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風の国のお伽話(改稿版)  作者: 花時雨
第五章 旅立ち

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第百四話 薄の壁

承前


 人の山の底になっていた薄は「ふんっ」と気合を込め、体に乗っている全員を乱暴に振り落として起き上がった。ユーキと菫の恨めしげな視線を気まずそうに避けながら二人の前に正座する、その背後では柏が破れ障子を形ばかりでもと据え直している。それが済むのを待ち、薄は「オホンッ」と大きく一つ咳払いをして、ユーキに向いた。


「殿下、大変に失礼をいたしました。ですが、菫はまだ未成人の禿の身、過ぎた行いは困ります。それを防ぐために止むを得ずとお心得ください」

「……はい。申し訳ありません」


 ユーキが不承不承に謝罪した。菫はその隣で、羞かしさのあまり朱紅に染まった顔を俯かせて両手で覆っている。


「貴方方もきちんとお座りなさい」


 薄に言われて、椿たちもみなそれぞれに正座する。その音が鎮まったところで薄はユーキに尋ねた。


「それで、殿下は菫に、お妃様にと望まれたのですね?」

「はい。菫さんが成人される将来の事ですが。……お聞きのように」


 ユーキが添えた一言に薄はうっと()()ったが、姿勢を直すと今度は(ようや)く顔から手を外した菫に向いた。


「菫、それで貴女はお受けしたのですね?」

「あい。……ご覧のように」


 菫にも添え言をされて薄は俯いてまた身を引いたが、何とか姿勢を立て直して背筋を伸ばした。


「わかりました。菫、化粧(けわ)いを直してきなさい。こちらの話が済んだら呼びに行きますので、それまで自分たちの部屋で待ちなさい」

「……」

「早くおし」

「あい」


 返事はしても、菫は立ち上がらない。この場から去りたいわけが無い。それを見て、椿の後ろに座っていた菖蒲がひそひそ声を出した。


「婆様みたいに隣で覗いてれば? 婆様みたいに穴開けなくても障子スカスカで、覗き放題聴き放題」

「菖蒲! あんたも一緒に行きなさい!」

「あい。えへへ」

「本当にもう……」


 菖蒲が菫の背に右手を添えて立ち上がらせ、優しく宥めるように撫でながら二人で部屋を出て襖を閉めたのを確かめて、薄はユーキに向き直った。



「シュトルム様」

「薄さん。本日は『殿下』とおっしゃってください」


 薄の厳しい気配を感じてクルティスが遮った。だが薄は臆せずにユーキに尋ねる。


「失礼いたしました。殿下、本当に菫をお望みですか?」

「はい、正妃として」

「側室ではいかがですか?」

「いえ、私は側室を持つつもりはありません。菫さんだけを妃としたいのです」

「本当にですか?」

「本当にです」


 きっぱりと言うユーキの言葉を聞いて、薄は「ふぅ」と嘆息した。


「やはり、そうですか……こうなるのではないかと思うと、私としては殿下と菫を会わせたくはなかったのです。私には、失礼ながら、王族方貴族方を信じ参らせることができません。菫を、母と同じような悲しい目には、絶対に遭わせたくないのです」

「葵さんのことですか?」

「菫の父母の話を御存じですか?」

「いいえ、詳しくは。葵さんのことは菫さんが三つの頃に亡くなられたとしか知りません。それ以外は、ショルツ侯爵の亡くなられた兄上に何か所縁(ゆかり)があるのだろうということしか」

