第6話 決別
ミュンヘンに降り立った淡雪は、亡き月平が生前に三兄妹をたとえていたバイエルン州の名城、ノイシュバンシュタイン城、ホーエンシュヴァンガウ城、ホーエス城の三城をめぐった。真冬の南ドイツは雪に覆われ、どこも白く美しく輝いている。
月平が評したように、絢爛なノイシュバンシュタイン城はたくさんのツアー客が訪れ賑わい、明るく人が集まる長兄の外郎のようだった。ホーエンシュヴァンガウ城はその傍らにありながらそれほど観光客は多くなく、寡黙な月平に重なった。二人の亡き兄を思い出し、淡雪は泣いた。
そしてフュッセンの街。ドナウ川の支流であるレヒ川の岸にホーエス城は建つ。先の二城に比べるとさらにこぢんまりとした城だが、八百年以上の歴史が紡ぐ妙な親しみやすさがある。特に華やかさもない、おとなしい自分に合っていると感じた。
「月平お兄ちゃんは、本当によく人を見てたんだなあ。一緒に来たかったな……」
淡雪は苦笑しながらも止まらぬ涙を拭い、とぼとぼと城山を降りて旧市街地へと入る。
寂しい気持ちで歩いていた淡雪は、ある一軒の店に目を止めた。地元の客が笑顔で出入りして、外でも幾人かが球体の菓子のようなものを頬張っている。
淡雪にはあの凄惨な光景以来、人の凍った心が見える。店外の寒空の下で白い息を吐きながら笑い合って菓子をかじっている客たちを見ると、その心の氷は解けていっている。まるでその美味しさと楽しさが熱源となっているかのように。凍った心は解かせることができると、淡雪は初めて知った。
看板に「シュネーバル・ウィンクラー」と刻まれたそのお店が気になり、淡雪は足を踏み入れる。
「わぁ……っ!」
淡雪の口から感嘆の声が漏れた。ショーケースの中にたくさん並んでいる様々な種類の球体の菓子。まるで宇宙から美しい惑星を集めてきたように見える。客が笑顔で選んでいる。二人の男の子と一人の女の子の小さなドイツ人兄妹が、両親に買ってもらったシュネーバルを掲げて喜んでいる。淡雪はかつての亡き兄二人を思い、涙があふれる。
「お姉さん。一つ食べてみて」
エプロンをつけた老齢の女性がドイツ語で語りかけてきて、泣く淡雪の前に籠を差し出した。試食用に四分割されたシュネーバルが積まれてある。
一つつまんで食べた淡雪は、そのサクサクとした歯応えと甘く薫る舌触りに虜になる。素朴ながらも温かい甘さ。
淡雪はいくつか購入して、外の路地で食べながらその店をじっと見た。興味は尽きず、何時間も立ち尽くす。お客の心を解かしていくその店が気になって気になって仕方がない。
思い切って再びお店に入り、先ほどの老齢の女性店員につたないドイツ語とスマホの翻訳アプリを駆使して、想いを伝える。
「私の日本のお菓子屋さんで生まれました。実家の和菓子屋さんも好きだけど、このお店もすごく素敵。笑顔があふれているこのお店で、働かせてもらえないでしょうか」
その老齢の女性は店主であった。この店主もじっと店を外から涙目で見ていた淡雪のことが気になっていたのだろう。笑顔でうなずく。
「いつでも来ていいわよ。待っているわ」
ウィンクラー家の家族経営だというその店の店主、カミラ・ウィンクラーはショップカードを渡し、お土産用に特別なシュネーバルもいくつか持たせてくれた。
淡雪はすぐに日本に帰国した。そして長崎に帰ると、父に報告する。
「大学を退学して、今すぐドイツに行きたい。シュネーバルのお店で修行をしたいの。人の凍った心を解かしてあげる仕事を、今すぐ学びたい」
いきなりの報告に、父の餡次は当然のように激怒する。次男月平を失ったきっかけにもなったドイツのことなど、聞きたくもなかった。
「ふざけるな。月平に続いておまえまでドイツなどと言い出すとは。それほどまでに父親を苦しめたいか。行きたければ、今ここで白瀬家との縁を切っていけ」
「分かった。私は私の夢を見つけ、私の道を行く。もう二度とここには帰らない」
「勝手にしろ。おまえはもう、私の娘ではない」
凍てつく心を持つ二人には、感情の余裕がなかった。売り言葉に買い言葉。小さな衝突が、大きな軋轢を生む。話し合うこともなく意地をぶつけ合い、その亀裂は元には戻らない。
淡雪は大学を自主退学し、すぐにドイツへと旅立った。
フュッセンのウィンクラー一家は淡雪を迎え入れ、住み込みで働かせてもらえることになった。取得の難しいという就業ビザも一家や商店会の協力でなんとかなった。
淡雪は笑顔の絶えない店で一所懸命に働きながら、シュネーバルの作り方や売り方を身体で覚えていった。
一年半ほど働いた後、カミラ・ウィンクラーはローテンブルクにあるシュネーバル専門店へ口利きをしてくれた。
家族経営のウィンクラー・シュネーバルよりも大きな会社での経験もしておいたほうがいいという心遣いである。
ローテンブルクはシュネーバルの本場。淡雪は有名な老舗に移り、そこでも一年ほど働いた。
もし日本にシュネーバルの専門店を出すならば、どのように経営していくべきか。淡雪はフュッセンとローテンブルクの二つの店でしっかりと学び取っていった。
ドイツから帰国し、淡雪は日本にシュネーバル専門店を作るべく、さまざまな場所を視察。世田谷区等々力に開店することを決意したのである。
(つづく)




