狭くて薄い、子どもの家
僕はまだ小学生だから、色んなものが気になって仕方ない。
空が青かったりそうじゃなかったりするのが気になるし、コンビニにはいつも店員さんがいるのか気になるし——それで、いま一番気になっているのは、目の前のこれ。
薄っぺらい建物。これはもう、本当に意味が分からない。
2階建てで、横幅も別に普通なのに、真横から見るとペラペラなんだ。これ、ギリギリ中には入れるかもしれないけど、中に入って何をする建物なんだろう?
家っぽくはないよね。駅前だから何かと住みやすそうだけど、ベランダなんかどこにも見当たらないし、家の中で洗濯物干すのもこれだけ狭いと無理そうだし——かと言って、お店屋さんっぽくもない。看板がないから。
分からないなぁ、さっぱり分からないよ。
でも、一旦はほどほどにして、切り上げて、学校に行かないと。遅刻したら先生に怒られるからね。
それに、こういうことは、『私博士』に聞いた方が早いんだ。
*
一時間目の授業が終わってすぐ、僕は教室から出て隣のクラスに入った。
窓際の真ん中らへん……あ、いた。
僕はスタスタと、その男の子の席に向かって、「聞きたいことがあるんだけど」って言った。
「それ、私に言ってる?」
男の子は、辞書みたいな分厚い本から顔を上げて、自分を指差す。
男なのに自分のこと私って言うし、色んなことを知ってるから、私博士。
「うん。ちょっとね」
それから僕は、さっきの薄っぺらい建物について聞いてみた。何なのか分かる? って。
「ああ、私が思うにそれはね」
私博士は眼鏡をクイッてして答えてくれる。「子どもの家だね」
「子どもの家? 何それ」
「子どもが大好きなものがいっぱい置いてある、子どものためだけの家だよ——バケツみたいなアイスとか、ゲームとかカードとか、なんでもござれってわけだね」
「へええ、そんなにすごいの」と僕はビックリ。
「うん、すごいんだ」と私博士は腕を組む。「君も今度行ってみるといいよ」
「でもさ、私博士。子どもの家はなんであんなに薄っぺらいのかな? 大人が入ってこれないように?」
「というかね」って私博士は、ひそひそ声になる。「ここだけの話、子どもの家は大人に隠されてるのさ」
「え、どうして? 意地悪だから?」
「いや、そうじゃない——要はさ、子どもが子どもの家を見つけると、みんなそこから離れなくなっちゃうだろ? 学校に行かなくなるし、家にも帰らなくなる。だからあんな風にペラッペラに削って、見つかりにくくしてるのさ。見かけもただの事務所っぽい感じにしてね」
「ふうん。でも私博士にはバレバレなんだから、大人も大したことないよね。何かにつけて隠し事ばっかりする割にはさ」
そんな風に話していたら、チャイムが鳴ったから教室に戻らないといけない。
僕は「バイバイ」ってさよならしようとしたけど、その前に私博士に、「君は行ったことあるの?」って聞いてみた。
「ないよ。私は本を読む方が好きだからね」
「本は子どもの家にないの?」
「ないんだ」
「ふうん」
僕は「じゃあね」って手を振って、教室から出た。
*
学校が終わって帰り道、僕は図書館に行った。
私博士はああ言っていたけど、ほんとかな? って思ったので……バケツみたいなアイスとか、ゲームとかカードが盛り沢山のところなんかがあったら、もっと有名になってるはずだよ。嘘つく子とは思えないけど、もしかしたら何か勘違いしてるのかも?
