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不採用と言う事がかなり丁寧に書かれた手紙が手元にある。
破り捨てる元気もなく、途方に暮れながら鏡に映る自分を眺めて溜息が出た。
もう四捨五入したら30になると言う年齢、恋人もいないまま過ごした日々は数年にも及び、女子力という女子力は消え失せてしまった。
鏡に背を向け、代わりに向かい合うのはパソコンのモニター。電源を入れると薄暗い部屋の中を僅かに照らす。
デスクトップにあるショートカットをダブルクリックすると、いつものようにオンラインゲームが起動した。
採用試験に落ちた事による現実逃避や、自棄を起こしてゲームをする訳じゃない。
私はチームのマネージャーなのだから毎日ログインする事は義務なんだ。
「あ、アオリさんこんばんはですぅー」
ログインすると早速チームの面々からの挨拶がある。
アオリと言うのは私のキャラ名で性別は男。初めはアミと言う女のキャラを使っていたのだが、始めて1時間もしないうちにネカマと言われ、作り直したのが今のキャラ。この状態をネナベと言うのだが、特に何も言われない。
「メンテ明けだってのに早いなぁ」
「新スクラッチの値崩れ前に目当ての物をあてなきゃです!」
そうか、今日のメンテでスクラッチが出てたのか。だったらチーム員はしばらくスクラッチ回しで忙しそうだ。
こう言う時、スクラッチを回さない無課金者は退屈になる。スクラッチのハズレを売っている個人商店を物色しても良いが、ここは新しく追加されたストーリーを進めて来よう。
「クエストしてくるわ~」
チームルームの中で微動だにしないチーム員達のグラフィックに向かってチームチャットで声をかけ、町に出て頭の上にクエストマークの出ているNPCの傍に行ってゲームパッドの○ボタンを押した。
徐々に画面が白く光り出し、ムービーが流れ始める。しかし画面が明る過ぎて音しか聞こえない。しかも日本語っぽくないから字幕がある筈なのだが、それも見えない。
メンテ明けにバグが多いのは分かっていたが、ストーリー関係で、こんな最初からとは酷い。楽しみにしていた分一気にやる気がなくなったな・・・一旦ログアウトしてからバグ報告するか。緊急メンテと言う事になれば経験値アップなどの課金アイテムがお詫びとして配られる筈だ。
タスクマネージャーを起動させようとキーを押すが、反応がない。まさかバグではなくグラボに問題が生じたのか?それともメモリ?いや、それならパソコンが強制終了する。画面が白いだけで音声はクリアに聞こえているのだからゲームがオチたと言う訳でもなさそうだ。
モニターの設定が可笑しくなった?急にそんな事が起きる訳ないんだけど、疑わしきはどーたらこーたらって言うし、ちょっと明るさだけでも弄ってみよう。
こうして眩しいモニターの下にある設定ボタンを右手の人差し指で押した時、モニターから指先に向かってバチッと電気が走った。
静電気?いや、違う、モニターが電気を帯びている。って事は漏電?早くパソコンを切らないとヤバイ!むしろもう手遅れ!?
「ちょっ、な・・・なに!?」
パソコンを強制終了させようと勢い良く立ち上がった時、フワッと予想以上に飛び上がった気がして見下ろすと、そこにはモニターに向かって手を伸ばしている自分がいた。
相変わらずモニターは電気を帯びていて、下に見えている私の体を巻き込んでパチパチと音を立てている。
これ、もしかして幽体離脱って奴ですか!?
いやいや、可笑しいでしょ!なにこの急な展開。不採用食らい過ぎて心労がピークに達した結果がコレ?にしたって幽体離脱って・・・そうか、寝オチたんだ。そしてこれは夢。
早く起きよう。今日は新スクラッチで皆忙しそうだから早めにロクアウトして、ゆっくりとお風呂に入って、ベッドでちゃんと寝てしまおう。
で、どうやって起きろと?
