狡兎死して9
「CPよりオールアルファ。無線の確認だ。問題ないか」
「アルファ1感明度良好」
「アルファ2感明度良好」
クリアに聞こえたエルマさんの言葉に返答。
「よし、まずはそのまま道沿いに進んでくれ。下に降りる階段があるはずだ」
彼女の言う下に降りる階段は、ここからでもどこの事か見当がついた。
一本道のメンテナンス通路の突き当り。一層を支えている巨大な柱に巻き付くように設けられている階段。遥か下まで伸びているそれの他に、この通路から出る手段は無さそうだ。
「了解しました。前進します」
通信を終えて、俺たちは前方に伸びる唯一の道に向かって歩き出した。
文字通り天井に張り付いているような形のこの通路は、そのすべてが格子状のパーツで構成されている。
頭の高さ位まである左右のフェンスも、一歩一歩進むたびにスニーカーの底と当たって小さな音を立てる足場も、その遥か下の二層までしっかりと見下ろせる、細い金属の線を格子状に並べただけの代物だ。
「……」
高所恐怖症養成所――そんな気がしてくる景色だ。現に、特段その気はないと思っていた俺自身、こうして一度下を見てしまったが最後、一刻も早くここを離れたいと思っている。
この頼りない足場。いやそれだけではない。それを見ないように顔を上げた時に目に入る、この足場が数は多いとはいえ自分の小指程の太さしかない支柱で二層の天井から吊られているという事実がさらに恐怖を煽る。
途中で右手側にフェンスと同じ建材で作られた扉が設けられていて、施錠されたそれの向こうには、ここがメンテナンス通路と呼ばれる理由だろう、広い作業床や、他の通路と通じている分岐が伸びていたが、そちらまで意識を回している余裕はない。
「……ついたな」
ようやくの思いで一番奥の扉=柱に巻き付いた階段の入口に到着した時、俺は真冬と言っていい時期にも関わらず自分の背中がじんわりと汗ばんでいるのに気づいた。
「施錠されているね。お願い」
「了解だ」
何はともあれ、ボルトカッターを取り出して錠とチェーンを破壊。錆びついて耳障りな音を立てるその扉を力づくで引き開け、家一軒分以上の直径の円柱に巻き付いた螺旋階段を降りていく。
――これが盲点だった。
下り階段というものの性質上、どうしても視線は自分の進行方向=前方下を見続ける形をとる。即ち、それまでと同じく格子状の鉄板で構成された階段の下に見える数十m下の光景を。
「……」
意識的に視点を移す。未来位置ではなく、単純に自分の前へ。階段を降り始めた段階が一番高く、こうして一歩一歩進むごとに高度は下がっている。つまり、一番恐ろしい所は既に突破していて、ここからどんどん高度と共に恐ろしさも軽減される――自分にそう言い聞かせながら。
幸い、その数十メートルを歩くという、ちょうどいい塩梅の運動によって恐怖心も紛れていき、一番下の扉の前に辿り着いた時には軽く弾む息とともに恐怖心も抜けていっていた。
「アルファ1からCP。二層に到着しました。これよりハイゼル通りに入り、警察署に向かいますオーバー」
「CP了解。ハイゼル通りはその敷地を出て、目の前の道を左折してすぐだ。警察署までは本来は直線だが、ドローンで見る限り車両や障害物が散乱している。場合によっては迂回が必要になる。その際はこちらからルートを指定するオーバー」
「アルファ1了解。アウト」
通信を終えて、立入禁止の表示がでかでかと貼られた扉の錠を破壊して外へ。
ボルトカッターから支給されたM4カービンへと持ち替えて目の前の細い路地の進行方向に向ける。
銃口にサイレンサー、ハンドガード上部に単三電池使用のレーザーサイトと、下部にフラッシュライトと兼用のフォアグリップ。アッパーレシーバー上のキャリングハンドルの代わりにドットサイトを乗せるセットアップ。
エリカについても同様で、お互いが武器を交換してもそのままの感覚で使用できる。
「クリア」
セレクターを指先でセミオートに入れ、今はサイトを使わずにローレディに切り替えて進む。
路地は車一台やっと通れるような幅しかなく、その終わりも数段の下り階段だ。
右手側が民家や小さな集合住宅の玄関が並んでいる辺りからして、元々住民が徒歩で移動する経路なのだろう。
「アルファ2よりCP。大通りに出ます」
「CP了解。遮蔽物が多い。見落としに注意せよ」
その指示を受けながら交差点周囲を確認。左手側はバリケードが組まれ、そこに突っ込んでひっくり返って燃えたのだろう、タンクローリーの形をした真っ黒な鉄の塊が道を塞いでいた。
そして右手側=進行方向は、都市モグラを始めてから一番壮絶な戦いがあったことを思わせる場所だった。
「ひでぇな……」
思わず声が漏れる。
名前の付いた通りであるだけあって道幅は広く、往時は市営バスも走っていたのだという事は、道端に残るバス停の看板が物語っている。
だが、今では自転車ですらこの道をスムーズに走るなど出来まい。
辺りに散乱したバリケードやコンクリートブロック、それらに絡まるようにして残された規制線の残骸。穴だらけになってそこら中に放置され、少なくない数が先程のタンクローリーのように黒焦げになった車両。その中には乗用車の他、パトカーや消防車の姿もあり、中でも消火活動を続けていたのだろうはしご車が、伸ばしたその梯子を道沿いのビルに突っ込んだまま擱座していて、そのビルには最早骨組みと外壁程度しか残っていなかった。
「ここが一番の激戦区だったのかな……」
同じ物を見たエリカがぼそりと呟く。
サイストックにおいて、こうした破壊と争乱の後は珍しくない。そういった意味では見慣れた光景だ。
「そうみたいだな……そこら中に転がっている」
だが、そうした他の場所と比べても、ここは死体の数が圧倒的に多い。
一般市民、警察官、消防士、そしてそれらを襲ったのだろうLD兵。そのどれもが、文字通り桁違いの白骨体となって、ボロボロの衣服や装備品の残骸と共にうち捨てられている。
頭の中でズームアウトして見る。LD兵の死体は手前側、つまりバリケードや、その代わりに並べられたパトカーの前に多く、奥に行くほど少なくなっている。反対に警官や消防士のそれはそうした遮蔽物を挟んだ反対側=より警察署に近い側に多い。
容易な連想:警備部隊暴走時、押し寄せるLD兵を警官隊が留めようとしていた。
辺りに転がる一般市民のものと思われる死体は、恐らく警官隊の方へと逃げようとしたのだろう、間に合った者、間に合わなかった者、そして――間に合ったと思った矢先に前線が突破され、崩壊した警官隊諸共追撃の餌食となった者。
「……無茶苦茶しやがる」
元の白も黒も、さび色に乾いて固まった血液によって分からなくなったパトカーの向こう、小さな遺体に覆いかぶさるように倒れている警官の白骨死体と、その下から覗く朽ち果てたランドセルの残骸を見つけた時に漏れたその声は、ほんの僅かに震えていた。
「CPよりアルファ――」
感傷を打ち切る。聞こえてきた声も、それだけでのっぴきならない事態だと分かる緊張したそれだ。
「――前方からLD兵が接近中。数は八。左手の路地に入って迂回せよオーバー」
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に