初夜
「ふぅ、だいぶ楽になって来たわ。」
ベッドに横になってタカシにお腹をさすってもらっている
「落ち着いて来たかな?おっと、こんな時間か。そろそろ風呂入れようか。」
「えっ!?お風呂まであるの!!?」
お風呂を持っているなんて貴族や王家の屋敷くらいで、村では普段は井戸水で濡らした布で体を拭く程度だった。大桶に湯を張って入る事もあったが、かなりの時間と手間がかかるのでなかなか行う機会がなかった。
「やっぱりムメイの世界では珍しかったかな?何なら見てみるといいよ。」
タカシに連れられ、下に降りた先のお風呂へ向かった。そして、壁にあるボタンを押した途端、なんとお湯が独りでに出て来たではないか。湯気が立っているので明らかだが、一応触れてみると確かにお湯だ。
トイレのときのような水魔法に加えてお湯にする火の魔力も掛かっているのだろうか。そんな事が出来るとは…この世界は魔法技術が格段に発達しているというのか。
「このままお湯が溜まるまで待ってればいいよ。」
タカシはそう言うと部屋に戻ろうとしたが、私は目の前の光景が気になって、
「ここで見ててもいいかしら?」
「あはは、ムメイにとっては驚く光景だよね。いいよ、好きに見てて。お湯が溜まったら自動的に止まるから。」
タカシの言葉に耳を疑った。お湯が独りでに出たのでもとんでもない事だというのに、更に独りでに止まるなんて。これは見ない訳には行かない。
そして、片時も目を離さずお湯が増えていくさまを凝視していた次の瞬間…
『♪~お風呂が沸きました。』
「!!!??」
どこからともなく音楽と声が聞こえ、驚愕のあまり腰を抜かして尻餅をついた。楽器らしきものはどこにもないし、女性の声がしたが母のそれとは違う。私は慌ててタカシの部屋に向かい、
「あぁぁあの…今お風呂で音楽と声がして…」
「あぁ、風呂が沸いたんだね。ごめんね、ちゃんと説明してなくて。」
マンガを読んでいたタカシは立ち上がって、慌てている私を諭すようにお風呂へ連れて行き、
「ムメイが言ってた音楽と声はここから出てたんだよ。」
と、指を差した先にあるのは先程タカシが押したお湯が出る装置だった。こんな小さなものからどうやって音楽と声が出ているのだろう?
特別な精霊が封じられているのだろうか…
「うーん…仕組みは説明出来ないんだけど、とにかくお湯が溜まると自動的に止まってさっきムメイが聞いた音声が流れるようになってるんだ。」
言われてみると確かにあれからお湯は増えていない。さっき自動的に止まると言ったときは俄かに信じられなかったが本当だったようだ。
「それじゃ風呂も沸いたし、先に入っていいかちょっと訊いて来るよ。」
タカシが奥の親がいる部屋へ向かってすぐに戻り、
「いいって、ムメイから入りな。ここにあるものの使い方を教えるよ。まずはこれ、シャワーっていうんだ。」
タカシが壁に掛かっていた管を手に取った。管の先は蛇の頭のような形で無数の穴が開いている。そして、もう一方の手を壁に付いた突起の中央の取っ手に手を添え、
「それで、この取っ手を左に回すとシャワーからお湯が出るんだ。こんな風にね。」
取っ手を回した瞬間、シャワーなる管から小さな滝のようにお湯が出て来た。川から流れる滝のように強い水流でなく心地良い流れに気持ちの良いお湯でこれは綺麗に洗い流す事が出来そうだ。
「で、反対に回すと止まるんだ。そしてここから更に右に回すと今度はこっちの蛇口ってところからお湯が出る仕組みになってるんだ。」
