第二十話ーー決戦ーー
時刻は午後五時。
日は既に傾きかけている。
二人に見つめられながら、俺は呆然としていた。
「今日中に最強の敵がやって来る」という、絶望的な現実を押し付けられ、何も考えられなくなっていた。
「……予告された時間は?」
「あと一時間。それまでに本部に戻ってなきゃいけない」
ますます難しくなった。
大体、俺に何ができるって言うんだ。まだ彼らと出会ってから数ヶ月しか経っていないのに、関わる理由なんてあるのか。
いや、己の身を案ずるならば、もう関わらない方がいいのではないか。
しかし、そこまで考えて、ふと思考を止めた。
きっと、織宮は助けるだろう。自分の命を賭してでも。
彼女が命を賭けるなら、俺が助けるのにそれ以上の理由はいらない。
「分かった。俺も行こう」
「本当か!ありがとう!」
「でもな、一つ条件があるんだ。
織宮を、みんなを、死なせないでくれ」
そう言うと、星川は当然だ、と頷いた。
「なら行こう。時間が無いんだろ?」
服を脱ぎ捨て、包帯を取った。痛々しい傷跡が露わになるが、痛みはない。
クローゼットの中からワイシャツを出し、袖を通した。
最後に、倉本から貰った腕章を腕につけ、襟元を正す。
腕には、達筆で"風紀"と書かれていた。
「準備完了」
「よし、行こうか」
窓を開けて倉本が飛び出した。続いて星川も飛び降りる。
意を決して俺も飛んだ。
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暗闇から抜けると、いつも通りのあの屋敷が見えた。
きっと、あの時倉本が力を使ったのだろう。
いつの間にか、中では会議が行われていた。
織宮や大樹、草薙兄弟も揃っている。
と、星川が口を開いた。
「全員揃ったな。じゃ今から対篠田戦の会議を始める。
相手は人外な強さだ。それに加えてあの残虐性。単独で戦うのはまずい。よって、総力戦で戦おうと思う」
星川の話す一つ一つに頷きながら周りを見ると、皆真剣な表情をしていた。あの大樹さえ、ことの重大さに気づいているようだ。
時計の長針は六を過ぎている。篠田が来るまでもう三十分もない。針が動くたび、俺の中で焦りが募っていった。
やつはどこから現れるのか。
どんな攻撃をするのか。
そしてーー
皆、無事に帰って来れるのか。
そんなことが頭を巡り、会議の内容もほとんど入ってこなかった。
ーー後のみんなももう少しで行くと思うからーー
篠田のあの言葉が、ますます不安を大きくさせる。
怖い。
恐い。
みんなを失うのが。
一人になることが。
震えを抑えようと体を抱くが、それは一向に収まらなかった。
「……い、大丈夫か。おい!」
弾かれたように振り返ると、倉本が必死に俺の肩を揺さぶっていた。
いつの間にか大量の脂汗をかいており、手のひらはぐっしょりだ。未だ震えは止まらず、こころなしか気分も悪い。
「お前うなされてたぞ。顔色悪いし……
やっぱり怖いのか?篠田のことが」
正直、違うと叫びたかった。
あんな奴怖くない。怖いのはみんなを失うことだ、と。
だがなぜだろう、声が出なかった。
その時。
「すみませーん。宅急便でーす」
まず、扉が消し飛んだ。
次いで、壁にヒビが入った。
忘れた頃に、土のかけらがパラパラと落ちてくる。
皆、身構える暇すらなく、椅子に座ったまま起こった出来事を受け止めるしかできなかった。
「六時に配送を予約していた方ですね?商品は『死』です。あ、代金は結構です。なんてったって、お客様の『命』で支払ってもらいますから」
燃え盛る夕日を背に浴びて、笑顔で少し顔を傾けるのは、俺が今最も出会いたくない相手。
「篠田……ッ!」
腹の傷が疼く。
まるで光のない瞳に見下ろされながら、俺は奴を睨み返した。
「おー、こわ。そんなに睨まないでくれよ。ちょっとしたジョークじゃないか」
いつも通りのヘラヘラとした態度。
本当に腹が立つ。
「このまま帰ってもらえれば万々歳なんだけどな。でも、どうせそんなわけにゃいかないんだろ?」
「そうなんだよなー。だから、とっとと殺されてくれや」
「嫌だ、といったら?」
「どっちにしろ殺すからな。別になんだっていいさ」
ヤバい。
一気に臨戦態勢に入った。
篠田の右拳をはたき落としてから、低く下がった顔に膝を食らわせた。が、敵もさる者。空いている左手で迫る攻撃をズラし、的確に攻めてくる。
「代われぇ!」
