仕方ありません。楼の皆様にはどれほど可愛がっていただいたか、言葉に尽くすこともできません」


 菫は、揺れ動く心、もどかしく苦しい想いを吐露していく。だが、テレーゼの静かな口調は変わらない。


「……殿下よりも、楼の方々が大切なのですね?」

「いえ、そのようなことは! 殿下のことは何よりも大切に! でも、その殿下にも、楼にもご迷惑をお掛けするのでは……」

「それぐらいなら、殿下のことを諦めた方が良い、ですか?」


 冷たい、とも思えるテレーゼの言葉のためか、己の心の葛藤のためか、菫は涙をぽとぽとと落とし始めた。


「情けない。泣けば答えずとも許されるとでも?」

「いえ、決してそのような」


 菫は化粧が流れるのも気に掛けず、袖で涙を拭き、口を一文字に引き絞ってテレーゼを見上げる。

 零れる涙は止まらない。しかしテレーゼにはそれを気に掛ける様子はない。むしろ声はより高く、厳しく、鞭のようにしなって打ち付けられる。


「そのようなことで、これから先、務まるとお思いですか? 王族の妃となれば、貴女の一言一句、一手一足(ひとてひとあし)、貴族や庶民が(こぞ)って目を皿のようにして粗を探し、何かあれば、それ見たことか禿上がり()がと(そし)るでしょう。泣けばますます嘲笑(わら)いましょう。それでも妃の座を望まれますか? 相応しくあれると言えますか?」

「……」

「されど、殿下のお望みを断り妓女となっても同じでしょう。客は貴女の振る舞いを全て品定めします。踊りにしても歌にしても、上辺ばかりの愛想か、誠を込めた芸なのか。流す涙の一粒も、手練手管の嘘泣きか、ひと時の仮初めと言えど想いを込めた真心か。如何に美しく如何に華麗であろうとも、嘘で固めた装いは、いずれは必ずや見破られて客は離れていくでしょう。妃か妓女か、どちらの道を通るにせよ、真に覚悟を決めなければ真の高みには辿り着けぬ、そうではありませんか?」

「……」

「殿下は本心で貴女をお望みなのです。貴女の苦しいお立場も御承知で、貴女と共にありたいと。殿下御自身もこれからの厳しい道をお覚悟を決めて、貴女と手を携え支え合いながら共に歩みたいと願われたのです。殿下は陛下に誓われたそうです。何があっても貴女を護ると。心から貴女を信じると」

「……」

「人生は、何かを得るために何かを捨てる日々の連なり。その中でも、大きな決断をしなければならない時があります。一度に二つの道は歩めないのです。心を強く、覚悟をお持ちなさい。自分で決め、その道を信じて進む。それこそが、後悔せぬための(すべ)なのです」

「……」


 そこまで言うと、テレーゼの表情が不意に柔らかくなった。

 再び俯いて背を丸めてしまった菫の顔に己の顔を近付けると、菫の両肩を優しく手で包み、囁いた。


「菫ちゃん、良く聞いて。これは妃殿下の御使いではなく、女の先輩として言うことよ。殿下を幸せにしたければ、自分が幸せになりたければ、殿下をどう思うのか、自分がどうありたいのか、心の底をぶちまけなさい。貴女の道は貴女が決めなくちゃならないの。周りのことなど、どうでもいいし、どうにでもなる。心を本当に決めてぶつかれば、道は必ず開けるわ。後先考えてちゃダメ。もう一度しか、聞きません。言わねば、一生後悔しますよ? どうか、肝心な時に躊躇ってしまった私の轍を踏まないでね?」


 そして菫の肩を一度優しく撫でた後に表情を消し、座り直して威儀を正した。


 テレーゼは声高らかに問い掛けた。


「では王妃殿下の御問いへのお答えを聞きましょう。国王陛下の大甥にして、王姪マレーネ・ヴィンティア王女殿下の嫡子ユークリウス・ウィルヘルム・ヴィンティア王子殿下は、妓楼花園楼妓女椿様付き禿、菫様を正妃とするべく御婚約をお望みです。お受けなさいますか?」


 菫は背筋を伸ばし、顔を上げた。両の拳を固く握って腿に置く。その目は光っているが、もう涙はない。(あたか)も睨み付けるかのように、テレーゼの目を見詰めて口を開いた。


「お受けいたします。ユークリウス殿下を心からお慕い申しております。殿下のお傍に立つために、どのような苦労も(いと)いません。どのような(そし)りにも(くじ)けません。殿下をお支えできる、妃として相応しい者に、きっと成って見せますと、お伝え願わしゅう存じます」


 そしてもう一度テレーゼを見詰めると、手を突き、静かに頭を下げた。


「確と聞きました。其処元の応諾を、この王城侍女取締テレーゼ・コルネリア、間違いなく国王陛下、王妃殿下に復命いたします。良くぞ言われました」


 テレーゼは一際朗々と応えると、顔を再び緩めて菫に近付けて優しく囁いた。


「酷いことを言ってごめんなさいね、菫ちゃん。でもね、貴族の中には、自分の地位、身分だけを誇りとして、他を(けな)おとしめて見下げることを悦ぶ者がいっぱいいるの。その者たちにとっては、貴女は格好の餌食に見えるのよ。そんな連中に負けちゃダメ。どうか、常に自分を高く持って、頑張ってね」

「あい、コルネリア様。お教え、胸に刻みます」


 テレーゼはにっこり笑って頷くと、また表情を消した。顔を横に向け、障子に向かって声を掛ける。


「薄さん、他の者もそこで聞いておられるのでしょう? お入りください」


 その声に応じ、穴ぼこだらけの障子をそーっと開き、薄、椿、柏、菖蒲がばつが悪そうに入ってきて正座する。いや、菖蒲だけは「えへへ」と笑っているが。

 テレーゼは一同の覗き見盗み聞きを咎める様子もなく、薄に話し掛けた。


「薄さん、差し支えなければ、これより直ちに菫さんを王城に同道したいと思います。陛下も妃殿下も早く菫さんに直接会うことをお望みです。お心に適えば、恐らくそのまま、さる貴族家の養女とされるはず。如何です、私にお任せいただけますか?」

「然るべく。どうか、この子をよろしくお願いいたします」

「承りました。このような場所では、身請けに金子が必要と聞き及んでいますが、如何程?」


 テレーゼの問いに、薄はきっぱりと首を横に振った。


「いえ、不要でございます。ダラン銅貨一枚たりとも、この子の(しろ)をいただくつもりはございません」

「そうは参りますまい。この子をここまでに育てるための入用は、少ないものではないはずです。遠慮は要りません」

「いいえ。この子は私の親友葵の一人娘。例え陛下がお相手でも、金銀に替えることはいたしませぬ」

「それは殊勝ね。わかりました。貴女たちに大切に育てられた子、私も大切にお預かりいたします」

「どうぞ、よしなに」

「ですが、陛下も妃殿下も子供の幸福には御篤志を持たれております。亡き友人の子を救い、()くも見事に育んだ、その褒美なら受け取っていただけますね?」

「はい、謹んで。御志、(かたじけな)く思います」


 テレーゼは薄の返事に満足げに頷くと、菫に向き直った。再び顔から感情を消し、いや、むしろ先程よりもさらに緊張した面持ちになり、『うん、うん』と喉の障りを何度も払っている。

 そして(ようや)く言い出した。


「で、菫さん。実は他にも、確認して王妃殿下に報告しなければならないことがあるのですが」

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