「第三幕:行き止まりの夜」
一回のスケールに迷っています。どのくらいがベストなんだろうか…?
どろり。どろり。
意思を持ったかのように蠢く影は、視界を失い挙動不審となった大蛇へと囲むように迫る。
この影の海は直接絡みついたが最後。広さも深さもない空間へと、永遠に獲物を落とし込む――!
「――――!!」
「ちっ…!そんなのアリかよ…!?」
しかし敵も自然界の住人。
その体はいち早く危機を察し、およそ蛇の動きとは思えない跳躍を見せて囲いから逃れてみせた。
闇を塗り替えた直後に影を広範囲まで広げていなければ、今頃奴は本調子を取り戻していただろう。
すかさず影を這わせて追撃しながら、大蛇の体躯を凝視する。
先ほど一度逃げられた際に、全身の姿は確認していた。そのはずなのだが。
「…なんか、ちっさくね?」
この能力も射程がある。蛇を囲うように走りながら、尾の先を何度もよく確認する。
よく考えれば、太さは健在だがそこそこ短くなってないか、コイツ?
尾の先も不自然に歪んだ形をしている。まるで、パンをねじ切った時のような――
「まさか。」
今日は本当に勘が冴えている。上空から、巨大な何かが落ちてきていた。
それは文字通りねじ切られて分かれた大蛇の一部。
先ほど飛び上がった時か、もっと前なのか、いつの間に放り上げられていたようだ。
断面に描かれているのは魔方陣か。しかも何故だか光り始めている。恐らく、何らかの攻撃魔術が起動しているのかもしれない。
「正気かよ!?…悪ぃが、ここをブッ壊させる訳にもいかないんでね…!」
蛇を追う影を、空間を塗りつぶした影を再び我が身へ縮小する。
それを確認するや否や、視力を取り戻した蛇は再び獲物へ食らいつかんと飛びかかった。もう油断も隙もないらしい。その距離、二十メートル。落ちてくる尾のほうが僅かに早い。
まずは上のコイツの排除。術式へさっきよりも力が集約する感覚がする。これはつまり、ボカンといくアレだ。
ならばその構造は単純明快。満開の花が蕾に逆行するように影を象り、尾を迎える。この影は、ある程度の魔術であれば沈み込めて無効化できる――。
「よし、捕らえた…痛って!!」
クソ、転んだ!スーパーヒーローじゃないとはいえダサすぎるだろ俺のバカ!!
真横で大顎が開く。思ったより到達が早かった。使い魔の弱点であろう術式でも探して影をブチ込んでやろうと考えていたが、甘かったようだ。ここは真上で尾を影へ慎重に沈めつつ、転んだ恥ずかしさに耐えながらコイツへ一撃…
「…できるかーーーーーー!!!!」
足下に広げていた影の海を、バケツに入れた水をひっくり返すようにブチまけた。
蛇は現物でも魔術で動いてるんだ、最悪これでどうにか――――。
「――――うぐううああっっ!!!」
案の定、吹き飛ばされた。冷静さを失った途端にコレだ。
半分以上は飲み込めていた頭上の術式も結局発動したようで、本来の二十分の一スケールほどになった爆風に空気を抜いた風船のように飛ばされ転げ回る。
「あっだだだだだ!痛ってえってば!!クソ!!」
だからヒーローじゃないって言ってんじゃん。
こんなの、まじめな人間が生きてる内に体験していい攻撃じゃない。
「ふぅ…ててて。んでアイツは…。」
襲ってこないと言うことは、とりあえず無力化は出来たはずだ。何だかんだであの対抗策は間違っていなかったらしい。
しかし、これは――。
「…なんだ、これ。」
さっきまで大蛇だったものが、大量の煙を上げて身体をみるみるうちに溶かし、蒸発していた。
影の影響により無効化出来るのは、使い魔としてこの蛇を縛る魔術だけだ。俺は今、コイツ自身に攻撃出来た訳ではない筈なのだ。
いや、「影」も具現化したモノである以上、突進の軌道をずらせはしないかと思ってぶつけた以上は一応攻撃と言えるのかも知れないが…。
「…つまり何だ。この蛇自体が…全部、魔術で作られてたってのか!?」
だとしたら、これはただの魔術師のイタズラでは済まされない。
魔術師について詳しく知っている訳ではないが、素人目に見ても分かるほどここまでの精巧な魔術を行える魔術師は、そう多くないことだけは確かだろう。
これ以上自分にどこまで出来るか分からないが、この町のためにもいち早く対策を――。
「う…んぅ…。」
「……………え???」
人が、出てきた。
無事だったので敵ではなかろう…。あ、すっかり忘れていたが、誰か食われていたような。
「んーー、だれぇ…?」
「えっと…。」
しかも何という偶然か。
食われていたのは、俺の知り合いのひとりだった。
「お前…か、薫か?」
重めの前髪に襟足をくりっとはねさせたショートカットの女子生徒。どういうわけかジャージ姿で徘徊していたらしい、我らが風紀委員長の本町薫が寝転がっている。
通常眠りには緩急が存在するが、今の彼女は一定の深さに眠りが固定されているようで、独特の寝苦しさを伺わせている。魔術による影響だろう。
「まずいな…勘づかせないように帰さないと。」
蛇の構成要素が全て魔術だった事もあって、幸い唾液まみれという状態にはならなかったが、彼女にはとりあえずジョギングを無事に終えて帰宅。偶然出会った蛇だなんだは奇妙にリアリティのある夢でした~といったシナリオを完成させてもらう必要がある。こんな時に協力者の一人でも居れば――。
―――いや、それはダメだ。これくらいは一人でも出来る。
薫を抱きかかえて、とりあえず近くのベンチへ座らせる。なるべく彼女の家へ最短で着けるルートを模索しながらあたりを見回すと――。
あんなに色濃く渦巻いていた死の気配が、全くもってなくなっていた。
思わず呆気にとられる。
蛇を倒したからだろうか。いや違う、あそこにはもっとおぞましい気配を纏った奴らがいた。そもそも、あの気配の中心に先にいたのはあいつらだ。
すると先ほどのタイミングで撤退したのだろうか。にわかには信じがたいが、とりあえずはそう仮説するしかない。ならば、あとは急いで薫を送って――。
公園から少しだけ歩いてきた道を振り返る。
振り返ると、明かな敵意を持った男の姿が、すぐそこにあった。
「――――――――――!!!!!」
逃げろ。
全身は再び警報器へと変わった。
逃げろ。
後には引けない。しかし、ここから先へ進むことは、もはや叶わない――。
「ゲームオーバーだ、影の魔術師。これ以上関われば殺す。」
「なん――――。」
生々しい、肉を打つ音が響く。
様々な疑問符や感情は無作為に混ざり合い、交わることの無いままに沈んで、消えた。