第7話 企画案
閉店時間が来て、アルバイトの霜山六花はレジ締めや簡単な整理を終えると、帰っていった。もう高校三年生の彼女は、これから自宅で猛烈に受験勉強に取り組むのである。
白瀬淡雪も一通りの仕事を済ませると、二人の男性が待つカフェスペースのテーブル席へ、新たな熱いコーヒーを淹れて持ってきた。
「すみません、お待たせしました」
「いえいえ。お店が見たくて、予定より早く来ちゃいまして」
片倉は松風と共に立ち上がり、名刺を差し出す。厨房の後片付けを終えた柊氷見子が合流し、松風も改めて名刺交換をする。
<フェニックスビール株式会社 販促事業部 主任 赤瀬松風>
<フェニックスビール株式会社 宣伝制作部 クリエイティブディレクター 片倉直哉>
二人が勤めるフェニックスビールは明治時代の創業以来、日本の洋酒文化を切り拓いたパイオニア的存在であり、いまやビール、ワイン、ウイスキーなどの酒類にとどまらず、清涼飲料水や健康食品など幅広い事業を手掛ける超巨大企業である。先鋭的なイメージが強く、就職活動生の人気企業ランキングでは常に上位にランクインしている。そのイメージを世に発信しているテレビCMを手掛けているのが、片倉たち宣伝部である。
松風は実家が老舗茶舗なのを買われてか入社後に配属されて以来、緑茶製品の営業部門ひとすじで、二年先輩の片倉とは販促プロジェクトで何度も一緒になったことがある。片倉は自分とは全く正反対の生真面目な赤瀬松風を気に入り、他部署ではあるがよく飲みに連れて行くほど面倒を見ている。
片倉が企画書を出して、淡雪に説明を始める。見た目はチャラいが、仕事に関してはとても有能で真剣である。
「ドイツ村でのビールのCMが好評で、第二弾としてドイツらしいお店で撮影するシリーズを考えていて。赤瀬にも意見を聞いたら、この淡雪さんのお店を教えてくれましてね。確かにステキだ。映像が浮かぶ」
片倉は店内を見渡しながら、勝手に納得していく。
フェニックスビールのフラッグシップブランドとも言える「ベスタ・ビール」は、発売以来高尚な雰囲気のCMが続いている。日本各地にあるドイツ村をロケ地とし、全ドイツ代表のサッカー選手で昨年からJリーグに移籍してきたカール・ハインツ・エッティンガー、フランス留学の経歴で知られ知的なイメージのある若手俳優の若宮颯人、カンツォーネ畑出身であるベテラン歌手の京極甲次郎など、ヨーロッパゆかりのアスリートやタレントたちがベスタ・ビールを呷る現在のCMは、認知度も高い。
その続編として、都内のドイツ料理店やソーセージ店などドイツの雰囲気の店をロケ地とするCMが企画されていて、松風の紹介で片倉はドイツ菓子店のエルフィもその候補に挙げたのだという。
キャスティングも続投とのこと。淡雪はそのCMを見たことがあるだけに、驚愕している。
「私たち、お酒は出してないですけど、いいんでしょうか……」
「ああ、ここでビールを飲むわけじゃなくて。タレントがここでドイツの菓子を買うという撮影をして、あとは自宅で乾杯というイメージっすね。他にもドイツ雑貨の店なんかも候補ですし、そこはご安心ください」
片倉はにこやかに説明を続ける。CMづくりを心から楽しんでいるという様子が表情から読み取れる。
自分の店を大手企業のロケ地に使ってもらえるということに、淡雪はとても嬉しい気持ちになる。ふと横を見ると、氷見子は企画書を見ながらどうも落ち着かない様子。フランス留学時代の若宮颯人さんと何かあったなこれは、と淡雪はなんとなく察してしまう。
松風のスマホに重要な取引先から連絡があったらしく、松風はさりげなく店外に出て行った。窓ガラスの向こうに見える通話中の松風の姿を見て、片倉はこっそりと淡雪にささやく。
「淡雪さん、赤瀬とは恋仲ってわけじゃないんですよね?」
「え、ええ。実家がお隣りで。もう一人の兄って感じで……」
「そうですか。赤瀬は内気で自分の過去のことはあまり話してくれないんで、赤瀬が淡雪さんのことをどう思っているのかも、本心は分からなんですけど、できれば赤瀬のこと、少し気にかけてやってくれませんか」
「え……。退職するっていう話ですか」
「それもあるが……。ここだけの話」
片倉は耳を貸すようにとチョイチョイと指で手招きをする。淡雪はよく分からないままに身を乗り出す。横の氷見子もさりげなく耳を向けている。
外で通話中の松風をガラス越しに見ながら、片倉は淡雪に耳打ちした。
「赤瀬は多分……、さっきの加嶋悠里子から性被害を受けてます」
(つづく)




