第18話 環 円香(たまき まどか)
私は家から布巾をとってきてぶちまけられた紅茶を拭く。机の上のカップが邪魔だったが少女が持ち上げてくれたため礼を言いそのまま一気に拭いた。
ついでにそのまま食器などを片付けることにした。しばらくしてすっかりきれいになった机に私と少女は座った。
「ん……」
目の前の少女が咳ばらいをする。どうやら紅茶を飲む前の続きをするようだ。
「はじめまして、私の名前は環 円香。ちょっとあれだったけどお昼ご飯ありがとう、おいしかった(?)わ。」
少し美味しかったのイントネーションがおかしかった気がするが気にしないことにする。しかし驚いた。目の前の少女、環は名前があるようだ。
当たり前だと思ってはいけない。吾輩は名前がまだないのだ。
つまり自己紹介ができない。どうしよう。
「……えーっと、はじめまして、私はまだ名前がないの。親しみを込めてお姉ちゃんって呼んでね☆彡」
こうなってしまった。ちょっと恥ずかしかったので最後のほうはお茶らけてしまったのがさらに恥ずかしいことになった。
視線が痛い。やめろそんな目で見るな。
そもそもだ、お姉ちゃんなんて呼んでほしくはなかったのだが、お兄ちゃんはもっとおかしい。けれどそれを防ぐための名前がない。
そうなると見た目の特徴でよんでもらうしかないけど金髪さんとかいやすぎる。妥協の産物で私はお姉ちゃん呼びを要求することになってしまった。
「あなたお姉ちゃんってより妹みたいな……そんなすねた目で見ないでよ。」
続きなど言わせないぜ、私は鋭い眼光を浴びせる。数々のスライムを屠ってきた私の眼光はそれはそれは鋭いものなのだ。
「まあ名前がないならしょうがないけどさっさと決めなさい。呼びづらいわ。」
うーん名前どうしようかな。
「このチャーハンは美味しいわねえ」
環が若干とげのある言い方で晩御飯を貪っている。何か最近美味しくないものでも食べたのだろうか。
「文句を言う人にはおかわりとサラダはありませんよ」
私は昼、サンドイッチを作るためにメニューから購入した食材を腐らせないために晩御飯もメニューから買わず、手作りで済ませていた。
なぜお昼から夜まで時間が飛んでしまっているか、これには深く悲しいわけがある。
名前を考えていたらなんということでしょう、いつの間にか夕方になっていた。せっかくの休日がなくなっちゃった。
休みの日がすでに終わりかけていることに深い絶望を覚えながらそろそろ夕食の準備をしなければと思い机などを片付けようとしたらなんと驚き、まだ環は椅子に座っていて寝ていた。
肩を揺らし起こしてあげるとふわっと大きなあくびをしおはようとあいさつしてきた。
「おはようございます。ごめんなさい物思いにふけっちゃって、退屈しませんでしたか?」
「途中までは退屈はしなかったかな……見てて面白かったし……」
どうやらなにか面白いものでも見つけたらしい、ぜひ教えてもらいたいものだがまあそれは今度でいいだろう。
「じゃあさようなら、私毎週日曜日に休むことにしてるからよかったら来週も遊びに来てくれると嬉しいな……。」
せっかくできた友達候補逃す手などなく私は次の休みの予定を告げてまた来てねと告げたが環はまだ帰る気がなかったようだった。
「何言ってるの、晩御飯もご馳走してくれるんじゃなかったの?」
そういえばそういった気がする。
そこからサンドイッチの余りの食材で晩御飯のチャーハンとサラダを作って二人で食べることにしたのだった。
環はちょくちょく調味料をチェックしていたがさすがに大丈夫と判断したのだろう。途中から家を物色し始めたがたいして面白いものがなかったらしく最後のほうは椅子におとなしく座っていた。
「でもどうして帰らなかったんですか。さすがにほかにやることとかあったんじゃないですか?」
私は食事中の話題にさりげなく相手のことを探ることにした。
「べつにこの世界一人でできる娯楽や暇つぶしなんてないからね。百面相してぶつぶつ言ってるおねーちゃん見てるだけでおもしろかったわよ。」
なんと私のことを面白いと言ってくれた、これは好感度高いですね。私はさらに言葉をつづけた。
「一人でダンジョン攻略なんて大変じゃないですか?私はようやくスライムを安定して倒せるようになったんですけどやっぱり力が弱いと大変だったりしませんか?」
「ごめんスライムは別に手間取った覚えはないかな……」
裏切られた、おかしいなあ。
晩御飯を食べ終え、食後の紅茶(砂糖入り)を楽しんでいると、少し環の行動に違和感を感じてきた。
家に帰ろうとしない。だらだらと居座っているのだ。さっきなんて風呂に入ろうとした。
少し状況を整理してみよう。昼を食べた後ろくに会話もしないで私が物思いにふけってしまった。その時の私は百面相をしてたらしく見てて面白いから帰らなかったらしいが、そもそもわたしが百面相なんてするだろうか、そして仮にするとしてそんなに面白いとも思えない。もし私なら初対面の人間が急に物思いにふけった挙句反応がなくなったら、多分帰る。熊だってどっか行った。もちろん帰らなくてもいいのだが……さすがにここまで家に帰らないと少しおかしいと思う。
環の様子を少しうかがってみる。彼女もこちらの様子をうかがっている。深淵を覗くとき深淵もまたこちらを覗いていたようだ。やっぱり昼のあの時から私になにか言いたいことがあるんだろうと私は思った。
しかしそれは見当もつかない。けど、ここで彼女を帰してしまったら私は一生後悔することになる。なぜだかそう確信したのだ。
「晩御飯もご馳走様、今度はちゃんと美味しかったわ。じゃあこれで失礼するわね」
そうこう悩んでいると環は立ち上がりこの家を去ろうとした。見送るために玄関まで行くと環はこちらを振り返る。こんなに構ってほしそうな態度をとってきたらもう確定なのだろうか。
「……」
沈黙が流れる。環は何かを言いかけて、それをやめてドアノブに手をかけて家を出ようとした。
「私は明日もダンジョンに行くんですけど……」
おそるおそる言葉を紡ぐ、断られたら今日はベッドでもだえ苦しむことになるだろう。
「もし…もし環さんが暇なら……、一緒に行きませんか?」
そんなに時間は立ってないはずなのだが返事が返ってくるまですごく時間がたった気がした。早く返してくれないとこの場で悶えてしまう。相手を直視できなくなって目線が不思議と下がってしまった。
「えへへ、おねーちゃんがそういうなら、いいよ。」
返事が返ってきて私が目を上げると視界に入ってきた環はこちらを向いてはにかむ様に笑っていた。




