乳離れできない婚約者に婚約破棄されたら、友人だったはずの次期侯爵から告白されました
キャリーは気づいてしまった。
この婚約の行き着く先に幸せな結婚はないと。
キャリーは伯爵家の長女として生まれた。
二つ下の可愛い弟が一人。
幼少期から、弟が家を継ぎ、自分はどこか良いところへ嫁いで社交をしたりして過ごすのだと思って過ごしてきた。
そう、「良いところ」である。
間違っても、お母しゃまだいしゅきでお胸の豊かな女性のことを凝視するクソ男ののところへ嫁ぐつもりはなかったのである。
キャリーは14歳、ピッチピチの適齢期である。
対して婚約者のウェイドは16歳、この王国では立派な成人男性で、侯爵家の長男として乳離れなんぞはとうに済ませているべき年齢である。
それがなんだ、婚約顔合わせの日から「なんだ、若いくせに母様より冴えない髪色だな」と言い、お茶会へ揃って出れば「母様と観劇の予定がある」と言って早々に切り上げる始末。
領地の視察へ行ったお土産をくれるときは「いくつか買い求めたが、母様はこの色はお気に召さなかったようだから君にあげよう。僕からのプレゼントだ、嬉しいだろう」といったい何様なんだという態度で放るように渡してきた。
まあでもそれは百歩千歩譲って良いとしよう。
義両親はウェイドが無事に後継者として育ったら領地の別邸でゆっくり過ごすと言っていた。
ウェイドの母離れも今より多少進展があることだろう。
でも。
社交の一環で出席した園遊会で、婚約者である私が横にいるにも関わらず参加女性の上半身をジロジロギョロギョロじっとりネットリ見るのはどうなのか。
「別に、女性たるものああでなくてはなんてことを言うつもりはない。僕は体格は人それぞれ個性があって当人の努力などは無関係だとわかっているからね。でも、男として女性の包容力を求めるのは普通だということはわかってくれるだろう? これは自然なことなんだ」
キャリーの批判まじりの視線に気付いたのかウェイドは早口で言い立てる。
やましい自覚があるくせにやめられないのかその下品な目つきを。
そんなわけで、キャリーはこの婚約に、その先の結婚に、絶望してしまったのである。
話は変わるが、キャリーの父親はそこそこ親バカである。
キャリーとウェイドの婚約は政略だが、それでも、「キャリーが嫌ならやめておこうか?」と何度も聞かれ散々考えた上での成立だったし、その状況下でキャリーが承諾してしまったのはひとえに前情報が良いものであったからだ。
同年代の男社会の中での評判は悪くなく、むしろノリが良いと高評価なほどで、家族思いな男である、と。
「というわけで、その前情報をくれたあなたにも原因があると思うのよ、レオ?」
今日も今日とてウェイドは園遊会の最中に「母様の出席するお茶会に同行する約束をしているんだ」とキャリーを置き去りにして帰ってしまい、迎えの馬車が来るのをひとりぼっちで待っていたのだが。
偶然見つけた顔馴染みの侯爵令息レオナルドに、これは良い機会だとこれまでの愚痴やらなんやらをぶちまけてやったのだ。
「いやまあ、ほら、下ネタは男同士のコミュニケーションツールだし、女性の胸部についての話題は世界共通というか、嘘はついていないと思うんだけど」
「それでも情報の出し方があるでしょう、あいつはおっぱい男だとか!」
「こらキャリー、声が大きい」
間違っても園遊会の最中である。
女性の胸部の俗称を声高に言うべき場所でないことくらいキャリーもわかっている。
キャリーはふんと鼻を鳴らして不満を示すことにした。
「それで、レオはいつ婚約するのよ、釣書はたくさん来ているんでしょう? 私がこんなにも婚約者に悩んでるのに、どうせあなたは幸せな婚約をして結婚してあたたかい家庭を築くんだわ」
レオとは王立図書館で出会った。
伯爵家以上の人間しか入れない特別棟から一般棟へ移動しようとしたときに通り雨にあって、そこで傘を差しかけてくれたのがレオだった。
「侍女は一般棟で待機しているのでしょう、よろしければそこまでエスコートさせていただけませんか」と微笑んだレオは、そのシチュエーションのせいか王子様みたいに見えたものだった。
もっともそれも、図書館で何度か話すうちに下世話な話題も好きな案外おちゃらけた人間だったと知るうちに幻だったと気づくのだけれども。
「俺は……こう見えても見た目が良いしね。人気物件だと思うよ。侯爵家の長男だし、家にスキャンダルもないしね」
レオはふふんと得意げに笑う。
「でも、俺はちゃんと話し合える子と結婚したいって思ってるから。ゴシップや下世話な会話だけじゃなくて、領地の運営についてとか……ね」
「えらくまっとうなことを言うじゃない。まるで次期侯爵様のようだわ」
「次期侯爵なんだよなぁ」
私とレオは顔を見合わせて笑った。
友人として笑い合えるような人と結婚できたら、きっと幸せなんだろうなと思う。
それが絵物語のような恋かどうかはわからないけれど、結婚と恋は別物だと聞いたことがある。
それなら、せめて人として尊重できるような、一緒にいて楽しめる人と共に生きたいと願うのはわがままだろうか?
