野村姉妹の大暴走
「アヒャヒャヒャ、喰らえぇボケーー!!」
「こらぁー!!危ないからやめろ野村!!」
この日、川西中学校の中庭は騒然としていた。
裏山から侵入してきたウリ坊から少し成長した中くらいのイノシシを、剣道部の3年・野村穂乃果が、野球部の鉄バットで滅多打ちにしようとしていたのである。
鼻息を荒くしているイノシシは、穂乃果の周りをぐるぐると近づいたり離れたりしている。
「おーい、ビビって下がってんじゃねえぜ、畜生の分際で!!」
「馬鹿なことやってないで、早く離れろ!」
先生の注意もお構いなしに、穂乃果はイノシシにバットをブンブン振り回した。あまりの勢いに、イノシシの方が浮き足立っている始末である。
生徒たちは「ヤバイヤバイ」「穂乃果あぶねー!」「イノシシもあぶねー!」と、校舎から囃し立てていた。
「こらあーー!!何やってんだ、穂乃果姉ぇ!!」
穂乃果の後ろから声がした。穂乃果の妹で、柔道部一年の咲である。ポニーテールにメガネをかけた奥のつり目がギロリと姉を睨んでいる。
「おぉ、いい所に来た!穂乃果を止めてくれ、咲!」
校舎の2階から先生が咲に懇願した。しかし、咲の行動は予想外のものだった。
「私も混ぜろっ!!」
咲は近くに落ちていた鉄アレイを拾い上げ、穂乃果と一緒にイノシシに突進し始めた。
「ドアホォーー!!2人揃って辞めんかー!!」
先生の怒声が空に霧散した。
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「推薦取消されたいか、このアンポンタン!!」
2人の勢いにおそれをなしたイノシシが山に去った後、野村姉妹は生徒指導室で先生に説教をくらっていた。特に、3ヶ月前に全中の女子剣道で日本一になっていた穂乃果は、県内の強豪校からスカウトが来ていた所なのである。当たり前のことであった。
穂乃果は真顔で先生に言い分を並べる。
「目の前に倒すべき敵がいたら、立ち向かうのが剣士の定めで・・・」
「剣士がバットを振り回すな!それに何が敵だ!畜生とか言ってただろうが!」
先生は続け様に、咲の方に顔を向けた。
「お前も!お前もなぜ姉を止めずに混ざろうとする!」
「先生、この女が止まれと言って今まで止まった試しがありましたか」
咲も真顔で言い放った。隣で偉そうな姿勢で椅子に座る穂乃果が間髪入れずに笑い出す。
「は〜は〜は〜、失礼な妹だな!あんたが私のことを嫌いな事は知ってるけど、他にそんなことを言う理由は?」
「何の話してるんだお前らは!」
先生はツッコミのせいで過労死しそうだと言う顔で間に入った。
「とにかく!野生動物をむやみやたらに暴行しようとするんじゃない!イノシシと遊びたかったら罠猟の免許を取れ!もっとも、お前らは罠も銃も必要さなそうだがな!」
続け様に、「他に何かいう事はあるか?」と先生に問われ、穂乃果と咲は息を揃えてこう言った。
「どうもすいません」
2人は右手を拳に握って頭につけていた。
「それは林家三平のネタだ!お前らなんで知ってるんだ!!」
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これはまだゴールデンウィークの時のこと。
川西中の武道場では、剣道場、柔道場が一面ずつ取られている。姉•穂乃果はまだ剣道部の現役で、妹の咲は入学して1ヶ月が経っていた。
穂乃果は県大会の優勝最有力候補で、全国に出れば優勝も狙えるとこの時から評判であった。
咲も、小学生時代に少年柔道で個人で全国2位になっており、中学柔道でも活躍が期待されていた。
そんな2人であるが、この日は両方の部活の休憩時間がちょうど重なった。
穂乃果が咲の所へやってきた。
「あー暑い暑い。おーい、アレキシ・サキホ」
「誰がデスメタルだ」
穂乃果は妹に対して、『チルドレン・オブ・ボドム』のボーカル、アレキシ・ライホを揶揄するような呼び方をした。
「私お茶全部飲んじゃったからさぁ、あんたの飲ませて」
「やだね」
即答である。
「いいだろ、飲んだ分今度返すから。喉乾いて死にそうだから早く」
「冗談じゃないよ。それはいっぺんでも返したことのある人間の言うセリフだ。大体、穂乃果姉が口つけた水筒なんか汚くて飲めないね」
一瞬間が空いた。
