第二十一話ーー気づいていたことーー
漫画で、味方が真のボスだった、なんて話がよくある。
そんなのただの空想だと、昔は鼻で笑っていた。
「遊ぼうよ!もっと!もっと!」
しかし、今はどうだ。
目の前に迫るは、狂気。
その歪んだ笑顔は、まるで玩具で遊ぶ無邪気な子供のようだった。
しかし、血走った目には恐怖を感じざるを得ない。
彼女は、もう俺たちの知る萩野ではなかった。
「くそっ!」
俺は自分の右腕に手を掛けた。
仲間には手を出したくない。たとえそれが、なれそめだけの間柄だったとしても。
葛藤が巻き起こる。
が、そんなことを彼女が分かるはずもなく。
萩野は大きく飛び上がった。
そのまま宙返りをして、弧を描きながらのかかと落とし。
間一髪受け止めたが、ズシリと重い一撃は、俺の腕を壊すには十分過ぎるほどだった。
「あ"あ"あ"ッ!」
「ふふっ♪」
思わずその場に崩れ落ちる。彼女は依然として笑顔のままだ。
しかし、萩野の体は悲鳴を上げているように見えた。細い腕は血にまみれ、白い骨が見えている部位もある。足もガクガクと震え、立っているだけで精一杯という様子だ。
それなのに、萩野は全く攻撃を緩める気配を見せない。
何かがおかしい。あのケガの量、どう考えても普通ではない。本来ならば激痛で息をするのも辛いはずだ。
顔に向かって膝蹴り。体を捻って躱したが、もう逃げ場などなかった。
鳩尾。回し蹴り。エルボー。ともすれば演舞にも見えるそれは、なぜだか酷く儚かった。
冗談抜きでやばい。こりゃ死ぬかもな……。
視界がぼやけていく。痛みを感じなくなり、やがて体が動かなくなる。
先ほど感じた違和感など、もう頭になかった。
闇に染まりゆく中で、遠くからみんなが走ってくる姿が見えたが、もうそれすらも止められない。
そして、俺の名を呼ぶ声を最後に、意識は完全にすり潰された。
===============
「ほら、いつまで寝てんの。早く起きないと遅刻するよ?」
「うるせぇな、別にいいだろ。学校なんて行かねぇよ」
「んな、なんだってー⁉︎」
「リアクションが大きい。静かにしてくれ」
「大変だ……。ついに私の弟がぐれちゃった!」
「誰がぐれるか。学校なんて、どうせ行ったってつまんないだけだろ」
「何言ってんのさ、楽しいよ!部活もできるし、友達だって増える!毎日が素敵になるんだよ!」
「興味無いわ。てか、姉ちゃんこそ行かなくていいのかよ。結構遠いんだろ?」
「えへへ、実はもう間に合わないんだよね……」
「おいおいおい……。ほら、俺はいいから、とっとと行けって」
「あー、ダメダメ。浩介が起きるまで学校行かないって決めてるから」
「んなガキじゃねぇわ。てか、はっきり言って邪魔なんだよ」
「またまたー。本当は甘えたいんでしょ?もー、可愛いなー!このこのっ!」
「お、おいバカ、やめろって!」
「……じゃあ、やめたら学校行ってくれる?」
「なんでだよ。しつこいな」
「……」
「……な、なんだよ。じっとこっち見て。気持ち悪い」
「いや、そういえばいつかもこんな事したな、と思ってさ」
「はぁ?何言って……」
「浩介が素直だったら、私は死なずに済んだのに」
「⁉︎」
「覚えてる?まさか忘れるわけないよね?だって、浩介の我が儘で、私は殺されたんだから」
「やめろ……」
「私は何も悪くない。それなのに、どうして?どうして私が死ななきゃいけないの?」
「違う、違うんだあれは!」
「そんな簡単に私は死んだんだね。浩介の身勝手な判断で。
ねぇ、返してよ。私はまだ死にたくなかった。もっとみんなとお喋りしたかった。友達ももっと作りたかった。恋だってしてみたかった。それを、一瞬で奪っていったのは……」
「あ、あ……」
「お前だよ。浩介」
「うわああああああッ‼︎」
勢いよく起き上がった。全身は汗だくで、脳みそはミキサーにかけられたようだ。朦朧としており、うまく機能しない。
おかげで、今俺がアジトで寝ていたことを理解するのにしばらく時間がかかってしまった。
辺りは夕暮れ。部屋には五月蝿い蝉の鳴き声だけが響いている。
しばらく呆然としていたが、気分転換でもと思い、自室のドアを開けた。
遮られていた蝉の声はいっそう激しくなり、耳が痛い。
広間に行ってみたが、そこには誰もいなかった。飲みかけのコップも、山積みの資料もそのままだ。
いつもとはどこかズレているその風景に、少しばかり恐怖を覚えた。
「おいみんな、どこだよ?」
呼びかけても、返事はない。
一体どうしたっていうんだ。
外へ駆け出す。やはり誰もいない。
森が、空が、世界が歪む。
まるで俺をせせら笑うように。
怖い。
なんの根拠もなく、本能的にそう思った。
それでもなんとかしようと、懸命に記憶を掘り起こす。