シャワーのお湯が止まると、次は下に伸びている管からお湯が出た。シャワーとは違い、太い一本筋で真下に垂れていく。これは桶にお湯を汲むのも楽そうだ。
「ちなみにこの端にあるダイヤルで温度を調節出来るよ。お湯と水の切り替えが出来るんだ。」
タカシが突起の右側にあるダイヤルを回した瞬間、出ていたお湯が一瞬で冷たい水に変わったではないか。なるほど、中央のダイヤルで水の魔力を、右のダイヤルで火の魔力を操るのか。水と火、真逆の属性の魔力を併せ持つとんでもない魔道具だ。
「取り敢えず蛇口の使い方はこんなところかな。あとここにあるのが石鹸なんだけど、3種類あってそれぞれシャンプー、リンス、ボディーソープって言うんだ。」
目に入ったのは表面がとてもツルツルした筒だった。それぞれにタカシが言った通りの名前が書いてある。正直石鹸には見えない…石鹸というと、箱型の塊しか私は知らない。それもかなり貴重で数える程しか使った事はない。
「シャンプーとリンスは髪に、ボディーソープは体に使うんだ。どれもこの上の部分を押すと中身が出て来るようになってるんだ。」
タカシが筒から伸びた突起を押すと、スライムのようなとろみのある液体が出て来た。花のような香しい香りに、液体でありながら擦り合わせた瞬間泡と化した。確かに石鹸である。さっきまで疑っていたのが馬鹿みたいだ。
「あとリンスはちょっと特殊で泡立つものじゃなくて、髪に塗る感じなんだ。シャンプーで汚れを落としたあとにこれを使うと髪がサラサラになるよ。」
言われてみるとタカシの髪は女の私から見ても羨ましいくらいに綺麗だ、それもそのリンスのお陰という事なのだろう。
「あとボディーソープはこれと組み合わせて使うよ。」
壁に掛かった細長い布を取ると、そこにボディーソープをかけて擦り合わせた。すると大量の泡が立ち出した。布に触れてみるとかなりザラザラした感触で、これで体を擦れば汚れもよく落ちるであろう事は容易に想像出来た。
「風呂で使うものはこんなところだね、あがったらこのバスタオルで髪と体を拭いて、服は…申し訳ないけどそれ着直して。俺は部屋に戻ってるから。」
そう言ってタカシは、大きな布を渡して階段へと消えていった。お言葉に甘えて、お風呂に入らせてもらった。
木でも金属でもない艶のある椅子に座るとちょうどいい位置に蛇口が来る。タカシの説明通りに蛇口を操作して壁に固定されたシャワーを出すと、これまたちょうどいい温度と勢いのお湯の滝が出る。いちいち桶で掬ってはかけてという手間もなく、綺麗さっぱり流せる。これは説明で聞いた以上に便利だ。
シャンプーやボディーソープの効果も想像以上で、汚れがこれでもかというほどに落ちる実感があり、体中が良い匂いに包まれる。そして、リンスをつけてみると髪の指通りがこれまでにないほど良くなる。
肝心のお風呂も上半身まで浸かれるほど深い上にゆったりと脚を伸ばして入れる。正に至れり尽くせりで貴族になった気分だ。今までの入浴が何だったのかと思えてしまう。
お風呂から出てタカシがバスタオルと言っていた大きな布で体を拭く。とても精密に編み込まれた布でみるみる水を吸い取ってくれる。お陰で不快感なく服を着れる。階段を上がってタカシのいる部屋へ戻ると、マンガを読んでいたタカシが
「お、あがったかい。おっと、髪がまだ濡れてるね。乾かそうか。」
「え?乾かす?よく拭くんじゃなく??」
まだ濡れているなら拭き足りないという事で、もっとしっかりと拭くものではないのか?
