Chapter-13
「旦那様は、今、お見えになります。しばらくお待ち下さい」
ブリュサンメル上級伯の屋敷の執事長と思しき老紳士が、フォーマルな姿で俺達を出迎えると、俺達を応接室に通し、そう言って、一礼をして出ていった。
週前半の講義日を過ぎて、俺の体力も快復したとされて、今回の件の報告も合わせて、正式に上級伯の屋敷に招かれたというわけだ。
ブリュサンメル上級伯の屋敷はさすが地方の名士とも言うべきもので、城というほどのものではないものの、かなり豪華なものだった。
利便性はともかく、豪華さで言えば、前世でも住宅としてこれほどの豪奢なものは見たことがない。
現世での我が実家も、一応屋敷と言えるような建物ではあったが、ここと比べると雲泥の差と言うしかないだろう。
長方形のテーブルに沿って、3人が掛けられる程度のソファが向かい合わせに置かれ、短い方の辺に、1人掛けのソファが置かれている。
このソファも、前世では古典家具の資料でしか見たことのないような、曲線を描いた脚を持つ枠にクッションが貼られたような感じの形だ。全体がファブリックで構成されている前世でのソファのイメージとは異なる。
もっとも、そうした家具そのものは、現世での我が実家にも置かれてはいたのだが、やはりここと比較すると、グレードがひとつふたつ落ちる、と言った品だった事は感じ取れる。
長ソファのゲスト側の中心に俺が座り、その右側にジャック、左側にキャロが座っている。1人掛けのソファのゲスト側にエミが座り、ホスト側には、上級伯の側の人間として、姉弟子が座っていた。
執事が出ていくのと入れ替わりに、メイドさん達が入ってきて、お茶を淹れてくれる。前世の大学時代にメイド喫茶に行ったことはあったが、ステレオタイプなメイドさんとは異なる、正真正銘のメイドさん達の動きは、静かでテキパキとしたものだった。
ちなみに実家では、一応、家事を担当する人間を雇っていたが、メイドさん、といったような感じではなかった。言ってしまえば、農家の主婦がパートタイマーをしている感じ、というか、多分それそのものだった。
そんな格差があるものだからか、俺は少し緊張してしまい、肩がほぐれないような感覚になっていた。いや、俺だけではなく、ジャックやキャロもそんな感じだった。スチャーズ準男爵家やエバーワイン男爵家も、実家と同じで、貴族とは名ばかりの暮らしぶりだったのだろう。
唯一、あまり緊張した様子を見せていないのが、エミだった。元々寡黙で冷静なところがあると言うのもあるが、まぁ、エミ自身は庶子とは言え、ローチ伯爵家は、うちらと比べると遥かに名門だし、これぐらいの環境には慣れてはいるのかもしれない。
「みんな、そんなに緊張しなくても大丈夫だから。うちのお館様はざっくばらんな人だし」
俺達が緊張しているのを見かねてか、姉弟子が、苦笑しながらそう言ってきた。
その間にも、メイドさん達が、俺達や姉弟子の前に、ティーカップを並べていく。
ちなみに、さっき言った通り前世でメイド喫茶に行ったことはあるが、その前世では俺自身はコーヒー党だったから、メイドさんがお茶を点ててくれる、という行為自体は初体験だったりする。
「ほら、お菓子もせっかく用意したんだし、食べて食べて」
そう言って、姉弟子は、テーブルに置かれた焼き菓子を勧めてくる。俺と言うより、キャロがそれを物欲しそうに見ていたのが、姉弟子も気づいたんだろう。
「あ、そ、それじゃ、いただきます」
キャロが、そう言って、最初はおずおずと、焼き菓子に手を伸ばし、それを、口に運んだ。
「美味しい!」
思わず、と言った感じで、キャロがそう言った。
「え、じゃあ、俺も……いただきます」
男のくせにと思われるかもしれないが、俺も実は甘いお菓子は好物だったりする。しかもこの世界では、まだ砂糖の価値が下がってきていないから、砂糖を使ったお菓子は結構希少だったりするのだ。
市井でも焼き菓子の屋台は出ていたりするが、甘味料として砂糖の代わりに、麦から作れる水飴で代用したものがほとんどだ。
ついでに言うと、実家の場合、経済状況がどうこう言うよりも、輸送に難があるので、やっぱり砂糖はなにかあるときでないと使われなかったりする。
「うっま、これはたしかに旨いぞ」
「そうなのか、じゃあ、俺も……」
「私も……」
一口頬張った俺が、やっぱり思わず、と言った感じで言ってしまうと、ジャックやエミも、俺も私も、と、手を伸ばし始めた。
