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婚約破棄のお詫びに、と紹介された嫁ぎ先は街道沿いの食堂でした

作者: 五条葵

「いやあんた……絶対なんか間違ってるだろう? うちはしがない食堂で、俺はただの料理人だ。貴族のお嬢様が嫁ぐ相手じゃない」

「で、でも! 確かにここが嫁ぎ先だって言われたんです。伯爵様から手紙も預かっています。ここを追い出されたらーー行くところがありません!」


 王都とお隣の国をつなぐ街道沿い。街を出てすぐのところにある小さな食堂で、私はこの店の料理人ーーフランツと押し問答をしていた。


 私はゾフィー。産まれた場所は不明、孤児院育ち。


 なのだが16歳の時に、有力貴族であるリュディエール侯爵が愛人に生ませた子だということが判明した。そして侯爵家に引き取られた私はすぐに、同じく有力貴族のベルモンド伯爵家の跡取り息子と婚約することになる。


 後で聞いたところによると、そもそも婚約話が先だったらしい。しかし侯爵家の長女が駆け落ちしてしまったがために、慌てて私が引き取られたのだという。そんなこんなで未来の伯爵夫人となった私。ただ問題はその相手だった。


 顔こそ美形な伯爵家の長男、イザーク。しかし彼はなかなかの問題児だった。学業も剣術も微妙。しかし顔は良いから常に女性をとっかえひっかえ。婚約すれば多少落ち着くのでは? と伯爵は期待したようだがそうも上手くはいかなかった。


 婚約中の2年間。私はほぼいないものとして無視され続ける。そうして結婚が認められる18歳にもうすぐなろうかというある日。こともあろうにイザークは、東隣の友好国、シェリア王国の王女様と関係を持ってしまった。


 浮気とはいえ相手が王女様となると話は複雑。


 ことを荒立てたくない両国王家の話し合いの結果、私は一身上の都合で婚約を辞退する事になり、イザークは王女様と婚約を結び直す。


 私自身は彼との結婚生活に全く未来が見えてなかったので、正直婚約破棄万歳! くらいの気持ちだったのだが、激怒したのは私を拾った侯爵家。


「お前に魅力がないから浮気されるんだ!」


 と、真正面から言ってきた侯爵はその場で私を勘当する。


 あっという間に孤児に戻った私だが、そこで手を差し伸べてくれたのが、イザークの父であるベルモンド伯爵だ。伯爵は私のために新しい縁談を探してくれる。

 そうして伯爵家の馬車で送り届けられた先が、この食堂だったという訳だ。


「なんつうかむちゃくちゃだな! 侯爵家も伯爵家もーーお前もっと怒ったほうが良いぞ。なんなら俺が怒鳴り込みに付き合おうか?」

「け、結構です! というかお貴族様に怒鳴り込みとか簡単にしちゃ駄目です。それに、正直上流の生活ってあんまり馴染めなかったというか……」


 伊達に16年間庶民をやってたわけじゃない。短期間での令嬢教育がかなりしんどかった、というのを差し引いても、あの頃に戻りたくはなかった。


「そ、そうか……」

「それに今の私は勘当されてるんで、正真正銘の庶民です。なんで、私をお嫁さんにして下さい!」

「だから! なんでそう話が飛躍するんだよ。っていうかいきなりお嫁さんって……お前はもう少し自分を大切にしろよ」

「じゃあ……せめて、ここで働かせて下さい」

「まあそれなら……行くとこないって言ってたしな。とりあえず住み込みで働けないか、母さんに掛け合ってみるよ」

「ありがとうございます! フランツさん!」


 あきらめたようにそう言うフランツさんに、私は勢い良く頭を下げた。






「ゾフィー! 久しぶり! 今日のおすすめは何だい!?」

「まあ、レーニエさん。いらっしゃい! 今日はフランツさん特製の自家製ソーセージがたっぷり入ったポトフに、チキンと栗がごっろごろのキッシュ。あと魚が良ければ新鮮な鮭とキノコのグリルもありますよ!」

