昨日は今日の昔
中学1年生の春、まだよそよそしいクラスメイト達の中、
A君、B君、C君はどうやら同じ小学校出身だったらしく、
既に仲の良い関係を築いているようでした。
しかし、なぜかC君は俺に声を掛けてきて、まるで何かを
確かめるように俺と当たり障りのない言葉を交わすと、
それからは事あるごとにその3人の輪に招かれるようになりました。
C君は中学校の入学式に新入生代表の挨拶をしていたこともあり、
周りから一目置かれている彼らに俺自身も興味があったので、
段々と4人で行動するようになりました。
彼らはそれぞれ得意分野が分かれていました。
A君はスポーツが得意で、すぐにサッカー部に入りましたが、
他の部活にもたくさん勧誘され、その後も助っ人として
いくつも試合に出ていました。体育の授業では一番目立つ存在で、
みんなが彼と同じチームになりたがりました。そして3年生になると、
彼はサッカー部のエースとして活躍していました。
B君は勉強が得意で、授業では先生からいつも
「みんな、B君を見習いなさい」褒められ、尊敬されていました。
教室前に張り出されるテストの結果はいつもトップに名前があり、
それは中学生の間、ずっと変わりませんでした。
C君は人の上に立つのが得意で、最後の年には生徒会長を務め、
キラキラと輝いていました。学校中のみんなが憧れ、騙されていました。
先生達も、彼の作り出した影の無い真っ白なその姿に、
疑いの目を向けるようなことはありませんでした。
けれど、彼らと出会ってから2か月ほど経った、梅雨入りを告げる
6月のある日のことでした。俺は、彼らの本当の姿を知ることになります。
その日は、入学後初めてのテスト期間がようやく終わって、いつもより
早く帰れる予定でした。放課後になるとC君が俺の机に近づいてきて、
「これから他校の友達と遊ぶ予定なんだけれど、俺君もどう?」
と誘われました。 俺はふと(まだ昼だけど、他校もテスト期間なのか)と
疑問が頭によぎりましたが、試験からの解放感もあって、あまり考えず
「ありがとう、行くよ」と返事をして4人でその場所へと向かいました。
俺は街中のゲームセンターやカラオケに行くのかと期待していましたが、
電車で移動して到着した場所は、山道の入り口でした。
そして30分ほど山を登っている間、彼らは不思議なくらい静かで、
黙々と暗い森の中を歩きました。この山を知り尽くしているのか、
彼らは時折、明らかに道ではない方向に進みました。
そして、こちらを気遣うようにC君が振り返っては、
「僕達が通っていた小学校が、この近くにあるんだ」とか
「これから会うのは、小学校時代の友達だよ」とか、
「歩かせてごめんね」と、いつもと変わらない様子でした。
妙に明るい声のC君「着いたよ」
そこには、薄暗くさびれた、巨大な廃墟がありました。
前を進む3人を追いかけて恐る恐る中に入ると、そこはたくさんの
丸太が散乱し、大きなカッターがついた機械などが放棄されていました。
どうやら昔の製材所だったらしく、山で伐採してきた木材が
持ち込まれていた場所のようでした。かつては栄えていたのか、
とても大きな造りの建物で、俺は圧倒されてしまいました。
鬱蒼とした木々に囲まれて、電気も途絶えた内部は薄暗く、
夏も近いというのに冷たい空気に満ちていました。
そこには、一人の少年が俺達を待っていました。
出会った瞬間の印象で、彼がとても貧しい生活をしているということが
見て取れました。骨が浮き出た細すぎる身体と、まだ肌寒い6月だというのに、
幼い子どもが着るような、浅い色の半袖姿でした。
想像していたことと全然違っていて、戸惑う俺を置いて、
A君、B君、C君の3人は無言のまま彼に近づきました。
そして、なぜかその少年のことを囲むと、C君が
「足が疲れるから座って」という言葉と共に、
少年の細い足を、座るのを促すように蹴りました。
よろけながら、少年は言われたままにぺたんと床に膝をつけると、
自然と正座の姿勢になりました。すると、A君が思い切り、少年の
体をまるでサッカーボールのように横から蹴りつけました。
それは、あまりにも突然の出来事でした。
そして勢いよく横に倒れた少年を見ながら、A君は
「お、蹴りやすいね」と嬉しそうに声を上げました。
蹴られた場所を押さえ、悲痛な顔で足元に倒れてきた少年を、
B君は「汚い」と吐き捨てるように言いながら、「汚い」「汚い」と、
何度も腹を蹴っていました。そして痛みから逃げるようにうずくまり、
姿勢を変えようとする少年を、再び、A君がサッカーボールのように、