「…姉に向かって何だその態度はぁーー!!」
「うるせー急に怒鳴るんじゃねぇーー!!」
周りの人間の目が一斉に2人に向いた。
「な、なんだ!?」
「また穂乃果が始まったか?!」
周りの声をよそに、2人は喧嘩をおっ始めた。
「人がちょっと下手に出たら調子に乗りやがって!誰があんたのオムツを変えてやったと思ってる!」
「何がオムツだ!オツムが弱い癖に、2歳くらいの時のこと恩着せがましく言いやがって!小学生の時に私に月マガ(月刊少年マガジン)で叩かれれて泣いたのはどこのどいつだ!!」
「何ぃーー!!?女の癖になんて口の聞き方だ、この田舎もん!!」
「あんたも女だろーが、田舎もん!!」
2人は激しく取っ組み合い始めた。
「覚えてろ!タダにしてやるからなっ!!」
「奢ってどうするんだ、バカ姉っ!!」
「こらぁーー!!お前ら辞めんかぁーー!!」
柔道部と剣道部の顧問の先生が、揃って2人を引き離した。
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「あー疲れたなー。ただいまー!」
「ただいま」
姉妹喧嘩騒動から2日経った、ゴールデンウィークの最終日の練習も終わり、野村姉妹は揃って家に帰ってきた。
「おー、おかえり。風呂たまってるぞ」
父親の洋一が出迎えた。県庁職員の彼は、今日は連休休みである。
「あれ?お母さんは?」
「病院から呼び出し。担当してる妊婦さんが産まれるって連絡きて、飛んで行ったわい」
「あら、そうなの。大変だねぇ。じゃあ、私お風呂入るねー」
そうさらりと言って風呂に向かおうとする穂乃果を、咲が「おい待て」と呼び止めた。
「姉ちゃん昨日も先に風呂に入っただろ。今日は私が先だ」
穂乃果がくるりと振り返った。誰がどう見ても嫌そうな顔をしている。
「あぁ〜ん?あんた、風呂長いからやなんだよ。私が入らせてもらう」
「ふざけんなよ、一番風呂は交互って約束でしょ?」
「待て待て!また始まったよ。少しくらい、咲に入らせてやってもいいだろ。譲ってやれ」
またもや険悪な空気になってきたのを察知した洋一がすかさず止めに入ったが、穂乃果は聞く耳を持たない。
「やーだー!私は受験生だぞ!勉強に向かう集中力が切れちゃう!」
「風呂の順番関係ねぇ!...まったく、それじゃあじゃんけんで決めたらどうだ?」
「いいね、潔く勝負しようじゃないの、穂乃果姉ぇ」
咲が真剣な顔で勝負を申し出た。
「分かったよ・・・それじゃいくぞ」
同時にじゃんけんの構えを取る穂乃果と咲。顔は真剣そのものだった。
「最初〜っ、から!イェーイ!」
咲がグーを出したのに対して穂乃果がズルでパーを出し、一方的に勝ちを宣言した。その時だった。
「ふざけんな、この卑怯モン!!」
咲が右手で出したグーでそのまま穂乃果の肩を殴りつけた。
「いったぁ!!冗談だろーが、このガキャ!!」
キレた穂乃果もパンチを繰り出したが咲に捕まれ、そのまま足払いを喰らって床に倒された。倒れた拍子に体が机に当たり、上に置かれていた皿が床に落ちて割れた。
そんなことはお構いなく、そのまま上になった咲は「喰らえ、袖車絞!!」と言って穂乃果の首を締め上げようとした。
「やめんかーー!!待て、咲!!決まってる、決まってる!!」
父親が慌てて止めに入った。締め技が完璧に決まっていたのである。穂乃果は右手で必死にタップをしていた。
その後の2人は、帰宅してきた産婦人科医の母親にこってりと絞られてた。
「このバカ姉妹が!私の子宮ん中から人生やり直すかっ!?」
母親の郁美は、2人が喧嘩した拍子に割った皿を、正座した2人の前に置いて怒鳴った。その迫力はさながら極妻である。
「お母さん!私は正当な勝負をしただけです!穂乃果姉ぇが卑怯な真似してくるから!」
「先に場外乱闘仕掛けたのはあんただろーが!!」
郁美は咲の主張に倍返しした。
「まったく、お産の帰りにうっかりスピード違反で捕まって機嫌が悪い時に、帰ってきたらこんな事!私の苦労があんたら分かるか?」
「だからランエボ(ランサーエボリューション)なんか、買うのやめればよかったのに」
「うるせぇ!!」
穂乃果の口答えを一喝する郁美。
「まあまあ、郁美。そんな大声出したら近所迷惑だからやめてやったら...」
「あんたは黙ってな!!」
