「第一幕︰昼下がりにて」
夢現の住人編、スタートです。
五月七日。
ここ数日の間、夜になると降ってくる雨の影響で所々に湿り気を残した屋上を、一足先に渇きを取り戻した空気が暖かな風を運ぶ。
これが夏であれば、やれ台風一過だエルニーニョなんとやらだと騒ぎ立て、呪いの言葉のひとつでも虚しく空へ吐き捨ててやりたくなるような陽気へと変貌するのだろう。
しかし。今だ寒さがぶり返す事も珍しくない春の終わりの昼下がりでは、そんな熱風なぞ文字通りのどこ吹く風かと誰もがおどけるような風だけが、今もここに優しく吹いている。
心地よい気だるさと解放感に身を預けながら、おもむろに弁当箱の卵焼きに箸を伸ばす。
まるで何もつまめていないような柔らかさである。さしずめこの屋上に吹く風を掴み取ってみせたようなその感覚は、作り手の優しさをそのまま憑依させたような思いのこもった一品でーーー。
ーーあったはずなのだが。
「おう、正解正解。やっぱ弁当のつったらコレが王道だよなぁ。」
本当に何もつまめていなかったようだ。
「そうだな。わき見運転から入ったりしないで素直に自分の弁当を食べるのも食事の王道だよな。てか常識だよな、オイ。なオイ。」
何やら得体の知れない王道の為に俺の弁当の国が攻撃を受けている。
空腹時を迎えた今の寺島一茶という男にとって、目の前の卵焼きが誰のものであるかなんて…いや、とりわけ俺のものか自分のものかなどどうでもいいのだろう。活発な脳筋体育会系も度が過ぎると厄介である。
おかしい。この男とは昼時の度にこの屋上で何度も不戦の契りを交わしてきたはずだ。それが今やもう既に二つ目の卵焼きが鹵獲されてるし本当にふざけるにしてもペースってモンが待て待て待ってくれそれは明太子入りのニューフェイスなんだ勘弁しろ!!
「一茶、その辺で勘弁してやってくれ。なんというか、智晴の表情筋が杭でも打たれたように機能していない。」
昼食を囲む三角形のもう一角を占めていた細身の眼鏡男、三成幸樹がすかさずフォロー、というか牽制に入る。
おそらく卵焼きの中に隠れた明太子の存在を察知しての行動だろうが、そもそも三すくみの状態ですらない中での貧弱な一撃は明太子や卵焼きと共にあっけなく咀嚼された。
「んあ?大丈夫だって智晴よぉ!ホラ何だ、俺のインゲン豆でも何でも持ってけって。」
いや、インゲン豆しかねーじゃん。
「あのな一茶、今日のそいつは俺が自分で用意したおかずじゃあないんだぞ。」
「おお、だよな。」
「そうだな?それでだ。俺はその明太子入りの卵焼きを今日何よりも楽しみにして置いておいた訳なんだ。」
「「あ、なんだそうだったのか?」」
おいそこ。なんでお前までハモる。
「てっきり、俺は智晴がそれを嫌っていたのかと…。卵焼きなんて珍しいしな。」
「俺も俺も。んだよ胃から出しとくか?」
「いい。そこまで執着してない。」
わりかし必要な注意喚起である。
どういう思考回路か知らないが、この脳筋は時たまこういった冗談のような話から見事に冗談要素を抜き取って行動に移してみせるような天才だったりするのだ。
「てかよぉ、幸樹も狙ってたのな。」
「え、まぁ。確かに智晴がイチゴショートを食べる時に、最後までイチゴを頑なに残しておく様なタイプである事は知っていたが…。」
「あー。なんつーかみみっちいよな、そゆとこ。」
?
