家族
タカシに階段を下りてすぐの場所にあった扉に案内された。そこを開けると、変わった形をした白い椅子が置かれていた。
「これがトイレなの?」
「うん、ムメイの世界ではこういうのじゃなかったの?」
「私のいた村では床にただ深い穴を掘っただけみたいなもので。」
「あー所謂ボットン便所ってやつだね。こっちにもなくはないけど今となっては珍しいかな。」
珍しいのか、それは置いといて聞き慣れない名称だが上手い表現だ。ふと狩りで獣が落とし穴の罠にかかった瞬間を思い出した。元の世界にこの言葉があれば皆面白がったのではないかと思う。しかし、そのようなものじゃないとなるとどんなものなのか?タカシがその疑問に答えるように、
「えーと、使い方はまず上の蓋を開ける。」
開けた蓋の中を見ると穴ではなく水が張っていた。こんなものではすぐに溢れるのではないか?そんな疑問をよそにタカシは説明を続け、
「あとはわかると思うけど、椅子と同じように座って用を足すんだ。拭くときはこの紙を使って。」
と、壁に掛かった巻紙を切って見せる。こんな事に紙を使うとはなんと贅沢な、葉っぱや藁の束なんかを使っていた身としてはとても信じられなかった。紙なんて字や図を描く以外に使われる事は滅多にないというのに。タカシは切った紙を中に捨て、
「で、最後にこのボタンを押して水を流す。」
壁の装置の[流す]と書いたボタンを押すと同時にどこからともなくジャーと水が流れ出て来た。なのに溢れず、そして捨てた紙が跡形もなく消えていた。
「え?え?今の…ボタンを押しただけに見えたけど、まさか無詠唱魔法が使えるなんて。」
「あーいやその…上手く説明出来ないんだけど、まぁボタンで操作するって事で。」
歯切れの悪い返事が気になるところだが、ともあれ今は花摘みが先決だ。
「色々と疑問は残ってるけど、取り敢えず使い方はわかったわ。」
「じゃ俺は部屋で待ってるね。」
と、タカシは階段の上へと消えて行った。
私はドアを閉め、説明された通りに事を済ませた。椅子のように座り、水で跡形もなく消し去れる。足腰の負担が軽い上に、清潔感極まる素晴らしい水の魔道具だ。魔法ではないと言っていたが、確かに私自身使っていて魔力は通していない。そもそも魔力自体失われているのでそんな事は出来ない。機能的にも凄いが、まさか魔力がなくても使用出来るとは。
疑問と感動を持ちながら私はトイレをあとにし、部屋へ戻るとタカシが並んでいる本を眺めながら何か考えている様子だった。
「戻ったかい、ムメイにはどれが面白いかと思ってね。やっぱり異世界の御伽噺が一番だとは思うんだけど、それでもいろんなものがあってね。このマンガなんかどうかな?」
そう言って、マンガなる1冊の本を差し出す。とても鮮やかに彩色がされた絵が描かれている。開いて見ると、彩色はされていないが繊細で綺麗な絵の中に文章が書いている。頁の大半が絵だが絵草紙にしては文字が多いものだった。それだけに、絵草紙よりも内容がわかり易い。
読み進めていくと、地球で死んだ人間の男が異世界へ転生して強く、そして幸せそうに生きている話だった。話自体はもちろん面白い。しかし文字だけ、もしくは絵だけではここまで面白いとはまず思わなかっただろう。
文字と絵が上手く組み合わさっている事でより一層面白味が引き出される。リアリティーが感じられるというのだろうか。文字と絵の融合が生み出した奇跡だと言える。
「とても面白いわ、この世にこんな面白いものがあるなんて。今まで生きて来た中で…いや一度死んでるけど、それも含めて一番感動したわ。」
「ははは、それは何より。俺も20年以上生きてる今でも読み続けてるくらいマンガは面白いしね。」
驚きの発言が出て来た。20年って…
