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食卓

 嗅いだ事のない良い匂いが部屋の中に立ち込めている。母が夕飯の支度をしているところで、私は出来上がりを見て待っていた。手伝おうと思ったのだが、母から頑なに断られていた。


 遡る事小一時間前…タカシの親から家族として一緒に住む事を許された直後の事である。


「さて、それじゃ夕飯の支度しようかしらね。ムメイちゃんの為に腕によりをかけるわ。」


 母が料理を始めるところだった。取り出した材料を見た限りではシチューかと思ったが、一緒に出した薄い箱を見ると『カレー』なる文字が書かれていた。恐らく料理の名前なのだろうが、見た事も聞いた事もないものだ。中には茶色の四角い塊が入っていた。


 刻まれた材料がフライパンに移され、台に乗せられた。そして台についたスイッチを押した次の瞬間、なんと火がついたではないか。薪も火打石もないのにこんなに簡単に火が出せるとは。魔法でもイメージを作ったり詠唱したりでここまで瞬時に火を出すことは難しい。しかも火の色が青いのも驚きである。何か特殊な魔力が込められているのだろうか?


 他にも湯気が出る箱や水が出る壁など様々な驚きと疑問を抱いているうちに煮込んだ鍋にかけられた火が一瞬で消され、


「出来たわ。さぁ、食べましょう。」


 母が湯気が出ていた箱から白い麦粒のようなものを取り出して皿に盛り、その上に『カレー』をかけた。茶色くて液体に近いがスープと言うにはかなりとろみがあり、とても鼻に通る匂いで食欲がそそられる。机にカレーとサラダが並べられ、別の部屋にいたタカシと父もやって来た。


 ()()()机を囲み、食事の始まりだ。


 初めての料理の一口目…『これは…美味し過ぎる』。味わった事のない痺れるような辛味が走る。しかし深い味わいがあり、食べる前から強い刺激のあった香りが鼻を抜ける。後を引く香味にスプーンが進む。これはいくらでも食べられそうだ。こんなに美味しいものを食べられるなんて幸せだ。


「ふふふ、美味しそうに食べるわね。いっぱいあるから好きなだけ食べていいわよ。」


「はい、ありがとうございます。」


「もう、家族なんだからかしこまる事ないのよ。敬語はダメ、ね。」


「あ…そうだった、つい…」


 母の優しい声と言葉に諭される。タカシもそうだったが、親の声までもまた私の実親と全くと言って良いほど同じだ。本当に実の家族が戻って来たような錯覚すら覚える。


 元の世界にいたときももちろん家族と共に日々の日常を過ごしていた、それが当たり前のように。しかし、魔物に村を壊滅させられ当たり前と思っていた日常は崩壊した。何気ない日常の団欒(だんらん)だが、それがどれほど幸せな事なのか今ならわかる。


 『当たり前を失うとそれがどれほど大切なものだったか気付かされる。』


 大切なものは案外身近なところにある。しかし、当たり前であるが故に普段は有難みを感じ(にく)い。失わなければわからないという訳ではもちろんないが、やはり失ってからの方が重みを感じるものである。これからはありふれた日常の暖かみを噛み締めていこうと思った。


「しかし、ムメイが幸せそうで何よりだ。見てるこっちも幸せになって来る。」


 父が口を開いた。私が幸せそうにする事で周りまで幸せになってくれる。元いた世界でも家族や友人といい事があれば喜び合い、嫌な事があれば悲しみ、あるいは怒り合ったものだった。

 あまり深く考えた事はなかったが、良くも悪くも感情を分かち合う相手がいるのも大きな支えだったのだと感じた。支えになる存在がいるというのも幸せな事と言えるだろう。


 様々な意味での幸せを感じ取りながら、私は食を進ませていった。これまで食べて来たどんなものよりも美味しい食事に夢中になり、遠慮も忘れて食べ進めた。鍋にあったうちの半分以上は食べたかもしれない。


「すごいわね、10人分はあったのに見事に空になったわ。あんなに美味しそうにたくさん食べてくれて私としても嬉しいわ。」


『私ってこんなに食べれたんだ…』


 自分でも驚くほどの量を食べ、お腹もパンパンに膨れ上がった。動くのも一苦労でタカシに支えられながら部屋へ向かい、ベッドに寝かせてもらった。タカシが私の妊娠したようなお腹をさすりながら、


「よほど美味かったんだな。まぁ確かにカレーは俺も好きだし、ついつい食っちまうんだよな。ムメイの世界にカレーはなかったか?」


「えぇ、似たようなのでシチューならあったけどあれは初めてだったわ。」


「あーシチューはあったんだね。そっちの世界の料理ってどんなものがあったのかあまりピンと来てなくてね。主食はパンだと思うし、エルフだったとすると野菜メインってところかな?」


