狡兎死して4
普通に考えればあり得ない話だ。
サイストックは広い。単純な面積で言えばちょっとした規模の地方都市程度でしかないのだろうが、それが階層式になっているとなれば話は別だ。
通常の都市と異なる三次元の動きが必要となる――それこそ、エスクラーヴの一件のように――となれば、普通は全く未知の状態で足を踏み入れるのは躊躇するだろう。
加えて、この映像の連中=ウィーゼル・インターナショナルは新興とはいえPMCだ。現場の人間も、それを指揮する立場の人間も、一切土地の事が分からない状態でガイドもなく展開する危険は重々承知だろう。
つまり、考えれば考える程あり得ないことをやっている。
「連中は連絡会の都市モグラを一掃し、代わりにニューサイス警察からサイストック全域の警備を一括で請け負った。エスクラーヴの一件から24時間以内でな」
ロズが付け加える。
俺は無論、ここにいる人間に陰謀論者はいないが、それでもそこに何も裏が無いとは思えない話だ。
と、話を纏めるように社長が口を挟む。
「エスクラーヴの警備に当たり、連絡会からニューサイス警察には情報提供を行ってはいるが、それでこの広大な廃墟全てを網羅できる訳じゃない。PMCの人間だって軍や警察出身者が大半のはずで、普通なら自社のオペレーターを死地に放り込むだけだと分かるはずだ」
指揮官級なら特に――そう付け加える。
PMCと一口に言ってもその業務は多岐に渡る。一般に傭兵派遣のようにイメージされる戦闘職種の派遣は勿論、訓練やロジスティクスに関しての請負も珍しくないが、そのいずれにおいても指揮を執るのは尉官や佐官などの階級の出身者が大半だ。更に言えば、経営陣の全員或いは大多数がそういった士官あがりであることも珍しくない。当然そういう者達は現代の戦場において正確な情報の欠如は死に直結するという事を訓練で――場合によっては実戦で――骨身に染みる程に叩き込まれているだろう。
「つまり、どこかで情報を得ている」
そこから導き出される仮説。
恐らく俺より早くそれに辿り着いた社長が、ちらりとロズの方を見た。
「確か、商店街もニューサイス警察には情報提供していたよな?」
「まあな。だがいずれにせよ、ウィーゼルの連中がサイストック全体を我が物顔で練り歩けるような代物じゃなかったのは事実だ。観光案内に毛が生えた程度のものだろうよ」
成程、それだけ言ってから少し考え込む社長。
それがどれ程の時間だったかは分からないが、一分を過ぎていないのはほぼ間違いないだろう。
もう一度ロズの方を見た時、社長の顔からはそれまでの遣る方ない怒りは消え去り、作戦を前にした時の鋭いそれに変わっていた。
「……何を考えていやがる」
「お前と同じことだ」
その答えに、ロズの細長い指がパチンと鳴った。
「なら、俺には降って湧いたビジネスチャンスって訳だ」
翌日の午前4時。時間的には未明から早朝に入ろうかという時間帯。
まだ深夜と変わらない暗闇の中、俺は自宅アパートを後にした。
「……やっぱ寒いな」
漏れたその言葉を強調するように、真っ白な気体がふわりと立ち昇る。
服装はジーンズに厚手の長そでシャツ。一応、その上から古着屋で見つけた厚手のウィンドブレーカーの前を閉めても、この真冬の時期、起き抜けの早朝は震えあがる程に寒い。
「まあ、動けば温かくなるか……」
必要な装備を纏めたヒップバッグ一つを持って、自分に言い聞かせるようにまだ暗い夜の路地を歩き出す。
「……」
一度周囲を見回してみるが、辺りに人の気配はない。
「ま、向こうもプロだ」
大方、監視がついているだろう。こんな程度の警戒で感づかれるような備考はするまい。
昨日、社長がロズを連れて戻って来た後すぐに、商店街から社長宛に一通のメールが届いていた。
取引先に送る広告メール――そう偽装された、直々の依頼。
「……流石はドルニエ商会。話が早い」
僅かに口角が引き上がる。
そのまま指でロズを呼び、その画面を見せる。
「……いくらでやれる?」
「そうだな……」
文面を黙読しているのが、眼鏡の奥の目が高速で往復しているので分かる。
「これでどうだ?」
「いいだろう」
やがて彼が自身のスマートフォンの画面を差し出し、社長が即決。
「みんな来てくれ。次の仕事だ」
取引成立。即座に実務者レベルの話へ。
「我が社の命運がかかった一大プロジェクトって奴だ」
内容を確認した俺たちはそのまま定時を待たずに社長命令で帰宅。
戻るなり明日の支度を終え、早めに食事とシャワーを済ませると、そのままベッドにダイブ。
それから、まだ暗い中に起き出して今に至る。
向かうはモーラー・アルファ社――ではなく、そこを素通りして大通りへ。
まだ人通りも車の通りも疎らなそこを駅に向かって歩いていく。今の時間なら、まだ始発が出たか否かというぐらいだろうか。
線路沿いに駅に近づいていくと、暗闇に浮かび上がるように駅と、その改札前にあるコンビニの照明が灯っている。
流石に時間が時間の為利用客の姿は見えない――好都合だ。
「やっ、おはよ」
「ああ。おはよう」
そのコンビニ前に到着したところで、後ろから聞き馴染んだ声。
後ろから追いついたのだろうエリカと予定通り合流。
今日の彼女は俺と同じようにジーンズとシャツの上からウィンドブレーカーといういで立ちだが、俺が完全に前を閉めているのに対して彼女はあくまで羽織るだけ――これが若さか、という感想が頭の片隅に。
思えば、制服やジャージ姿ではないエリカと出会うのなど、買い物帰りに出くわした時以来かもしれない。
勿論今回は偶然ではない。これもれっきとした任務だ。
「じゃあ、行こっか」
「ああ」
それだけ交わして、俺たちは同時に踵を返し、ちょうどホームに電車が滑り込んできたのだろう音を背中に駅から離れる方向に歩いていく。
向かうは線路沿いにしばらく進んだ先。サイストック方向に向かう交差点。
そしてその先にある商店街へ。
本日会社は臨時休業。ただの一般人AとBとしてサイストック商店街を訪れる――それが俺たちの本日の任務の第一段階だ。
(つづく)
今日はここまで
続きは明日に