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メディカルジャンキー

作者: 小城

 その男は、×××という薬を飲むと、再び、ペンを動かし出した。彼の職業は、小説家。彼の作品は、×××という薬を飲むことで、生み出される。という。つまり、ジャンクアーティストである。

「酒もタバコも同じである。」

 というのが、彼の持論である。

「副作用は、僕にとっては、メリットだから。」

 一応、断っておくが、×××は、違法薬物ではない。医療用医薬品であるが、彼のしていることは、適正外使用に値するであろう。

「それでも、良いのだよ。」

 社会全体の利益を考えたとき、それは適正以上の使用だという。確かに、彼は、ベストセラー作家であり、彼の作品は、必ずと言って良いほど、百万部以上は売れる。それは、今の書籍氷河時代においては、彼の本に、直接、関わる人、及び、間接的な経済効果の波及を鑑みればそうなるのかも知れない。

「最大多数の最大幸福を目指して、政策を打ち出すのは、この国も同じじゃないか。」

と彼は言った。だから、彼にとって、

「書くことは、正義。」

であった。それが、何を意味するのかは、私には、分からないが、彼は、それを体現するかの如く、書き続けた。

「これを読まないのは、『悪』だ。」

 という、キャッチフレーズが、彼の新刊の帯に印字されたときがあり、それが、各メディア媒体で、物議を醸し、そのフレーズ自体は、その本の内容とは、何の関わりもないにも関わらず、それが、宣伝になり、その書籍は、その出版社では、異例の三百万部という数字を叩き出した。

 あるとき、私は、彼に差し入れとして、栄養ドリンクの類を持って行ったら、彼は、拒絶した。

「私は、栄養剤、エナジードリンク崇拝者ではない。」

 と彼は言うが、私には、その違いが分からなかった。私の周りには、彼の他にも、一日分の栄養摂取量が配合された栄養剤だけを摂取して、一日を終える医師や、それらへの反発なのか、返って、常識的な生活をしようとして、逆に、普通人からしたら、常識外れな生活をしている医療従事者などが、多くいる。

「私と、彼らは違う。」

 私がその話を彼にしたとき、彼はそう言った。が、私には、彼らと彼の違いが分からなかった。

 そんな彼は、今世紀の新型ウイルスの蔓延によって、命を失った。そのことは、やはり、大々的に放送された。大手検索サイトでは、週間トレンド1位を獲っていた。そのことを、彼が知ることはなかったが。彼が、そのことを知ったら、何と言っただろうか。

 私は、彼の担当編集者として、長年、彼に携わってきた。ただ、彼は、担当編集者をいらない人間の一人であり、彼に関してだけ言えば、私の仕事は、彼の雑談に付き合うことと、締め切りの確認だけであった。

 長年、私は、彼の担当をしてきたが、本音を言うと、彼の作品を、一度たりとも、良い作品だと思ったことはなかった。少なくとも、私の中で、彼の作品は、時代に名を刻むような名作ではなかった。確かに、売れはしたが…。

 彼の作品には、ところどころで、ヒーローが出て来た。それが、物語の主人公なのであるが、私にとって、それは、人間とは思えなかった。安直な表現だが、機械が皮を被っているだけのようなキャラクターではあった。

「そこが良いんですよ。」

 同僚の編集者が、そう言ったとき、

「そういうものなのか。」

と素直に思った。

「先生の作品の主人公は、人間性を看破した言動と行動で、作品そのものを、推し進めていく。そんな力強さを持っている。」

 …そうである。しかし、世間に受け入れられた、そんな主人公も、私にとって、ヒーローに、なることはなかった。三百万部という数字は、書籍業界にとっては、途方もない数字である。この国の人口を1億2000万人だとすると、40人に1人は、その本を持っているということになる。購入せずに読む人も考えれば、読者数は、それ以上ということになる。しかし、その全ての読者にとって、彼の作品の主人公は、ヒーローになり得たのだろうか。

 人によって、それは、名も知らないすれ違う通行人であったかも知れない。少なくとも、私は、通行人とは言わずとも、数年に一度会うか会わないかの、存在すら忘れてしまうような親戚のおじさんぐらいでしかなかった。こう言ってしまうと、通行人の方が、まだ、ましなように思えた。流石に、そのようなことを、直接、彼に言うよしもないが…。

