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第8話 接近


挿絵(By みてみん)



 白瀬餡次(しらせあんじ)は妻と二子を失い、血のつながった家族といえば、勘当した娘の淡雪(あわゆき)、ただ一人である。


 突然倒れて救急搬送された病院では、若き日から餡次を支え続けてきた古参職人の阿比留(あびる)寿蔵(としぞう)と、隣家の茶舗に住まう新弟子の赤瀬松風(あかせまつかぜ)が、家族に代わって医師の説明を受けた。


 医師らもまた、老舗のしらせ堂本舗の常連であり、可能な限りの手を尽くしてくれていた。



 松風は症状や検査結果など、こまめに東京にいる淡雪へ連絡を送った。


 就業後、自宅に戻った淡雪とビデオ通話をつなぎ、一つ一つを丁寧に伝える。



「重度の心疾患、だって……。通院歴もあったらしいんだけど、親父さんは周囲には隠してたんだ。寿蔵でさえ知らされてなかったって」


「そうなんだ……」



 画面越しの松風からの報告を、淡雪は複雑な表情で聞く。



「意識は戻ったんだけどね……。淡雪ちゃんには知らせるな、来るのは許さないって、そればかりで……。ごめんね」


「いいの、松風くん。そこまで意固地でいられているなら、お父さんはまだ大丈夫だと思う」



 松風の報告に、淡雪は苦笑いを見せて答える。


 しかし、今すぐにでも長崎に飛んでいって父に会いたい、という苦悩は松風の目にもよく分かった。


 横でさりげなく通話に参加している氷見子(ひみこ)も、淡雪が無理をしていることは気づいていた。


 だが、淡雪の目は揺るがない。



「松風くん。お父さんのこと、お願い……。私はまだしばらく、長崎には帰れないと思う」


「分かった。親父さんのことは任せて。でも淡雪ちゃん、無理しないでね」


「うん。松風くんも」



 二人の通話は短く終わった。幼い頃から共に育った隣人同士、多くを語らずとも分かることも多い。


 それでも氷見子は、淡雪を心配して尋ねる。



「本当にいいのかよ。親父さんのこと」


「松風くんが任せてって言うから、安心して任せる。それよりも……」


「そんなに気になるのか、それ」


「うん。私たち長崎で育った人はみんな、小学校でも習うの。四十年以上前のことだけど。だから私、ここに店を構えるって決めた時から、ずっと頭にあった」



 淡雪の手に収まるスマホの画面は、松風との通話から天気予報アプリへと変わっていた。


 そこに映っていたのは、観測史上最大規模と報じられる台風の進路予想図。


 妖しく渦を巻く雲の塊が、日本列島へと迫っている。


 十月という秋も深まるこの時期に、季節外れの台風二十一号が北上していた。


 関東甲信越地方へと一直線の進路を見せるその台風は凄まじい猛威で、本土へ近づくにつれてテレビ番組は次々と通常番組を打ち切り、緊急の台風情報へと差し替わっていく。



 淡雪は九州の長崎生まれで、台風の到来には慣れている。


 だが淡雪は、水害の発生に敏感であった。


 故郷では昭和五十七年、長崎大水害が発生している。


 一時間に百八十七ミリというその時の時間雨量は、いまだに日本の観測史上における歴代最高記録である。


 長崎の小学生たちはその被災の経験を社会科の授業で学ぶ。また、大人たちもその時の経験を昨日のことに語る。長崎では原爆に並び、長崎大水害の記憶は非常に身近な話題だ。


 淡雪が等々力(とどろき)にエルフィを開店することを決意した時に、最初に調べ上げたことは、水害のリスクであった。


 数年前に多摩川が氾濫し、等々力南部は浸水の被害に遭っている。


 エルフィのある場所は等々力渓谷よりも北の高台に位置しているが、低地の住宅にも常連客がたくさん居住している。


 その数年前の氾濫を踏まえて新たに多摩川堤防が作られるなど、その治水対策は進んではいるが、自然は常に想定を超えてくる。


 淡雪は最悪の事態を考えながら、台風情報を凝視している。



「もし大変なことになったら……、私はできる限りの手助けがしたい」


「ああ。その時はあたしも全力でやるから」



 普段はふざけがちな氷見子も、この話になると淡雪の肩をしっかりと抱いて、協力の意思を手に込めた。数年前の氾濫時に、氷見子はフランスで修行中だったが、地元の友人を失っている。とても他人事には思えない。



 豪雨は止まず、さらに激しさを増す。


 そして事態は、淡雪の予想していた最悪の状況へと変わっていった。




(つづく)



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