疑問が過る私の背中を押して、タカシはさっきまでいた脱衣場へ向かった。そしてそこにあったブーメランのような形状のものを取り出した。
「これドライヤーって言うんだ。これで髪を乾かすよ。このプラグをここのコンセントに差してこのスイッチを入れると…」
タカシがドライヤーとかいうものから伸びた線の先の二本の棒を壁に開いた細い穴に差し込み、スイッチを入れた瞬間…「ゴォー」。
音を立てて風が出て来た、しかも熱を帯びた風だ。攻撃魔法のような殺傷能力はないがこんな風は魔法でも出す事は出来なかった。さっきのお風呂の蛇口は火と水の魔力を持っていて、このドライヤーは火と風の魔力が込められた魔道具という事か。
魔法で複数の属性を同時に扱うのは至難の業だというのに魔道具でそれが出来てしまうとは…これらを作った人はたぶん私がいた世界の大魔導師以上の天才かもしれない。
「この風を髪に当てるとすぐ乾くんだ。どれ、ちょっとじっとしてて。」
タカシは私を後ろ向きに立たせ、熱い風を当てながら髪を揺する。目の前の巨大な鏡を見るとみるみるうちに髪が乾いていく、しかもサラサラだ。私の髪ってこんなに綺麗になるのかと自分で驚いた。
すると、熱い風が冷たい風に変わった。これもまた温度を操れるとは…この世界の魔道具は細かい操作が出来るものばかりだ。
「よし、これでいいよ。髪は濡れたまま時間が経つと傷むからね、ドライヤーを使ってすぐ乾かした方がいいんだ。」
知らなかった…今まで自然乾燥しか出来なかった私には知る由もなかった。だが、乾いた髪がこれ以上なくサラサラになっているのを見ると納得がいく。シャンプーやリンスの効果だけでなくこういう理由もあるのか。
「凄いわね。こんな事考えた事もなかったし、たぶん元の世界では誰も知り得なかった事よ。そんな知識を持ってるなんてまるで大賢者ね。」
「え!?そんな大それたもんじゃないよ、この世界なら常識だよ。」
「なんて事…これが常識だなんて…」
この世界の人は賢者しかいないのではないか…いや世界が違うのだから知識の基準も違うという事か。考えてみると元の世界は魔物や魔法などの戦闘面における知識ばかりが広まっていて、生活面の知識は乏しいものだったように思う。
この世界は元の世界とは逆で、平和であるが故に戦闘面の知識に乏しくて、生活面の知識が豊富だという事なのかもしれない。
「まぁ前も言ったかもしれないけどこの世界の事は追々知っていけばいいよ。それじゃ俺も風呂に入って来るよ、マンガでも読みながら待ってて。」
そう言ってタカシは部屋を出て行き、私はタカシの部屋を改めて眺めてみた。初めて入ったときに目についた人形や絵の他、額縁にはまった真っ黒で巨大な板が置かれていたり、壁には白くて巨大な箱や数字と回る針がついた板が掛かっている。
だがしかし、何よりも不思議なのは天井で光っている円盤だ。夜にも関わらず、昼間のように明るく照らしてくれている。元の世界だと夜は火を灯したランタンで薄暗く心許ない灯りが頼りだった。
光魔法を使う手もなくはないが、ここまでの明るさを長時間維持し続けるのは魔力がもたない。
こんなに延々と強く光り続ける魔道具は今こうして目の前にしていても信じられない。元の世界にあったら間違いなく革命が起きるだろうが、あっても平民の手には届かない可能性が高い代物だ。
この世界のモノの価値観はまだよくわからない。しかし、それでもタカシとのこれまでのやり取りから考えれば、恐らくこれも普通だという予想がつく。
少しだけこの世界に対して冷静になれた気がした。
状況を受け入れたところでタカシに言われた通り、マンガを読む事にした。光の魔道具のお陰で字も読み易い。これなら夜でも様々な活動が出来ると容易に想像がつく。しかし、逆に寝なくなってしまいそうな気もする。
「面白いかい?」
ちょうどマンガを1冊読み終えた頃、タカシが部屋に戻って来た。
タカシは見た事もない綺麗な模様のゆったりとした服を着ていた。私が借りているジャージとはまた違うが、とても動き易そうな服だ。そんな服への視線を感じたのかタカシが更に口を開く。