「そういえば、訊いてなかったけどあなたって今いくつなのかしら?私は19だけど。」
「あぁ、俺は25だよ。」
25!?成人して10年の人間にしてはあまりにも若々し過ぎる…エルフでも成人済みならここまで若々しくはないというのに。
「ほんとに…?とても成人してる顔には見えないわよ、確かに体は大きいけど。私のお兄ちゃんが成人する前の顔そのものだもの。それでお兄ちゃんより年上だなんて。あ、ちなみにお兄ちゃんは21だったわ。」
タカシは驚きはしたが同時に多少の理解もした様子で、
「そうなんだ。でも確かに異世界の人間の平均寿命ってこっちに比べて短い事が多いんだよね。大体50歳いくかどうかってところかな?その影響で老化も速いのかもしれない。」
「確かに私のいた世界でもそのくらいだったけど、ここではもっと長いというの?」
「あぁ、こっちの世界の平均寿命は80歳以上だよ。長生きな人には100歳以上なんて人もいるし。」
あまりにも現実味のない数字に耳を疑った。
「ひゃっ!!?そんなに生きてるなんて…この世界は時間の流れが遅いとか?」
「いやそんな事は、ない…とも言い切れないけど可能性としてはかなり低いと思うよ。というか俺にその発想はなかったなぁ。」
私は真っ先に思い浮かんだのだが、タカシには予想外の考えだったようだ。また違う考えでも持っているのだろうか。
「えーと、こっちの世界でも大昔はこんなに寿命は長くなかったんだ。それこそムメイの世界くらいだったかもしれない。それじゃなんでここまで寿命が伸びたかというと食糧事情や医療技術が関係してるって言われてるんだ。ムメイの世界と比較してもそれが当てはまるんじゃないかと思うんだ。」
言われてみれば確かに良いものを食べているであろう貴族はふくよかな体型だったり長生きな者が多い。また、ケガに関しては回復魔法や薬で大概は何とかなっていたが、病気の場合は魔法で治す事は不可能な上に薬の開発が難しい。それ故にまともに治療出来ず病死というケースは少なくなかった。
「目覚めて周りの光景を見たときから思ってたけど、この世界はやっぱり色々と発達してるのね。とても興味深いわ。」
「まぁこの世界の事はこれから知っていくといいよ。とは言っても問題はムメイのこれからだね。俺としてはものすごくうちに入れてあげたいけど、やっぱり親と話さないと。言い難いけどあまり期待は出来ないし、ダメだったときはまた一緒に考えるよ。」
タカシの言う通り家に住ませてくれるならこれほど助かる事はないが、そう都合良くはもちろんいかないだろう。この世界では転生があり得ないと考えられている以上、本当の事を言っても信じるとは思えない。
そう考えると信じてくれるタカシと巡り会えたのは本当に奇跡だった、改めて感謝の気持ちが溢れた。感慨に耽っていると、
『ガチャ、ガラガラ』
鍵を開けて扉を開ける音が下の階から微かに聞こえた。
「どうやら帰って来たみたいだ。俺も口が上手い方じゃないから誤魔化せる自信はない。だからここは敢えて全部正直に話そうと思う。それでいいかな?ってダメと言われても他に手はないんだけど。」
私としてもあまり嘘で通せる自信はないので正直に話す事には賛成である。
「えぇ、いいわよ。ほぼあなた頼みになると思うし、襤褸が出たらマズいし。」
「やっぱりリスクは極力避けた方がいいよね。それじゃ取り敢えず俺が先に出迎えて来るよ、あとでまた呼びに来るから。」
そう言って、タカシは下へ降りて行った。そして、数分もしないうちに戻って来て、
「お待たせ。親に少し話したからムメイからも軽く自己紹介とかお願い。」
「わかったわ。ふぅ、緊張するわね…」
意を決してタカシについて行き、扉を開けた先には彼の親が座っていた。人間なので流石に老化している。しかし、私の親の面影がはっきりと感じられる顔だった。
