第一章 『悪夢への旅立ち』⑨
鋭くも重い衝撃。拉げる車体。シートと車の前部に挟まれ、全身が押し潰される。
助けを求めて声を出そうにも、砕けた骨が肺に刺さって吐血し、呻き声を上げることさえままならない。
そんな惨状を、僕は予想していた。
だが、実際は……。
――バキッ、バキバキッ――
拍子抜けするほどに軽い衝突音。車体は壁を突き破り、それから何事もなかったように止まった。
茫然自失。僕は暫し我を忘れていた。その意識を呼び戻したのは、トンネルに入る前まで聞いていた土砂降りの雨音だった。
「皆、大丈夫か?」
運転席から恭也が尋ねた。
「何とか」
僕が答えると、
「私も平気」
「ウチも」
そんな由莉と千春の返事が後部座席から聞こえてきた。
あとは雅だけだ。しかし、彼女からの応答はない。
……まさか。
「み、雅!」
僕は血相を変えて振り向いた。そこには、長い黒髪を暖簾のように垂らし、がくりと項垂れる雅の姿があった。
「雅ちゃん、どこか怪我したと? 大丈夫?」
千春が肩を揺すると、掠れる声で雅が反応した。
「い、痛い」
「ど、どこが痛いんだ?」
ただならぬ様子に、僕は後部座席に大きく身を乗り出した。
「じゅ、純平か? 額だ。ぶつけたようで額が凄く痛むんだ」
「そんなに?」
「あぁ。恐らく、脳みそが飛び出していることだろう。それくらい痛い」
「……」
「悪いが、ちょっと見てくれないか? 流石に、千春ちゃんや由莉ちゃんに脳みそは見せられないからな」
「脳が出てるのは、僕も見たくないよ」
「これは大したことはないな」そう判断しながらも、僕は彼女の要求に従って黒髪暖簾をそっと手で掻き上げた。
団栗眼、と言うのだろうか、くりくりとした瞳のその上に、広めの額がついている。
「ど、どうだ?」
震える声でそう問う雅に、医者ではない僕は、
「んー。大丈夫だと思うけど、腫れてるな。真っ赤だ」
と、見たままの診察結果を素人なりに伝えた。
「腫れている? それは、重傷なのか? わ、私は死ぬのか?」
額以外の顔の部分を雅は青くした。
僕は、きっぱりと答えた。
「死なないから安心しろ」
その言葉で息をついたのは、雅ではなく恭也だった。
彼は、
「そうか。大怪我じゃなくてよかった。俺、ちょっと外の様子を見てくるから、皆はここで待っていてくれ」
との言葉を残し、運転席から風雨に晒された外へと颯爽と出て行った。
そんな恭也を見送り、千春がしみじみと言う。
「やっぱり、頼れるねぇ」
「うん。お兄ちゃん、って感じだよね」
由莉も同調した。
そこに、僕と付き合いの長い雅までもが、
「恭也さんは、神だ。それに比べて……」
と、額を診てやった恩も忘れてこちらに白眼を向けてくる。
僕は、すぐにでも車から飛び出したい衝動にかられた。
しかし、外に出たからといって、何ができるわけでもない。じっと座っていると、ほどなく恭也が戻ってきた。
ずぶ濡れの髪の毛を掻き上げて彼は告げた。
「よく分からないんだが、どこかの集落に着いたみたいだ。近くに大きな家があったから、そこで休ませてもらおう」
「集落? 家? トンネルから出てきたはずなのに、何故……」様ざまな疑問が浮かんだが、今はそれを気にしていても始まらない。僕たちは荷物を置いたまま外に出た。
峠の細道を越えていた時より少し雨は弱まっているものの、風は逆に強まっていた。
「あっちだ」
恭也が指さす方角三十メートルほど先に、平屋の大きな日本家屋が見えた。
一斉にそちらへと駆け出す四人。僕もそれに合わせて走り出した。
途中、ふと立ち止まり、トンネルのほうへと振り向く。
そこには、大きな扉らしきものがあった。下部には、車が通りそうな穴がぼっこりと開いていた。
「あれを突き破ったのか……」
そう呟くと、僕は、四人の背中を追いかけた。