「どれも美味しそうだねーーじゃあ今日はポトフにしようかな。あとエールを!」

「ゾフィーちゃん! こっちにはキッシュを! あとエールもちょうだい」

「ゾフィーさん、こっちには鮭を。あとワインのおかわりもお願いします!」

「はい! ただいま!」


 夜の食堂は大忙し。私は飛び交う注文をなんとか覚えつつ、テーブルの間を忙しなく動き回っていた。


 私は結局、この街道沿いの食堂に住み込みで働くことになった。縁談は……とりあえず保留らしい。


 この食堂、「熊と子兎亭」はそこまで大きなお店ではない。初代店主のフランツのお父様が亡くなってからは、フランツとお母様の二人で切り盛りしてきたのだと言う。

 ただ、フランツのお母様も結構なお歳。だんだんと動き回るのが辛くなってきていたそうだ。そんな時にちょうどやってきたのが私だった。


「フランツさん! ポトフを追加で2皿、キッシュが3皿。あと鮭を1皿お願いします!」

「おうよ! エールがえらく出てるが大丈夫か? なんなら手伝うぞ」

「ううん、大丈夫! 向こうは私に任せて下さい!」


 私は木のジョッキを両手に3つずつ持って、テーブルへと踵を返す。厨房をそっと覗き見るとフランツさんが急がしそうに動き回っていた。


 お店の名前になっている「熊と子兎」はフランツさんのお父様とお母様を指しているらしいけど、フランツさんもまた、熊みたいに大柄で筋肉質な人だ。


 でも、その大きな手はとっても繊細に動き、すっごく美味しい料理を生み出す。美食で知られた隣国、シェリル王国での修行経験もあるというフランツさん。彼の料理にはファンが多くて、小さなお店はいつも満員。お忍びの貴族や王族がやってくることもあった。


 かく言う私もフランツの料理に落とされた人の一人。いや、むしろあんな格好良い人に美味しい料理を日々振る舞われて、惚れない方がおかしい。

 最初こそ、「もう、どうにでもなれ!」な気持ちで口にした求婚。でも、今の私は遅めの初恋の真っ最中だった。


 白いコックスーツを着こなす広い背中。真剣に鍋を見つめる眼差し。たまにその瞳が時折気遣わしげにこっちを向くと、私の心臓はドクン! と跳ね上がる。


「フランツさん格好良いねぇ……分かるよ。ところでゾフィー? エールのおかわり良い?」

「はっ! ーーレーニエさん! ごめんなさい、ただいま!」

「急がなくて良いよー」


 華麗な包丁さばきを見せるフランツに若干見惚れていたら、やや呆れたような声が耳に入る。

 ちなみに私がフランツさんに惚れていることは、常連さんの間では周知の事実。


 もっとも肝心のフランツさんは、「伯爵の言う事なんて聞かなくいいだろ? ゾフィーならもっと良い人がいるはずさ」の一点張り。

 私の初恋は、どうにも前途多難なのだった。






「おーい、ゾフィー。店ん中でメソメソすんなーーカビが湧くだろ」

「カビが湧くって……フランツさん……」


 そんな日々が続いていた、ある日の店じまい後。私はカウンター席で膝を抱えていた。働いていれば、時に上手くいかない日もある。今日はまさにそんな日だった。


 ことの発端は、今日のお店がものすっごく忙しかったこと。頭がパンクした私はミスを連発してしまう。


 まずはお客さんの注文をとり違え、さらには別の注文を綺麗さっぱり忘れてしまう。挙げ句の果てには料理を下げる時に、フランツさんが師匠にもらったという大事な皿を落っことしてしまった。


