第一章 『悪夢への旅立ち』⑦
降り始めから約二十分。篠突く雨は、景色を引っ掻くような白い直線を無数に描き、その雨音は、一層激しさを増していた。
「この先が新犬鳴トンネルだから、この辺りか?」
悪い視界に目を細めて恭也が問う。
「そうだな。……あ、そこから脇道に行けそうだ」
ノートパソコンの地図情報と見比べながら出した僕の指示で、車は正規ルートである県道二一号線に別れを告げると、細い道へと進路を変えた。
九十九折りというほどではないが、曲がりくねったヘアピンカーブが幾度となく続く。緩やかな坂になった細道は、少しずつではあるが、確実に峠を登っていた。
前方にばかり気を取られていた僕は、ここで、ふとドアの窓ガラスへと視線を移した。
「あ!」
思わず大きな声が出る。手首まで出せば届きそうな位置に、岩壁が迫っていたのだ。
「き、恭也! 左、壁。車、もっと、右」
単語を羅列しただけの言葉で、慌てて注意を促す。
だが、車が岩壁から離れることはなかった。
このままだとぶつかってしまう。僕は不安を募らせた。
その心情を察したのか、後部座席から雅が言った。
「確かに左は壁なのかも知れないが、右はそれよりも凄いぞ」
「え? そっちには何があるんだ?」
僕は彼女に尋ねた。雨が酷くて助手席からだとよく見えないのだ。
「こちらか? 崖だ。恐らく、下は、新犬鳴トンネルの入り口辺りだろう。岩壁で車体を擦るか、崖から転がり落ちるか。どちらを選ぶ?」
「岩壁で」
「そうだろう。では、恭也さんの邪魔にならぬよう、お前は精々静かにしていろ。私たちの命は、目下、彼のドライビングテクニックに懸かっているのだからな」
「分かったよ」
得心いかぬ思いを拭えぬままに、僕はそう返事をした。
車は右へ一度大きく折り返し、その後、緩やかな左カーブを描く直線に入った。
だが、現実世界は雨で十メートル先も見えないため、これはあくまでも地図上での予想だ。この先、さらに左への急カーブがあり、そこがフェンスの設置場所となっているはずなのだ。
雅の忠言に従い、僕は黙ってフェンスに到着するのを待った。
間もなく、車が左へと曲がる。
……しかし。
「どうして?」
僕はそう声に出していた。ブログに記されていたはずの細道を塞ぐフェンスがなかったのである。
「おかしいな」
車を一時停止させ、恭也も首を傾げる。
「純平、ちゃんと地図を見ていたのだろうな?」
そう雅が訝るが、聞かれるまでもないことだった。
「どうする? もう少し、進んでみるか?」
誰にともなく尋ねる恭也に、僕が、
「どの道、ここだとUターンもできないし、そうしよう」
と答えると、車は、再び見通しの悪い細道をゆっくりと走行し始めた。