第2話 落涙
和装の初老男性はカウンター席で、熱いコーヒーを啜りながらシュネーバルを食している。その真剣な表情から、よほどの料理人か美食家なのではないかという雰囲気が伺える。
異様な雰囲気を察したのか、コック帽を被る氷見子がまたアコーディオンカーテンから生首のように顔を出し、六花に耳打ちをする。
「誰なんだ。あの美食倶楽部の主宰みたいな貫禄あるオジサン」
「分かりません。でも淡雪さんの様子もおかしくて……」
持ち帰り用のシュネーバルの箱の用意を終えた六花が小声で返す。その箱を受け取った淡雪の手は、確かに小刻みに震えている。
男性はシュネーバルを口に運ぶたびに、吟味するようにうなずいては、コーヒーを飲んでその相性を確かめている。
全てを食し終え、ブレンドコーヒーを飲み干して一息ついたタイミングを見計らい、淡雪は箱を持って恐る恐る男性客に聞いた。
「こちらがお持ち帰りのシュネーバル六つです。あの……。お口に合いましたでしょうか……」
「ああ、美味かった」
「ほ、本当ですか……。ありがとうございます!」
「駄菓子だな」
淡雪の表情が一瞬明るく咲いた瞬間、和服男性の辛辣な一言。淡雪の顔は一気に困惑と悲しみに曇る。
男性は紙ナフキンで口周りを行儀良く拭きながら、容赦ない感想を述べる。
「駄菓子として美味い。さぞ子どもも喜ぶだろう」
「……」
「白瀬淡雪……。その名を持つ者が、こんな歯触りの駄菓子に興じているとはな。人生を懸けてまで作るものが、これか」
二の句が告げず震えて立ち尽くす淡雪を前に、和服男性は呆れたような溜め息をつくと、椅子から立ち上がる。
見かねて氷見子がカーテンを全開して、進み出た。
「おいオッサン。子どもが喜ぶ駄菓子で何が悪いんだ。おまえは有薗か。気取った上菓子を求めてんなら、金返すからその箱は置いて帰りな」
「氷見子さん、いいから」
声を張り上げた氷見子を、淡雪は手で制した。六花は先ほどの自分の接客の悪さのせいかもしれないと、氷見子の横でオロオロしている。
和服の男性は気にせず、淡雪を厳しく睨む。
「淡雪。松風が土下座してまで勧めるから、彼の顔を立てて食べには来てやった」
「えっ」
松風の名を聞いて、氷見子と六花から驚きの声が出た。淡雪だけが唇を噛み締めながら俯いている。和服の男は気にせず続ける。
「彼が言うから、うちの連中へ買っては行く。だが、淡雪の名を持ちながら、こんな堅い食感の菓子を生業としていくようなら、もはや私の知るところではないな。どこぞの男と結婚して、早々にその白瀬の名を捨てろ」
「……」
「もう会いに来ることはないだろう、淡雪。失望もこれまでだ」
和服男性は持ち帰り箱を手にすると、淡雪を一瞥して痛烈な言葉をぶつけて店から出ていった。
ガタガタと身体を震わせていた淡雪は、扉がパタンと閉まると、カウンターに手をついて目を閉じ、がっくりと項垂れた。
「淡雪さん、すみません、たぶん私の接客で……」
「六花、違う。おまえは気にするな」
泣き出しそうな六花に、氷見子は首を振って見せ、淡雪の背中を優しく摩る。
「淡雪……。さっきの、長崎の親父さんだな?」
氷見子の言葉に、六花は目を丸くする。
「え、でも……、先ほどの方、私に子どもはいないって……」
「そうか。そういうことか」
氷見子も淡雪のように、人の凍った心が見える。先ほどの男性にも、分厚い氷に覆われている心が氷見子には見えていた。淡雪に厳しい言葉を投げかけるたびに、その氷がさらに厚くなっていく様子も。
淡雪の目からは、涙がこぼれた。氷見子と六花はひとまず、淡雪を早退させて店を切り盛りする。
翌日。
淡雪は昨日取り乱したことを氷見子と六花に詫びた。心配する二人に、淡雪は自分の過去のことを正直に語る。
氷見子も六花も、初めて聞かされる凄絶の真実だった。
(つづく)