 幸いお客さんに怪我はなかったけど、お花の柄の綺麗なお皿は真っ二つ。そんな訳で私は絶賛落ち込み中なのだった。


「だからそう落ち込むなって……誰だってこんな日はある」

「フランツさん……」

「だいたい今日はちょっと急がし過ぎたんだ。ゾフィーはいっつも頑張ってくれてるよ」

「でも……大事なお皿も割っちゃいました。思い出のお皿なんですよね?」


 私が割った皿は、フランツさんがシェリア王国を出る時に、師匠がくれたという大切なお皿だ。だからこそ、私の落ち込みもより深くなるというものだった。


「確かに大事っちゃ大事だけど、本当に壊したくなかったらそもそも店に出さないさ。それよりゾフィーが怪我をしなくて良かった」


 そう言って、オムレツみたいにホワンと微笑むフランツさん。それを見て、私はさらに泣きそうになった。


「泣くな泣くな、ゾフィー。ーーそうだ! 疲れた時は甘いものっていうだろ? ちょっと待ってな」


 そう言うとフランツさんは、急に何かを思いついたように、厨房の奥に消えた。


「フランツさん? それは……クレープ?」

「そうだ。前から食べたがってたろ? 今日は追加分を焼いたからまだ生地が余ってたんだ」


 クレープは卵が入った生地を薄ーく焼いた、シェリア王国名物のお菓子。「熊と子兎亭」でも人気のデザートだ。ただ、いつも売り切れてしまうせいで、私は1度も食べたことがなかった。


 クレープの生地が乗った皿をテーブルにおいたフランツさん。彼はもう一度厨房に行き、今度は細い木の棒と鉄のフライパン、そして他にも色々食材を抱えて戻ってきた。


「せっかくだし今日は特別バージョンだ。酒は飲めたよな?」

「は、はい。多少なら」

「よし。じゃあ問題ない」


 そう言うとフランツさんは私をテーブル席に呼ぶ。私が席につくと、その眼の前でフライパンにお砂糖を入れてみせた。


 と、そこで木の棒を手にしたフランツさん。彼はまるで魔法の杖を構えるかのように、スッとフライパンに向けて棒を構えた。


『湧き上がれ!』


「ふ、フランツさん? ーーってええ!?」


 次の瞬間、私は思わず目を丸くする。火なんて何もないはずなのに、フライパンの上のお砂糖が溶け始めたのだ。


「もしかしてフランツさん……魔法使い?」

「ああ、一応な。師匠に料理の役に立つからって教えてもらった」

「そんなサラッと言われても……」


 シェリア王国にはおとぎ話めいた不思議な力、魔法を今も受け継いでいる人がいるという。素養さえあれば、弟子入りすることも可能。ただし、使いこなすにはかなり根気強い修行がいる、と噂されていた。


 そんな魔法をフランツさんが使えるなんて。思わず唖然とする私を横目に、彼はさも当然のように調理をすすめていた。


 お砂糖を軽く焦がしたらバターを入れ、お砂糖と混ぜ合わせていく。それからそこに、オレンジジュースとオレンジの皮を使ったお酒を加えた。


『炎よ、上がれ!』


 と、そこでまたフランツさんが呪文を唱える。

 すると、お酒の入った液体はボッと燃え上がり、青い炎がフライパンの上で揺れる。私はもう瞬きをすることも出来なくなっていた。


「綺麗……」

「だろ? さ、これで完成だな」


 いつの間にかフランツさんは仕上げに入っている。クレープ生地を綺麗に畳んでフライパンに入れ、ソースがしっかり絡んだら、真っ白なお皿にクレープを綺麗に並べる。その周りにはオレンジ色のソースがたっぷりと注がれた。脇にはお手製のアイスクリームと、飾り切りされたオレンジまで添えてくれている。なんとも豪華なデザートの完成だった。


「さ、冷めないうちに食べてくれ」

「はい! じゃあ、いただきます!」


 私はスプーンを手にし、クレープを口に入れる。

 それはまさに幸福の味だった。


「美味しい! すっごく美味しいです!」


 クレープはふんわり優しい甘さ。周りを満たすソースは甘酸っぱくて、そこに後からお酒の大人な香りが香る。添えてあるアイスと一緒に食べれば、温かさと冷たさが一緒にやってきて、これまた至福だった。