……そうだ。俺たちは篠田とかいう奴と闘っていたはずだ。倉本がやられ、まるで歯が立たない相手だったが、萩野が倒してくれたんだったか。
しかし、まだ何か肝心なことを忘れている気がする。その後、俺は自分がどうなったかを思い出せないのだ。
篠田が倒れた後。あの時から、今目覚めるまでの記憶だ。それだけは何故だか全く思い出せない。
困ったな。
「でも、まずは誰か見つけねぇと……!」
やはり、人間に会わなければ事は進まない。俺はまとわりつく恐怖を振り払い、とにかく走りまわった。
思えば、人生でこんなにも激しく風景が躍ったことはあっただろうか。
一つ足を踏み出すたびに木々は跳ね、空は揺らめく。
次々に新鮮な空気を吸い込み、吐き出すたびに体は風を切った。
いよいよ足が棒のようになってきたが、構ってなどいられない。本能に従うまま大きく左に曲がると、突如背後から異様な気配を感じた。
気持ちの悪い風が俺の側を通り抜ける。忘れかけていた恐怖が蘇り、俺は歩みを止めた。
何かいる。
そう感じた時、俺の中で振り向きたくなる衝動と本能とがいがみ合った。
衝動は好奇心を、本能は自己防衛をそれぞれ煽り続ける。
葛藤からいち早く抜け出したかった俺は、軽はずみな気持ちで好奇心に分配をあげてしまった。
スカートに長い髪。姿だけでいえば女子生徒だろうか。
「お、おい……」
息も絶え絶えで少女に声をかけた。しかし、彼女は下を見つめているせいか、表情は読み取れない。
ふいに近くの電灯が点滅し始めた。チカチカと瞬くたびに、妖しく世界を塗り替えていく。
「これは一体なんなん、だよ……?」
そこまで言って、俺はこの人の違和感の正体を掴んだ。
こいつとは出会っている。夢の中で一度。
パッと電灯が大きく瞬いた。
次の瞬間、俺の心臓は握りつぶされる。
「思い出してよ浩介。私のことを」
倉本に似た黒いロングヘアに、トレードマークとも言える、特徴的な笑顔。
夢の中の亡霊が、今現実となって現れた。
眦が割れんばかりに見開かれる。
足がガクガクと震え、倒れそうになる。脳は焼き切れそうなほど回転しているが、まるで意味をなさないようだった。
「誰だか分かる?分かるよね。もしかして、お姉ちゃんのこと、忘れちゃった?」
夢と瓜二つの笑顔のまま顔を近づけた彼女は、俺の目を見つめたまま動かない。光のない双眸から溢れ出る狂気は、俺を絶望のドン底に突き落とすには十分すぎるほどだった。
頭を抱えたまま、呼吸すらできなくなった。
「姉、ちゃ……」
口は無意識に言葉を垂れ流す。もう自分が何を言っているかのかもわからない。
彼女は待ってくれなかった。
「もういいや、さよなら。せめて私と同じ苦しみを感じて死んでよ」
どこからか斧を取り出した彼女は、躊躇なくそれを振り上げた。
視界が、黄色と黒の警告色で埋め尽くされる。
「待ってくれ……もう少し、もう少し……」
「浩介は私のこと待っててくれた?」
グシャリ。
耳障りな音と共に、景色が反転した。
なぜ自分の体が目の前にあるのか理解できないまま、俺は彼女の足元に落ち、そこで意識は途絶えた。
「うわああああああッ‼︎」
勢いよく起き上がった。全身は汗だくで、脳みそはミキサーにかけられたようだ。朦朧としており、うまく機能しない。
おかげで、今俺がアジトで寝ていたことを理解するのにしばらく時間がかかってしまった。
辺りは夕暮れ。部屋には五月蝿い蝉の鳴き声だけが響いている。
自室のドアを開けた。
扉で遮られていた蝉の声はいっそう激しくなり、耳が痛い。
広間に行ってみたが、誰もいなかった。まるでそこだけ抜け落ちてしまったかのようだ。
と、血の色に染まった背景の手前、一人の女性が佇んでいた。最初は倉本かと思ったがしかし、目に映ったその顔を見て背筋が凍った。
「浩介。待ってたよ」
見間違うことのない、夢に出てきたあの女だった。
「ひっ……」
もう何もわからない。どこまでが現実で、どこまでが幻想なのか。
これは何度目だ。夢なら覚めてくれ。
顔に手を当てながら、ふらふらとたたらを踏んだ。
息が苦しい。意識が朦朧とする。
「いい加減思い出してくれたよね?私のこと」
頭の奥がズキリと痛む。まるで、今すぐ受け入れろと忠告されたかのようだった。
瞬間、過去の情景がフラッシュバックする。
織宮や大樹に心を開くより昔。
俺には家族がいた。
「覚えてる……覚えてるよ。あんたは黒原麻衣。俺の大切だった人だ」
過去の過ちはいつか清算するべきだ。そして、その瞬間は誰にでもある。今の俺がいい例だ。
どんなに苦しくても構わない。認めよう、俺の犯した罪を。
「そうだ。俺が、あんたを殺したんだ」
今の今まで騒いでいた蝉たちは、いつの間にかなりを潜めていた。