「そうですか。それでは、お話しいたしましょう。その後でもう一度、菫を裏切らぬか、殿下のお覚悟をお聞きいたしましょう」


 そう言って薄は、菫の亡くなった母、葵のことを淡々と語り出した。


---------------------------------


 これは葵と柏から、無理にも聞き出した話です。


 菫の母、葵は私の妓女仲間の親友で、この楼で一、二を争う売れっ妓でした。ご執心のお客様も、貴族、豪商、各ギルドの高級役員、身分を問わず沢山おられました。


 その中で、ショルツ侯爵家の御長男、御継嗣のフェルディナント様が、一際熱心に通われておりました。

 日を空けずの繰り返しのお上がり、毎日くださるお文と、あまりの熱意に葵も(ほだ)され、いつしか恋仲となり、そして正室にと望まれました。


 葵は躊躇いに躊躇いました。


 フェルディナント様は来られるときはいつもそこに居る柏、当時は従者でアイセルと申しましたが、一人だけを連れてのお微行(しのび)で、こちらからのお文も決してお家に送って届けるのではなく、柏を介してとのことでした。正室にとのお言葉を真に受けて良いのか悪いのかと迷い、当時の差配も、お家に受け入れられないのではないかと心配して、決して信じるな、もう会ってはならぬと葵に告げ、フェルディナント様にはお家の許しが出るまではと、出入り止めを申し渡しました。


 ですが、フェルディナント様は、家族は自分が必ず説得するからもう一度会ってくれと。結局葵はその愛を信じ、柏の手引きで楼の禁を破り無断で抜け出して、郊外の小さな破家(あばらや)で待ちました。

 そこに現れた愛しい人は、家族を説得できずに、身分を捨てて一人で逃げてきたと言ったのです。葵はそれでも構わない、どこかで庶民として二人で一緒に暮らそうと、一夜を共に過ごしました。


 ところが夜が明けると、秘密の筈の隠れ家をお家の手の者が大勢で取り囲み、フェルディナント様に家に戻れと、戻らぬならばお家の名を汚すのを防ぐため、二人とも亡き者にでもすると脅しました。

 フェルディナント様は『それでも良い、殺すなら殺せ二人とも』と開き直りましたが、葵には愛しい人を死なせることなどできません。(かんざし)を取って喉に当て、『貴方はどうかお家にお戻りください、戻らねば自分一人で喉を突きます』と、涙を流して懇願しました。


 そんな葵にお家の方は申されたのです、『どうせそれも不実の妓女の手練手管』と。冷笑(せせらわら)って、『妓女にも実があると言うのなら、構わぬ、早く突いて果てて見せよ』と。

 葵が、『はい、それでは』と、『フェルディナント様も皆々様もどうぞお元気で』と、突こうとしたその手にフェルディナント様が縋り付いて止めました。『もう良い済まぬ、止めてくれ。お前が死ぬぐらいなら、俺が家に戻るがましだ。お前はどうか俺を忘れて元気でいてくれ、俺もお前を忘れよう』とそう言うと、お家に帰って行かれました。


 家のお方は、『それみろ、己の命惜しさにフェルディナント様を見捨てた不実者。どこへなりと消え去れ売女(ばいた)めが。アイセル、お前も当家に参上適わぬと奥方様がおっしゃった、実家からも勘当と聞いている、良い(ざま)だな』と吐き捨てて去って行かれました。


 捨てられた葵とアイセルは行く宛ても無く、一度(ひとたび)酷い醜聞を起こしては再び妓女にも戻れず、止む無く私が楼主に頼み込み、葵は飯炊き女、アイセル、柏は若い者として雇っていただきました。


 その数か月後、葵の胎内に子がいることがわかると、こちらから知らせもせぬのに『当家と一切関わり無し』との絶縁状。葵は難産の末に菫を生んだ後、産後の肥立ちが良くなく病の床に。菫が三歳を過ぎた頃、儚くなってしまいました。


-----------------------------


 語り終わると、薄はユーキの眼を真っ直ぐに見詰めた。


「さて、殿下。これを知り、まだ菫を望まれますか。貴族の体面故に、貴族を信じたばかりに、葵はかくも酷い仕打ちを受けました。葵のような悲しみを菫にまたも味わわせぬと、どんな(あかし)を立てられますか」

「それは、証はありません。まだ何の許しも得てきておりません」

「それでは、信じ参らせることはできません。殿下に菫はお任せできません。(むご)く聞こえるかも知れませんが、このままお別れいただいて、ただの客と禿にお戻りください」


 薄はきっぱりと言う。

 ユーキは薄の顔を見た。表情は厳しい。仇敵を睨み付けるかのようだ。


 薄さんと葵さんの間にどんなことがあったのかはわからない。でも親友であった葵さんが幸せになれずに亡くなって行くのを、何もできずに見守るしかなかったのを悔やんでいるのだろう。

