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Fox Tail 狐のいる喫茶店   作者: 雪本 風香


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【外伝】妖狐と人間


「千草さん、そろそろいつもの持ってきやすね」

無良の言葉に千草はいつものように答えようとして、考え直す。

「今回は少しでよい」

無良は驚いた。が、直ぐに笑顔に戻る。いや、笑顔というより、新しいネタを見つけた時のニヤニヤした笑い。

「八紘さんと浅葱さん、どちらとお試しで?」

芸能記者ばりに面白そうに千草に追求する無良を鬱陶しそうに見やる。

「どうでもよかろう」

冷ややかな千草の言葉に無良はこれ以上逆鱗に触れないようにあっさりと引き下がる。

「必要とあればいつでもご連絡を。夜中でも駆けつけますから」

千草は無良が差し出した丸い錠剤をひきたくるように受け取り、足早にその場を去っていった。



千草と夕食を共にするのは一週間ぶりだった。狐界から戻ってきた千草は店にはほとんど関与せず、もっぱら力を持たぬ狐の教育に尽力をしていた。

教育の傍ら全国の稲荷を飛び回っている千草とは、以前に比べて過ごす時間が圧倒的に減った。だが、少なくとも週に3日は家にいてくれる気遣いに浅葱は嬉しく思うのだった。

千草には、尻尾を失ったことで体力がないからで決して浅葱がいるからではない、とつっけんどんに言われているが、それが彼女なりの不器用な優しさなのは理解していた。

言葉で伝えても素直に受け止めはしない千草のために、浅葱は彼女がいる時は店をできるだけ他の店員に任せ、少しでも多くの時間を共に過ごすのだった。


「浅葱、今晩は空いておるか?」

突然問われて、浅葱は少し身構えた。浅葱の気遣いもまた、千草は知っているはず。ことさら問うのは、何か告げたいことがあるからだ。

それがいいことなのか、悪いことなのか。千草の顔からは判断ができなかった。

「空いていますよ。店のことも今日はやることはありません」

内面の動揺を隠し、いつものように柔和な笑みをたたえて浅葱は答えた。

千草は味噌汁の椀越しに浅葱を見る。

顔の半分が隠れるとうまく表情が読み取れない。そのことを分かっているのかいないのか。千草はそのまま早口に告げた。


「今晩からハツジョウキだ。寝る支度ができたら吾の部屋に来るがよい」

ハツジョウキ、が発情期だと理解するのにはたっぷり一分はかかった。

椀をおろした千草がじっと見つめているのにも気づかず、自分の思考に没頭していた浅葱が言葉の意味を理解するのと、顔が赤くなるのは同時だった。

「えっ?それは……」

鈍い浅葱の反応に痺れを切らした様子で千草は別の言い回しをする。

「交尾だ。知らぬのか?」

首まで真っ赤にした浅葱がブンブンと左右に振る。


やっと思いが通じたのか。それにしては随分段階をすっ飛ばしているが、そんなことよりも喜びの方が勝った。

この時の浅葱は幸せの絶頂だった。

次の千草の言葉がなければ、幸せなまま朝を迎えただろう。


「そろそろ子を成さぬとな。妖狐としての努めも果たさねば八紘に顔が立たぬ」

「え……?」

一瞬で絶頂からどん底に落とされた浅葱から低い声が漏れる。浅葱の変化に気づいた様子もなく、千草は言葉を重ねた。

「浅葱も子孫を残したいのだろう。人間は特に血縁を大事にするようだしな。吾も人間と同じように手元で子を育てたいという希望を叶えることができる。一石にちょ……」

「千草さんが僕と過ごしたいのは、それが理由ですか?……僕のことを好きということではなく」

千草の言葉を切るように浅葱が発する。千草は驚いたように浅葱を見た。言葉に怒気がこもっていたからだ。だが、何に怒っているかわからない。


「千草さんは誰でもいいんですよね?僕でなくても。例えば八紘さんでも」

