第一章 『悪夢への旅立ち』④
福岡県、県道二一号線。僕たち五人を乗せた白いセダンは、現在、東へと向かって走っている。車窓から見える風景は、いつの間にか空気のよさそうな山間部へと変わり、順調に目的地に近づいているのだと分かる。一方、コンビニの駐車場で見た時に太陽にかかっていた暗雲は、既に空全体を覆い隠すまでになっていた。まだ午後三時をすぎたばかりだというのに辺りが夜の帳に包まれ始めているかのように暗いのは、生い茂る木々のせいだけではないようだ。
ハンドルを握る恭也の隣で、僕は、雅から借りたノートパソコンに目を落とした。画面に映るのは地図情報ではなく、誰とも分からぬ人が作ったウェブログ。その表題には、大きなフォントで、『全国の都市伝説を探る!』と銘打たれていた。
後部座席の雅に気づかれぬよう小さく溜め息をつくと、僕は、タッチパッドを操作して“福岡県の都市伝説”と書かれた項目を開いた。
そこに記されていたのは、『県道二一号線、旧犬鳴トンネルの噂』だった。
「……はぁ」
今度は大きな溜め息が、意識せずに口をついて出る。
その声を聞きつけて、右手後方から雅が言った。
「諦めろ、純平。もう決まったことだ」
そこには明らかに含み笑いが込められていた。
「分かってるよ」
むっとした僕は、そちらに視線をやることなくそう答えた。
確かに、それは「もう決まったこと」だった。
しかし、解せない思いは、簡単に消せやしないのである。
自分を落ち着かせようと深く呼吸をし、僕は再びディスプレーへと目を落とした。
先ほど、コンビニの駐車場で雅が僕に見せたのは、今開いているこのページ、『県道二一号線、旧犬鳴トンネルの噂』だ。
そして、彼女の頼みは、「ここに連れて行って欲しい」だった。
つまり、彼女は、ノートパソコン借用の交換条件として、旧犬鳴トンネルに立ち寄ることを提案してきたのである。
初めにはっきりと言っておくが、僕は都市伝説の類が大嫌いだ。
それは、別に怖いからという理由ではなく、超常現象があると噂される場所にわざわざ出向く神経が理解できないからである。
誰だったかは忘れたが、昔の人も教えてくれている。「危険だと分かっていてそれをすることは、勇気とは言わない。無謀と言うのだ」、と。それなのに、人類はいつまでその無謀を繰り返すのか? いい加減に学習したらどうなんだ? そう思うのである。
名誉のために重ねるが、これは、決して怖いからではない。断じて怖いからではないのである。そう、……絶対に。
というわけで、僕は、雅のノートパソコンをあっさりと諦め、その旨を三人に報告した。
ところが、これに耳を疑うような答えが返ってきた。「旧犬鳴トンネルに立ち寄ることでパソコンを借りられるのならば、結構なことじゃないか。いや、それどころか日本有数の都市伝説の舞台だ。頼まれずとも行きたい!」と、三人が三人、口を揃えてそんなことを主張し始めたのである。
瞬く間に孤立無援、四面楚歌となった僕は、あっさりと外野へと追いやられた。
僕の退任後、新たな交渉役には恭也が就くこととなった。彼は、ノートパソコンとトンネル立ち寄りの交換条約を即座に締結させた。
結果、雅のノートパソコンは僕の手へと移ることになり、車は、旧犬鳴トンネルへと向かって走行中という次第なのである。
「トンネルに着くまでの間、そのブログに書かれた情報を読み上げてみてはどうだ? 恐怖が増して、面白いと思うぞ」
調子に乗って催促してくる雅に、僕は即答した。
「面倒だから嫌だ」
すると、
「お願い、読んで。ここからだとパソコンの画面、見えないの」
そんな由莉の甘えた声が、僕の真後ろから聞こえてきた。
彼女の頼みならば、断る理由などない。
「よし! 読もう!」
ひらり態度を翻すと、僕は、咳払いをひとつしてからディスプレーに映る文字を音読し始めた。
旧犬鳴トンネル。都市伝説について少しでも興味がある人ならば、その名称を一度は耳にしたことがあるだろう。東京都千代田区に所在する“平将門の首塚”と並ぶ、解説不要の超A級都市伝説スポットである。
しかしながら、まったくの初心者がこのブログを訪問している可能性もある。そのため、旧犬鳴トンネルについての簡単な説明を、一応しておこうと思う。既に十分な知識がある人は、読み飛ばしていただいても結構だ。
「どうする? 飛ばすか?」そんな意味で二、三秒ほど待ってみたが、車内の誰からも声は上がらなかった。
僕は、そのまま読み進めることにした。
旧犬鳴トンネルは、現在の久山町(西側)と宮若市(東側)を結ぶ峠道に作られたトンネルである。東西の入り口は、いずれも県道二一号線から脇に入り、曲がりくねった細道を登ることで辿り着くことができる。トンネル内は狭く、交通にも不便であったことから元もと利用者は少なかったのだが、一九七五年に県道二一号線久山・宮若間を直線で結ぶ新犬鳴トンネルが開通して車の往来がスムーズになると、いよいよ人は途絶えた。回り道である上に不便。そんな旧犬鳴トンネルは、不必要な存在となり果てたのである。
だが、この旧トンネルを敢えて通ろうとする者たちもいる。彼らの目的は、ひとつ。それは、霊体験。身も心も凍りつくほどの霊体験なのである。
さて、以上で旧犬鳴トンネルについての説明は終了だ。ここから先は、旧トンネル及びその周辺で起こる具体的な心霊現象について述べていこうと思う。お時間が許すのならば、お付き合い願いたい。
「許すに決まってるやん。ねぇ、由莉」
「うん。わくわくするね」
千春の呼びかけに、由莉がそう答えた。ここまではただの交通情報だった気がするが、それでも楽しんでくれているようでよかった。張り切って僕は続けた。