「そんなぁ!俺止めたのに!!」
(早く終わって欲しい・・・)
穂乃果は白目を剥きながら心の中でそう呟いた。
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「穂乃果さん。話は聞来ましたよ。どう言う事なんですか?」
修学旅行中の英徳義塾高校の引率をしている女性教諭の野田先生は、ホテルの一室で2年の穂乃果と対面していた。
一行はこの日、関東のとある遊園地に来ていたのだが、穂乃果はここのトイレで痴漢に会う被害にあった。
ここまでなら、周りも怖かったろうにと大いに同情する所である。しかし穂乃果は尻を触られた瞬間、加害者の男を無言でぶっ飛ばし、そのまま4点ポジションからの膝蹴りを浴びるほど喰らわせたのである。
周りが5人がかりで止めに入った時には、加害者の男は顔をパンパンに腫らしながら「助けてください。許してください」と泣きじゃくっていた。
「だって先生・・・私、怖くて怖くて・・・」
「その嘘泣きはなんなの」
先生にすぐさま見抜かれた穂乃果はすぐに嘘泣きをやめ、「婦警さんは騙せたのに」と小声で呟きながら続けた。
「どうもないですよ先生。痴漢ですよ痴漢。汚い手で私の神聖なケツを触ったのは、万死に値します」
穂乃果は、不満そうな顔でそう言いながらティッシュで鼻をかみ始めた。
「何か万死に値するですか!いくらあなたがインターハイで優勝するような人でも、限度というものがあるでしょう。過剰防衛で罪に問われてもおかしくなかったのに・・・」
野田先生はため息をつきながら続けた。
「あなたが被害者だって言うことで、厳重注意処分で多めに見てもらってる事は自覚してもらわないと困ります」
「へーい」
穂乃果は鼻をかんだティッシュをゴミ箱にぽいっと捨てた。
「それで・・・あなた、今日のことは親御さんにちゃんと話したの?」
先生が質問した。
「親ですか?まあ...警察の方から連絡入れてくれましたけど」
「そうなの。お母さん、心配してたでしょう」
「そうですね。私に手を出すなんて馬鹿な犯人だとか、ボコられたのがトラウマになってやしないかとか、そんな事は言ってましたよ」
「違う違う。あなたの事です。」
呆れ気味に訂正をする先生に、穂乃果は何も問題ないという顔でこう答えた。
「私の方が手加減しろって怒られました」
「・・・・・・」
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「お〜穂乃果大丈夫ー?」
自分のホテルの部屋に戻った穂乃果は、グループの女子たちにそう出迎えられた。
「いやー今日は大変だったねぇ」
「全くだ。痴漢には遭うし先生には怒られるし。早く風呂入りてー」
そうぼやく穂乃果の目に、ふと1人のグループメンバーが留まった。同じ剣道部の仲良しの1人、弓削田である。一年の時に、陰で上級生にいじめられているのを穂乃果が助けて以来、よく喋るようになっていた生徒だ。
穂乃果が痴漢をボコボコにしている現場に居合わせていた彼女だけは椅子に座り、不機嫌そうな顔で穂乃果を見ている。
「どうした、弓削田」
「…どうしてあんな危ない真似したの、穂乃果ちゃん」
普段の穏やかな雰囲気は何処へやら、穂乃果をキッと睨む弓削田。
「危ないったって、あんた。私がそこら辺の男より強いことは知ってるでしょうに」
「そう言う事じゃない。何も分かってないんだね。相手が先にスタンガンとか刃物で攻撃してきてたら、反撃もできなかったかもしれない。そんな危険もあったのに…無事に帰れなかったかもしれないのに、よくヘラヘラできるよね」
「ちょ、弓削田さん・・・!?」
「どうした弓削田」
穂乃果と、ルームメイトたちは明らかにたじろいだ。
「いや、私はヘラヘラしたつもりじゃなくて、みんなに心配かけまいと・・・」
「心配してほしくなかったら、もっとちゃんとした態度があるでしょ!そんなこともわからないんなら、私、穂乃果のこと嫌いになっちゃう!!」
そう叫んだ弓削田の目からは、大粒の涙がポロポロと流れ出てきた。
「だーー!!わ、分かった!分かったよ!悪かった!私が悪かった!!」
穂乃果は弓削田のところへ駆けつけ、あたふたしながら謝った。
「すまん、弓削田!私が自分のことばっか考えてたのがダメだった!」