浅葱は千草の様子に構うことなく、どんどんと言葉を重ねる。

100年以上の付き合いだ。だが、怒る浅葱を見るのは初めてだ。

戸惑う千草。その様子にますます苛立つ。

「何で否定をしてくれないんですか?僕は……!」

さすがにそれ以上口に出して言うのは憚れたようだ。

その代わり、すくっと立ち上がり、自室に引っ込んだ。

どうすればよいかわからない千草は、仕方なく食事を続ける。すぐに自室から浅葱が出てきた。コートを羽織っているのは、今から外出するためか。


「どこへ行く?」

声をかけた千草に見向きもせず、浅葱は玄関に向かう。

「少し頭を冷やしてきます。店は明日定休日ですから」

一言だけ言い残し、外に出ていく。千草の方は一度も見なかった。



やみくもに歩いた末にたどり着いたのは、やっぱりあの社だった。

千草と初めて出会った社。わざわざ新しく店を構える際に、この稲荷がある丘が見えるところを選んだくらい思い入れのある場所。

ここは千草の管轄だ。来ていることは千草には伝わっているはず。

秋の始めだったのが幸いした。羽織っていた上着だけでも、社で一晩明かしても風邪を引くことはなかった。

結局、千草は探しに来なかった。


もそもそと社の中から外に出る。一睡もできなかった目には、朝陽が眩しい。

憎らしいほど、快晴だった。

「お腹すいたなぁ」

ぐぅという音に、情けなくなる。こんな時でもお腹がすくのか。

と、そこへ誰かが社に向かってくる音が聞こえた。

一瞬期待して、そんな自分に呆れた。思わず笑い声が漏れる。

「浅葱さん!迎えにきやしたよ」

千草が無良に頼んだのだろう。本人が来ないのは、気を使ったつもりなのか。

千草の気遣いが、今は痛い。そんな浅葱の心の内も察しているのだろう。無良は浅葱に声をかけた。

「ささ、ここを降りてまずは腹ごしらえしましょ。落ち着くまであっしの家にいたらいいす」

浅葱は黙って従うしかなかった。



無良は拠点の一つである家に連れてくると、手早く朝食を作り浅葱に振る舞った。

ご飯に味噌汁、お新香に目玉焼き。ごくシンプルな和食。

誰かに作ってもらう食事は久しぶりだった。尖っていた気持ちがほぐれるような温かい気持ちになりながら、浅葱はペロリと平らげる。

無良が差し出してくれたお茶を啜り、浅葱はホッと一息ついた。


食事の間、終わった後も無良は何も聞かなかった。

黙って浅葱を見つめていた。

その視線に耐えきれず、浅葱は口を開いた。

「千草さんに子どもを作らないかと言われました」

一度、口を開いたら話が止まらなかった。

もう年齢的に浅葱の親類縁者は鬼籍に入っている。千草と共に暮らし始めてからも数年、長くても十数年で店を移転する生活。

自分で選んだ道だ。妖狐と暮らしているなんて言えるはずなかった。でも誰かに聞いてほしかった。

自分が恋をしている人間のことを。

たかが外れたように浅葱は無良に昨夜のことを語った。


無良は、千草に見せたような好奇心旺盛な顔は見せず、ただ黙って話を聞いていた。

合間に千草の想いも盛り込むため、浅葱の話は長くなる。無良は時折頷いたり、お茶を飲む以外は口を挟むことなかった。

ようやく話が終わると、無良は口を開いた。


「浅葱さん、すごいっすね」

浅葱は無良の言葉にビックリする。無良はもう一度同じ台詞を繰り返した後に話し出した。

「千草さんがこの間薬を要らないと言った時はてっきり八紘さんが相手だと思ったんすがね」

「薬?」

「ええ。毎年この時期に渡しているんすよ。発情を抑える薬を。……妖狐といえども狐すからね」

言外に気づいてなかったのか、と問われ、黙って首を振る。浅葱が気づかないように、見えないところで飲んでいたのだろう。


「いやぁ、浅葱さんと……。妖狐が人間と交わるなんて何百年ぶりなんだろか」

素に戻り呟いていたが、浅葱の視線に気づくと無良はいつもの営業用の顔に戻る。

「して、浅葱さんは何が問題なんすか?」

