第十八話ーー森の中にはーー
今日も変わらずいつもと同じ時が流れている。
この変人風紀委員に入って一ヶ月が過ぎようとしていた。桜の木も今ではすっかり緑色だ。
普段よりも早く起きてしまった俺は、寝ぼけ顔で廊下を歩いていた。
「お!おはよう!」
大樹だ。
何やら支度をしているようだが、何処かへでも行くのだろうか。
「何やってんの?」
「ちょっと朝のランニング行ってくる。」
「遠くまで行くなよ?」
「あぁ、大丈夫。ほんの五十kmだし、三十分あれば帰ってこれるよ。じゃ、行ってきまーす!」
うん。そういうのはランニングとは呼ばないぞ?それはフルマラソンと言うんだ。
「「す、すごいね……」」
「うぉっ!?びっくりした!?」
物陰から草薙兄弟が顔を出す。立ち聞きは良くないな。
というか、今日は皆早起きなのか?折角早く目が覚めたのに、なんだか少し残念だ。
沢の水で顔を洗う。心地よい冷たさは、寝ぼけた頭を覚醒させるのには十分な刺激だった。
目の前に広がる広大な山々。やはり朝の森は美しい。そんな自然の中で生活ができるというのは願ってもない幸福だ。心がスッキリする。
ダイニングには、既に朝ごはんの匂いが漂っていた。とはいっても、席についているのは俺と草薙兄弟の三人のみ。大樹はフルマラソンへ出かけているので、あとの二人はまだ夢の中だ。
大樹は三十分程度で帰って来ると言っていた。時間的にも、もうそろそろ帰って来ると思うのだが、まだだろうか。
「「さて……と。僕たちは沙樹を起こしに行ってきますか。あ、黒原くんは織宮ちゃんお願いね!」」
しびれを切らした兄弟が動き出す。俺も待つのに飽きてきたところだったので、ちょうど良かった。
だが、女子の部屋に無断で侵入するのもいささか抵抗があるというものだ。まぁ、二人とも女子なのでどっちにしろ同じなのだが。
「おーい。起きろーっと。朝だぞー。」
織宮の肩を揺さぶる。が、ピクリとも動じない。どうしよう。
試しにほっぺたをつねってみた。すると、少し嫌がる反応を見せた。ほれほれ。起きろ。
「う、う〜ん……」
不意にうめき声をあげる織宮。と同時に耳元で風を切る音が。それが織宮の腕のせいだと気づいた時には、もう二発目が飛んできた後だった。
「どべぅ!?」
みぞおちにクリーンヒット。絶対起きているだろ。こいつ。
「ううん……ん?ああ……おはよう……
どうしたの?お腹おさえて……」
「お前のせいだよ……!」
苦しむ俺など気にも留めていない織宮は、そそくさと部屋を出て行ってしまった。せっかくの夢の時間を壊されてしまったためだろうか、とても機嫌が悪そうだ。
ダイニングに戻ると、いつの間にか倉本も起きていた。目が鬼のように鋭いが、やはり無理に起こされたせいだろうか。
と、ガラガラと音を立てて戸が開いた。大樹がやっと帰って来たようだ。三十分とか言っておいて、結局一時間近いじゃないか。
「いや、ごめんごめん!ちょっと楽しくなり過ぎちゃって……」
た、楽しい……?
今さらのようにも思えるが、こいつは紛れもなく変態だ。
ドMだ。マゾだ。今度からは勝手に外に出れないよう、麻縄か何かで縛りつけておこう。
「そういえばさ、この辺って誰か住んでるのか?」
と、唐突に大樹が切り出した。
「「うーん、ほとんどいないと思うよ?でも、どうしていきなり?」」
「いや、ランニングの途中になんかでかい家みたいなのが見えてさ。何なのかなーって……」
「「ああ、それあの子の家だよ。きっと。」」
俺たち三人は揃って首を傾げた。倉本たちの他にも、風紀委員会には誰かいるのだろうか。
「なぁ、その『あの子』って誰だ?一回も会ったことないけどさ。」
「じゃあ行ってみるか。」
えっ……?
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そうだ、『あの子』の家、行こう。
突然の発言から約一時間。俺たちは大鳥居の前に立っていた。
風で揺れる若葉。
風情ある石階段。
どれも美しく大変結構なのだが……。
「ここ、神社じゃね?」
「うん。俺も思った。」
確かに俺たちの屋敷から見ると家に見えなくもない。が、周りを見渡しても何もなく、電気すらも通っていないように思える。本当にここが噂の『あの子』の家なのだろうか。
「おーい。私だー。倉本だー。」
神社の本殿に向かって倉本が呼びかけた。すると、ギギギ……という鈍い音を立てて、本殿の扉が開いていった。
一体どんな人なのか。こんな神社に住んでいるということは、老人?