 そして、菫さんを同じ目に遭わせないためなら、守るためなら何でもする、菫さん本人が悲しむことでも厭わない、王族を敵に回すことになっても後には退かないと決意しているのだろう。

 立派な人だ。でも、菫さんと自分が手を携える未来はこの壁の向こうにある。何としても乗り越えなければ。


 ユーキは拳を握り、力を込めて、今度は自分の番だと薄に語り掛けた。


「ですが薄さん。人の心に証がないのは、貴族も庶民も違わないではないですか」

「それは」

「人の心は全て信じられぬというのでは、あまりに哀しくありませんか。葵さんのことはお気の毒だと思います。酷い仕打ちだと私も思います。ですが、それを言っても取り返しはつきません。私はむしろ、明日の幸せを信じたい」

「ですが」

「私にも話させてください」


 薄が言葉を返そうとするのに力を込めて被せて言わせず、ただ語り続ける。


「人は、時に、行くべき道を誤るのでしょう。ですが、どの道も行く先の遠くは見えないのは同じではないでしょうか。今ここで菫さんを妃にと望んだのが、私たち二人にとって正しい道かどうかはわかりません。ですが後悔はしません。いや、望まなければきっと後悔したと思います。薄さん、葵さんとその方ではなく、菫さんと私のことを見ていただけませんか。王族・貴族だからと言うのではなく、どうか、ありのままの私たちを見てください」

「……」

「この前の薄さんのお言葉通り、菫さんと私は互いの手紙だけを心の支えに、一所懸命に励んで来ました。菫さんは芸事の修行の様子を、良いこともうまく行かないことも隠さず伝えてくれました。菫さんがどれほど励んだかは、薄さん御自身も良く御存じだと思います。私も菫さんが書いてくれた勇気付けの言葉を力にして精一杯励んだ末に、国王陛下から領をお任せいただけるほどにはなりました。

 それでも、これでは足らぬと言われるのなら、あの日から今日までの私たち二人を見て、私はやはり菫さんを酷い目に遭わす人間だとそう言われるのなら、お言葉に従いましょう。二度とここには参りません」


 ユーキは薄の眼を見詰める。

 薄はもう何も言わず、ただユーキの眼を力を込めて見詰め返している。

 ユーキは言葉にさらに念を込めた。


「ですが、もしそうではないのなら、確かに二人で励んだ、心を通じ合わせたと、そう言っていただけるのなら、どうか私に、菫さんと私に機会を与えてください。今、菫さんをここから連れ去るなどとは言いません。葵さんと同じにならないように、必ず国王陛下の許しを得て参ります」


 ユーキの力強い言葉に薄は目を(つぶ)ると詰めていた息を大きく()き、静かに頭を下げた。


「……わかりました。何卒、御無礼をお許しください。殿下を信じ参らせ、お待ちいたします」

「有難うございます。必ずや」


 ユーキが頷くと薄は再び顔を上げてユーキの瞳を見返して、厳しい声を返した。


「ですが、長くは待ちません。殿下が王都におられるうちに、御領地に行かれるまでにお許しを得て戻ってきてください。その時は、菫をお任せいたしましょう」

「承知しました。では、必ず許しを得てまた参ります。菫さんにはその旨お伝えください。それでは」


 ユーキが(はや)って立とうとすると、薄は手を伸ばして止めた。


「殿下、お待ちください。玄関までお送りいたしますれば、どうぞゆるゆると」


 そして振り返って柏を見た。


「柏」

「へい、委細承知」


 一声掛けられると柏はそれ以上の指図を待たずにすっと立ち上がり、すすすと部屋を出て行く。その静かな足音が消えるのを待って、薄はユーキに尋ねた。


「殿下、菫とのことをお認め願われるうえで、菫の父親や柏のことは障りになりますでしょうか? もし陛下や母君様に詳しくお打ち明けしなければならないようでしたら、御遠慮なく。また、柏が邪魔になる様ならば、永遠(とわ)の手切れとされても結構です。柏は菫のためならば、我が身に何が降り掛かっても構わぬと言うでしょう。菫も今は父親のことを自分から尋ねぬようにしておりますが、気にならぬわけではないようです。いずれ知らねばならぬ事、いつかは必ず来る別れであれば、受け止めることもできましょう」