たまらず倉本と交代。
倉本は俺と入れ替わるように出てくると、大きく刀を振り下ろした。
耳元で空気を切り裂く音が鳴る。
切っ先は、もちろん篠田に向いていた。
「あっぶね、当たったらどうすんだよ」
初撃、二撃目、三撃目と、疾風の如く攻めている。しかし、篠田は赤子をあやすようにパシパシと刀を払っていった。
倉本が本気で斬りかかっているというのに、相手は余裕の表情だった。
「おいおい、そんなんで勝とうとか思ってんのか?バカじゃねぇの?」
あの倉本が、まるで歯が立たない。
改めてこいつがどれだけ強いかを確認させられた。
「じゃ、今度はこっちから行くぜッ‼︎」
やばい。
刀が大きく弾かれた。
バランスを崩し、無防備な倉本を、篠田の拳が容赦なく襲う。と、彼女も危機を感じたのかとっさに体を引いた。
危ない。
気休めながら敵との距離ができた。
しかし、もう遅かった。
ズン、鈍い音が聞こえた。
最初はなんの音かと思った。
目の前の状況が理解できてからしばらくして、人が殴られた音だと気がついた。
完璧なボディブロー。
倉本の両目が大きく見開かれ、その体が少しだけ浮いた。
「倉本ッ!」
「もう終わりか?つまんねぇの」
すぐに駆け寄り、彼女を抱き上げる。
倉本は、腹部を押さえたまま苦悶の表情を浮かべていた。
「て、めぇぇぇぇ‼︎」
もう、やるしかない。
倉本を静かに寝かせ、振り向きざまに再び化身。
ふところに潜り込み、上へ突き上げる。相手の体はオモチャのように飛んでいった。
空中で無防備になった篠田を今度は右脚で蹴り飛ばした。
脚にミシリ、という手応え。
地面に当たると、轟音とともに大量の砂塵が舞い上がる。篠田の体は何度もバウンドし、遥か遠くに飛んでいった。
相手の姿は確認できないが、確かな手応えはあった。致命傷くらいは与えられただろうか。
篠田は立ち上がらない。
世界が死んだように静かになった。
「やった……のか?」
星川が一歩前に出る。
と、その時、土煙の中から耳をつんざくような音が聞こえた。
人の声ではない。かといって、無機質な音とも違っていた。
脳髄を掻き毟るような音。
たまらず耳を塞ぎこむ。
が、まるでそれさえも無意味だと示すように、音は頭に雪崩れ込んできた。
……なんだこの不協和音は。気持ち悪い。吐き気がする。
「あっ……があッ……」
気が狂う。狂う。狂う。狂ってしまう。
嫌だ。こんな音嫌いだ。早く止めてくれ。おかしくなる。
やめろ。やめろ。やめ、ろ。やめろろろろろろろ。
何回も何回も、頭を地に叩きつけた。額から血が出ても、いつの間にか篠田が戻ってきていても。
気がつくと、篠田は俺のすぐ横に立っていた。
「ッてーな。おかげでアバラが何本かイっちまったよ。だから、お返しだ」
ネクタイを緩めながら篠田はプッと血を吐いた。
朦朧とする頭を必死に動かす。
生きていたのか。あれだけの攻撃を食らっておきながら。
「頭おかしくなりそうだろ?『音』は人の心を動かすんだぜ。いいようにも、悪いようにも」
音。
そうか。分かった。
こいつの力は音を操るのか。
俺の体に風穴を開けたのは、高速でブレる腕を当てられたから。
昔、聞いたことがある。
声だけでガラスを割る人がいると。
今もそうだ。
もしかすると連続する細かな揺れで、軽い脳しんとうを起こさせているかもしれない。
が、今それが分かったところでなんだというのだ。もう遅い。
「お前はもう使いもんになんねぇな。今殺すのもなんか癪だから、ちょっと見とけ」
そう言うと、篠田は俺と同じように悶え苦しむ仲間へ歩みを進めた。
「や……め……」
必死に喉から絞り出した声は、情けなくも風に消えた。
ダメだ。意識が遠のく。手が届かない。
このままじゃみんながーー
「わあああああああああッ‼︎」
「!?」
瞬間、全ての音が消えた。
比喩的な表現ではない。この場所だけすっぽりと抜け落ちてしまったかのように、何も聞こえなくなったのだ。
あまりの出来事に、一瞬己の聴覚を疑ってしまった。
「もう、やめてよ……」
肩で息をしながら呟いていたのは、なんと萩野だった。
不思議と苦しむ様子はなく、ただ、泣きはらした目で訴えている。
「お前、なんだよ?一番先に死んどくか?」
ニタリ、篠田が気味の悪い笑みを浮かべる。
萩野は両腕をダランと垂らして、まるで操り人形のようだ。顔は下を向き、影になって表情は見えない。