色白な肌にタカシ同様黒に近い茶髪で若干のウェーブがかったセミロングの母。ダークエルフほどではないが浅黒い肌にロマンスグレーのオールバックの父。いずれも老化した私の親を髣髴とさせる。
私の姿を見てタカシの父が、口を開く。
「なんて事だ。タカシが彼女連れて来たってだけでも驚きなのに、ましてやこんなに美人だとは。」
「いやだから彼女じゃないってば。」
悪い気はしない誤解を受けているようだった。恋人というのも良いかと一瞬思ったが、タカシが困惑しているし、嘘はなしと決めたので正直に、
「えー、私はムメイと言います。彼は私の恩人です。右も左もわからないでいたところを助けてもらいました。」
「無名って名前がないの?それに恩人って、どういう事?」
今度はタカシの母が口を開く。タカシも疑問には思っていたがあまり気にしていなかった事と当然の質問。それにタカシが答える。
「えーと、説明すると嘘のようなほんとの話なんだ。先に言っておくけどいたって大真面目だから。」
「あ…あぁ、わかった。で、何があったの?」
ここからタカシの説明が始まる。
「まず、ムメイってのは名無しとかいう意味じゃなくてほんとにそういう名前なんだ。で、ムメイは地球とは違う世界から生まれ変わって来たんだ。元々はRPGみたいな世界のエルフとして生きてたみたいなんだけど、そこでドラゴンに殺されてこの地球に人間になって生まれ変わったんだ。」
聞いた事ない言葉が混じっていたが、噓偽りはない説明に私も付け加える。
「私が目覚めたとき、近くの綺麗な花が咲いた木の下にいました。そこで何が何だかわからなくなっていたところに彼が声をかけてくれて、この世界の事を教えてもらいました。」
「それで恩人という事ね、タカシもなかなか踏み切ったわね。」
母の疑問は解け、それに続いて父が、
「つまりなんだ、ゲームのキャラが実体化したみたいなものか?」
また聞き慣れない言葉が出て来たが、タカシは行き詰まる事なく、
「ちょっと違うけど、まぁそんなとこだと思えばいいかな。」
若干否定混じりの肯定をした。そして、父も納得したように、
「確かに俄かには信じ難い話だが、二人の様子を見るに嘘ではなさそうだな。俺はお前達を信じるよ。母さんもそうだろう?」
「えぇ、もちろん。とてもいい子そうだし、助けてくれたっていうタカシにも感心したわ。」
疑う事を知らないのか、思った以上にあっさりと受け容れられた。タカシにとってもかなり意外だったようで驚きを隠せない表情だった。しかし嬉しい誤算とも言える。
「で、ムメイさんだったかな?とにかく大変だっただろう、問題はこれからだと思うんだが…」
父が私達が一番気にしていたところを指摘して来た。
「話を聞いた限りだと、ムメイさんは帰るところがないって事だよな?それならうちにいるといいよ、自分の家だと思ってゆっくりしてくれ。」
「えぇ、私達の事も家族だと思っていいわよ。」
「え?いいんですか!?凄く有難いですが、ご迷惑じゃ…」
心の底から願っていた希望だが、ここまで快諾されるとかえって気が引けてしまう。タカシも驚きから我に返って口を開く。
「マジでいいのか!?いや俺としても嬉しいけど、まさかこんなにあっさりと。」
「いいのよ。家も華やぐし、それ以上に放ってはおけないもの。」
「ハハ…あんなに緊張も覚悟もしてたのが馬鹿らしくなるよ。まぁそういう事だ、ムメイ。これからはうちの家族の一員だ、改めてよろしくな。」
なんという寛大な家族なのだろう。元いた世界にここまで寛大な人がいただろうか。いやいない事はないかもしれないが、少なくとも私は会った事がない。奇跡の巡り合わせにし尽くせない感謝の念を抱き、高らかに私は言った。
「はい!よろしくお願いいたします!!」