笑いながら蹴り飛ばしていました。
その様子を、C君は眺めながら、にこにこと笑っていました。
そして、ふと思い出したようにこちらを振り返ると、
「俺君、こっち」と手招きをしました。
俺は動けず、普段とは全く違う彼らの様子に心底怖くなり、
声を発することもできませんでした。するとC君は
「ごめん、説明がまだだったね」と俺に近づきながら、喋り始めました。
冷静なC君「驚いたかな。さっきは建前で、これから友達と会うと
言ったけれど、コイツは友達なんかじゃない。コイツと僕達は違うんだ。
なんというか、ストレスのはけ口?大人にとっての酒とか煙草みたいな
必要悪で、単なる息抜きの道具なんだ。俺君も、僕達の仲間になったから、
知っていてほしくてさ」
理解できず、俺は「なんで…」と、独り言のように呟くことが
精一杯でした。
「…なんでって、何がかな?」とC君は考えるような素振りをしながら、
まるで俺を言いくるめるように早口になって答えました。
演説するように話すC君「やっぱり人間って、共通の敵が居ないと
集団として成り立たないと思うんだ。きっと戦争も、同じ種族の人間を、
純粋な仲間として認識し合える、唯一の時間だった。
…それに、僕達も人間だから、理想のとおり良いことばかりしていると
息が詰まる。だから、僕達がいつも完璧であるためには、コイツみたいな
必要悪というか、可哀想な存在が存在するのは、仕方のないことなんだよ。
…感謝しているんだ、コイツを犠牲にすることで僕達は、誰よりも
高くまでいけるから。それに、戦争には勝ち負けがあるけれど、これに
負けは存在しない。僕達もコイツも、お互いの合意で成り立っているから」
説明されても分からず、彼が喋っている言葉は、単語の羅列のままで
辺りにバラバラと浮いてしまいました。そんな俺の様子を見て、C君は
少し落胆した様子でしたが、すぐに笑顔になり「俺君は賢いから、きっと
僕達のこと、分かってくれるって信じてるよ」と言って、暗がりに置かれた、
古びた椅子に腰掛けました。
虐めをのんびり眺めるC君「僕はね、人間には誰にだって、生まれ持った
役割があって生きていると思うんだ。小学校の頃はずっと、コイツは厄介者で
誰からも必要とされない人間だった。貧乏だから母親と生活保護で
暮らしていて、頭も悪いし運動も苦手、先生も無視するような存在で、
いつも汚いから、みんながコイツとの関わりを避けてた」
ぽたりと、一粒、雨が落ちてきました。なんだか気が遠くなっていた俺は、
その雨にハッとさせられ、上を見ると、屋根に穴が開いていました。
そして、離れた暗がりから話を続けるC君を、目を凝らして見据えました。
懐かしそうに語るC君「…僕達の小学校は1学年に3クラスあったんだけれど、
不思議とコイツがいるクラスは毎年、妙に結束が固いことに気づいたんだ。
それはね、コイツを見ないようにするために、除け者にするために、
みんなが裏で協力していたからなんだよ。だから僕は、コイツにもっと
有効な役割を与えようと思った。
5年生になる時、僕は先生に、わざと同じクラスになることを志願して、
クラスメイトになってからは、コイツと友達になったフリをしてみた。
まめに声を掛けてやって、独りでいるなら率先して組んでやった。
そうしたら、最初は変に思っていたクラスメイトも俺のやっていることを
『正しい』と段々理解して、尊敬するようになっていった」
冷たい雨が、ぽたりぽたりと、俺の上だけに落ちてきます。
C君の後ろでは、ずっとA君とB君が愉しそうに少年に暴力を
振るい続けていました。
ため息をつくC君「…だけど、僕にとってコイツとの仲の良いフリは
かなりきつかった。自分より大きく劣る存在と、対等な友達のフリを
しているんだから当然だよね。…嫌なことを続けた反動で、放課後や
休みの日はコイツをこの場所に呼び出して、ずっとストレスを発散してきた。
でもそんな努力の甲斐あって、5年生の3学期になる頃には、僕はクラスの
絶対的存在になっていた。
僕がクラスのリーダーとして、率先して『正しい』形で接することで、
厄介者の扱い方の見本になったんだ。6年生になってからは、
A君とB君もこれに賛同してくれて、僕達3人はみんなから『正しい』と
支持された。そのお陰で、結果としてコイツはクラスに馴染むことができて、
クラスメイトにはいじられる程度で、決してハブかれることは無くなった。
…つまり、僕達がコイツに役割を与えたことで、クラスがより良い形に
まとまったんだ。むしろ、コイツが存在することで、みんながさらに