「みんなが苦しそうにするのは、もう見たくない」
顔を上げた萩野の顔を見た時、全身の毛が総毛立つ。
「冷たい」という一言で終わらせるにはあまりにも言葉足らずな、冷酷な目。
そこに、俺の知っている萩野はいない。
いまだ混濁する意識の中で、脳には明らかな恐怖が刻まれていた。
「大丈夫か。お前も見たんだな。萩野の顔を」
声の主に驚く。
ふと横を見やると、ボロボロの倉本が座っていた。
なるほど、音は止んだようだ。まだ頭痛はするが、なんとかやれる。
よろよろと体を持ち上げ、倉本に問うた。
「あれは萩野なのか?俺はあんなの知らねぇぞ」
「そりゃそうさ。なにせあいつは自分の力を嫌ってるんだから。見せたくないんだよ。
萩野の能力は、言うなれば『物質運動位置の把握と、その操作』。動いているものの全てを自在に操れる」
衝撃だった。
動きを止められる、それは即ち、いとも簡単に人を殺せるということではないか。
萩野が自分の能力を嫌う理由がわかった。
彼女は内気だが、同時に優しく、誰かを傷つけなくないという気持ちが強い。
そんな彼女にとって、人殺しの力は持っているだけで苦痛だったことだろう。
「みんなを苦しめて、命まで奪おうとしたなんて、許せない」
萩野が冷たく言い放った、その刹那。
ブゥーンという音ともに萩野が消えた。
驚愕する篠田をよそに、羽音は段々と大きくなっていく。
「虚空」
気がつけば、彼女はそこにいた。
篠田の右肩に手を置いて。
のろりと振り向いた篠田は、まなじりが裂けんばかりに目を見開いた。
ボトッという鈍い音。
その場にいた誰もが、現状を理解するのに数秒かかった。
篠田の右腕は、肩から真っ二つに切断され、地に落ちていたのだ。
言葉が、出なかった。
やがて。
思い出したように、切り口から噴水のような血液が噴き出した。多くは萩野にかかり、彼女は真っ赤に染め上げられたが、動じる様子はない。ただ、光のない瞳でどこかを見つめるだけだった。
「ぐ……ああああああッ‼︎」
続いて、甲高い叫びが篠田の喉から迸った。信じられない、という表情で、無くなった肩から先を凝視している。
「て、めぇ、やりやがったなぁぁ……」
傷口を必死に抑え、止血しようとするが、まるで意味がない。ぼたぼたと、赤みがかったどす黒い液体が大きな水たまりを作っていく。
「許さない……許さない許さない許さない……ゆ、ゆゆ、ゆる」
体を弓なりに大きく仰け反らせ、言葉にならない言葉を漏らし続ける篠田は、見たことのないほど動揺していた。
「ゆるるる、さないるさな、許さない、いいいなさるゆ」
獣のような叫びと同時に、ギョロリ、狂気に満ちた双眸がはっきりと萩野を捉えた。
それはまるで、壊れかけた機械が起こす誤作動のように見える。
「るゆさな、ななない。ゆるなさぁなやるさな、ななな、やややややややや」
音が途切れ。
篠田はそのまま真後ろに倒れた。
目は見開かれたまま、口も大きく開いている。
俺は直感的に、篠田がもうこの世にいないことを悟った。
その時、茫然自失としていた萩野が意識を取り戻した。冷たい気はもう感じられないが、今はかえってそれが気がかりだった。
二、三度目を瞬かせると、己が置かれている状況を認識し始める。
真紅に染め上げられた両手を見て、信じられないという風に首を振った。
「あ、ああ……」
ーーマズイ。
「草薙!早く幻術を!」
「「OK!すぐかける!」」
草薙たちが何かを唱えると、萩野を半透明な影が包んだ。途端、脱力した彼女はその場に倒れこむ。
先ほどの倉本のように、萩野を抱き上げた。
意識はないようだが、表情は安らかだった。
「大丈夫?」
心配そうに織宮が言う。
こくんと頷こうとしたその時だった。
織宮が、吹っ飛んだ。
いや違う。
俺が、吹っ飛んだ。
粉々になりそうな衝撃が全身を駆け巡る。
何度も頭を打ちつけた。
フラフラになりながら立ち上がると、見覚えのあるシルエットがそこにあった。
予想外の相手に、大きく目を見開く。
最初はまだ頭が混乱しているのかと思った。
「な、なんで……」
敵ではない。
だが、今はもう味方でもなかった。
狂気に歪んだ双眸。
不自然に曲がった足は、己の攻撃に体が耐えられなかったのだろうか。
彼女の周りに、何も動くものはない。
草も、生き物も、風でさえ起こらなかった。
ただ一つ、萩野が、笑っていた。
「遊ぼうよ。ねぇ」