「これを読まないのは、『悪』だ。」

 編集部で、それが、キャッチコピーとして、採用されたとき、何故か、私は、自分が責められているような気持ちがした。私は、今まで、彼の担当者編集者として、特別、何かをした覚えはないが、それでも、それなりに、順当に担当者としての、職務を全うしてきたと思っているし、ごく普通の一般人のつもりではある。それなのに、見も知らない創造物に、『悪』呼ばわりされるのは、納得いかなかった。という被害妄想を感じた。と言っても、私は、脅迫された訳でもなく、自主的に、それを買って、読んだので、『悪』にはされずに済んだ。そして、そこそこ楽しむこともできた。

 今、私は、他の作家を担当している。彼女の書く小説は、数千部から良くて数万部。たまに、重版がかかる。

「それでも、十分すごいことですよ。」

 それは、本当にそうだろう。少なくとも、出版社にとって、利益は上げている。たまに、損失もあるが…。全体的には、五分五分ではないかと思っている。

「それでも、まだ、全然、先生には、追いつかないです。」

 先生とは、亡くなった故人であるあの彼のことであった。

「**さんは、謙虚ですね。」

「そんなことないです。」

 私は、よく彼女の機嫌を損ねてしまう。

「また、ご連絡下さい。」

 私は、そうして、彼女との打ち合わせを終える。

(彼のようになる必要はありません。)

と、本当は、私は彼女にそう言って上げたい。しかし、それは、私のエゴなのだろう。彼女は、彼女の信念に基づいて、執筆をしている。彼と彼女を比較すると、どうしても、私は、彼に敵意を抱いてしまう。と言っても、もう、彼は、この世にはいないのだが…。

 その感情は、私の嫉妬心からくる物なのだろうか。私が自分の思ったことを素直に言葉にしてしまったら、おそらく、彼女にとって、私は、『悪』になってしまう。

「(俺は、一人の小市民として、静かに暮らしてきたつもりだったのになあ…。)」

 自分は、かつて、宗教的正義、文化的正義、文明的正義の名の下に、悪のレッテルを貼り付けられてきたであろう名もない抽象的な歴史的想像上の人々に、同情した。

「××先生の遺作が見つかったぞ。」

 銀行の保管庫から彼の未完成の小説が見つかったと言って、編集部が騒然となった。

「遺族の方の了承も得て、うちが、出版することになった。」

 作品は、未完成ではあるが、そのことが、逆に各メディアで話題を呼ぶであろうことは予想されたし、大々的に宣伝を行った。元は獲れると誰もが思っていた。ひと月程の間、編集部内は、金鉱脈を発見したかのような騒ぎであった。

「はい。」

「ありがとう。」

 事前に、編集部内にも、彼の最期の作品のゲラが配られた。内容は、ここでも、やはり、主人公が活躍をしていた。

「はあ…。」

 読み終えた後、私は、深く溜め息をついた。彼の作品には、大方、悪役のような登場人物が出て来る。彼は、ヒーローと同時に、悪も作り出していることになるのだが、この最期の作品には、それが出て来なかった。その前に、作品自体が途切れて、終わっていた。それ故なのか、誰がヒーローで誰が悪役なのか、いまいち判然としなかった。

「(終わった…。)」

 私の予想に反して、彼の遺作は、それ以上に売れた。経費を差し引いても、はるかに利益が出た。しかし、それでも、過去最多記録とはならなかった。それを、尻目に、私は、担当作家との打ち合わせに出た。

「××先生の未発表作。買って、読みました。」

 開口一番、彼女は言った。

「どうでした?」

「正直、残念でした。」

「残念?」

「これで、本当に終わってしまったのかな。という気持ちになってしまって…。」

「ああ…。」

 彼女は、本の内容ではなく、これが彼の最期の作品であることを、残念がっているのだろう。結局、彼女は、内容については、一言も言及しなかった。

「ありがとうございました。また、ご連絡下さい。」

「〇〇さんは、今回の先生の作品。読まれましたか?」

「ゲラ刷りでしたが、…。」

「どうでした?」

「おもしろかったですよ。未完成でしたが、それなりに楽しめましたし。」

「そうですか。」

「私も、残念でした。」

 私は、彼女との打ち合わせを終えた。編集部のあるビルに戻る私は、少しだけ、罪悪感を抱えていた。というのも、本当は、私は、彼の最期の作品を読み終えたとき、ほっとして、どこか安心した自分がいた。それは、心のどこかで、もう、私のような悪が作り出されないことに対する安堵感であったのかも知れない。

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