「もう!謝るくらいなら、最初からあんな事しないで!もっと頼れる人は周りにいっぱいいるのに、何で何でも自分でやろうとするのよ!」
「・・・・」
「弓削田ちゃん、落ち着きな。穂乃果も困ってるよ」
その日は、結局2人はギクシャクしたまま一夜を過ごした。
翌日。
帰りの飛行機の中の座席で、弓削田と穂乃果は何の因果か隣同士だった。
「お飲み物はどうしますか?」
通路から若手のCAが、2人に尋ねてきた。
「アップルジュースお願いします」
「牛乳」
「・・・すいません、牛乳はないんですが・・・」
メニューにない飲み物を頼んでくる穂乃果の無茶振りに、CAは困り顔である。結局、今まで飲んだことがないからと、興味津々でコーヒーをブラックのまま頼む事にした。
「グエー苦いじゃん!!」
「何で頼んだの・・・」
しばらく飲み物を味わう2人。先に口を開いたのは弓削田だった。
「穂乃果ちゃん...私、昨日は言い過ぎちゃった。ごめんね、嫌いになるなんて言って」
「...いや、私こそあんたに心配かけてる事に気が付かなかった」
穂乃果は、コーヒーを飲んで渋い顔をしたままだが、さっぱりした口調で答えた。
「思えば、今まで何でも自分で出来ちゃってたからさ。自分が他人からどう思われてるかって、全然考えた事なかったや」
コーヒーをもう一口飲み出す穂乃果。相変わらず渋い顔である。
「...強いだけじゃダメだな。あんたが怒ってくれなきゃ、知らないままだったよ」
その言葉に、弓削田はいささか安心したようだった。
「そっか...。でもいざって時は頼りにしてるからね。その時は、自分を押さえ込まなくてもいいんだよ」
「もちろーん。任せてくださいな」
穂乃果はコーヒーをぐいっと飲み干した。
その後の2人は、またいつものように他愛もない会話を楽しんだ。
そして着陸後...。
「よーし、全員降りたなぁー・・・おい、どうした穂乃果」
先生が穂乃果の顔を見て驚いた。真っ青になっている。
「先生、穂乃果ちゃんか飛行機酔いです」
「オロロロ...助けて弓削田...」
修学旅行の日程は全て終了した。
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「先生、こんちわー」
中学校卒業間近の野村咲が、ある接骨院の玄関で声を上げた。
「おう、咲か」という声と共に、院長が姿を見せた。乾十三である。還暦目前であるが、ライオンのような髪はまだ健在である。
「どうした急に。豊岡(進学先の高校)から合格取り消しの連絡でも来たのか」
「何てこと言うんですか!!」
思わず叫ぶ咲。女子柔道の63キロ級で中学日本一になった彼女は、春から県内一の強豪校への進学が決まっていた。すでに高校で、一足早く練習をさせてもらっているらしい。
「はっはっは、スマンスマン!寛藤先生から早速話を聞いてたもんでな。先生の奥襟取ろうとして、うっかりパンチをお見舞いしたって?」
「あれは事故です。寛藤先生が避けないのが悪いです」
咲は悪びれもなくそう言い、右手に持った紙袋を差し出して続けて続けた。
「その寛藤先生から預かってきましたよ。昨日の居酒屋で乾先生が忘れて行ったとか言う、インナーのダウンジャケットです」
「ああ!妙に見当たらねぇと思ってた。居酒屋に忘れてたか!良かった、また珠紀に怒られるところだったぜ」
またとはどう言うことかと咲がツッコミを入れようとした時、奥からまた1人の影が出てきた。
「ありゃ?咲じゃねーか、何してる」
十三の息子の康平である。184センチの大柄な体で、ズカズカと咲の所へやってきた。
「あぁ、康平先生。相変わらずデカいですね、体も態度も」
「うるせぇ!態度は余計だ!」
康平は笑いながら返した。
「今日は十三先生に届け物があって来たんですけどね、ついでにひとつ治療をお願いしたくて来ました」
「何・・・!?どこをやった」
2人の目が一瞬でプロのそれに変わった。
「いや、たいしたことじゃ無いんですけどね。ここに来る前に、実家に帰ってた姉とちょっと喧嘩になっちゃたんですね。左ハイキックを喰らわしたらガードされちゃいまして。蹴ったところが痛いんですよ」
咲がズボンを捲って見せた左足は、僅かに腫れていた。
「お前はアホの子だ!!」
十三と康平は呆れ顔だった。