上の次元に進むことができたんだよ」
俺は空気が薄くなった気がして、これ以上C君達を、暗い場所を
見つめることができなくなって、俯きました。
ニッコリと笑うC君「僕達のクラスは先生に褒められて、コイツの親にも
『友達になってくれてありがとう』と泣いて喜ばれたよ。コイツも、
僕達のお陰で、除け者にされずに済んで嬉しいんだってさ。
…けれど僕達3人だけが、誰にも知られず、隠れてコイツを痛めつけてきた。
そうしないと、誰もが望む、この理想の形を保てそうもなかったんだ。
はっきり言うと僕達は、本当は、これが『正しくない』行為だと、頭では
分かってるんだよ。…だけどやっぱり、こうして発散しないと『正しい』ことを
する時に心のバランスが取れそうもなかった。
だから僕達は、『正しい』フリをして、どんなにみんなから称賛されても、
ずっと不完全な存在で、本当に『正しくなれない』という矛盾に苦しんできた。
そうして6年生は終わって、俺達は矛盾を抱えたまま、この中学校に進学した。
そして、ようやく本当に『正しくなる』方法を、俺君と出会って気づいたんだ」
ここでぴたりと、言葉が止みました。
俺が顔を向けると、C君は嬉しそうに笑顔を見せて立ち上がり、近づきます。
そして雨に濡れる一歩手前で立ち止まると、弱々しい雨に包まれている俺に、
とても穏やかな表情を見せました。
救いを求めるC君「…初めて俺君を見た時、確信したんだ。
誤解しないでほしいけれど、俺君は、コイツとは違うよ。
僕達3人は、俺君と、本当の意味で友達になりたいんだ。
…俺君には、僕達には無い光があった。この純粋で強い光は、
上に立つ人間だと感じた。これは、決して演技では作り出せない光だ。
君の持つ光は、羊みたいに無能なクラスメイトや、何も分かっていない
先生達からの称賛、痣だらけの子どもの変化にも気づけない母親や、
虫けらみたいなコイツには無い、誰もが憧れる『正しい』光だ。
そんな俺君が仲間になったら、やっと僕達は完璧になれるって確信したんだよ。
人数が多ければ『正しい』って訳じゃないんだ。それは、A君、B君の
2人が僕の仲間に加わってくれた時に分かった。きっと、僕も、彼らも
抱えている影が大きすぎて、この先どんなに『正しく』輝いても、何かが
足りないままなんだって、分かってしまったんだよ」
C君が言い終わる時には、A君とB君も動きを止めて、
静かにこっちを見ていました。
手を伸ばすC君「僕達は本当に『正しい』人間になりたいんだ。
僕達は生まれ持った性質上、こうした黒い影の部分を消すことはできない。
…けれど本当は、みんなが認める、完璧に『正しい』存在でありたいだけなんだ。
そのためには、俺君の光が必要なんだよ」
C君のあまりにも真剣な様子と、張り付いた笑顔が恐ろしく、
俺は一歩、後ずさりします。
幸せそうな表情のC君「俺君、僕はさ、ヒーローの中では、途中で仲間になる
ダークヒーローが一番好きなんだ。だって、ダークヒーローって、最初は
敵だったり、戦いを傍観するだけだったりするけれど、最後はちゃんと
『正しさ』に気づいて、本当に『正しい』方の仲間になる。
…ずっと信じていたものを捨ててまで新しい方に属するってことは、
そっちの方が『正しい』って認めたってことだよね。
だから俺君も、最後にきちんと『正しい』方を選べばいいんだよ。
それがきっと、僕達の『正しさ』の証明になる。…そして、それは
強く拒絶していた過去があればあるほど、僕達のことを深く知るほど、
揺るがないものになる。最後に俺君が、ちゃんと認めればそれが『正しい』って
ことだから、そうだよね?」
そう言ってC君は、嬉しそうに微笑みました。その目には、強く鋭い、
どこまでも冷えきった、青白い光が宿っていました。俺は彼の言動と
その態度の歪さに、ぞくりと背筋が凍り、その気味の悪い笑顔から
なんとか目を逸らして、無残に剥がれた床を見つめました。
体に降りかかる雨が、正気を保たせるように冷たく、俺を守るように、
彼らを遮るように、この身に降り続いてくれることだけが救いでした。
すると、その雨音の隙間を縫うようにして、奇妙なほどにはつらつとした、
A君の声が聞こえてきます。
暗闇から聞こえるA君の声「さぁ、俺君も蹴ろうぜ」
黙っていると、B君の妙に落ち着いた声が響きます。
暗闇から聞こえるB君の声「そこにいると、雨に濡れるでしょ。風邪を引くよ」
動けずにいると、全てを塗り潰し、どんよりと飲み込むような
C君の声がピタリと迫ります。
暗闇で笑うC君「じゃあ僕が蹴るから、見ていてよ」
その言葉に俺が思わず顔を上げると、目が合いました。