「こんな美味しいお菓子、初めて食べました。フランツさん、やっぱり天才です」

「いや、褒めすぎだろ?」

「いえ、だって本当に美味しいんですもん!」


 フランツさんに見守られつつ、私はあっという間にクレープを食べきってしまう。

 我ながら現金なものだが、落ち込んでいた気持ちはどこかに飛んでいってしまっていた。


「ご馳走様でした、フランツさん。私、明日からまた頑張ります!」

「おうよ! でも張り切りすぎるなよ、明日もきっと忙しい」

「はい! フランツさん!」


 私は元気良く返事をして、それからフランツさんと一緒に片付けを始めるのだった。






 その日から、私とフランツさんの距離はほんの少しだけ縮まった。なんだかフランツさんが私に視線を向ける回数が増えた気がするし、休みの日には一緒に市場に買い出しに行ったりもする。勉強と称して、街のレストランへ出かけたりもするようになった。






 相変わらず私の気持ちには応えてくれないけど、きっとあと一押し。そんな日々を過ごしていたある日のお昼前。開店前に店先の掃除をしていると、まさかの人物がやってきた。


「おい! ゾフィー! 迎えに来てやったぞ」

「……」

「おい、無視するな! せっかくここまできてやったんだぞ」


 恩着せがましい言葉を当然のように吐く美丈夫。無駄にキラキラとした雰囲気を撒き散らしながらやってきたのは、元婚約者のイザークだった。


「迎えに来て欲しいなんて一言も言ってないわ。むしろなんでここに来たの? あなたには王女様がいるでしょう?」


 シェリル王国の美貌の第3王女と恋仲となり、元の婚約者である私を捨てたイザーク。覚えている限りでは、結婚式ももうすぐなはず。

 なのにどうしてこんなところにいるのか? そう私が聞くと、イザークは顔をグシャリと歪めて見せた。


「……捨てられたんだよ。父がいきなり伯爵位は弟に継がせるって言い出して、そしたら伯爵にもなれない男なんてお断りって手紙が来たんだ。あとは音信不通」

「あらーー」


 因果応報ね、という言葉は流石に飲み込んだ。イザークの父である伯爵が、出来の悪いイザークに手を焼いていたのは有名な話。イザークはいきなり爵位を継げなくなった、と言っているが、私含め伯爵家の内情に詳しい人はきっとそうなるだろう、と思っていた。


「と、言うわけでお前を迎えに来てやったんだよ。伯爵位を継げないとはいえ、一応領地と財産はもらえる。こんなちんけな食堂で働くよりずっとラクに暮らせるぞ。お前も彼女ほどじゃないが、見れる見た目をしてるしな」

「こんなって何よ! みんなに好かれる素敵な食堂なんだから! 私のことは悪く言っても良いけど『熊と子兎亭』を悪く言うのは許さないわ!」

「な、なんだよ……事実を言ったまでだろ。それよりさっさと行くぞ。こっちに来い!」


 そう言うとイザークは、私の腕をガシッと掴み、ここまで乗ってきたらしい馬車へ連れて行こうとした。


「ちょっと! 何するのよ!」


 私はなんとかイザークの腕を振りほどこうとするが、流石に男性の全力には抗えない。どうしよう……と思った次の瞬間、やや焦った声が耳に飛び込んできた。


「ゾフィー! ーー『風よ、舞え!』」


 私の名を呼んだあと、呪文を唱えたのは店の前の騒ぎに気付いてくれたらしいフランツさん。やや息を切らしつつも手にした杖はピタリとイザークを狙っている。


 彼が発した風の魔法によって、イザークは馬車の方まで吹っ飛んでいった。


「フランツさん!」


 拘束がなくなった私は、急いでフランツさんの元へ走る。私の手をしっかり握ってくれたフランツさんは、そのまま私を広い背中の後ろへと隠した。


「てめぇ、何者だ!? だいたい庶民の分際で何しやがる! 不敬だぞ!」


 なんとか体を起こしたイザークは怒りの形相でフランツを睨みつける。そんな彼を見て、私の頭の中では今更ながら焦りの気持ちが湧き上がってきた。

(あっ、そうだ! 向こうが悪いとは言え、貴族を吹っ飛ばすなんて……)