いや、もしかすると人ですらないのかも……。
「は、はーい……って、何かいっぱいいるっ!」
ーーだが、中から出てきたのは、老婆でも妖怪でもなく、ただの少女だった。
「紹介するよ。こいつは萩野 千佳。これでも私たちと同じ一年だ。」
俺は、二つの意味で驚いてしまった。
まず一つ。
この萩野という少女が俺たちと同学年だということ。小さすぎて、下手をすれば小学生と思われるかもしれない。
二つ目。
この子、多分一回も外に出ていない。肌が絹のように真っ白だ。おまけに手足も華奢で、力をかければ折れてしまいそうなほどだ。
「よ、よろしく……お願いします……」
彼女ーー萩野は、倉本の後ろに隠れながら呟いた。
「ちなみに、彼女不登校ぎみ……というか全く学校へ来てないんだ。だから、たまーにしか会わないと思うぞ?」
だいたいの予想はついていたが、やはりそうか。おや、だが風紀委員会に所属しているということはつまり……
「なぁ、萩野……さん?もしかしてあんたも何か持ってるのか?」
だが、萩野は答えない。
否、答えられていなかった。
顔は青ざめ、額には油汗が滲み、手はプルプルと震えていた。呼吸も荒い。
口は動いているが、声は出ていない。これはあれか。俺に読唇術を学べと。そう仰りたいんですか?
「おっと、そういえばこいつ、慣れない人とは喋れないんだよ。というか重度の人間不信。私たちもこうやって会話できるまで二年かかった。」
「二年!?」
どうやらとんでもないコミュ障だったようだ。今ではソフロロジー法呼吸で必死に心を落ち着けようとしている。
「大丈夫?あんまり無理しちゃ駄目だよ?」
その横では、織宮が萩野のことを元気づけていた。世話焼きというか、おせっかいというか……辛そうな人を放っておけないのだろう、萩野に対して様々なことをしていた。
無論、萩野がそのせいでさらに容体が悪化したのは、言うまでもない。
と、萩野の代弁をするかのように、倉本が話し始めた。
「さっきの話だが……
こいつにも確かに力はある。けど、ちょいと特殊でさ、今はあんまり使ってないんだよ。」
後ろで萩野がコクコクと頷く。相変わらず顔色は最悪だが、本当に大丈夫か?
「あ、そうだ、萩野、お前今日からうち来い。部屋もあるから安心しろ。」
倉本の放った一言は、萩野の顔色を更に悪くする原因になった。もう真っ白だ。燃え尽きてる。
「「やめてあげて!彼女のライフはとっくにゼロよ!」」
出たな悪ノリ兄弟。なんでお前らはこういう時だけ出てくるんだよ。さっきまで向こう側でつまらなさそうにしてたのに。
ーーけっ……くだらないなぁーー
!?
気のせいか?今何か聞こえたような……
「……ギャーギャーギャーギャーと。楽しそうだねぇ?え?」
林中に響き渡る声。が、声の主はどこにも見当たらない。
今まで静かだった林が、急にザワザワしている気がする。
今まで落ち着いた雰囲気だった世界が、急に牙を向けている気がする。
「誰だ。」
大樹が低く唸った。普段とはまるでかけ離れた表情で。
「ふふふ……名乗る意味なんてないだろ?見えていないんだもんなぁ……」
誰も答えない。
「だが、そうだな……『S』とだけ名乗っておこうか……。これからお前ら全員ぶっ潰しに行くからなぁ、覚悟しろよ?」
突然の宣戦布告。空気は張り詰めている。次に何か起これば、間違いなくここは戦場と化すだろう。先日の事件、あの駅前のように。
だが、森に大きな笑い声が響いたかと思うと、いつの間にか邪気も消えていた。
「……どへぇ〜!何だったんだあいつ!」
途端に緊張が解けた。足がブルブルと震えっぱなしだ。はっきり言ってとても恐ろしかった。
「「すごい嫌な空気だったね……ずっとあの場に居たら気が狂っちゃいそう。」」
草薙兄弟があそこまで言うのだ。只事ではないだろう。
確かに、あの時周囲には莫大な量のなんとも言えない空気が漂っていた。あのままの状態であれば、誰でも嫌悪感を感じるはずだ。
だが、気になる点はそこではない。
あれ程の瘴気が出ているなら、絶対にその源があるはずだ。源になるならば、その分空気も悪くなる。きっと今回であれば常人でも目にすることのできる強さだろう。
しかし、森のどこにも、ズバ抜けた強さの瘴気は感じなかった。
姿は見えないのに、気配は感じる。
ますます訳が分からない。
「なぁみんな、ちょっとでもあいつの姿見た人っているか?」
七人で知恵を出せば解決できるかもしれない。そう考えた俺は、まず奴ーー『S』を見かけた者はいないのかを聞いてみた。
しかし、誰も首を縦に振る者はいなかった。
「あー!やっぱダメか……」
諦めかけたその時。
「あ、あの……」
萩野だ。
蚊の鳴くような声で話しかけられたので、一瞬誰だか分からなかった。
「わ、私見てました……ずーっと遠くの方にいましたけど……」
そう言って指差したのは、ちょうど学園本舎あたりだった。
だが本舎まではここからだいたい百二十キロぐらいの距離だ。見える距離なのか?萩野には。
「……本当に見えたの?」
「はい……そういう力ですから……」
「おっと、そういえばまだ言ってなかったな。萩野が持ってる『音無』は、視野と視力、それに聴力が格段に上昇する力なんだ。」
萩野は赤面しながらもじもじとしているが、普通にすごいと思う。俺は未だに自分の力を制御できていない。いつでも使うことが出来るだけ羨ましかった。