それは、C君ではなく、蹴られてうずくまっていた少年でした。
その瞬間、少年はにやっと、僕だけに向けて歪に笑いました。
その顔には、今まで見たことのない、触れたことすらないほど複雑な、
醜い感情が表れていました。それは虐められていることを嘆いて、
諦めたような笑みでは決してありません。
それは、意志の伴った笑みでした。この少年もC君達と同じ思想に至り、
その「正しさ」を担っているのだと、狂った仕組みを支える歯車の
一部なのだという歪んだ自覚が、はっきりと現われているようでした。
それが分かった瞬間、ざわりと体が震えて、俺はその場から
逃げ出してしまいました。廃墟を出ると、次第に強くなっていく雨の中、
ただひたすらに足を動かし続けました。必死に山を下り、草木で転びながら、
よく分からない道に出ては、息を切らしながら駅を探しました。
そして、彼らの通っていた小学校が目印になってどうにか電車に
駆け込み、家へと走って帰りました。その間ずっと、あの少年の歪な笑みが、
何度も思い出されました。
(…虐められている方も、それを「正しい」と思うなんて、
あんなの洗脳じゃないか。…それでも、お互いが望む形なら、
それは「正しい」ことなのか…いや、そんなのは「間違っている」)
布団に包まり、ずっと、ぐるぐると考え続けました。
雨はいつまでも俺の弱さを守りながら、しとしとと降り続けました。
その日以来、気づけば俺の周りだけはいつも、雨が降るようになりました。
季節は本格的な梅雨に入って、暗い不安を抱えたまま、止む気配のない
雨に濡れていました。そうして彼らの全てから距離をとろうとして、
他のクラスメイトとつるむようになっても、俺は誰にも、何も言葉にはせず、
ひたすらにあの日のことを忘れようと、降り続ける雨から目を逸らして
学生生活を過ごしました。そうしていると、3人に声を掛けられることはなく、
俺は役を外れたのだと、雨の中でひっそりと安堵の息を吐き出していました。
しかし、それから数週間が経ったある日のことでした。
放課後、帰ろうとする俺の目には、校門で、俺のことを見ている3人の
姿が映りました。早足で通り過ぎようとすると、A君が「あれ?シカト?」と、
親しげに俺の肩を叩きました。
俺は心臓が張り裂けそうになりながら、「何か用?」と尋ねると、
B君が小さな声で「ふうん」と呟き、鼻で笑いました。そしてC君は
前と変わらない様子で、俺の目を真っ直ぐと見つめ、口を開きました。
ニッコリと微笑むC君「…もう時間は充分だよね、答えは?」
彼はいつもと同じ表情と声でしたが、その眼差しだけは、鋭く
俺を見定めていました。雨が強くなりました。しきりに落ちてくる雨粒が、
俺とC君の間を区切り、境目になっていました。雨の向こう側に
声が届くように、はっきりと大きな声で、俺は答えました。
「お前らの『正しさ』は『間違っている』」
俺の発したその言葉に、C君はスッと、静かに表情を消しました。
早口になるC君「その答えは『正しくない』。俺君は頭が良いと
思ったんだけれど、悲しいな。…でも、もういいよ。いつか俺君がきちんと
『正しい』回答ができるまで、僕達が教えてあげるから。…じゃあまた明日」
そう言って、C君は手を振って、俺に背を向けました。それに続いてA君も
「俺君バイバーイ」と愉しそうに後を追い、B君も去っていきました。
彼らのその後ろ姿が、なぜか異様に気味が悪く、
俺は走るようにして反対方向へと帰りました。
嫌がらせが始まったのは、次の日からでした。3人は
俺に付き纏うようになり、俺は段々と孤立していきました。
それからの日々は、信じていた自分の「正しさ」を見失ってしまうほどに
辛いものでした。嵐のように振り続ける雨で、見たくない現実を、
弱い自分自身を隠しては、ただ時が早く過ぎることだけを願いました。
「A君はサッカー部のエース」
「B君は先生達から一目置かれる秀才」
「C君は優等生で、みんなのリーダー」
「じゃあ、俺君は?」
はっきりとした実力や地位、人望がある彼らに、何も持っていない俺は
負け続けました。3対1で毎日「正しくない」所を指摘され、
彼らの「正しさ」を押しつけられていていると、日が経つにつれて
色々なことが、俺の「正しさ」が、よく分からなくなっていきました。
俺は雨の中、学校に行くことが嫌になっていきました。
(…否定され続けるこんな生活、もう耐えられない。誰かに打ち明けて、
「大丈夫、お前は間違っていない」と言ってほしい。
でも、誰も、彼らの間違いを認めてくれなかったら?
