第百三話 求婚
承前
「……」
ユーキの求婚の言葉を聞いた菫は、何も言わずにユーキの瞳を見返していたが、やがてそっと目を伏せた。
ユーキが恐る恐る尋ねる。
「……どうかな」
「……」
「……僕じゃ、駄目かな?」
「いいえ、決してそのような!」
「じゃあ!」
「……」
返事が無い。気負いすぎだろうか。焦りすぎただろうか。『好き』という思いの熱量に二人で違いがあるのだろうか。
「僕のこと、そこまで好きにはなれない?」
ユーキが不安になって尋ねると、菫は急き込んで答えた。
「いいえ! お慕いしております! 心から、心の底から! 今日久方振りにお会いできて、今のお言葉を伺って、心が張り裂けそうなほどに嬉しうございます。でも……」
「でも?」
問い返されると菫の声は小さくなる。
「お妃様などと大逸れたこと、今の今まで考えておりませんでしたので。私のような者では務まりはしまいと。それに、見知らぬところに移り住み、今まで育ててくださった楼の皆々様ともお別れになるのかと。それやこれやが一時に頭の中を駆け巡り、言葉が消えてしまいました」
「……そうだよね。いきなり驚かせてごめんなさい」
「いえ! お謝りにならないでください!」
愛しい人が戸惑う心の内をぽつりぽつりと明かしていく。そのひとつひとつに頷きながら聞いていたユーキが突然の求婚を詫びると、菫は急いで打ち消した。
「本当に、本当に嬉しかったのです。でも、お文をやり取りしている間は、ただただ嬉しい楽しいばかりで、将来のことを本当に真剣には考えていなかったのだと気付かされたのです」
「そうだね。僕もなんだ。今日、お役で暫く離れなければならないと気付いた時に、どうすればいいのかわからなくなって。僕がいけなかったんだ。今までとても楽しかったけど、その間に僕がきちんと考えて、将来の事を少しずつ手紙に書いておくべきだったんだ」
「いえ、そのような」
「だけど、それでも考えて、周りの皆が考えさせてくれて。ここへ来て、こうしなければいけないと分かったんだ。菫さんにも考えて欲しいんだ」
「殿下……ですが、私に務まりますかどうか」
菫がまた俯き、肩がふるふると震える。顔色もあまり良くない。考えれば考えるほど、不安になるのだろう。ユーキは思わず両手を差し伸べ、菫が膝の上で手巾を握っている両手を両側からゆっくりと包んだ。
「……」「……」
互いに何も言わないでいると、目の前の大切な人の息遣いが聞こえる。暫くそうしていると、弾んでいた菫の呼吸が徐々に緩やかになり手の震えも静まってくる。やがてそれが止まると、菫は微笑みながらユーキを見て小声を洩らした。
「殿下の御手、温かい……」
ユーキも微笑み返して語り掛ける。
「うん。君のことを考えていると、体が熱くなるんだ」
「私も……なぜか、お懐かしう感じます……」
「菫さん」
「あい」
「確かに、王族やその伴侶の務めは大変だ。それに、今の菫さんには想像もできなくて、怖いんだと思う。これまで禿として大切に積み重ねてきた毎日が無になって、妃としての修行を一から始めることになるのも辛いことだと思う」
「あい」
「でも、まだ時間はある。母上や父上、いいや、陛下にお願いして、妃としてどうすればいいか、菫さんがきちんと学べるようにする。菫さんは真面目で聡明な人だ。学びさえすれば、きっと妃に相応しい人になる。僕だってまだまだ駄目なんだ。一緒に学んで行こう」
「あい……」
ユーキが切々と説くと、今度は菫がひとつひとつに頷きを返す。
「椿さんや柏さん、菖蒲さんたちと会えなくなるのは辛く悲しいというのもわかるよ。だって、今までずっと一緒に暮らしてきたんだから」
「あい」
「でも、その分は僕が君の家族になる。辛いことも悲しいことも、僕にぶつけて欲しい。僕が全部受け止める。そして二人で幸せになれば、きっと楼の皆さんもわかってくれる。皆さんも、君が幸せになることを何よりも望んでくれていると思うんだ」