「彼との婚約話が出る前にあなたと出会いたかったわ」
思わず漏れた本心は、とても婚約者がいる身で口に出すことは許されないもので。
キャリーは「そろそろ終わりの時間ね。失礼いたしますわ、次期侯爵様」と述べてその場を離れた。
変なことを言ってしまった、まるで、まるでレオに告白したみたいじゃない、浮気だわ不埒だわ、と頭の中をぐるぐるさせるキャリーの耳には、レオナルドの「俺だって、君をもっと知った状態ならもっと適切な前情報を渡してたよ」という呟きは届かなかった。
失言の園遊会から数ヶ月。
キャリーは頭を抱えていた。
目の前には婚約者であるウェイド。
その彼にピットリとくっつく、おっぱいに脳みそが詰まっているんじゃないかと疑いたくなる女性。
ウェイドは夜会の途中で飲み物を取りに行ってくれたのではなかったのか。
なぜそのいかにも何も考えていなさそうな女性を腕にぶら下げることになっているのか。
「なあキャリー。僕、前からキャリーのドレスの着こなしに思うところがあって」
ウェイドがジットリと湿った目で腕にくっついているおっぱいぶるんぶるん女性を見る。
「キャリーはこちらのセリー子爵令嬢のようにきちんとドレスを着ることはできないのかい?」
きちんと、とは? とキャリーは首を傾げる。
キャリーは腐っても伯爵令嬢である。
ドレスは全てきっちり採寸され、オーダーメイドで仕立てている。
それを適切に着ているのだ、これをきちんと着ていると言わずしてなんと言うのか。
「そこだよそこ、夜会だというのにまるで昼に着るみたいなドレスじゃないか。出すべきものは出す、そういうマナーも守れないような女を隣に置くのはごめんだね」
ウェイドは要するに、キャリーの胸の露出が足りないと、そう言っているのだろう。
しかしキャリーのドレスは夜会用として適切なデザインである。
そりゃあ、多少お胸がささやかな分見せる肌面積が少ないかもしれないが、むしろウェイドの連れている子爵令嬢の露出が高すぎるのである。
「あの、ウェイド様、失礼ですがあなたはその……愛人業の方々のようなドレスがお好みと、そういうお話をされているのでしょうか」
精一杯オブラートに包もうとしたが語彙力がなくて失敗した気がする。
また失言しちゃったな、と思った矢先。
「君はセリー子爵令嬢を愚弄したな! なんという性根の醜い女なんだ! これまで散々我慢を重ねてきたがもう限界だ。キャリー伯爵令嬢、君との婚約を破棄する! 二度と僕の前に顔見せるな!」
突然激昂したウェイドがキャリーに人差し指をズビシッと向ける。
言ってやったぜ、という満足げな顔は腕に当たるおっぱいのせいか目尻が下がっており、精悍さや爽やかさは一切ない。
私はこんな男と婚約していたのか、と思うと同時に、こんな男に婚約破棄を告げられたのか、と情けなくなってくる。
わざわざこんな公共の場で言わなくても良いじゃないか。
こんな醜聞、一瞬で噂が駆け巡るに決まっている。
きっと尾鰭背鰭胸鰭まで全部ついて、キャリーはしばらく社交の場には出られなくなるだろう。
どこか良いところに嫁ぐなんて、夢のまた夢になろうとしている。
どうして。私が何をしたというのか。
「お言葉ですが」
「おや、キャリー嬢、偶然ですね」
なんとか状況を納めようと口を開いた瞬間、斜め後ろから声をかけられた。
聞き覚えのある声に振り向くと、レオが芝居がかかった様子で近づいてくるところだった。
「レオ…ナルド様、ご機嫌麗しゅう」
一応公の場だ、未婚の女性が婚約者でもない相手を愛称で呼ぶのはまずい、となんとか取り繕う。
それにしてもこのタイミングで一体何の用なのか。間が悪すぎやしないか。
「おや、貴殿はたった今そちらよ伯爵令嬢と婚約破棄されたご様子。それは確かなことでしょうか」
レオがウェイドに話を向けると、ウェイドは「ああ」と肯定する。
「母様は僕の判断に全て任せると言っているからな。僕の決定は絶対だ。そこのひん…女はもう婚約者でもなんでもない」
いま貧乳って言おうとした? 絶対言おうとしたよね? 言っとくけど普通サイズだからね私!