そう問い掛けられて、浅葱は暫し考えた末、言葉を選んで答えた。

「僕は千草さんが好きです。だから、その……行為も……。

けど、千草さんにとっては別に僕じゃなくてもいいんです。子が出来るなら、八紘さんでも。

たまたま今僕が近くにいるから声をかけただけなんです」

無良はキョトンとしたあと、思いっきり吹き出した。

「あ、あさ……ぎさんっ。それっ本気でいっひひひ」

お腹を抱え、膝をバンバン叩きながら爆笑する無良。

浅葱は彼が落ち着くまでただポカンとして見つめているより他なかった。




「千草さんのところに帰るんすか?」

「ええ」

この家に来た時とは打って変わって晴れ晴れとした表情で、浅葱は無良に礼を述べ、ドアに手をかけた。

「浅葱さん」

無良が引き留めるように声をかける。

振り向いた浅葱に無良は助言をする。

「人間と妖狐は種別が違いやすから理解できないこともあると思うんす。けど、千草さんは浅葱さんが思うよりもずっとあなたのこと、大切にしてやすよ」

「無良さん、ありがとうございます」

嬉しそうに笑うと、今度こそ浅葱は家を出ていった。


「本当に。妖狐が人間と暮らすんだけでもすごいのに。子まで成すと言うとは。……浅葱さん、どこまでわかってるんか」


狐には暗黙の了解がある。

それは、『人間との子を成さない』。葛の葉が人間と成した安倍晴明の子孫が現代においても狐力を使い、様々な影響を及ぼしているからだ。


無良から見ても特別際立ったところがないように思える浅葱に千草は何を見出しているのか。


「ホントにすごいことっすよ、浅葱さん」

彼が去った家で一人呟いた無良の声は、聞く人もいないまま、空に消えていった。



さすがに緊張しながら家に戻った浅葱だったが、千草は留守にしていた。

意気込んでいた分どこか拍子抜けしながら自室に戻った浅葱は、無良から聞いた話を反芻する。


妖狐には自分の『子』という概念は薄い。自らが産んだ子であってもだ。それは産まれてすぐに親元から離されることと、産んだとしても生き残ることが難しいためだ。

自分の産んだ子を人間のように手元で育てたい、と考えている千草が異質なのだ。


「同じように化けれても狐と狸は格が違いやす。特に狐は神す。人間には想像もつかないくらい、縛りや掟に厳しいんすよ。

掟を変えてまで千草さんは浅葱さんを選ぼうとした。尻尾も切った。

子づくりのことも適当に言ってないすよ。だって夫の八紘さんに頼む方が楽なんすから。

だから自信持ってください」

ニカッと無良が笑うのに釣られて浅葱も笑ったのだった。


数時間前のことを振り返りながら豆を挽いていると、玄関扉が開く音がした。

浅葱が出迎えようとする前に声だけ飛んできた。

「かふぇおーれ」

昭和初期に初めてこれを知った時から、千草は初めてカタカナを読めた幼児のように、カフェオレを発音する。その変わらない言い方と注文されたメニューに浅葱は笑顔になる。

千草がカフェオレを頼む時は決まって浅葱の話を腰を据えて聞いてくれる時なのだ。

基本的にブラックコーヒーしか飲まない千草だ。ミルクで割ったカフェオレをコーヒーの倍の時間をかけて飲む。

飲んでいる間は黙って浅葱の話を聞く。それが千草なりの歩み寄り。

浅葱は返事をし、急いで、でも丁寧にカフェオレを2ついれた。



カフェオレを飲む音だけが部屋に広がる。

千草は口を開かない。

浅葱もまた、言いあぐねていた。

二人のカップが空になるまで、どちらも口を開かなかった。


「誰でも良い訳では無い」

それが昨日の夜の答えだと気づいたのはしばらくしてからだ。

素っ気ない言い方だが、優しい声。千草が今できる最大限のいたわり。

浅葱はその言葉に安心しつつも、どうしても聞かなければならないことがあった。


「千草さんは、その……僕で……いいんですか?」

無良に聞いているとはいえ、その質問をするのには勇気を振り絞らなければならなかった。

