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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

▲お題に合わせて・ツイノベ・掌編

【三題噺】迷い人のレジリエンス 〜兄の死を引きずる女と鏡のような男〜

作者: にける

三題噺

お題は「靴下」「ドール」「本」3000文字以内

 梅の花のような痣の咲く裸なんて、見たのははじめてだった。


「兄の茶碗を割って破片を体に埋めたの」


 麻奈は靴下まですっかり脱ぎ捨ててしまうと、ベッドの上に足を割って座り、右の乳房を持ち上げた。

 生々しく白い乳房の下には、じくじく膿んだような大きな痣がある。

 痣は紅梅の色に滲み、黄色くぷっくり凝った中央には白い棘が埋まっていた。


「体を動かす度に棘が食い込んでいくのがわかるんだ」


 麻奈は身をよじり痣を目で辿りながら、生き生きと張りのある声で話した。

 うつむいた顔は笑ってるんじゃないだろうか?


「きれいでしょう? 花みたいで」


 カーテンの隙間から差し込んだ真昼の光が痣を照らす。

 僕の頭の中はハザードランプがちかちか点滅しているように落ち着かない。


 麻奈が両手でぎゅっと痣をつまむ。

 僕は棘が深く食い込む様を想像して、思わず痛くもない自分の胸をギュッと掴んだ。

 麻奈は僕の反応なんてまるで気にもかけず、どんどん話を続ける。


「こうするとしょっちゅう兄に殴られてたことを思い出すよ。私はまるっきりあの人のドール。ストレスのはけ口だったんだよね」



 麻奈の兄は高校生の時、マンションの屋上から飛び降りて死んだ。

 当時麻奈は中学生だったそうだ。

 六年も前のことだ。



 ――その時、私は部活の真っ最中。

 メトロノームの前に立ってパーカッションの基礎練習をしていたの。

 横一列に並んでタッカタッカ。


 戸口で先生が私を呼んで。

 でもすごい騒音の中だから気がつかなくって。

 先生は私の前まで歩いてきて袖を引いたの。


 先生がどんな顔していたかなんて覚えてない。

 私がどんな風に兄の死を聞いたのか覚えてない。


 ただ基礎練習のリズムが驟雨のように注いで。

 先輩たちの視線が渦を巻いて追ってきて。

 拗れた音の森の中で私は一人迷子になって、どんどん深いところまで降りていくーー



「兄はすごく短気でさ。だから飛んじゃったのかもね。あんな高いとこから」


 頷いているだけで気の利いたことの一つも返さない僕を相手に、麻奈は延々と話し続けた。


 だいたい僕は麻奈のことなんてほとんど何も知らない。

 ゼミの飲み会でたまたま隣にいたせいで、自殺した兄の話を聞かされるはめになったってだけで。

 それだけでひどく打ち解けたかのようになって、麻奈は以降何度も兄の話を僕にし続ける。

 部屋に呼び、目の前で平然と裸になって傷口を見せつける。

 これはいったい、なんだろう。


「聞いてる?」


 尋ねられ、ずいぶん相づちをうっていないと気付く。


 目を上げて顔を覗き込むと、麻奈はさっと目を伏せた。

 そばかすだらけの白い頬に窓から差す光が踊る。


「こんなことして、変な話ばっかり聞かせて、自分でもおかしいと思ってる。でも」


 ベッドサイドに伏せてあった本がパサリと音を立てて落下し、麻奈の言葉が止まる。

 大学生の女の子には似つかわしくない、中途半端に古い少年漫画だ。

 劇画調の絵柄が懐かしい格闘物。


 麻奈はしばらく漫画の表紙をじっと見つめた後、カーテンの向こうに目を上げた。

 泣くのかと思った。


「あは。ばからし」


 でも麻奈は笑った。


「死ねばいいと思ってたの、あんなヤツ。消えろ、地獄に落ちろって何回も言った。私、死ぬなんて、辛い目にあって死にたがってたなんて全然知らなかったから」

「責めてる? 自分のせいだと思って」


 麻奈の目に初めて僕が映る。


「何言ってんの? 私が悪いわけないじゃん。全部あのバカの自業自得。当たり散らして、態度極悪でそんなだから誰とも打ち解けらんなくて、そんで勝手に死んで、私に余計な傷なんか残してさあ。最低」

「麻奈はなんで傷ついてる、何に?」


 僕の言葉に麻奈は黙った。

 黙って立ち上がり、脱ぎ捨てた服を拾い上げはじめるのを僕も黙って待った。

 靴下を履き、下着を身に纏う。

 薄い生地の下から梅の花のような痣が灯籠のように赤く透ける。


「横田のレスはだから好きだよ。鏡みたいで。嘘つかなくて。誰にも言えないことが言えてしまう。溢れてしまう」


 シャツのボタンを止めながら、麻奈は僕の名前をよんだ。


「だからさ、もう側にいないで。私がしがみつきたくならないうちに逃げてよ。わかってるよね。私頭がオカシイの。このままじゃ私、いつか横田に依存する」


 僕は再び黙りこんだ。

 ここまで既に散々好き勝手に振り回しておいて、いまさら気丈な事を言う麻奈を少しだけ好きだなと思う。

 自分勝手で、自分本位で、誰のせいにもしようとしないで病んできた麻奈は、一人で恢復する。


 白い陶器の欠片たちが、麻奈の身体からみんなするりと抜け落ちればいい。

 どろりとした体液に包まれて白い棘が押し出され、皮膚を伝い落ちるのを思い浮かべる。


 深く下った森の奥底で迷う麻奈が、梢から射す光を頬に映し、目に映すのはたぶんもうじき。

 もうじきだから。


「めんどくさいな。麻奈は」


 僕は麻奈を引き受けない。

 翻弄なんかされてやらない。

 共感なんかしようもない。

 だから安心して。境界を引いて。麻奈は一人でレジリエンスを発揮する。


「なにそれ。ひど」


 麻奈は顔を歪めて、泣くのかと思ったけどやっぱり笑った。


「……まあいいや。じゃあコンビニ行こ。あんまんおごって」

「なにがじゃあなのかわからないけど、いいよ」


 折り合いつけて収めて、問いかける相手を失った後の世界を生きていく。

 慰めも宥められもせずに。

 むき出しで。


「そばにいてもいいよ」


 誰も思いつきやしない独創的な恢復を、僕に見せてくれるなら。

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― 新着の感想 ―
[良い点] だれのせいにもしないで、一人傷ついてきた人には、救いがあってもいいのかもしれない。 ただ、その救いはやはり自分で見つけるものなので、周りの人がすべきなのは、その手助けくらい。誰かに救っても…
2018/09/27 09:04 退会済み
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