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出づるも  作者: 和鏥
1/33

ハンケチ(1)

 0


 あれだけの晴天は翳り、太陽は厚い雲で顔を隠す。

 大粒の雨が地面を濡らし始め、ぱらぱらと降っていた雨は土砂降りに姿を変えている。

 突然の大雨に慌てて家に帰る者、店に逃げ込む者がいた。

 それは頼りない橋を渡るあの女も同じだった。

 雨が降り注ぎ、川は暴れ、橋には川の水が溢れ出る。

 水は足を滑らせ、足に絡み、足を攫い、しまいには――……。


 1


 大竹夫妻とその子供は祖父母を連れて街に出ていた。


「何を買おうかしらねえ」


 穏やかに言う祖母に孫は目を輝かせて図鑑をねだる。


「庭に虫がいたの。だけどねぇ、おじいちゃんもわからなかったんだよ」


 孫の言葉に祖父は「参った、参った」と笑い、夫妻も微笑んだ。

 誰もがその一家を見て幸せそうだと思うだろう。実際一家は幸せであり、喧嘩などといったものとは無縁だった。全員が穏やかというのもあるのだろう。


「おや」と、大竹正雄(まさお)は立ち止まった。

「どうしたの、まささん」

「あの人、ハンケチを落としたよ」


 見ると、地面には一枚のハンケチが落ちている。そのすぐ先には女が一人歩いている。


「渡してくるよ。少し待ってて」


 正雄はそう言うと、軽い足取りで進みハンケチを拾った。その様子を、待っている家族みなが見ていた。

 ハンケチを拾った時、一瞬だけ正雄は動きを止めた。彼は首を一度首を傾げ、それを絞るような仕草をする。そしてから、前方にいる女性のところへかけて行き、そして無事渡せたようだった。

 戻ってきた正雄の様子は少しおかしかった。


「どうしたの?」


 妻の大竹ハルが尋ねると、正雄は顔をしかめたまま首を横に振った。


「なんでもないよ」


 けれど、その言葉は嘘だと誰もがすぐにわかった。

 きっとハンケチのセンスが悪かったのか、とても汚れていたのだろうとそれぞれ好き勝手に考えそれ以上の詮索はしなかった。


 2


 おかしなことが起きたのは、その翌日からだ。

 友達を遊んでいた大竹夫妻の子供、正が泣きながら帰ってきた。

 驚いた祖父が事情を聞くと、女に誘拐されかけたと言う。怒って現場に行こうとしたがそこには誰もいない。

 不思議なことに雨が降ったかのように一箇所だけ大きな水たまりがあった。

 誘拐犯は逃亡し、おそらくまだ近くにいるだろう。そう考えた祖父は周囲を警戒しながら、正に自分の近くで遊ぶように言った。

 その夕方。今度は、買い物に出かけたハルが青い顔で家に戻ってきた。

 事情を聞くと一日中誰かにつけられていたのだと言う。どうにかこうにか店を巡ってまいてきたが、怖くてたまらないと彼女は涙ながらに訴えた。

 不安に思って玄関を見るが、そこには誰もいない。ただ、玄関から一直線に水溜りの跡が点々と続いていた。

 そのようなことが二日続いた。

 三日目の夕方。

 皆が揃って夕飯を取っていると、誰かが来たようだった。


「ただいまぁ」


 玄関から言うので親戚でも来たのかとハルが玄関に向かい、そして悲鳴をあげた。その悲鳴に全員が慌てて玄関に向かった。

 大竹の玄関は一部すりガラスになっている。ゆえに、客人の体格だけだが把握することができる。

 そこにいたのは、太っているわけでも細いわけでもない四肢を歪ませた人の形であって人ではない”何か”が立っていた。

 それはよたよたと両足を内側に折りながら玄関前で数歩の前進と数歩の後退をせわしなく続けている。


「ただいまァ」


 と、その何かは続けて言った。

 誰もが恐怖に襲われ声が出ない。

 黙っていると、どんと戸を叩かれた。


「ただいまァ」


 最初は平手で戸を叩かれる。


「開けて」


 次は拳で戸が叩かれる。


「開けて。迎えに。迎えに」


 次は頭で戸が強く打ち付けられる。


「迎えに、ねぇ。あがりました」


 誰もが恐怖に黙ったまま涙を溢している。

 額を戸に打ちつける際に見える顔は死人のような色をし、目は左右逆にひん剥いている。


「ここは俺の家だ!」


 それでも祖父がそう叫ぶと、その何かは頭をふりあげたまま動きを止めた。


「違う。違う声だ」


 声はどこか悲しげに、どこか苛立たしげに呟いて、その姿を消した。

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