「いいえ。私はそのことに触れるつもりはありません。薄さんのお話では、ショルツ家からははっきりと『関わりなし』と言われているとのことですよね。もし誰かに何か言われたら、私からもその事を申し上げます。何の関わりも無いのであれば、菫さんにも柏さんにも累は及ばないでしょう。ですが、もし菫さんが自分の父親が誰かを知りたいと思った時には、私から話すことにします。それで良いでしょうか」

「勿論です。そのようにお願いいたします」

「承知しました」

「では、参りましょうか、殿下」

「はい」



 薄に先導されてユーキとクルティスが玄関に着くと、そこには既に菫と菖蒲が正座して待っていた。

 ユーキは菫に微笑みかけた。


「菫さん。必ず国王陛下の許しを得てきます。私を信じて待っていてください」

「……はい、殿下。お待ちしております」


 菫は真剣な顔で見返した。

 暫く二人は見詰め合ったが、菫の顔にはどこかに陰がある。ユーキはそれが気になったが、自分が国王の許しを得られるかどうか、不安な気持ちがあるのだろうと思いやった。


「それでは、今日はこれで失礼します。クルティス、行くぞ」

「はい、殿下」


 一同が頭を下げて見送る中を、ユーキはクルティスを連れて出て行った。



 二人が去った後に誰も喋らずにいる中、沈黙を破ったのは菖蒲だった。


「良くわかんないけど、菫には幸せになって欲しい」


 椿がそれに答える。


「そうね」

「それは推しにも同じだし」

「推しって……菖蒲、あんたには言葉遣いをきっちり仕込まないとね」

「えへへ」

「えへへじゃないわよ。でも、私も同じ気持ちよ。菫」

「あい」

「うまく行くと良いわね。私も殿下を信じて一緒に待つわ」

「……あい。姐様、ありがとうございます」


 椿と菖蒲は期待して(はしゃ)ぐが、菫の表情は相変わらず浮かない。薄も深刻な表情を崩さずに言った。


「あんたたち、浮かれてるんじゃないわよ。まだわからないわ。葵の時も、最初はあの坊やも勢いが良かったのよ。家の者は絶対に自分が説得するって言ってね。今回もお偉い方の使いが来て、諦めろって菫に言ってくるんじゃないかと心配だわ。菫、その時の覚悟だけはしておきなさい」


「……あい」



---------------------------------


 半ば首尾、半ば不首尾に終わった帰りの馬車の中では、クルティスがユーキに尋ねていた。


「ユーキ様、今日帰ったら、マレーネ様、御前様にお認めいただけるように願われるのですか?」


 正妃に迎えたい相手がいるならば、まずは両親に報告する、それがごく普通の流れである。だが、ユーキは首をはっきりと横に振った。どうするかはもう決めていた。


「いや、母上には言わない。今日はもう何もせず、明日の朝一番に、国王陛下と御妃様に直接お願いする。お前もそのつもりで黙っていてくれ」

「陛下に?」

「ああ。王族の婚姻には、結局のところ陛下の御許可が必要だ。母上がお認めくださっても陛下が駄目だと言えば駄目だし、陛下がこの人と結婚せよと言われれば、王族の籍を捨てない限りは断れない。それだったら、最初から陛下にお許しを願うべきだ」

「なるほど。わざわざ余分な壁を越える必要は無いと。でも、大丈夫ですかねえ。御前様はともかくマレーネ様は。最初に相談してもらえなかったとわかったら、何と言われるか。お怒りになられるのでは……」

「いや、多分母上もわかってくださると思う。先に相談しても、『こんな所でぐずぐずしていないで、今すぐ陛下の所へ行きなさい』って言うと思うよ」

「……そうですか。確かに、何がどうしようとも、うまく行けばそれでいい、と言う方ですけど……。大丈夫ですかね……」

「……。大丈夫、きっと大丈夫……」

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