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第9話 濁流


挿絵(By みてみん)



 台風二十一号の接近で、関東一円は記録的な豪雨に呑み込まれていた。


 多摩川(たまがわ)は東京都と神奈川県の境を流れ、東京湾へと注ぐ一級河川。その流域内の全てのアメダス観測点で、観測史上最多の降雨量を記録していた。 


 国土交通省の水位観測所でも、数値が想定最高水位を超過したという。



 その凄絶な豪雨の中、店の近くに住んでいる淡雪(あわゆき)と居候の氷見子(ひみこ)は、朝からエルフィを開けていた。


 この暴風雨の中、客が訪れるとは思えない。それでも淡雪は、もし一人でも来店した時に「臨時休業」の札がかかっているだけなのは申しわけないという気持ちがあった。勝手な使命感である。


 スマートフォンには、各地の冠水被害を伝える動画ニュースが映る。濁流に呑まれる自動車、腰まで水に浸かる住宅などの映像が繰り返し放映されている。



 そんな映像を見ていると、突然店のドアが開き、激しい突風が舞い込むと同時に、びしょ濡れのレインコート姿の少女が転がり込んできた。


 霜山六花(きりやまりっか)である。


 高校は臨時休校で自宅待機のはずだが、淡雪が店を開けていると聞き、隣町の上野毛(かみのげ)の自宅から、横殴りの雨をかき分けて駆けつけたのである。


 淡雪と氷見子は驚いて、少々怒り気味に言う。



「六花ちゃん、どうして来たの!? こんな台風の中、危ないじゃない!」


「そうだぞ、六花。しばらく来るなって連絡したはずだろう。受験生だろうが」



 淡雪は六花の濡れた髪をタオルで拭き、氷見子はレインコートをバックヤードに干して乾かす。


 六花は肩で荒く息をしながら、はっきりと言う。



「多摩川沿いの野毛(のげ)地区や玉堤(たまづつみ)地区にも避難勧告が出たって聞きました。これからシュネーバルをたくさん作るんですよね。私も手伝います」


「家で勉強でもしてろ」


「勉強道具も持って来てます。勉強しながら手伝いますから」



 六花は氷見子の怒気に抗って、持って来た鞄を指差した。


 淡雪は覚悟を決めて、深くうなずく。




 世田谷区等々力(とどろき)


 東急大井町線等々力駅の南側に急勾配の坂があり、高地と低地を峻別している。東京区内唯一の渓谷である等々力渓谷は、その高低差が生み出した地形の結晶である。


 エルフィは高地側にあるが、低地側はこれまでに何度も浸水の危機に晒されてきたエリアである。


 そしてこの日も、この低地一帯に緊急避難勧告が発令された。住民は高地側にある小中学校の体育館や児童館などへと避難を余儀なくされた。



 事態は加速度的に深刻化していく。


 景観を損なうとの住民の意見から堤防が建設されなかった地点から、多摩川の濁流が激しく流れ込む。


 水門の閉鎖が遅れたことで、多摩川の水が逆流していく。


 逆流を止めるために水門を閉鎖すると、今度は区内に絶えず降り注ぐ雨水の逃げ場がなくなり排水ができない。


 そのような様々な要因が複合的に絡み合い、低地エリアでは広範囲にわたり浸水被害が発生した。家や車は濁流に沈み、漂流物がぶつかり合う。


 避難所となった高地の体育館は、着の身着のままで避難してきた低地の住民たちが殺到していた。これからどうなるのか、不安の顔で身を寄せ合っている。



 氷見子と六花は、いつも以上にシュネーバルを揚げた。油のはぜる熱い音が、外の豪雨の冷たい音に乗る。


 淡雪は挙がったシュネーバルを箱に詰めていく。濡れないようにビニールで覆い、抱えられる限りの箱を抱えて雨の中へ飛び出し、近隣の小学校へと持って行く。


 どこの避難所も、支援物資を呼びかけていることは確認済み。淡雪は箱を差し出して告げる。



「等々力のドイツ菓子店エルフィです。この中身はシュネーバルという菓子です。一週間ほど日持ちしますし、腹持ちもいい食べ物です。よかったら、非難されている方にお配りください」



 エルフィの名はこの地域では徐々に浸透し、店長の淡雪の顔を知る客も増えている。淡雪の訪問を見て、安堵の笑みを浮かべる避難者も多かった。


 ところが、物資を管理している避難所のスタッフたちは、硬い表情を見せる。



「ありがたいんですが、この菓子の安全性の保証が必要になります。食中毒でも起きると、責任問題になって困るんですよ……」


「百二十個ですか……。 しかしここの避難者は、百三十五人いるんですよ。平等に配れませんし、申し訳ありませんが……」



 ほとんどの避難所で断られた。



「おい、エルフィさんがわざわざ来てくれているのに、なんてことをしてくれるんだ!」



 一部の避難者たちが、見かねてスタッフに声を荒げる。子どもたちは支給されない目の前の菓子を見つめ、泣き叫ぶ。


 空気が張り詰め、怒号が飛び交っている。


 淡雪は胸を締め付けられる思いで叫ぶ。



「どうか喧嘩はやめてください! ルールには従い、持って帰ります。でも、私たちエルフィはいつでもお届けに上がる準備を整えております。どうかご検討願います。避難中の皆さんも、台風が過ぎたら、お店に取りにいただいて構いません! 無料でお渡しします」



 混乱を起こしたことを詫びて頭を下げた淡雪は、一つも渡せなかったシュネーバルを抱え直す。


 止まない雨の中、いろんな避難所を駆け回り、断られ続ける。


 それでも淡雪は、豪雨の街を濡れながら駆け回った。



(つづく)

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