みんなが、俺の正しさを認めてくれなかったら?
俺を味方してくれたその人までもが、間違いだと指をさされたら…)
守ってくれていたはずの雨は冷たく、周りが何も見えなくなって、
ただただ恐ろしかった。C君達に虐められて、大きく揺らいでいた俺は、
これ以上誰かの考える「正しさ」を突きつけられることが怖く、
立ち向かうことは、考えられなくなっていました。
「何も答えないこと」
それが唯一自分にできる、他の誰かを傷つけずに済む答えでした。
雨の中で身動きをせずに耐えて、誰にも何も言わず、独りで心を守ることで
毎日精一杯でした。
それなのに、中学校を卒業して終わったと思ったのに、こうして
新しく高校生活が始まった今も、目の前にA君、B君、C君が現れた瞬間、
雨が泣くように降り出して、弱い自分を守ることしかできないのだと
いうことに気づかされました。
コシヒカリ高校でことわざ君と出会えたのに、さっきまで、あんなに空は
晴れ渡っていたのに、全く変わることができなかった弱い俺に向かって、
C君はつい昨日のことのように接してきます。
嬉しそうなC君「昔の俺君は、僕達が間違っていると言ったね。
…けれど、どうだ?僕達は相変らず友達もたくさんいるし、
先生達からも信頼されて、七光高校で毎日楽しく過ごしているよ。
…これは僕達が『正しい』からだろう。そして、『正しくない』のは
お前の方ってことだ。…でも、安心してよ。俺君が変われないのなら、
これからもずっと、僕達が『正しく』してあげるから」
彼の言う「正しい」という言葉が、何よりも重たく感じられました。
そして、脳裏にはあの廃工場での光景が、痩せた少年の歪んだ笑顔が
蘇り、重たい雨に押しつぶされて、下を向きました。
冷や汗をかき、息が上がる俺に、C君は心配そうな顔をします。
俺の顔をのぞき込むC君「あのさ、俺君、ちゃんと話聞いてる?
そういう所が悪いんだって、僕達、ずっと言ってるよね」
「…どうして、そんな、俺に構うんだ…」
声を振り絞った俺に、C君は愉快そうに笑いました。
急に無表情になるC君「だって君には、まだ光が見えるから。
その光が消えるまで、僕達はやめないよ」
そして言って、C君は最後に、俺に一歩近づいて、
ニッコリ微笑みながら、小声で話しました。
C君「…『正しくない』者は、弱い者。自分の間違いを認めて
僕達の仲間にならないのなら、君は弱い者として、光を失うべきだ。
…もし、僕達の名前を書いた遺書を残したって、無駄だからね。
だって、これは全部コミュニケーションの一環なんだから。
僕達は今まで一度だってお前に死ねと言ったことはないし、
自殺に追い込んだ証拠も、どこにもない。
なぜなら僕達はずっと、独りぼっちのお前の友達で、仲間外れに
しなかっただけだから。…悪いのは全部、神経過剰なお前の弱い心の
せいで、単なる勘違いってことになる。それは中学校の時、僕達に何も
言ってこなかった先生と、臆病なクラスの連中が保証してくれるだろう。
…僕は今も、君が持っている強い光に憧れているんだよ。その光で、
僕達の『正しさ』を照らしてほしい、ただそれだけなんだ。
…それができないなら、その光を失ってほしい。そうすれば、
君が弱かっただけなのだと、僕達は少しだけ救われるから。
…いつか俺君が『正しく』なることを、これからもずっと
僕達は待ってるから、ね?」
そう言ってC君はスッと離れると、「またね、俺君」と、
A君、B君と共に笑いながら去っていきました。
雨で歪んだ視界に、3人の後ろ姿は消えていき、彼らが見えなくなっても、
どうしても足が動かず、激しい心臓の鼓動と雨音だけを感じていました。
そして夜になり、辺りが暗くなってようやく、俺は家に帰ることができました。