「そうね、エルフの村の食事は野菜とか果物中心で味付けも薄いものばかりだったわ。マズいわけじゃないけど正直物足りなかったのよね。人間の街での食事は肉や魚に味付けもしっかりされてて、あんな味覚えちゃったら村の食事なんて目じゃなくなっちゃったもの。今日食べたカレーだって感動したわ。あ…あとあの白い麦粒も初めて食べたわ。」


「麦粒…あぁ、米の事か。この国の主食だよ、稲っていう麦と似た穀物から取れるんだ。他のいろんな国でも食べられてるしね。まぁ、この世界の食においては切っても切れない食材と言っても過言ではないと思うよ。この世界…少なくともこの国ではパンより食べられてるんじゃないかな。」


 ()()というのか。見た事も聞いた事もないものだ。だが、ふと元の世界で麦ではない主食の存在を耳にした事を思い出した。


「そう言えば、私は食べた事なかったけど元の世界でも麦とは似て非なる穀物を主食にしてる国があると聞いた事があるわ。それがもしかしたら米だったのかも。」


「そうか、そっちの世界にも米はあったにはあったけどあまり広くは普及してなかったってところかな?」


「たぶん…でも初めて食べたけど凄く美味しかったわよ、私はパンより好きだわ。元の世界で普及してなかったのは惜しいわね。」


「なら良かった。これからは毎日食べる事になるからムメイにとっては毎日がご馳走になるかもね。」


 あんなに美味しいものを毎日食べられるというのか。いやこの世界ではそれが普通なのかもしれないが、私にとってはあまりにも贅沢続きで恐れ多くなって来る。


「あ、そうだ。あと今日は出なかったけど、米と並んで代表的な料理で味噌汁ってのがあるんだ。知ってる?」


 ミソシル?聞いた事ない料理だ。でもあんなに美味しかった米と並ぶほどの料理というのなら恐らく美味しいのだろう。


「知らないわ、どんな料理?」


「えーとね、味噌って言う()()から作られた調味料を使ったスープだよ。この日本で昔から食べられて来たんだ。」


「へー、大豆からそんなものが出来るの。」


 大豆なら知っている。元の世界でもよく食べられていた食材だ。

 しかし、味噌というのは知らない。大豆から作られたというが大豆が調味料になるとは考えられない事だ。元の世界では大豆は食材として料理に使うものだった。調味料というと塩と砂糖くらいのものだったし、それでも希少でそう扱えるものではなかった。胡椒といった香辛料など(もっ)ての(ほか)だ。

 香辛料…そういえばさっき食べたカレーは辛味に溢れたものだった。まさかとは思うが、


「ねぇ、もしかしてあのカレーって香辛料が使われてたりする?」


「え?そりゃもちろん、あんなに香辛料に満ちた料理もないと思うよ。」


 やっぱり…思い返してみると、あれって香辛料の(かたまり)みたいなものだったじゃないか。あれほどのもの、最上流の王侯貴族だって食べられるかどうか。それを美味しさのあまり夢中で食べてしまっていたとは…


「ごめん!そんな超高級品とは思わないであんなにバクバク食べちゃって…どうしよう、詫びても詫びきれないわ。」


「いや、謝る相手間違えてる気がするし、そもそも謝る事じゃないんだけど。別にカレーくらい()()()()()食べれるんだから。」


 今なんて…あんなものが当たり前に食べれる?本当に言っているのか?タカシのとんでもない言葉に耳を疑っていると、


「あー…そういえば異世界だと香辛料って高級品なんだっけ?でもこの世界だと香辛料は簡単に手に入るんだ。だからそんなにムメイが思ってるほど恐れ多い事じゃないんだよ。」


 香辛料が簡単に手に入る世界って…という事はと思って訊いてみた。


「それじゃ、胡椒も簡単に手に入るの?」


「もちろん。いろんなところで売ってるし、誰でも安く買えるよ。ちなみに砂糖とか塩なんかの調味料はみんなそうだよ。」


 なるほど、調味料が簡単に手に入るならそりゃ料理も美味しくなるに決まっている。タカシがこの国は平和だと言っていたが、そのお陰で食糧も豊かになっているという事なのだろう。


「平和であるが故に料理が進化したって事かしら?」


「あはは、そうかもね。まぁ今後いろんなもの食べてく事になるだろうし、ムメイには贅沢続きになるんじゃないかな?」


 タカシのそんな言葉を聞いて、この世界に来てまだカレーしか食べていないが、他の料理も間違いなく美味しいという確信が持てた。タカシがさすってくれているお腹の通り、満腹過ぎてもう食べる事は出来ない、しかし食欲は沸く。

 そんな今まで感じた事のない不思議な感覚に包まれた。

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