Development
[ショ'ーリィ・ファ'ヴド]04・Development
【あなたのSFコンテスト・参加作品】
僕は牧博美に案内されてショットバーのカウンターに座っていた。
牧博美は安心しきった顔で僕の腕にしな垂れていた。
それを僕は優しい笑顔で受け止め、牧博美の肩を抱いていた。
会社から、いや、自分の部署を出てからこのバーに辿り着くまで、僕はずーっと好奇な目に晒されていた。その目は僕にこう語り掛けていた。
『不釣り合いだぜ、その綺麗な彼女とお前では』
『あの子、この男の何処が良いのかしら?』
『こんな美人があんなブ男と!』
『わーっ! 落差有り過ぎの最悪カップル!』
そうさ、そんなことは百も承知さ。
だけど、僕の身体はもう僕自身の思うようには動かないんだよ!
僕は悲しくて涙が出そうだった。
しかし、涙など出るはずもなく、ましてや悲しい顔さえも出来ない。
僕に出来るのは、牧博美に笑顔を向けることだけ。
もう僕は牧博美の虜になっていたのだ。
「いらっしゃいませ」
微笑みを振り撒くバーテンダー。
「あれをお願いね」
座ると同時にバーテンダーに注文をした牧博美。
「承知しました」
バーテンダーは会釈をして作業に入る。
出てきたのは、ワイングラスに入った紅いカクテルだった。
「キールでございます」
グラスを差し出しながら、バーテンダーがカクテルを紹介した。
牧博美はキールのグラスを手に取り、僕もキールのグラスを手に取った。
そして、僕のグラスと打ち鳴らした。
「乾杯」
牧博美と僕はキールを飲み干した。
「この『キール』っていうカクテルの意味、知ってます?」
牧博美が上目遣いで僕に訊く。
僕は首を横に振る。
「このカクテルは『最高のめぐり逢い』っていう意味なのよ、うふふ」
ニッコリと微笑む牧博美。
「え? それって……」
僕はゾクッとした。
「そうよ。もちろん、神谷さんと私のことよ」
頬がほんのりと紅くなった牧博美。
「それじゃあ、次のを」
牧博美はバーテンダーに指示をする。
「分かりました」
丁寧に会釈をするバーテンダー。
僕は、牧博美とバーテンダーとのやり取りを不思議そうに眺めていた。
『やけにスマートな酒の飲み方だ』
『このショットバーは、牧博美が行き付けにしている店なのだろうか?』
『バーテンダーとの会話が粋すぎるよ』
ボーッとする僕の腕を、牧博美は突然に掴んだ。
ドキッとして、僕は牧博美を見た。
「彼は知り合いなの」と平然に答える牧博美。
「え?」と疑問符の僕。
「幼馴染よ」と、彼とは何でもない風に返答をした牧博美。
「お待たせしました」
バーテンダーが、橙黄色のタンブラーを二つをカウンターに置き、僕と牧博美の前に差し出した。
「スクリュー・ドライバーでございます」
僕と牧博美はタンブラーを持ち上げてお互いの顔を見てから口を付けた。
「えーっと。スクリュー・ドライバーの意味は何だったっけ?」
牧博美は舌をチロッと出して照れた。
「スクリュー・ドライバーは『あなたに心を奪われた』という意味です」
バーテンダーが会釈をして恐縮しながら答えた。
「そうそう、そうだったわ。ありがとう」
バーテンダーにウインクでお礼をした牧博美は、僕に向かって言葉を発した。
「神谷さんにとって私の存在はそんな感じでしょ。違うのかしら?」
むっちりとしがみ付く自信有り気な牧博美に、抵抗するのが難しい僕だった。
「あ、うん、まぁ……そうかな」
ストレートにそうだと言わなかったのは、僕の自尊心の表れだった。
「うふふ、無理しちゃって」
僕の言葉を嘲笑う牧博美。
「最後のヤツを」
「了解しました」
牧博美の注文にバーテンダーは予期していたかのようにシェーカーを振り始めた。
僕と牧博美の前にカクテルグラスが置かれて、バーテンダーはシェーカーからカクテルグラスに、ほんの少しだけ緑色の液体を注いだ。
「ギムレットでございます」
言い終ると、バーテンダーは軽く会釈をして僕と牧博美の前から静かに去った。
「最後に、乾杯」と牧博美。
「え、最後って?」と僕。
グラスを当ててチーンと鳴らしてから、牧博美と僕はカクテルグラスを一気に飲み干した。
店の外へ出ると、生暖かい夏の深夜の風が酔った頬を撫でていく。
牧博美は少しふら付いていた。
転びそうになる牧博美を、僕は抱きかかえた。
「大丈夫かい?」
僕がそう声を掛けると、牧博美はニッコリと笑った。
「やっぱりいい男ね、貴方は。『神谷大吾』クン!」
僕は酔っていると思った、牧博美が酒に酔っていると。
だが牧博美は、抱きかかえる僕の手を振り解いて、フラフラと三歩ほど進んでから僕の方へ振り返った。そして、脚を肩幅に開いて仁王立ちになり、右手を前に出して人差し指を僕に向けた。
「どうしたんだい?」
僕が牧博美に声を掛けた時だった。
「ギムレットは『長いお別れ』よ……」
そう呟いた牧博美は、鋭い眼光で僕を睨み付けていた。
「何だって?」
尋ね返した僕を無視して、牧博美は次のセリフを叫びながら、突き出した右手の人差し指を下ろした。
「クリック!」
その瞬間、僕は全く動けなくなり、視界が真っ暗になり、何も聞こえなくなり、呼吸が止まり、身体全部の感覚が雲散霧消した。まるでこの世から『僕』というモノが消滅したかのような、何の拠り所もない、頼りない存在感で、神谷大吾の意識が辛うじて真っ暗な闇の中に漂っていた。
ここまでお読みいただきまして、感謝申し上げます。