第6話 見えない心
「私が言いがかりなんて、何か根拠があるの?」
「ええ」
シャツの襟元を強く握って凄んできた女性客を、淡雪は恐れげもなく見つめ返している。
「私には、相手の凍った心が見えるんです。その人の心の持つ、苦悩や辛さの大きさが」
「はあ? わけの分からないことを。そんなの見えるわけないでしょ」
「ええ、見えないんです」
淡雪は自分の襟をつかんでいる相手の手をつかんで言った。
「あなたからは、凍った心が全く見えない。こうして触れていても全く氷を感じません。とても辛苦の末に松風くんと結ばれたとは思えない」
「……っ!」
「それに、お腹に赤ちゃんがいるというのも、きっと嘘。妊娠されている女性の心は、これから母親になるという不安の氷で心が覆われているものです。あなたにはそれもない」
淡雪はきっぱりと断言する。
それが正しいことは、同じく人の凍った心が見える氷見子にもよく分かった。淡雪の言う通り、この女からは全く凍った心が見えない。見えないだけに氷見子は気が付かなかったが、確かにそれはさほどの苦労も苦悩もない証拠でもある。淡雪はよく人を見ているなと、氷見子は改めて感心する。
女性客の額に青筋が立っていく。何か大声で反論しかけようとした時。
ドアが開いてカランカランとドアベルが鳴った。入って来たのはスーツ姿の赤瀬松風である。
「淡雪ちゃん、どうしたの……。……ゆ、悠里子さん!?」
手前側にいた淡雪の背中に声をかけようとした松風は、彼女の襟をつかみ上げている女性に気づいて驚きの声を上げた。
「悠里子さん、ここで何を……」
「決まってるじゃない。松風と私の結婚の邪魔をしないでって、この女に釘を刺しに来たのよ」
悠里子と呼ばれた女性は、鼻息荒く松風に告げる。松風はすぐに淡雪を悠里子から引き剥がし、その間に割って入る。
「悠里子さん。淡雪ちゃんは関係ない。彼女に迫るのはやめてください」
「関係ないことないわ。松風、あなた、この女を忘れられないんでしょう。今ここで、はっきりさせてやるわ。それにこの女、お腹の中の私と松風の子どものこと、嘘だと言ったのよ。絶対に赦せない」
悠里子は前へ足を進める。松風は手を広げて淡雪を護る。
カウンター裏で見守っていた氷見子は、さすがに高校生に聞かせる話ではないと六花をアコーディオンカーテンの向こうに追いやったが、自分自身は野次馬根性満々で、ゴムへら片手にニヤニヤしながら観戦モードである。
緊迫した空気の中、またドアベルが鳴って扉が開いた。
「ちわーす。……あれ、取り込み中?」
長めの茶髪にピアス、ピンクの開襟シャツにジャケットを羽織った男性。チャラいギョーカイ人という感じの身なり。日焼けした顔を見ると松風よりも少し年上に見える。
その男の顔を認識した悠里子は、ギョッとした表情に変わり、うめくように呟く。
「ナオヤ……」
「おう、加嶋じゃねーか。……おまえ、懲りねーな」
知り合いだったようだ。チャラい男性は小さく溜息をつく。
「おまえがどんな男に手を出そうが知ったこっちゃねーが、赤瀬みたいな真面目な後輩を拐かすのは見過ごせねーな」
「あ、あんたには関係ないでしょ、直哉。わ、私と松風の問題よ。とっとと、か、帰りなさいよ」
悠里子は開き直ってはみたが、やはりこの男が来てからは動揺を隠しきれていないようである。
淡雪はこっそりと松風に後ろから耳打ちで尋ねる。
「松風くん……。誰なの」
「なんかごめんね。うちの営業部の先輩の加嶋悠里子さんと、同じ会社の先輩で宣伝部の片倉直哉さん」
松風が淡雪と肩越しに小声で会話を交わしているのを見て、悠里子はさらに怒りを増大させるが、片倉直哉はさらに一つ大きなため息を吐くと悠里子に告げる。
「オレと赤瀬は、この店と淡雪さんに仕事の用があって来たんだよ。すっごく邪魔だから、おまえが帰れよ、加嶋」
片倉の言葉で、悠里子は途端に自身が最もこの場の部外者であることを知らされる。歯軋りをして拳を振るわせていたが、観念したのか大きな舌打ちをすると、悠里子は松風と淡雪を突き飛ばし、片倉に肩をぶつけて店から出て行った。
(つづく)