僕はパソコンを借りて、ネットの、すとりーとびゅー? ってやつを開いた。
うまく話せないんだけど、人形を左クリックで掴んで、地図の上で離すと、人形が落ちて、その人形の視点になるんだ。飛び降り自殺みたいだね——モニターには、今朝も見たあの薄っぺらい建物が、真正面に映ってる。
で、モニターの左端には、その建物について色々書かれてるんだけど……文字化けって言うんだっけ? こういうの。見たこともない難しい漢字とか、記号とかカタカナとかでめちゃくちゃだ。
あれ? ——でも、『他の日付を見る』っていうところの文字だけ普通だ。
僕はその、青っぽい文字のところをクリックしてみる。なんか、色んな時代のその場所の映像が見れるみたい。2020年とか1015年とか。そんな昔のことまで見れるんだ。インターネットってすごいね。
なんだか楽しくなってきて、僕は片っ端から時代を遡ってみる——でも、ちょっとなんか、やっぱりバグが起きてるみたいだ。
モニター上の映像は、白黒になったり地面が土になったりして、どんどん古くなっていくんだけど、『子どもの家』だけはずっと変わらないんだ。色も形もずっとそのまま。周りが森みたいになってもだよ。
不思議だなって思ってるうちに、410年くらいになってきたよ。この時代から人間っていたのかな? しばらく人間がいない映像が続いてたけど、どうなんだろ。
そしたら、404年に差し掛かった時に、僕は後ろにすっころんだ。
どんくさいわけじゃないよ。急に椅子が無くなったんだ! 誰だってそんなことされたら尻餅突いちゃうに決まってるよね。
僕はお尻をさすりながら立ち上がった。
そしたら、目の前には子どもの家があった。
周りは全部森で、駅前って感じはしない。
つまり、404年の頃の子どもの家らへんに、今いるってことだ——タイムスリップしたみたいだ。
でも、ボーっとしてる暇はなかった。なんだかあちこちでガサガサ鳴ってて、絶対に蛇とか熊とかがいるに決まってるんだ。
僕は一目散に、子どもの家のドアを開けて、中に飛び込んだ。
そしたら、中は思いのほか広かった。ちょうど教室くらいの広さかな? ドッジボールとかも出来そうなくらいの。
そして——あった! バケツいっぱいのアイスに、ゲームとカード!
僕はもう、片っ端から満喫した——私博士は、賢いけど馬鹿だなって思った。本を読んだりするより、こっちの方が楽しいに決まってる。どうせ、どんな場所か知ってても行き方が分からないから、強がってるだけだったんだ。また今度やり方を教えてあげないと。
で、しばらく遊んでたら、大人が二人入ってきた。
一人はなんか、眼鏡をかけたおじさんで、もう一人は髪の長いお姉さんだった。
二人は、部屋に入ってちょっとしてからお互いに向き合った。
「パパはずっとこのまま?」って、お姉さんの方が悲しそうな顔をした。
「本人に目覚めようという意思がないのでは、こちらとしてはどうしようも」って、おじさんの方がブアイソウな感じで言った。それから、お金の話にも移行した。
ああ、これはいけない。
折角の子供の家だというのに、こうも大人がしゃしゃり出てきていいものではない——ここでも駄目か。親の心子知らずとは、本当に厄介で仕様がない。
「そういう話は外でしてくれないかな」
と私が呼びかけると、彼らはバッとこちらを振り向いて、それからみるみる青ざめていった。
「聞こえてはいるんだよ、これでも」
私は彼らに指を差し、手首を返して指先を天に向け、「落下の刑」と唱えた。
すると彼らはペットボトルロケットのようにビュンと打ち上がり、天井に激しく衝突して爆散し、ボトボトと血やら肉塊やらが落ちてきた。
ここはもう駄目だ。素敵にロマンで満ち溢れていたはずの場所だったのに、これではただの事故物件である。
私はランドセルを背中から下ろし、中から辞書のような分厚い本を取り出して開く。
景色がパッと切り替わり、ここは教室の中。私は窓際の真ん中らへんの席についていて、時刻は朝方。
「聞きたいことがあるんだけど」
と、隣のクラスの男子が私を訪ねてくる。
「それ、私に言ってる?」
私は本から顔を上げて、自分を指差す。
男なのに自分のこと私って言うし、色んなことを知っているから、私博士。
「うん。ちょっとね」
それから彼は、登校中に見かけたという、薄っぺらい建物について質問してきた。何なのか分かる? と。
「さあね。小規模のオフィスとか、立ち食いそば屋とかでしょ。そんな面白いもんじゃないと思うけど?」
と答えたら、彼は目に見えて落胆する。
そうだよね。世の中はロマンで溢れていないといけない——彼のような子供は、そうじゃないと退屈で死にそうだ。
私はパラパラと本を捲る。
まあ、一旦はこのあたりで茶を濁しておくか。
「そんなことより、近所の森にボロボロの神社があるよね——あそこって巷では、『子どもの家』って呼ばれてるんだけどさ」
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