「あい。皆は優しいので。私も皆に幸せでいて欲しいです」
「うん。僕もそう思う。二人で幸せになろう」
ユーキは勢い込むが、菫はまた視線を下げた。
「でも、殿下に御迷惑になりませんか。禿のような卑しい者が妃になれば、きっとあれこれ言われます。私のせいで殿下が誹りを受けられては、それはあまりに悲しうございます」
「僕は禿や妓女が卑しいとは思わない。誰に何を言われても、構わない。菫さんは一所懸命に生きている。菫さんだけじゃない。椿さんも菖蒲さんも、誰に恥じる事も無い、それどころか誇れる芸を持っている。僕は皆さんを尊敬しているぐらいだ」
「……ですが」
「菫さん、良く聞いて欲しい」
「あい」
「君と手紙を交わし始めてから、僕は毎日が明るくなった。日々励む中で苦しいことがあっても、君にはその気持ちを打ち明けられたからだ。辛いことすら、君が励ましてくれると思えば楽しみにさえなった。今回行った役目でも、何度も君の顔、君の言葉を思い浮かべて乗り切った。君が僕を支えてくれたんだ。お願いだ、これからも僕を支えて欲しい」
「私が殿下のお支えに……」
「もし君とのことに反対する者がいても、君が僕を信じてくれるなら、僕の望みを受けると君が一言いってくれたなら、きっと説得して見せる。それが例え陛下でも。もし君に何か言う者がいれば、僕が護る。どんなことをしてでも君を護ってみせる。どうか、僕の隣を歩んで欲しい。こうやって手を取り合って、一緒に歩いて欲しい」
ユーキは、言えることは全部言ったとばかりに言葉を切り、菫の眼を見詰めた。初めて逢ったあの時のように、涙の中でゆらゆらと、紫青玉のような大きな瞳が揺れている。
「……」
「嫌ですか?」
「……嫌です」
「……菫さん……」
「護られてばかりは嫌です……私も、殿下と共に励みたい、一緒に歩みたい」
「菫さん?」
「私の力はか弱いです。ですがどうか私にも、殿下を、殿下の御業を、精一杯の力でお手伝いさせていただけませんでしょうか」
菫がか細い声で懸命に紡いだ言葉を聞いて、ユーキはもう一度喉を鳴らすと、菫の手を包んだ両手に力を込めた。
「僕の妃になってください。この望みを、受けていただけますか?」
「あい。お受けさせていただきます」
「(ちょっと、今、菫、何て言った?)」「(嫌だって)」「(でも、断ったとは見えやせんぜ)」「(え? お受けするって?)」「(良く聞こえない、何て言った?)」「(あっしにも聞こえやせん)」「(私にも、私にも見せて)」「(菖蒲、やめなさい)」「(クー様、失礼します)」「(菖蒲ちゃん、俺に登るな!)」
「本当に?」
「あい」
「……もう一度言うよ。君を愛している」
「あい。私もお慕いしております」
菫の眼から、堪え切れずに今度は喜びの涙が溢れる。ユーキは菫の手から手巾を取り、その宝石のように輝く涙を一粒、一粒、吸い取るようにそっと拭いていく。そして互いにまた手を取り合う。
「菫さん……」
「殿下……」
腰を浮かせば菫の膝から花束が床に落ちる。それに気付かず見詰め合う二人の眼と眼が、顔と顔が、唇と唇が近付いていく。
「(え、接吻するの? だめよ、菫)」「(いや、今時接吻ぐらい、構やしませんって)」「(私も! 私も!)」「(菖蒲ちゃん、やめろ、落ちる、落ちる!)」
菫が瞼を閉じ、今、ユーキと菫の唇が重なろうとしたその時だった。
「きゃっ!」
菖蒲がクルティスの背中から滑り、障子に寄り掛かっていた薄の上に崩れた。既に限界に達していた障子は支え切れず、バリバリバリと破れながら全員と一緒に部屋に雪崩落ちた。
「何?」「えっ?」
驚いて振り返る二人の視線が突き刺さる。
折り重なった大人四人が目を宙に泳がせる中、答えたのはその上にちゃっかり乗っかりちんまり座っていた菖蒲だった。
「え、えへへ?」