千草は呆気に取られたように目を丸くして、そして盛大なため息をついた。

「そんなことも分からぬのか。人間とは厄介だな」

声にこもっていたのは叱責、ではなかった。ただ呆れと、億劫そうな響き。

「お主と生きたいと思うた。人間にとってそれは理由にはならんのか」

本当に厄介だ、ともう一度呟く。

「お主と共に生きたい。それを叶えるために尾を切った。

お主の子を為し、吾の手で育ててみたい。だからお主に言うたら、家を飛び出す。

自分が思った通りに動いておるだけで、それ以上の理由(わけ)などない。

……何を笑っておる」

千草の言葉に浅葱は自分でも気づかない内に笑みを浮かべていたようだ。


千草はいつだって本音しか言わない。自分の信念でしか行動しない。

言葉が足りぬように感じたり、裏を考えたり。穿った見方をしたりするのは、人間である自分。

そう思うと、浅葱の肩からスッと力が抜けた。


「千草さん」

机の上に置かれた彼女の手に触れる。振り払ったり嫌がられたりはしなかった。

その場で中腰になる。重ねた手に力を入れる。

そっと顔を近付けて、彼女の、千草の唇に唇を重ねる。


ゆっくり顔を離すと同時にささやいた。

「愛しています、千草さん」

「そんなこと、とおの昔から知っておる」

彼女の言葉に浅葱はいつものように微笑むのだった。




「……さ、さま。……ちぐさ……さま」

呼びかけた人物は、相手が反応しないことに気付くと大きく息を吸った。

「母様!!」

耳をピクリと反応させ、千草は億劫そうに振り向く。

「何じゃ、茜。大声を出さぬでも聞こえとる。……それに『母』と呼ぶなと言っておるだろう」

千草と浅葱の子である茜は、理不尽な千草の言い分に目を釣り上げた。

「なら一回で応えてください!」


その顔に千草は懐かしそうに目を細めた。

浅葱がたった一度だけ見せた怒った顔。その顔にそっくりな表情を(むすめ)は見せる。

外見は千草に瓜二つなのに、喜怒哀楽の表情はどういう訳か浅葱に酷似していた。

浅葱と違い、茜が見せるのは穏やかな笑みではなく、もっぱら怒った表情なのだが。

自分が怒らせていることを棚に上げて千草は娘の顔をマジマジと見つめた。


「八紘様がお呼びですよ。()()()()()()()

「……わかった」

もう少し見ておきたかったが、そんなことを言うと火に油を注ぐだけだ。

千草は、よっこいしょと掛け声を上げて立ち上がった。


ふと思いついて千草は、茜が幼い頃よくしていたように頭を撫でてみた。

もう目線は千草とそう変わらない。

いつからこんなに大きくなったのか、と感慨に耽っている千草に鋭い声が飛んでくる。

「ちょっ!子ども扱いしないでよ!」

手を邪険に振り払われたし返しに、思いっきりデコピンをした。

「……ったぁ。何するのよ!」

()に生意気な口を聞いたからじゃ」

照れくさそうに「親」と発言した千草は、サッと踵を返した。

それ以上顔を茜に見られたくなかったのだ。

足早に部屋を後にしながら、千草は心の中で浅葱に話しかける。


(「親」と思えるのも悪くないの、浅葱)

応えはない。が、きっと側にいたら、彼はいつものように穏やかに微笑んでいただろう。


千草は時折自問する。

人間と子を成したことは良かったのか。

まだ明確な応えは見つけられていない。

だが、一時の間、浅葱と茜の3人で「家族」として暮らした日々は、彼女の妖狐人生の中で何事にも代えがたい時間であった。


「さて、妖狐としての仕事をするかの。……人間と妖狐の垣根を取っ払うために」

千草は廊下を歩きながら、7本に戻った尾を震わせると「妖狐たまき」の顔になる。


千草の望みである人間と妖狐の垣根が無くなった時。

人間と子を成したこと、そして浅葱への想い。

その答えがわかるのだと信じて。

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