「大丈夫だから、遠慮しないで」
姉弟子はそう言った。
メイドさん達は、黙って自分の役割を済ませ、応接室を出ていく。
これが本来の、メイドさんの姿なんだろうな。
などと思っていると、
「やあ、皆、待たせたね」
と、金髪碧眼、スラッとした長身に長髪の、何ぞ宝塚の演劇にでも出てきそうな感じの美青年が、姿を表した。
「んぐっ」
俺は、慌てて口の中のものを嚥下し、お茶で流し込んだ。ジャックも同じ、エミもそうするものの、俺達よりは落ち着いている感じだ。逆にキャロは、少しお菓子をがっついていたのか、慌てふためいたようにしながら胸のあたりをドンドンと叩く。
「慌てなくてもいいよ、別に、形式張った宴席というわけでもないのだからね」
当代のブリュサンメル上級伯家当主、オリバー・リング・ブリュサンメルは、穏やかに苦笑しつつ、そう言った。
若いが、少し事情がある。その内容までの詳細はここでは省くが、オリバー・リング卿の、先代のブリュサンメル上級伯と、その息子で長男が事故で早くに亡くなった為、次男だったオリバー・リング卿は若くして爵位を継承することになったのだ。ちなみに、女姉妹も、オリバー・リング卿より上はいない。
もっとも、その若さの割に、有能だとも言われている。別に先代やその長男である兄に悪い話があるわけではないが、当代のブリュサンメル上級伯の評判は良く、その名声は帝都に届くほどだとか。
先程上級伯自身が言った通り、一応、公式の場ではあるものの、別に形式張った遊会というわけでもない。
俺達も、装備品や普段着ではなく、フォーマルな格好をしているが、パーティーに出席するような、豪勢なものではなかった。
「それにしても、やっと顔を見せてくれたね、アルヴィン君」
「あ、はい」
俺は、少し決まり悪そうにしつつも、素直に返事をしたが、
「あれ……なんで、アルヴィンのミドルネーム呼びを知っておられるんですか?」
と、キャロが気がついたように、そう言った。
言われてみれば確かにそのとおりだ。
「いや、実は、リリーからいつも聞かされていてね、覚えてしまったんだよ」
上級伯はそう答えた。
なんだ。姉弟子が原因か。
その当人と言えば、済ましたように紅茶を啜っている。
「それで、だ。今日は、建前は今回の竜禍に対して私が君達から報告を聞く……という事になっているが、実際には私から君達に説明することのほうが多いだろう」
「と、言いますと?」
俺の正面に腰掛けた上級伯に対し、俺は、少しキョトン、として、訊き返した。
「まず、なんであんなところにドラゴンがいたのかだ」
あ……そう言えばそうだな。
あの洞窟、入り口は狭かったし、巨体のドラゴンはあからさまに自由が効かない状態だった。だからこそ、倒せたようなものだ。
卵のか幼生の頃から、あそこにいでもしない限り、ありえない話なんだが。
「調査で判明したのだが、実は、あの洞窟には別に入口があってね」
「え? そうなんですか?」
上級伯の言葉に、俺は間の抜けた声を出してしまっていた。
「そっか、アルヴィンはあの後、意識がなかったから、知らないのね」
キャロが、フォローするようにそう言ってくれた。
「実はあの洞窟、私達が思っていたよりも奥があったのよ」
「そうなのか」
「ああ、あの奥側への通路っていうか、その奥に、より広い空間があったんだ」
と、そう説明してくれたのはジャック。
そうか、そこで俺はミスったんだ。
浅い洞窟だと思っていたし、エミが気配を感じると言ったから、視界が効くより少し奥までしか、気配探知の魔法を飛ばさなかった。
もし、あの時、より広範囲を探索しておけば、ドラゴンの存在にもっと早く気付けたはずだ。
「それで、その洞窟の奥を調べたところ、ノール北西の山地の沢の方に、ドラゴンが充分に出入りできるような、出入り口があったんだ」
上級伯が、そう説明した。
「そうだったんですか。それで、ドラゴンが住み着いたりしたんですね」
それなら納得できる。別の入口から、ドラゴンが入り込んで、巣を作ったんだろう。
「でも、それだとしたら、村人に被害が出る前で、良かったかもしれませんね」
俺は、苦笑しながらそう言ったのだが、
「それなんだが、どうやら、もともと、ドラゴンの巣になっていたところと、ノール村側の洞窟は、繋がっていなかったんじゃないかと思われるんだ」
と、上級伯は、そう言った。