第1話 秋の一日
「こちらのチョコレートがけのシュバルツ・シュネーバルなどは、子どもさんたちにも好評なんですよ。お子さんのお土産なんかにもぜひ」
「私に子どもはいません」
「し……失礼しました」
霜山六花は焦って和服姿の男性客に頭を下げた。最近は接客力も上がっていたので、調子に乗ってしまったと六花は反省する。柿渋色の着物に黄褐色の羽織を纏う初老の和装は、手で「いや」と気にしていない旨を合図する。白髪混じりの整った髪に、達観したような高貴な顔立ち。落ち着いた威厳を放つ男性だ。
持ち帰り用とイートイン用のシュネーバルを注文し、男性はカウンター席に腰を下ろした。六花は箱詰め、淡雪がトレイにコーヒーとシュネーバルの用意と二人で即座に手分けする。
六花がふと目をやると、淡雪の手はかすかに震え、冷や汗が滲んでいるように見えた。
「大丈夫ですか、淡雪さん。調子悪いんじゃ……」
「六花ちゃん、大丈夫」
気にかけてくれた六花を制し、淡雪は一呼吸置いて何やら思い切りの表情を見せると、トレイを運んでいった。心が幾重にも氷で覆われているのが分かる、和服の男性客の座るカウンター席へと。
エルフィの夏は、とにかく忙しかった。
店内で撮影されたフェニックスビールのCMが放映されるや、ネット上でこの店のことがとても話題になった。サッカーの元ドイツ代表カール・ハインツ・エッティンガー選手と俳優の若宮颯人がシュネーバルを買いに来るシーン。その後は他のタレントと自宅でビールを飲む別の場面となるので、映ったのはほんの数秒のこと。だがこの店が実在すると分かると、聖地巡礼とばかりに若宮颯人のファンの若い女性たちが行列を成した。
そして、接客の演技をしたのはエキストラではなく、白瀬淡雪と霜山六花だった。エルフィのブログを確認した視聴者が「あの可愛い店員さんたち、実際にお店にいるらしい」とSNSに投稿したことで拡散。それを確認しに店に来るユーザーも多かった。冬には閑古鳥が鳴いていたエルフィに、初めてお客が列をなすという光景ができた。夏休みということもあり、若い人たちが朝から続々と集まってくる。
だが、大行列というのは想像以上に大変だ。多忙極まるのはもちろんだが、いつもは閑静な住宅街に見知らぬ人たちが殺到するわけだから、近場の住民に迷惑がかかる。真夏だから日傘を差す人も多くいて行列の幅も膨らむ。違法駐車にも目を光らせないといけない。淡雪は近隣店舗に謝罪しに行く毎日。パートタイマーの主婦の皆さんの顔見知りが近辺の住民に多かったため、なんとか許されている。
テイクアウトのシュネーバルを食べながら等々力渓谷の遊歩道を歩くというお客も多く、包み紙をポイ捨てする人もいるのではと心配で、営業中に何度もゴミ袋とトングを持って等々力渓谷へ下りてはゴミを拾った。夏休み中は六花の高校の後輩たちもゴミ拾いを手伝ってくれた。
夏休みを超えると、ようやく客足も落ち着いてきた。CM放映もエルフィ編が終わって、用賀のドイツパンの店ベッカライ・シュトレームングで撮影されたものに変わったので、注目はそちらに移った。エルフィの卸先でもあるので心配したが、店主の戸井田慶三は「エルフィのシュネーバルがここでも売ってるって、たくさん買われるようになったよ」と嬉し顔だ。
大行列はなくなったがその余波は大きく、特に周辺地域の住民へ周知されたことで、客足が途絶えなくなった。いつも賑わっている。明らかに、繁盛店と言えるところまで来ていた。
六花はこの忙しさが楽しくてたまらない。もう受験前だというのに、放課後も学校のない土日もシフトで入っている。淡雪も氷見子も六花の成績を心配したが、テストの順位は校内一位をキープし、全国模試の成績も良いという。六花は長時間勉強漬けになるより、短時間で集中する効率タイプのようで、エルフィでの仕事はその集中に向けての良い頭の体操になっているようだ。勉強以外のいろんなことに触れているほうが勉強が捗るという持論で、両親もアルバイトを認めている。
いろんなお客様の笑顔を見送りながら、やがて季節は秋深まる。
和服姿の初老の男性がやって来て緊張感が店内に張り詰めたのは、そんな季節の頃だった。
(つづく)