「この服が気になるかい?パジャマって言って寝るときに着る服だよ。一緒に暮らすからそのうちムメイのも揃える事になると思うよ。」
「それは楽しみね。私も早く着てみたいわ。それとマンガだけど、とっても面白いわ。早く続きが気になっちゃう。それにこの昼間みたいに明るく照らしてくれる円盤のお陰で快適だわ。これ、どうなってるの?」
「やっぱり気になる?これ中はこうなってるんだ。」
タカシが台に上がって円盤を外すと、そこには白く光る輪がはめられていた。これって、まさか…
「嘘…天使の輪…こんな神聖なものが…」
「ち…違うよっ。これは蛍光灯って言って、電気って言う弱い雷の力で光ってるんだよ。それで一般的には電気って呼ばれてる事が多いけど。」
ケイコウトウ?聞いた事もない名前だが天使の輪とは違うのか…
それに使われているのが光ではなく雷の魔力?雷で一体どうやって光が出せるというのか。デンキというのが何か特殊な魔力なのか…
「この世界では電気はたぶん一番使われてる力だと思うよ。この蛍光灯に限らずいろんなモノを動かす動力になってるんだ。これも少しずつ知る事になると思うよ。それじゃ、取り敢えず歯を磨いたら今日は寝よう。」
そう言ってタカシは、私を連れてまた脱衣場へ下りて行った。そこで、
「ちょうど使ってないのがあって良かった。」
と言って、先端に細く真っ直ぐに伸びた毛が生えた棒を取り出した。
「これ歯ブラシって言う歯を磨く道具なんだ。ムメイの世界にも似たようなモノがあったかな?」
「えぇ、歯を磨く道具なら元の世界にも木の枝の先を糸状に解した房楊枝があったわ。それは木ではなさそうだけど。」
「これはプラスチックとナイロン…って言ってもわからないと思うけど、とにかく木よりは綺麗に磨く事が出来ると思うよ。この毛の部分にこれをつけて歯を磨くんだ。」
タカシが細めの筒の蓋を開け、軽く握り締めると白くて柔らかい物体が出て来た。
「これは歯磨き粉って言って、歯に使う石鹸だと思えばいいよ。こうして歯を磨くんだ。」
「なるほど、それじゃ私も。」
タカシに倣って歯ブラシの毛に歯磨き粉をつけてみる。意外と力加減が難しくて、少し出過ぎてしまった。取り敢えずそれで歯を磨いてみるとピリピリした味がして、みるみるうちに泡立った。硬過ぎず柔らか過ぎない絶妙な毛と相まってお風呂のとき同様、清められるのがよくわかる。
一通り磨いたのち、タカシが入れてくれた水で口を濯ぐとスッキリした感覚が口に広がっていく。歯磨きは元の世界でも日常的にして来た事で、もちろんしたあとはスッキリしていた。でもここまでではなかった。ほんとに石鹸の力は偉大だと思い知らされた。
「これでよしと、それじゃ寝るとしようか。」
「うん。」
部屋に戻り、タカシが電気から伸びる紐を引くと一瞬で真っ暗…ではなく淡い光を残した。真っ暗とは違い、安らげる感じが伝わる。
「それじゃおやすみ、俺は別の部屋で布団敷いて寝るから。」
「え?一緒に寝てくれるんじゃないの?」
てっきりそう思っていたのに…
「えぇ!?それは流石に…」
後退るタカシに私は両手で彼の手を握って懇願した。
「お願い!一緒に寝て!…私を安心させて欲しいの。」
「あ…そうか…そうだった。ムメイには元の世界にこれ以上ないトラウマがあるんだった。それで安心して寝るには無理がある…か。わかった、安らぐ為にもついてる方がいいよね。」
「ありがとう…」
そうして私はベッドに入り、それに続いてタカシも一緒に入った。
入ったと同時に私はタカシの方を向きしっかりと抱きしめた。それに合わせてタカシも私を抱きしめてくれ、そして口を開いた。
「こんな風に誰かと一緒に寝るのって初めてだが、暖かいんだなぁ。」
「えぇ、とても気持ちいいわ。あ…あともうひとつお願いがあるんだけど…」
「ん?なんだ?」
「あなたの親に家族として受け容れてもらえて、お父さん、お母さんって呼ぶ事も許されたでしょ?だから…あなたの事も…『お兄ちゃん』って呼んでもいい?」
「あぁ、もちろん。俺もこんな妹が出来て嬉しいぜ。」
「ありがとう…おやすみ、お兄ちゃん。」
「あぁ、おやすみ。」
そして、お互いの温もりを感じ合いながら眠りについた。