いきりたつ思いをなんとか抑え込む。
私は伯爵令嬢。いつも微笑みを絶やさない淑女なのだ。そう、淑女なのである。
「では……キャリー嬢、あなたをエスコートする栄誉を私にいただけませんか」
レオがうやうやしく手を差し出してくる。
普段見ない夜会服も相まってまるで舞台役者のよう。
それなら、私も淑女としてこの舞台を演じなければ。
「喜んで」
にっこりと、鏡の前で練習した上品な笑顔を作ると、キャリーはレオの手に自らの手を重ねた。
レオが誘導し、キャリーの手がレオの腕に収まる。
「では参りましょう」
レオはキャリーを見て甘く笑むと、キリリとした表情でまっすぐ前を見る。
二人を邪魔する者は誰もおらず、レオとキャリーは会場を後にした。
「はあ〜めっちゃ面白かったなー! まさか夜会の場で巨乳バンザイ発言する奴がいるなんて思わなかった」
レオの家の馬車で家に送ってもらいながら、キャリーはレオと笑い合う。
キャリーはウェイドの馬車で来ていたため帰る方法がなく、ありがたく送ってもらうことにしたのだ。
「あの男、私のこと貧乳って言おうとしてなかった? ねえ? 私貧乳じゃないわよね?」
「標準……だと思う。俺、女性の胸に詳しくないからよくわからないけど」
「じゃあ今見なさいよ、あるのかないのか、どっちよ?」
「あります! ありますちゃんとあります素晴らしいです!」
「それで良いのよ」
私はいったい友人に何を言わせているんだろう。
自分は勢い余って変なことを口に出す悪癖があるな、とキャリーは胸の中で自分を戒めた。
「それより、キャリー嬢」
「なによ、急に真面目な声を出してどうし……」
軽い気持ちで出した声を引っ込める。
対面するレオの目つきが、引き結ばれた口元が、背筋がしゃんと伸びた姿勢が、キャリーを身構えさせた。
「なにかしら、レオナルド様」
自分も姿勢を正し、両手を膝の上で美しく重ねる。
「キャリー嬢、私はあなたを好ましく思っています。あなたが真剣に領地運営について学ぶ姿、領民の様子を調べようとする姿、淑女として貴婦人たちと社交をする姿をずっと見てきました。私はあなたに婚約を申し込みたいのです」
思った以上に真面目な口説き文句だった。
まるで本当に自分が大切に思われているように感じて、つい浮かれてしまいそうになる。
でも、伯爵令嬢として教育されてきた年月がキャリーをぐっと押し留める。
キャリーはたったいま婚約を破棄された、ペケのついた女なのだ。
大事な友人だからこそ、レオの将来を考えると、浮かれた気持ちに流されて軽率に頷くことはできなかった。
「レオナルド様のご好意有り難く頂戴いたしますわ。ですが、私のような者は侯爵夫人となるには足りないところが多いと存じますの」
だから、あの夜会会場から連れ出してくれただけでじゅうぶん。
レオはちゃんと幸せな結婚をして、スキャンダルとは無縁な立派な侯爵になるんだ。
「それに、私はレオのこと、大切な友人だと思っているから。醜聞確定の私なんかより素敵な人がたくさんいるわよ」
「ああもう、強情だな君は」
レオが軽く腰を上げて私に覆い被さるように抱き締めてくる。
「キャリーが好きなんだ。俺は、これからもずっと、キャリーと話していたいんだ」
レオから漂う爽やかな草のような香りは、なぜだろう、安心するのに、妙にそわそわする。
「と、ともだちと結婚相手は違うって、男性は特にそうだって、聞いたわ」
何が言いたいのか自分でもわからない。
もしかしたら、私自身、恋に憧れがあったのかもしれない。
燃えるような恋をして愛する人と結婚する、そんなおとぎ話を。
「俺はずっと、友人としてだけじゃなく、君を女性として見ていたよ」
レオの顔が近い。
薄い青色の瞳で見つめられて、どうしようもなくドキドキする。
「好きなんだ、キャリー。君が僕を好きになれないと言うなら、好きになってくれるまで待つから。だから、はいと言って」
こんなに真剣に請われてときめかない人間がいるだろうか。
「……はい、喜んで」
恥ずかしすぎて絞り出すように言った私の口の端に、触れたかどうかわからない優しさでレオが口付ける。
「ぜったい幸せにする」
積極的なのに私の気持ちを待とうとするその仕草に。
胸の中で、恋に落ちる音を聞いた気がした。
後日談
「ハニートラップに引っかかる男ってアホだよね」
「ん? 何か言った?」
「ううん、今日もキャリーのことが好きだなぁって思ってただけ」