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峠の箸休め

作者: 正岡 國久


定食屋「峠の箸休め」

ここは、文字通り峠の途中にある定食処だ。もうずっと前からあるらしく、今の店主で五代目だという。定食屋を名乗ってはいるが、定食の他にもラーメンうどんにハンバーグ、果てはタピオカ抹茶ラテも扱っている。先代の得意料理はお好み焼きで、常連によく振る舞っていたらしいが、使い古されたメニューにお好み焼きの文字はない。

私は、豚の生姜焼き定食を食べ終えてお茶を飲みながら、昼の喧騒も去って厨房に座ってこちらを眺めている店主にこんなことを聞いてみた。

「ここは県境の峠道の途中の、オアシスのような店ですよね。ところで店主さん、何か面白い話とかありません?ほら、峠道と言えば色々あるじゃないですか。首なしライダーとか。」

自分でもバカバカしいとは分かっているが、私は昔からこの手の話が好きなのだ。

店主は少し考えた後でこう言った。

「あんたの言うような派手な話じゃねぇ。それに、今考えれば、って言うような話でよけりゃあ、一つ聞いちゃくれねぇか?」


ここに、店主の話をまとめておいた。当日の天気と気温は私が後で調べて書き足したものだ。まああって困ることはないだろう。店主の詳しい動きなんかは私の想像によるものだし、多分に話を盛ったような部分はあるかもしれないが、それでも話の大筋に齟齬はないということで許してもらいたい。語り口は、一応店主の話なので、店主の日記調にしておいた。



1月6日(火) 晴れ>曇り 3℃/-5℃

今朝は一段と冷え込んでいる。水道が凍っていなかったのが意外な程だ。明日は雪になるというから、今日より一段と寒くなるのだろう、水道を開けたままにするのを忘れる訳には行かない、それに、その分今日は店を回さないと明日の分を裁ききれなくなってしまう。水がたいそう冷たいが、かえって引き締まるというものだ。


昼、のれんを掛けに外に出ると、既に列が出来ている。さっさと店を開ける、日差しも出て日向は暖かいとはいえ、この寒い中にあまり待たせるのも気に入らない。

13時過ぎ、店内もがらんとしてきた頃、代金ぴったりの小銭と共にこんなことを言われた。

「明日は雪みたいだね、それじゃあ明日はお預けかね。」

別に店を開けないつもりはないが、わざわざこんなところまで足を伸ばす物好きもいないだろう。明日は仕込みも少なめにして、昼は帳簿の整理でもしていようか、確定申告も近い。そんなことを考えながら客のはけたテーブルを拭いていく。


夜、いつもの飲兵衛をタクシーに任せてのれんを下げる。月の覗かない夜は暗く、道に浮かぶ街灯は、どこかの庭園の飛び石を思わせる。表のシャッターを閉めた後、ガス栓の締まっている事と水道の僅かに流れていることを確認して床に入る。明日は朝から重労働が待っている。



1月7日(水) 曇り>雪 0℃/-6℃

朝、騒々しい時計の頭を叩き、雨戸を開ける。確かに一面真っ白だが、思っていた程は降らなかったと見える。朝食を摂る私の前で1人話し続けるアナウンサーが言うには、今朝の積雪は50cmだそうだ。なるほど、これなら楽に済みそうだ。まずは厨房の水道の流れていることを確認し、雪かきスコップを持って外に出る、朝一番の重労働だ。

雪かきはすぐに終わった。毎日1mずつ積もった去年に比べればなんのことはない。とはいえ客足を遠ざけるには充分な積雪と言えるだろう、暖房の効き始めた店内に戻って、仕込みもほどほどに帳簿を開く。


昼、正直迷ったが、まあ開けておくだけ損はないだろう、そう思いのれんは掛けておく。一体どんな物好きが来るのやら。

昼下がり、帳簿の数字に眠気を覚え始めた頃、荒々しく扉が開き、この辺りでは珍しくスーツを着た男がやって来た。

「いらっしゃい、適当に座ってくんな。」

一つ伸びをして立ち上がる。

(靴に雪が着いちゃいない、車で来たのか。全く気付かなんだ、もしかして寝ちまってたか。)