 だが、フランツさんは一歩も引かない。それどころか余裕の笑みさえ浮かべていた。


「私はゾフィーの……夫候補です。恐れながらイザーク殿。私は貴殿の父よりゾフィーを守るよう仰せつかっております。そのためなら何をしても良いと……」


 杖をピクリとも動かさないままそう言うフランツさん。とそこへ突然新たな声が割り込んできた。


「その通りだ! 良くやってくれたよ、フランツ君」

「「伯爵!?」」

「父上!?」


 声のする方を見ると、令嬢時代に幾度となく見た紋章が入った馬車がいつの間にか止まっている。開いたドアからでてきたのは白髪の老紳士ーーベルモンド伯爵だった。


「なんでここにいるって分かったんだよ? 大体、父上がこんなしがない料理人と知り合いなことも訳が分からないし……」


 突然現れた父親に突っかかるイザーク。そんな彼に伯爵は怒りをあらわにした。


「口を慎めイザーク! お前が行き先も告げずに出かけた、と聞いたからまさかと思ってここへ来たんだろう? それにフランツ君は素晴らしい腕を持つ料理人だ。私も足繁く通わせてもらってるーーお前のせいで二度と来れなくなってしまったがな」


 息子を叱責する伯爵。そんな伯爵を横目にフランツさんは


「うちにはお忍びでいらっしゃる貴族の常連さんがいらっしゃるだろう? 伯爵もその一人だ」


 と私にそっと耳打ちした。


 その間にも伯爵はイザークを立ち上がらせると、有無を言わさず馬車に放り込む。そうして自分もステップに足をかけると、こちらの方へ振り返った。


「ゾフィー嬢、またしても愚息が迷惑をかけた。これからも我が家のことに限らず、困ったことがあれば迷わず私を頼ってくれて構わない。私は常にあなたの味方となろう」

「伯爵……ありがとうございます!」


「フランツ君! ゾフィー嬢のことは頼んだぞ」

「はい。おまかせ下さい。あと、御子息のことは気になさらず、またお店にはいらして下さい」


「……ありがとう、フランツ君……では二人とも、幸せにな!」


 そう言うと、歳を感じさせない身軽さで馬車に乗り込む。程なくして伯爵家の馬車は王都の方へと消えていった。


「フランツさん……助けていただきありがとうございます」

「いや、当然のことをしたまでだ。怪我はないな?」


 そう言ってフランツさんはイザークに掴まれた腕にそっと触れる。それだけで私は顔が真っ赤になるのを感じた。


「はい……ところでフランツさん?」

「ん? なんだ?」

「さっき、伯爵に私を守るように言われたって言ってましたよね?』

「あ、ああ……ゾフィーがうちで働き始めてすぐに手紙が届いて……」

「あと、『ゾフィー嬢を任せた』と言われた時、頷いてましたよね?』

「え!? いや……まあ、それはその……」

「それに! イザークには私の『夫候補だ』って……」

「いや、それは……言葉の綾というやつで……何度も言うがゾフィー嬢には俺なんかよりもっと良い相手がいるだろう? 上流の世界が嫌なら、うちの常連の商売人とかーー」

「私はフランツさんが良いんです! 」


 しどろもどろなフランツさんの言葉を私は一蹴する。私の言葉にフランツさんは固まって、私と同じくらい顔を真赤に染めていた。


「そう言ってくれると嬉しいけどな……あっーーともうそろそろランチの時間だぞ。さっさと仕込みを終わらせないと」

「ちょっと! フランツさん! フランツさんったらーーもうっ!」


 もう答えを言っているようなものなのに、結局店の中へと逃げ込んでしまうフランツさん。


 そんな彼に私は思わずため息を吐きつつ、自分も掃除に戻る。


 私が彼を振り向かせるまで、もうちょっとーー


 この後、私とフランツさんのお話は『熊と子兎亭』の名物として、常連さんの間で語り継がれるようになるのだが……そんなことは私もフランツさんもまだ知らないのだった。

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