そうだろうか。
イチゴをショートケーキの醍醐味とする以上、他を全て食べ終わるまでお守り代わりの様にとっておくのは割とみんなやってると思うが…。
「とにかく何だ、まず大人しく目先の自分の飯をしっかり食えって話。お互いの王道を好きに行使してたらキリがない。主に俺が。」
「べっつに俺らだってお前みたいにたまには新鮮味を持って昼飯食えたらワケねーんだよ。なぁ幸樹?」
「ふむ。一理あるな。我らが船校の学食が駅の売店並みに貧相なのも問題だ。今度生徒会へ議題を持ち込むとしよう。」
「そんなクソちゃっちい学食でだよ、やれメロンパンやらチョココロネやらカレーパンやらを毎日毎日たらい回しにするしか無い俺らの気持ちを考えた事あんのかオメーは。あん?今日だってそこそこ奮発したハズが、こんなちんまりしたぼったくり弁当しか食えやしねぇ…。」
「待て一茶、ぼったくり弁当はいいがカレーパンの悪口はよせ。あれは。」
「ちっ。わーってるよ…口が滑っただけだって。」
「?」
まるでカレーパンを地元で有名な暴走族の話でもするかのようにする男二人。
「アレも…今じゃ学食のクーポンが効く。」
「クソが…どの道クーポン使いきんねーといけねーしとか思ってたらもう週三でカレーパンだぜ俺?スポンサーかっつうの。」
「既にカレーパン沼の渦中にいたようだな、ご愁傷。辛口なら俺も嗜むぞ。」
「は?おい幸樹、辛口って何だ。バリエーションなんてあったのかアレ!?」
弁当組ひとりを差し置いて際限なく膨らんでいく学食トーク。
まぁでも確かに、クーポンひとつでメニューが偏る人間が出始める程に力の入っていない学食などウチの他に存在などするのだろうのか。
しかし、俺が食べている弁当は確かに身の丈に合わないほど丁寧かつ彩り豊かに作られた弁当だ。かくいう俺も、自分でやってみた所で無骨な弁当しか作れない事も相まってどこからこの盛り付けを崩したものかと四苦八苦した。
――――こんなにこっちに時間をかけて、作った張本人は今頃なにを食べているのやら。
そろそろ予鈴が近いと感覚で悟った頃、話は学食の貧相さから人口流出が止まらない町の衰退ぶりに移ったと思うと、更にこの三船島町に伝わる伝説についてあれやこれやと考察し出したりするなど驚異的な飛躍を繰り返した後、とある噂話へと着地した。
「知ってるか?あの最近拡大したっつーミヤコのやつ、コッチでも起きてきてるらしいぜ。」
「何と。他人事ではないだろうとは予想していたが、そうか。」
ミヤコとは、市内から出ずにここから電車1本で向かうことの出来る距離にある中心都市の俗称である。同じ倉間市内にありながらも、そのほとんどを自然に囲まれた三船島町とは全く異なる景観を持ったビルの街として、俺達はミヤコと呼んでいる。
「おい待った。それ、そもそもそのミヤコの噂からマユツバものにも程があるってレベルの話じゃなかったか?なんか、人が浮くとかいった系の…」
「それがそうでも無いんだ智晴。実際に、人は浮いているんだよ。」
「はぁ?」
ミヤコで取り沙汰されていた噂。それは、真夜中に年端も行かない少年少女がひとりでにいなくなっては、次々と神隠しにあって戻らなくなるといったものであった。
神隠しの瞬間を見たという人間は皆口を揃えて「子供が空へ吸い込まれて行った」と口にするという。それが、この町でも…?
――穢れを嫌う魔術師は、この町へは近付かない――
どこからともなく染み出た言葉が頭の中を反響する。
もともと悪戯心でオカルト研究会の専門誌を漁るくらいには、こういった噂は信じないタチではある。
いや、「あった」か。
今の俺にとって、単なる噂も噂の域を明確に超える「何か」がもしあるとしたなら。
気軽に笑い飛ばしていいものでは無いかもしれないと疑問に持つことが、俺には使命として降りかかるのだ。
「なあ、一茶、幸樹。」
「ん?」
「あん?」
何も無ければそれでいい。その方が絶対いい。
「その話――――――もっと詳しく聞かせてくれ。」
何も無いと証明するために、俺はこの悪い勘を信じてみる事にした。
智晴のお弁当をつくった張本人は次回に登場です。
…たぶん。