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§001 初めての離婚

「――離婚届だ。今日中に署名・押印を済ませてくれ」


 突如として突きつけられた紙面にリズ・オルブライトは動揺を隠しきれなかった。

 言葉の意味を理解しつつも、これが聞き間違いであってほしいという願いを込めて、その意味を問い直す。


「グレイン様、それはどういう意味でしょうか」


 そんな決死の想いを乗せた問いに対しても、眉一つ動かすことのないリズの夫であるグレイン・ノベリアル伯爵。

 グレインは、まるで蔑むように彼女のことを一瞥した後、淡々とした口調でそれに答えた。


「言葉どおりの意味だ。お前では私の妻としては不足だったと言っているのだ。かの由緒正しきオルブライト家のご淑女だということで縁談に乗ってみれば、来たのは鈍臭い田舎娘ではないか。むしろ三年もの間、家事すらろくにできないお前のことをよく面倒を見てやったと感謝の一つでもしてほしいくらいだ」


 三年間。

 これがグレインとの結婚生活を過ごした時間だ。


 リズは齢十八の時に、いわゆる政略結婚により、グレインの下に嫁いだ。


 リズも身分の上では伯爵令嬢ではあるが、その実は名ばかりの貧乏貴族。

 先代の悪政に対する粛正により、お取り潰しはどうにか免れたものの、土地や財産などの権力につながるものはほぼ剥奪されてしまっていたのだ。


 そのため、領地を維持するためなら、恥も外聞も捨てて、何でもした。

 自ら田畑を耕し、必要なものは自作し、全てを切り詰めて生活していた。


 そんな中で持ち上がった同じく伯爵家の縁談。

 正直に言ってしまえば、ノベリアル家には黒い噂などもあり、結婚に対して前向きではなかったが、御家の存続のため、両親や兄弟の幸せのため、この政略結婚に了承したのだ。


 ……大好きだった『錬金術』を辞めてまで。


 リズの唯一の生き甲斐は『錬金術』だった。

 錬金術とは、『無から有を生み出す法』とも呼ばれ、必要な材料に特殊な詠唱を織り込むことにより、不完全な物質を完全な物質へと昇華させる『魔法』の一種だ。


 リズは錬金術において類い希なる才を有しており、オルブライト家がどうにか存続できていたのは、リズが錬金術により生み出した生活道具の数々によるところが大きかった。


 しかし、グレインは非常に体面を気にする方だった。

 伯爵夫人に求められるものは、日夜開催されるお茶会、夜会、パーティへの参加など、いわゆる淑女としての嗜みだ。


 そんなグレインからすれば、錬金術などは職人が使う生活魔法の一種だったのだろう。

 結婚後、グレインは彼女が錬金術を行うことを決して許してくれなかった。


 元より愛のある結婚ではなかった。

 それでも結婚というのは人生で一回限りの最も大きなライフイベントなのだ。

 であるならば、愛する人と仲睦まじく一生を終えたい。

 そう考えるのは人間としての性と言えるのではないだろうか。


 それはリズも例外ではなく。

 リズは幸せな結婚生活を求め、夫であるグレインに言われるがままに錬金術を辞め、社交界にも積極的に参加するなど、グレインを精一杯愛する努力をした。


 しかし、所詮は大した教育を受けていない貧乏貴族。

 元より化粧品やお菓子、貴族の噂話に疎かったリズの化けの皮はすぐに剥がれ……他の貴族の奥方からも距離を置かれるようになった。


 そんなリズをグレインは許せなかったのだろう。

 グレインは彼女から必要なものを全て取り上げ、身分を使用人同然の生活へと落した。

 その後は、事あるごとに否定、非難、無視、暴力という悪い形容の嵐。

 特にグレインは潔癖のきらいがあり、部屋に塵の一つでも落ちていようものなら、リズのことをひどく叱責した。


 それでも彼女は頑張った。

 どうにかグレインにもう一度認めてもらおうと……。


 それなのに……。


「おい、署名・押印もすぐにできないのか。これだから没落貴族の田舎娘は……」


 ……結果はこれだ。


 目の前に叩き付けられたのは、『離婚届』と記載のある一枚の用紙。

 今までの努力が、今までの自身が受けてきた仕打ちが全て精算されてしまうのが、この『離婚届』というものの効力だ。


 もうどうにもならないことはわかっている。

 どんなに彼に縋ろうとも、もはや彼が自身を見てくれないことはわかっている。


 それでも……。

 たった紙切れ一枚。

 それで今までの全てが精算されてしまうことに、一握りの寂しさと、ほんの少しの憤りを感じた。


 リズはグレインに言われるがままに筆を取るが、いざ筆を走らせようとすると、視界が歪んで思うように文字が紡げない。


 代わりに一粒の雫が白い紙面を濡らした。


「……(ぐすっ)」


 あの時にこうすればよかったのかな。

 この時にこう言っていればよかったのかな。


 そんな様々な後悔が彼女の下に押し寄せてくる。


 この数年で心は大分磨り減ってしまった。

 毎日罵倒されるうちに、自分が無価値な人間であることを疑わなくなってしまっていた。


 我が国では、離婚経験者は、少なからず、「どこかしらに欠陥のある人物」と見られる傾向にある。

 もはや自分に二度目の結婚という選択肢は残されていないだろう。


 そんな無価値な自分にも。


 もし、もう一度だけチャンスがあるのなら……。


 ――次こそは、心から愛する人との間で、幸せな家庭を築きたいなぁ。


 そんな叶わぬ夢を切望しつつ、リズの《《一度目》》の結婚生活は幕を閉じた。



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