例え夢だとしても幽体離脱したままなのは宜しくないよね、だったら体に戻れば良いのかな?どうやって戻るのかなんて知らないんだけど。
パチパチと電気を帯びた自分の体に手を伸ばして触れた瞬間、物凄い衝撃があって吹き飛ばされる、電気が走ったと言う感じではなく、弾き飛ばされた感覚だ。それでもしっかりと着地して無傷と言う辺りが夢っぽい。
そうやって何度か飛ばされているうち、モニターに違和感を覚えて見つめる。すると、眩しく光るモニターの中から手の様なモノが出ている事に気が付いた。
なんだろうかと近付いて覗き込むと、それは突然物凄い勢いで飛び出して来ると私の胸倉掴み上げ、そのままモニターの中へ引きずり込んだのだ。
こんな、ありがちな事が本当に?いや、ありがちだけど本当に起きちゃ駄目でしょ、いや、でもこれは夢だから、なにがあっても夢オチって事に・・・それはそれでありがちだわ・・・。
真っ白な空間を飛んでいるのか、座り込んでいるのか、進んでいるのか、止まっているのか分からないが、立ってはいない。
立って歩き出せば、いつかはどこかに出る事が出来るのだろうか?このままジッとしていたって何にもならないなら歩くしかない訳だけど、そのうち夢は覚めるんだし、良い事が起きている途中で一気に現実に戻されるってよりもこのままの方が良い気がする。
しかし、こんな真っ白で眩しい空間にいつまでいれば良いんだろう?
もし、万が一これが夢じゃなかったとしたら・・・?
「んなアホな」
幽体離脱はともかく、モニターから手が出て来るとか、モニターの中に入れられるとか、現実と考えるには無理があり過ぎる。100歩譲って手が幻覚だったとしても、実際こうして真っ白なモニターの中にいるんだから夢に違いない。
どうやって出るのかは分からないけど、時間が経てば良いんだろうし,ここは少し昼寝でもしよう。幸い腕時計はあるんだから時間の感覚を失う事はない、果報は寝て待てって言うし、ゆっくりと待ちますか。
目を閉じて楽な姿勢をとり、眩しいので腕で目を隠してしばらく、眠気がやって来た。夢の中でも眠気はあるんだなぁ・・・。
「いててて・・・」
目が覚めて起き上がると背中が少し痛んでいる。腕時計を確認すると眠ろうと判断してから3時間経っていた。かなり長時間こんな所で寝ていたんだから背中も痛くなるわな。じゃなくて、3時間寝て起きたのに、まだ真っ白な空間にいる意味が分からない。
まさか、本当にこんな所に入ってきたと言うのか?嘘だと思いたいのに、この妙にすっきりとした頭はなんだ?確実に長時間の睡眠をとった証拠だ。
夢の中でそう言う設定になった?いや、もうなんだって良い。夢だろうと現実だろうと、この真っ白な空間からは出なきゃならない。
感覚が麻痺しないように目を閉じて立ち上がり、ゆっくりと歩き出す。真っ直ぐに進んでも出口はないかも知れない。けど、立ち止まってるなんて時間がもったいない。
しばらく歩き続けていると、微かにザワザワとした音がしてくる。木々が揺れている葉のザワザワではなく、不特定多数の人間が行き交う道でのソレだ。足音だったり、話し声だったり。
堪らずに目を開けてみると、正面には1枚の扉があった。
真っ白な空間にポツンとある木製の古びた扉は、少し触れるだけで勝手に開き、外には幾人もの人が行き来している様子が見て取れた。
やっと自分以外の人間を見付けたと言うのに・・・嬉しくはない。
行き交う人達は皆鎧を身にまとい、武器を背負っていた。私も良く知っているそれらの装備品はオンラインゲーム内に出て来る物だ。
あぁ、あの装備品金属製じゃなくて、なんかの鱗で出来てたんだな・・・。
出て行く勇気が出ずに人の装備品を眺めていると、扉は少しずつ閉まり始めていった。完全に閉じたら扉は消えてしまうんじゃないか?もう二度と開かないんじゃないか・・・またこの真っ白な空間を歩き続けなきゃならないんじゃないか。
焦って思わず飛び出すと、そこはチームルームのある町の防具屋の裏手、そこに飾られている大きな銀製の盾に映る私の姿は、アオリだった。