そんな事を思いながら厨房に立つと、男はカウンターに座った。

「こんな日に来るたぁ物好きだねぇ」

気安く尋ねたつもりだったが、男は機嫌を損ねたらしい。

「俺ぁあんたに今日来いと言われたから来たんだがね。」

いつの間にそんな約束をしたのか、すっかり失念していた。

「おっと、そうだったのか、そりゃあ悪いことしちまったな。足元の悪い中わざわざどうもね。他のお客さんもいねぇし、腕ぇ振るわせて貰うよ。何にするよ。」

男はメニューを開きもせずに答える。

「お好み焼きを」

「あいよ!」

まさか父の得意料理をこんな形で指名されるとは、腕の見せ所というやつなのだろう。厨房に立つ父が毎日のように作っていたお好み焼き、忘れるはずもない。おもてを五分、うらを三分、粉はつなぎで。

普段なら時短の為にピザカッターを使うところだが、今は客もいない、テコで格子状に切って完成だ。

「おまちどおさま、お好み焼きだよ。」

男は一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに食べ始めた。

「どうだい?」

あまりにも無表情で食べるので、不安になって聞いてしまった。

「ちゃんと美味ぇじゃねぇか」

「そいつぁ良かった。」

お好み焼きを平らげた男は、満足そうに帰っていった。


夜、結局来客はあの男1人だった。帰った後も考えたが、どうにもいつ約束をしたのか思い出せなかった。だがどうしてか、どこかで会ったような気がした、これがデジャブとか言うやつか。もはや誰も来ないだろうと見切りを付けて、のれんを下ろしに外へ出ると、朝方使った雪かきスコップが無造作に壁に立て掛けられていた。どうやら昼間は降らなかったらしい。道を見ると、除雪車も通らなかったのか、足跡一つない腰丈の雪が道一面に広がっていた、どうりで客の来ない訳だ。明日は晴れだと言うし、夜のうちに雪を掃けてくれるだろう。雪も月も見える、後は花だろうか。そんな事を思いながら、のれんと雪かきスコップをしまい、シャッターを閉じた。



1月8日(木) 晴れ 0/-9℃

今朝は雲一つない気持ちのいい空が広がっている、が、その分よく冷える、放射冷却とか今朝のテレビでそんな事を言っていた。外に出てみると、夜の間に除雪車が通ったのか、道の両側に小高い雪の塊と、真ん中にはキャタピラーの跡が走っていた。雪で客足の途絶えた後は、きまって定食が恋しいと常連達が押し掛ける。今日は忙しくなりそうだ。


昼、いつもより少し早くのれんを掛けに外に出ると、案の定見慣れた顔ぶれが並んでいた。分かりきっていたことなので、さっさと店に通して注文を取っていく。そういえば小さい頃、雪の降って少しした日には決まって店の手伝いに駆り出されたものだ。1人で回すようになって早数年、これも毎年の風物詩だ。


夜、1日ぶりだからと酔い潰れた飲兵衛をいつも通りタクシーに乗せてのれんを下ろした。店の中を点検し、部屋に戻って日記を開いたところで少し引っかかったことがある。昨日の昼に来たという男、全く顔が思い出せない。スーツに気を取られて顔を見ていなかったのか。これでは次来た時にまた機嫌を損ねそうだ。そんなに特徴の無い男なのだろうか。



1月9日(金) 晴れ 2℃/-3℃

朝、昨日1日かけて少し融けた雪が夜の寒さで氷のようになっていた。鉄のスコップで砕いていくが、これはやはり骨が折れる。筋肉痛になるのは明日か明後日だろうが、土日はどうせ寝て過ごすのだから、客の為にも砕くことにした。


固まった雪を砕き終わったのは昼前だった。仕込みの時間が十分に取れず、お昼時にはたいそうな混雑になってしまった。それでもなんとか列を全員店内に座らせ、一席の空きが出来たところへ車の音がした。引き戸を開けて入ってきた男は、見付けた空席に座るなりこう言った。

「お好み焼きを」

お好み焼きは先代の親父の得意料理、いつもなら腕によりをかけて作るところだが、今日は忙しすぎた。両面に三分ずつ火を通し、ピザ切りにして出してやった。すると、何が癪に障ったのか男が怒り出した。

「これがお好み焼き?なんの冗談だ?」

こっちも忙しかったのでこう言ってやった

「おととい来やがれ」


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